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淵に立つ

 ーーーー間違いなく、彼はこの街に居る。

 ヴァルツはこの街に入った時、直ぐに見知った気配を感じた。

 それは酷く朧気であり、注意せねば直ぐに消えてしまうような薄いものだ。共に来ていたノインやネルでは気付けず、気付けるのはヴァルツや彼等の両親くらいなものだろう。

 故に、運が良かった。

 世界において上位の実力を有する者は総じて感覚が鋭く、広い。

 限界はあるものの、それでも彼等の父親はかなりの範囲を持っている。その感知能力を駆使すればザラを発見するのも容易く、本気になれば即座にザラは捕まっていたことだろう。

 それだけの実力者がこの街に居なかったのは運が良く、そしてこの街が平和だった。

 強者が居なくとも過ごせるという状況は、正にヴァルツが求める平穏無事だ。

 

 事前情報でもこの街における犯罪率が低いという結果は出ている。

 だからこそ自分達は此処に居るのであり、それがヴァルツによって良い方向に動いた。

 この事実をネルやノインに伝える訳にはいかない。

 既に一度捜索済みで、完全に諦めている。ここから情報を与えられれば、この兄妹は家の一つ一つを巡ってでも探すに違いない。

 失踪の手引きをした身としては情報提供など有り得ず、彼の幸福を望むからこそ如何なる相手であろうとも口を割るつもりは無いのだ。

 一般的に高級に分類される宿屋の中で、ヴァルツは用意された紅茶を飲みながら思考を回し続けた。

 必要な荷物は全て降ろしている。滞在期間は三日程度で、その間に実戦訓練を済ませる予定だ。

 

 今回、彼等が戦う相手は森の奥地に居る鬼だ。

 普段は中層に迷い混んだ冒険者を襲い、それ以外は他の外獣を食料として襲撃するような存在である。

 特徴は錆色の肌に、額に生える一本角だろう。体格も二回りは大きく、単純な力勝負になれば並の冒険者では歯が立たない。

 訓練とするにはあまりにも危険な存在だ。まだまだ実戦経験の少ない二人が相手をするには強く、しかしヴァルツはその差を僅かなものだとも感じていた。

 

「失敗に終わったな、ノイン」


「はい。 街にある宿屋は片っ端から訪ねてみましたけど、そんな人物は見た事がありませんって言われてしまいました」


「……まぁ、ザラなら可能な限り痕跡は隠すだろうな。 恐らくは姿も隠しているだろう」


 ヴァルツが飲んでいる物と同じ物を飲んでいるノインは、街の入り口で浮かべていた微笑とはまったく反対の表情を浮かべる。

 今回は訓練の為にこの街に来たが、だからといって彼を探す事を諦めた訳ではない。

 一日ゆっくりと出来る時間の中でノインとネルは宿屋を巡りに巡った。

 同じ高級宿屋からもっとも格安な宿屋まで。時間が許す限り二人は歩き回り、されど結果としては失敗に終わっている。

 

「師匠、ザラの気配は感知出来ましたか?」


「残念ながら、という所ですね。 私も彼には会いたいのですが、この近辺には居ないみたいです」


 ネルの問いかけに対してヴァルツは簡単に嘘を吐いた。

 そして、二人はヴァルツはその答えに疑念を向けている。ザラの失踪の手伝いをした以上、特にノインはザラに関係する事については常に疑っている。

 もしかすれば本当に此処に居て、それをヴァルツは黙っているかもしれない。

 ヴァルツからすればザラの行方は知られない方が良いのは事実。例え兄妹がどれだけ教えてほしいと願っても、決して彼は何も言わない。

 それにヴァルツは確信している。今此処で出会ったとしても、結果は最悪なものになるだけだ。

 失踪を決意する程に追い詰められていたザラが再会すれば、今度は爆発しかねない。

 妬みや嫉みを溜め込んでいたのだ。それが爆発し、剣を取って殺害に走ったとしても不思議ではないだろう。

 

 会いたい気持ちは解る。

 解るが、まだまだ時間は必要だ。具体的には彼等が大人になるまでは接触させるべきではないだろう。


「まぁ、そう言うのでしたら大人しくしています。 あくまで私達は訓練に来ているのですから」


「ええ、今回の訓練は厳しいものになるでしょう。 不測の事態が発生するのも考慮して、私も今回は付いて行きます」


「解りました。 一先ず、ザラについては忘れます」


 最初の目的を忘れてはならない。

 捜索は個人的な感情だ。二人の役目としては鬼と戦い、実戦経験を積むことである。来るべき騎士団加入に備える為にも、実力はどれだけ高くとも良い。

 ヴァルツという強者からは才能有りと太鼓判を押されているのだ。であれば、努力しない道理など存在しない。

 もしもそれを放棄すれば、それ即ちザラに対する侮辱も同然。

 故にヴァルツは鍛える手を止めないし、二人もザラの生活を知っているせいで緩い鍛練に意味など感じなかった。

 厳しく、ただただ厳しく。ザラが必死だったのだから、自分達が怠けていてはいけない。

 両親に為にという気持ちは無かった。既に親には見切りをつけていて、今はただ彼等を利用しているだけである。


「さて、そろそろ私は自分の部屋に戻りますね。 準備もありますから」


「明日にまた会いましょう」


 雑談はここまで。

 ヴァルツは飲み終わったカップをテーブルに置き、自室に向かった。

 後に残るは兄妹二人と無言で立ち続けるメイドが居るだけ。そのメイドに二人きりになるようネルは告げ、本当に部屋の中は二人だけとなった。

 互いに目配せをし、二人は静かに壁に耳を当てる。

 誰かが喋っている音は無い。家具の裏等を見て異常が無いか確認し、荷物の中に入っている紙の束をノインは机に広げた。

 二人の手にはインクと羽ペン。これから何をするかと言えば、それは筆談だ。


『盗聴されている様子はありません。 ですが、予定通りに筆談にします』


『解った。 それで、お前が探ってどう感じた』


『居ます。 確実に』


 宿屋を巡り続け、ノインは結局見つけられなかった。

 彼女は落胆して帰って来て、それをヴァルツは諦めたと認識している。

 ーーーー現実は違う。

 彼女は誰だ。どのような家系だ。いたって普通の家庭の娘である訳がないのは、誰が見ても必然である。

 彼女は才能溢れる人物だ。一を聞けば十を手にする、将来を約束された女性なのである。

 そして、その兄であるネルもまた普通ではない。

 ノインを超える才能を持ち、剣術だけならば兄妹の中で最も強かった。ヴァルツに隠れて森の中で剣を振るった際には、剣の範囲外にある木々も纏めて斬れたのである。

 それもこれも、二人がザラと同じ訓練をしたからだ。

 ザラの地獄とも言える鍛練を行ったことで蓄積された量が増えたのである。

 

 それによって二人は実力が向上し、互いに伸ばすべき方向が分岐した。

 ネルは単純な技量を。ノインは感知を。お互いが秀でている箇所を指摘し合い、両親が仕事で家に居ない間限定で全力の模擬戦も重ねていた。

 それ故に、ノインの感知は並ではない。同年代どころが現役の騎士団員を凌駕し、強者としての形を構築しつつあった。

 そんなノインだからこそ、一緒に鍛練を重ねていたザラの気配は直ぐに解った。

 雑多な気配に紛れるような形であるものの、それでも最近まで彼が居た事に気付いたのである。


『便利な能力だ。 私もそれが使えればな』


『ネル兄様は強いではないですか。 これで感知も負けてしまえば、私の価値は無くなってしまいます』


『馬鹿を言え。 お前もザラも大切な兄妹だ。 そんな才能一つで優劣をつけるつもりはない』


『ええ、ええ、私も同意見です』


 忘れるものか、見捨てるものか。

 三人は家族だ。家族は共に居るもので、別れるものではない。

 例えどれだけ罵倒されても良いのだ。自分達は自覚の無い行動でザラを追い詰め、失踪させてしまった。

 本人だって決してやりたくはなかった筈だ。それを決定付けてしまったのは自分達であり、故に剣で刺されても文句は無い。

 そうだとも、ザラには自分達を責める権利がある。

 責めて責めて責め抜いて、殴られて殴られて殴られ抜いて。

 それでも、許してもらえないかもしれない。


『どうなるんでしょうね、私達』


『全てを決めるのはザラだ。 その時になってみなければ解らん』


『そうですね……そうですよねぇ』


 ノインの瞳から輝きが消える。ザラに下される断罪の刃を想像し、されど彼女は喜びを含んだ笑い声を小さくあげた。

 どこまでも歓喜を含んで、どこまでも絶望を含んで。それをネルは悲し気に眺めるだけだった。

 ーー嗚呼、ザラ兄様。何でもします、何でも叶えます。だからどうか、たった一回だけでも笑いかけてください。

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