第二部:伸びた背中
人は誰しも、選択を余儀なくされる瞬間がある。
選択の岐路に立つ場面は無数に存在し、それは本人が意識していない箇所にもあるものだ。
朝食を取るかどうか、服はどれにするか――小さいことであるが、人生は選択の連続であることがよく表れているだろう。
そして、冒険者として日々を生活することを選ぶ人間も当然ながら居る。
母数としては大きく、浮浪者の最終防衛線としても機能するギルドは日夜依頼を掲示板に貼り続け、冒険者達は日銭を稼ぐ事と挑戦を繰り返していた。
港のある街にもギルドがある。酒場の二階にあるギルドの内部には多くの人間が依頼書を眺め、自分の力量と相談して紙を剥がしていく。
今日このギルドに居る人間は、殆どがランクとしては一から三までだ。
一般的に下位に分類される冒険者達であり、中堅の冒険者達は彼等が居なくなるのを酒場で酒を飲みながら待っている。
五年という月日の中で、ランクの上がった人間と下がった人間も生まれた。
死んだ者も出現し、重症により引退に追い込まれた人間も出てきている。それは世界が回り続けている限り起きてしまうもので、十年二十年と流れ続けても変化は見せないだろう。
港街のギルドの最高ランクは五年前の段階では六だった。ギルドという枠組みの中では中堅者を脱し上位の部類に入り始めるランク帯であり、全支部の中では決して高くはない。
しかし、五年後の今ではこの街の冒険者の最高ランクは八。これは明確に高位冒険者であり、誰も否定の言葉を吐きはしないだろう。
全支部内のヒエラルキーも上がり、港街の防衛線は五年前よりも遥かに改善された。
街を治める統治者達も自分を守る盾の質が向上した事に喜び、積極的にギルドに資金援助をするようにもなっている。
施設も大きくなり、酒場の隣の建物を吸収した為に逆に酒場の方がギルドの施設のように認識もされていた。その事実に暫くは酒場の主人も頭を抱えていたが、直ぐに開き直って一年前から主人はギルド用の席も複数用意している。
大きく発展したギルド会館は、港街の名物の一つにもなった。
古くからのギルドの形を知っている者達は感慨深げに建物を眺めることが増え、逆に新参とされる者達はその巨大さに圧倒されることが多い。
そんな日々を見せる港街のギルドの中で――――男が一人果実水を飲んでいた。
「……美味い」
新鮮な果実を用いた冷えた飲み物は、鍛錬で火照った身体を冷ましてくれる。
水ばかりの生活が飽きを生むのは必然だろう。食料も同じ物を食べ続ければ何時かは飽きるもので、しかしこの果実水は何時までも飽きが来る気配が無い。
外套を羽織り、頭を隠した男。片手には黒い手袋をつけ、腰には手入れをした直剣がある。
着ている服の下には金属板が隠れるように取り付けられ、その重さは並の人間であれば歩行するのも難しい。
日々慣れ親しんでいるか、拷問でもなければ普段からそれを付ける事は無いだろう。
しかし、彼にとってそれは日常だ。防具としても機能する衣服を常に着込み、同じ物を何着も用意している。
洗濯するのも一苦労の一品は、その特殊性故に全て彼が管理していた。
本人も大事にしているのだろう。衣服には破れている所は無く、新しく傷が出来れば即座に修理に出す程度には過保護っぷりを発揮していた。
そんな男の傍に近寄る影が一人。気配を消しながら男の背後に現れる姿は、踊り子のような衣服を纏った女だった。
口元はいやらしく歪み、今から悪戯をするという雰囲気を滲ませている。
その姿にギルド内の人間が気付いたものの、我関せずと無視を決め込んだ。
「――悪戯は駄目ですよ、ナナエさん」
いざ、と女が手を伸ばす。
だが、その前に男が振り返らずに背後の女に向かって言葉を投げた。
その発言に手は止まり、猫のように歪んでいた顔は途端に拗ねたような色に染まる。そのまま一回転するように男の対面に座り、飲みかけの果実水の入った瓶を奪い口に運んだ。
「ちぇ、直ぐ気付かないでよ。 フェイ」
「いや、そもそもあんな真似をしないでくださいよ」
「あれは私の趣味なの」
「……最悪な趣味だ」
フードの中から溜息が聞こえ、その反応につまらなさそうにナナエは口を尖らせる。
しかし、彼女の目はフェイに向けたままだ。五年という歳月の中で共に活動する回数が多くなり、成長する過程を実際に目にする事も多かった。
最初の頃は小さかった背中は伸びに伸び、既にその身長はナナエを超えている。
バウアーとの三人きりの際にはフードを取る事も増え、その顔から少年らしさが抜けていくのをバウアーとナナエは喜んでいたものである。
十四歳となった彼の身体は少年の頃よりも完成されていて、その肉体は一冒険者の中でも目を見張る程だろう。
少年の頃の時点でランク四に到達するだけの可能性を秘めていたのだ。それが成長し、実力を高め続ければ更にランクを伸ばす事が出来る。
「もう、そんなこと言わないの。 なに、一緒に活動したくないの?」
「そうは言ってないでしょう。 バウアーさんも同じ事を言いますよ」
「あんな筋肉達磨にするわけないでしょ。 それに最近はあちこち貴族から個別依頼が来ているみたいだし、する暇も無いわ」
ザラことフェイ、十四歳。
五年という月日の中でナナエやバウアーとの生活にも慣れ、不満を口にするようにもなった。
本人は実力以外に成長した部分は無いと思っているが、落ち着いた雰囲気は冒険者には似合わない。それ故に目立ち、素顔を中々見れない事から密かに狙っている女性冒険者も居る。
彼の顔立ちは極端に美形であるという訳ではない。しかし、優しさを前面に押し出した陽の光の如き相貌は一度見ると中々に忘れられなくなっている。
その影響はナナエも例外ではない。最後に見たのは半年も前であるが、くすんだ金の髪が揺れ、優しい夜の瞳は一度見られるだけで芯を揺さぶられた。
本人にその気が無いのが幸いだっただろう。そうでなければ、今頃はナナエは彼に心を掴まれていたかもしれない。
成長による変化は人間でなくともよくあるものだ。しかし、彼の内にある負の部分が減っていけば減っていく程にその顔には柔和さが宿っていった。
いや、その時の顔こそが彼の本来の表情だったのだろう。何が原因かは解らずとも、元に戻っていったのであれば何の問題も無い。――――いや、これから先で問題を引き起こすかもしれないが。
「……で、今日は何の依頼を受けるの?」
「ん、今日はジャイアントを討伐しようと思っています。 活動地域もこの港街に近いですしね」
片肘を机に立て、その上に顔を置いたナナエは問う。
目の前の青年は自身が危惧している問題など露知らず、受ける予定の依頼について話始める。
依頼内容はランク五相当の外獣・ジャイアントの複数討伐。数は十体であり、その多さによってランク五と設定されている。
ジャイアントは非常に巨躯だ。三階建ての建物と同等の大きさを持ち、その身体は硬質で狙う箇所を間違えると弾かれてしまう。
また、多少の知恵を持っていることも特徴の一つだ。複数体で活動をしているということは、一体だけで活動するのは危険だと確り判断している。
その上、巨木や岩といった自然の素材をそのまま武器として用いているので油断は出来ない。
しかし、単体でのランクは四。五になっているのは複数でいるからであり、故にまともに激突すれば勝つのは彼等である。
「ふーん、その程度なら私が手伝わなくても大丈夫みたいだけど……よし、何かあるかもしれないし付き合うよ」
「報酬は二分割で良いですか?」
「三分の一で構わないって。 何か目的があって金稼いでるんでしょ?」
「……解りました。 有難うございます」
「なーに、良いってことよ後輩君!」
威勢の良い言葉と共に果実水を一気飲みするナナエを呆れたように見つつ、追加で溜息を零す。
五年という月日は明確に関係を変えた。壁は薄くなり、その先にある本音という部分が互いに聞こえるようになったのだ。
それが良いか悪いかはさておき、気安くなったのは事実だろう。
人も疎らになった時間帯にフェイは張り紙を見る。そこにはやはり、ジャイアントの依頼が残されたままだった。