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第二部:絵に描いた理想

 ネグルという男の肖像画が壁に立て掛けられている。

 家族が食事を行う部屋の中でその肖像画は確かな存在感と共に置かれているも、誰もその絵に顔を向けることはない。

 酷く静かに、硬く、柔らかな雰囲気を微塵も感じさせない食事風景は異質の一言だ。

 家庭内に不和がある、という程度では済まない。この家族は最早崩壊している状態であり、それを無理矢理固めて家族という括りに当て嵌めているだけだ。

 料理人が作った料理が喉を通っても、そこに味は感じない。如何に極限の美食を用意しても、この家族の前では何の意味も無い食事と成り果てるだろう。

 やがて食事そのものも終わりを見せ、静かに全員が紅茶を飲む。

 用意された紅茶は甘いものであるが――ノインには只のお湯としか感じ取れなかった。


「七日後にお前達は騎士団に入隊する。 その話は既に聞いているな」


 家長であるネグルの言葉にネルとノインは首を縦に振るだけ。

 ネグルもそれで良いと思っているのか、二人の言葉を聞くことも無く話を続けた。

 母親であるマリアは無言だ。今回の話に関しては無関係ではないものの、口を挟む気は無いのだろう。

 だが、その態度こそが二人の子供達には堪らなく嫌だった。

 親としての態度ではない。親二人が求めているものは所詮は騎士としての才能云々であり、愛を与えるか否かなどもそこに比重が置かれている。

 今はまだ親二人はネルとノインを害するつもりはない。だが、それは今はまだというものだ。

 この親が何時見限るかは定かではない。そう子供達が考える時点でネグルとマリアは親失格だ。 


「荷物は最小限だ。 此処のような生活は送れないと思っておけ。 私の贔屓も考えるなよ」


「解っています。 ……最初から期待などしておりません」


 ネグルと話す相手は何時もネルだ。

 可能な限り妹とこの男で話をさせたくない。そんな兄心でもって彼は接している。

 ネルの眼差しは鋭い。二年前にはまだ少なからずあった親への情を完全に捨て去り、その目に敵意だけを明瞭に露にしていた。  

 この男に対して情など不要。そして、無言を貫く女にも情を抱く必要などない。

 真に信じるべきが誰か。それは彼の中ではっきりとしているし、確信も抱いている。才能による差別が如何に意味が無いことかも彼には理解していた。

 この男に従わねばならない現状はネルにとって喜ばしいものではない。胸に湧く不快感を何とか表に出さないようにしつつ、二人の話は続いた。


「騎士団の最初の仕事は基本的に城下町の警備だ。 入団試験の際に実力は向こうも解っているだろう。 近い内に城下町の警備から王宮の警備に移る」


「……」


「その後は公爵か、王族の護衛を任せられるだろう。 今までの成長速度を鑑みれば可能性は極めて高い。 ――期待しているぞ」


「――勿論です」


 この男の期待という言葉に一体どれだけの価値があるのだろうか。

 ネルは一瞬だけ考え、銅貨一枚にもならないだろうなと即座に断じた。

 話はそれで全て。言うべきことを全て言ったネグルは自室に向かい、同時に全員の解散となった。

 この後は準備をするだけだ。それ以外は鍛錬に費やす以外に何も無く、彼等二人もこの家の事など微塵も興味が無いが為に趣味も持ってはいなかった。

 ネルもノインも、共に肩を揃えて廊下を歩く。道行く際に見えるメイドと執事は慌ただしく二人の準備を続けている。

 持っていく荷物が必要最低限と言われたからこそ厳選しているのだろう。

 これから何が起こるか解らない世界に出る。兄妹達が一度も見た事も無い光景を今後は見ることもあるだろう。

 それが死へと導くか、はたまた栄光に導くか。

 

 二択をネル達が選択することは出来ない。

 事態は急に襲い掛かるものであり、逃げる事も許されないのだから。

 死にたくないのならば敵を倒すしかない。故に二人は、最愛の一人と別れた後も自らを磨いた。

 己の才については自覚している。そうでなければ居なくなった彼に合わせる顔が無いからと、死に物狂いで全てを調べ終えていた。

 戦いにおいて何が得意か不得意かを知っておくのは必要不可欠。これからも彼等の父親は騎士団での評価を調査するだろう。

 居なくなっても構わないと決めたザラの事は無視して、二人には必要以上に干渉する。

 愛情の一欠けらも感じさせない管理体制だ。五年という時間が流れても変化の兆しは無いのだから、あの性格は一生変わることはないのだろう。


「王都か。 ……あの港街からは離れてしまうな」


「仕方ありません。 ザラ兄様はきっと、私達と関係のある街に行こうとは思わないでしょうから」


「だろうな。 ザラならやるだろうし、俺も同じ状況ならやる」


 家族と何も関係性の無い場所へ。

 そこから導き出される答えは、もう二度と顔を見たくないという事実のみ。

 あの時点ではザラは二度と顔を合わせようなどとは思わなかったし、実際に兄妹達が会いに行かねば事態は何も変化しなかった。

 どちらも行動しなければノインの鬱屈した思いはそのままだ。爆発せずに溜め込み続ければどうなるのかなど、ネルには解り切っていた。

 病んでしまえば正常ではいられない。求めるモノへと手を伸ばし、法も倫理も無視して活動するのだ。

 横目でネルはノインの状態を見る。

 頬には微笑を湛え、目に宿す光に危険な兆候は無い。表面上は改善されたかに見えるが、ネルの感覚は嫌な予感を拭いきれていない。

 

 まだ何かある。

 その感情の正体をネルは別れる前に確かめたい。

 抑え込めたなどと甘い考えなど抱くものか。少なくとも、ノインの抱く渇望が一度会って戦っただけで解決するものではないのはネルにも解っている。

 最も兄妹の仲を求めたのがザラなら、最も強さを求めたのはノインだ。

 本人は表に出さないが、彼女は強さこそが平和に近付くと考えている。強くあればこの世は思うがまま。邪魔する者を斬り捨て、殺し尽くした先にこそ兄妹の平穏は待っている。

 そう信じて止まないのが彼女であり、しかし人間としての道理も彼女は持っているのだ。

 やってはならぬ道理をやれば兄妹の仲は壊れるだろう。それを理解しているからこそ、これまでは彼女の中に均衡が生まれていた。

 それが崩れたからこそ病み、ザラと戦った結果として均衡が再度生まれている。

 だが、そんな均衡が以前までのものと同じだと果たして言えるのだろうか。


「ノイン。 これから先は俺とお前は別の騎士団に行く。 一人で行動するとは思えないが、馬鹿な真似だけはするなよ」


「馬鹿な真似とは何ですか?」


「ザラに会いに行く、とかだ」


 ネルの言葉にノインは即座に尋ねる。

 その時初めて彼女はネルに顔を向けた。青い宝石の如き瞳は幼い頃と変わらず、純粋に輝いている。

 人は彼女のその眼を見て、希望の光や未来を感じ取ることだろう。

 だが、違う。ネルは一目で気付いた。――否、気付かされたと言われた方が正しい。

 純粋な人間などこの世には居ない。居ないからこそ物語にそんな人間が現れ、別の誰かと共に栄光を手に入れる。

 そうだとも。この世は純粋なままではいられない。

 故に、彼女のその眼は虚の輝きだ。実際の彼女に光など存在はしない。


「解っています。 まだまだ自分には足りないものがありますので、先ずはそちらの獲得から始めますよ」


「足りないもの?」


「力です。 ……あの人の力は今後ますます強くなる。 やがては誰の手も届かなくなる」


「それはお前の予測か?」


「――確信ですよ。 ネル兄様も戦ってみれば解ります」


 そう告げる彼女の目は純粋無垢なまま。

 虚ろの眼差しは何を見ているのか。初めてネルは彼女の考えが読めなくなった。


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