第二部:教師の園
教師の存在はこの五年で急速に増えた。
正確には教師という名前ではなく育者という名前であるが、これは貴族のみを対象とした教師とは違う事を意味している。
育者が教える対象は全て平民。その中において上下の括りは存在せず、また費用も他より遥かに安い。
育者が対象とする年齢層は十歳からだ。期間も八年であり、この間に一般教養や専門教養を受ける事になる。専門教養に関しては教育過程で見込みありとされた者だけであるが、評判を聞いた限りではかなり良い結果を残しているらしい。
始まりは五年前。とある女性が下級層に程近い広場で青空の下教育を始めた。
最初は誰もが彼女に教育を受けようとはしなかったが、とある出来事を切っ掛けに急速に生徒が増えたのだという。
それに伴い、寄付という形で子供達の両親が金を支払う事が多くなり、最終的にはそれが学費という形となって現在にまで続いている。
良心的な価格で貴族も真っ青な教育を受けられるのだ。その魅力に惹かれる平民は数多く、中には商人の跡取り息子や貴族の三男坊が入学することもあったらしい。
俺が受けた護衛任務はその育者の一人から出されている。内容は冒険者の体験授業で、参加する人数は十人と決して少なくはない人数だ。
他の冒険者にも依頼はされているものの、定員数にはまだ到達していない。
報酬金は決して満足出来ない量ではないのだが、どうしても冒険者という存在は何かを教えることが苦手だ。戦って戦って自分独自の型を見出す者が多く存在する為、教育者という意味ではこれ以上無いくらいに不適格だと言えよう。
場合によっては今回参加した十人を脅す可能性が極めて高い。
それもまた勉強であるが、何も知らない状態で脅迫を受けてしまえば冒険者の像を誤解してしまうのは想像に難くなかった。
「――此処か」
地図で教えてくれた場所に赴くと、そこには立派な建物が見えた。
下級層に近い場所で貴族並の建物を作るのは違和感が強いが、それが逆に育者の存在をより強調している。
外観は茶色だ。色を塗るだけの資金は無く、硬い木材によって組み上げられた建物は頑健そのもの。
細かく見れば柱の接続に金属を用いている。学生達が入る門にも金属の板が補強されており、簡単に壊されない工夫が施されていた。
時間は既に昼。今から挨拶を行い、明後日の予定を聞くつもりだ。
定員が足りないとはいえ、時間は迫っている。今日の夜には現在の定員で依頼書が承認される筈だ。
門を抜け、横に居る守衛と思わしき人物に話し掛ける。初老に差し掛かった男性は子供受けするような笑みで俺に要件を尋ね、依頼の件でと告げれば即座に何処かへと伝えに行った。
その間立ちっぱなしで待つ事になるものの、時間そのものは然程掛からない。戻ってきた初老の男性から木製の札のような物を渡され、それが通行証であると教えてくれる。
「この建物には各所に侵入者避けの罠が無数に張り巡らされています。 その通行証があれば罠は作動しませんが、くれぐれも敷地外に出ないでください。 敷地外に出た瞬間に解ってしまいますので」
「……随分特殊な札なんですね」
ええ、私も詳しくは知らないんです。
そう言われ、渡された案内図を見ながら校内を歩く。三階建ての建物の中は今は静かで、しかし耳を澄ませば何かを羽ペンで書いている音が聞こえてくる。
この瞬間も彼等は勉学に励んでいる。遊びに呆けず、自分の夢に向かって努力しているのだ。
挫折するだろう。邪魔もされるだろう。何も成せないまま人生が終わるかもしれない。
しかし、それでも良いのだと俺は思う。有名になるということは、常に何か重いものを抱え続けるものだ。
凡百のままでいれば重い物を背負わなくても良い。自分の生きたいように生きて、そして死ねればきっと幸せに包まれたまま終われる筈だ。
頑張れとは応援するが、だからといって折れるなとは言わない。
折れたって良い。逆にそこから自分の道を再度問い掛けることだって出来るだろうから。
十四歳の人間が何を言っているのかと自虐しながら三階の奥にある部屋に辿り着く。育者長室と書かれた札が壁に取り付けられた部屋の前で、俺は扉を二度ノックした。
どうぞ、と声が掛かる。女性のものにしては酷く若い声に、若干の疑問を覚えながらもノブを回した。
「――――」
「…………」
部屋の中はさっぱりとしていた。
絨毯は無く、剥き出しの木板がそのまま見える。机もこれまた木製で、恐らく素材は建物と変わらない物を使用しているのだろう。
棚には無数の本が入り、机の背後には硝子の窓が取り付けられている。
カーテンは若草色で、それがこの部屋に素朴な雰囲気を抱かせた。そして件の依頼者は、俺に向かって目を見開いている。
相手は年若い女性だった。とはいえ、十四歳の俺と比べれば年上であるのは言うまでもない。
黒髪の長髪を後ろで一纏めにし、馬の尾のように垂らしている。赤い瞳は宝石のようで、輝く様に曇りは一点も含まれていない。
驚いた顔ではあるものの、その姿も酷く美しかった。
五年前に別れた後も育者としての生活を続けたのだろう。どうやってこんな建物を用意出来る程の資金を稼げたのかは不明なままだが、そんな確認は些事だ。
「初めまして、今回貴方様の依頼を受けることを決めた冒険者の一人です。 どうぞよろしくお願い致します」
「……ッ、初めまして。 私はこの学舎の長をしているナノと言います。 本日は私の御依頼を受けてくださり、誠にありがとうございます」
無事なままだったか。綺麗なままだったか。
安堵が胸を支配をする。突き放したのは俺だったが、彼女が強い女性である事は知っていた。
例え俺が居なくても何かを成すと確信していて、実際に彼女は成している。下級層の人間に知識を授け、技術を磨かせ、この街の発展に尽力しているのだ。
まだまだ芽が完全に育ち切るには時間が掛かる。今出来る範囲であれば店の売り子や販売員くらいだろうか。
数字に強くなれば帳簿管理を任せられる事もあるかもしれない。
兎に角、子供達の未来を作り始めている彼女の姿は尊敬すべき姿だった。着ている衣服は町娘のように青と白の単色の物だったが、何故か貴族以上の存在にも見える。
彼女は手を複数回叩き、誰かを呼んだ。
待っている間に部屋の隅に置かれていた椅子を持ち出し、彼女の対面に座れる位置に置いた。
「失礼致します」
座った俺の背後で別の人間が入室する。
目を閉じて無表情な少女はメイド服を更に簡素にしたような服を纏って紅茶を運んで来た。
丸い盆の上に置かれているカップの数は二つ。湯気を上げながら俺とナノにそれぞれ置いた彼女は頭を下げながら退出していった。
「先程の子もこの学舎の?」
「ええ、最上級生なんです。 この学舎が完成した際に最初に入学した子で、五年生なんですよ」
「成程、丁寧な子でしたね」
「そうでしょう? あの子も最初は下級層の子だったのですが、今ではあんなに綺麗に成長してくれました」
紅茶を口元に持っていきながらナノは語る。
だが、俺は別の事で驚いていた。先程の子が下級層の子供だったと誰が思えようか。
まともに喋られない子も多く居る中で件の少女は丁寧に言葉を発し、身形も整っていた。ナノと揃いの黒髪には艶があり、無表情の顔は気の強さを伺わせる。
平民の間であればかなり男性に人気となるだろう。それが下級層の人間だった事実に、やはり身分の差とは残酷なのだと突き付けてくる。
それを解決するのがナノだ。貴族も平民も関係無く同等の知識を与えれば出来る範囲は広がる。
ならば、それを陰ながら支える事に何の躊躇があるだろうか。俺達は互いにこうして再会したが、昔の事を持ち出すつもりはない。
俺達は五年前に別れた。その時点で関係は終わったのだと、俺の態度でナノも理解しただろう。
最初に挨拶をした時は涙目で睨まれてしまったものの、彼女はもう大人の女性だ。踏み込む範囲も見極められるようになり、俺の引いた線から内側には来なかった。
彼女は大丈夫だ。だってこんなにも、彼女は今精力的に活動出来ているのだから。
「さて、では早速明後日の予定についてお聞きしても?」
「ええ、勿論ですわ」