ナルセの騎士
華美な飾りを廃した実用一辺倒の馬車が街へと入る。
普通の街では一切見ない堅実さを表した焦げ茶色の馬車を、二頭の馬が力強く引いていた。
その姿は注目を集め、冒険者も含めて皆が遠巻きに見つめている。きっとあの中には家族の誰かが居ることだろう。
俺も乗った事があるからこそ、その馬車は間違いなくナルセの家の馬車だ。
どういうことだと、ここ数日は頭を悩ませていた。最初にこの話を聞いた時は何とか平静を保てていたものの、宿屋に戻って直後は満足に寝ることも出来なかったのである。
頭の中は解決策を考える事ばかり。それは今も変わらず、取り敢えず浮かんだことを適当にしている状態だ。
保存食を無数に買い込み、可能な限り外出を控える。
ナナエやバウアーにはどうしたと言われることは確実だが、体調不良だとでも言っておけば二人も納得するだろう。
剣を使わない鍛練をあの馬車が居なくなるまで行い、これまで以上に外套に気を遣ってバレることを回避していきたい。
だが、そんな小細工を使っても誰が来たかによって無駄に終わってしまう。
もしも父や母が来ていれば、あの二人は僅かな気配で察知しかねない。こんな港街に用があるとも思えないが、予想出来ないのがあの二人だ。
それ以外に師であるヴァルツでも気付く可能性はある。だが、ヴァルツであれば例え気付いたとしても見逃すだろう。
此方側に引き込んだのは正解だった。危険要因を減らせ、更に味方となってくれたのだから。
馬車が停止し、扉が開かれる。
最初に出てきたのは執事とメイド。どちらも父の専属ではなく、俺達兄妹の専属に近い役割を担っていた者達だ。
故に、次に出てくる者は簡単に想像が付いた。それを示すように金と白の髪を持った二人が出てきて、民衆達に優雅に挨拶をしている。
ノインとネル兄様の姿に変化らしい変化は無い。まだまだ失踪してから僅かな期間しか経過していないのだから当然だが、それでも何も変わらない姿に安心感を覚えた。
胸に燻る劣等感はある。だが、これだけ離れていれば爆発する気配は微塵も無い。
これならば道中で見掛けたとしても大丈夫だろう。勿論、そんな馬鹿な真似をするつもりはないが。
これで全員かと思った俺は、しかし次に出てきた人物によって今回の来訪の理由を理解した。
「さて、此処では人の目を集めてしまいます。 早急に移動しましょう」
最後に出てきた人物はヴァルツだ。
その人物の登場に民衆はにわかに騒ぎ出すが、ナルセ家の面々は気にせず移動を開始した。
今回の来訪理由は実戦訓練。この街の側には森があるので、そこを利用して二人の能力を更に高めようというのだ。
この街に寄ったのは公爵家故に安全を取る為であり、今日は宿を取ってそのまま休む筈である。
ということは、今日一日は間違いなく街に居る。であれば、宿屋に引き籠っていれば特に接触することも無いだろう。
相手が歩き出すよりも早く此方は宿屋に戻る。
最近は金銭の計算も満足に行えていなかった。今ならば細々としたことも出来るだろうと、誰も居なくなった空間でベッドの上に金を広げた。
以前までは金貨ばかりだった巾着の中には銀貨も銅貨も混ざるようになった。
保存食を購入したり、闇夜を照らす為に蝋燭を購入したり、宿代も定期的に払っているので金貨十枚という状態からは変化している。
それが増減したのかについては、これからだ。一枚一枚巾着に戻しながら数え、最終的な合計は金貨十一枚と銀貨九枚と増えていた。
「一先ずは安全域か。 このまま稼ぎ続ければ家を買うのも夢ではないな」
一番安い家ならば掘っ立て小屋だが買える。
だが、一生暮らすのならばある程度頑強な作りの家の方が良い。そうなると金貨は百枚は欲しい。
安定性を求めるならば百五十枚は欲しいもので、それを稼ぎ出すのは並大抵のものではないだろう。
質素倹約に過ごしたとしても、やはり仕事の成果次第でいくらでも稼げる金額は変動する。
最近も幾らか依頼を受けているものの、やはりボーンタートルのように破格の金額を貰える仕事は少ない。
地道に一歩ずつ。少しずつ貯金していくのが定石か。
金銭の計算が終われば、次は点検だ。貰った物や買った物を調べ、破損が極度に進んでいれば新しく新調する必要がある。
普段では使わないランタンは古い物だ。師から貰った故に汚れはあるものの、壊れている気配は一切無い。
これからもそうだとは言えないが、拭くだけで良いだろう。
それからも俺は点検を行い続けた。
時間の流れは酷くゆっくりで、近くに身内が居るとは思えない程に穏やかな時間を過ごせている。
多大な資金がある身内ならばこんな宿屋を選ぶ道理は無い。
泊まるとすれば中堅所だろう。安全面を考慮するなら高級な場所を選んでも不思議ではない。
俺の時は山だったせいで野宿だったが、近くに街があればきっと安全面を重視した宿を取っていただろう。
今の自分と過去の自分。裕福なのは紛れもなく過去だが、心の安寧という意味では間違いなく今だ。
誰と比較されず、報酬を貰いながら鍛えることが出来て、何故か親身になってくれる歳上が居た。
誰も父や母とは同年代ではないが、逆にそんな歳の大人が近くに居ても警戒するだけだったろう。
「ーーあれ、もう夜か」
そんなこんな。
暇だからこそあれやこれやと思考を伸ばしていると、何時の間にか時間も過ぎていく。
食堂が閉まるまでは後少し。急いで食事を済まさなければ食費を安く収めることが出来ない。買い込んだ分があるとはいえ、そればかり食べては体調が崩れてしまうだろう。
他の客に迷惑が及ばないようにゆっくりと移動する。廊下は既に暗く、蝋燭を置く台が無いので最初から照らすつもりは無いと解ってしまう。
照らすとするなら自分の手で。正しく値段相応の対応だが、その点について文句を吐くつもりはない。
食堂に居る人はほぼほぼ皆無だ。料理そのものはあるものの、時間が経っているので冷めていることだろう。
それでも無いだけマシだ。バイキング形式となっているので自分の手で料理を選択し、なるべく冷めても大丈夫な物だけを選ぶ。
適当な席について時間を掛けないようにパンを口に運ぶが、やはり硬い。
スープに浸さねばまるで食べれず、生温いスープに千切ったパンを浸して食事を進めていった。
誰かが談笑する気配は無い。本当に此処では食事をするだけの為に居るのだろう。酷く乾いた空間は決して楽しいものではなく、やはり話し相手の居ない食事は味気無さも感じられた。
だからといって側に誰かが居てほしい訳じゃない。この矛盾が何とも言えないが、これはずっと抱えるものだ。
『ーーすみません』
そんな最中、一人の少女の声がした。
こんな夜の時間で出歩いていたとなると、相手は冒険者か。店員である女性が対応を行うのを耳だけで捉えつつ、食事の手は緩めない。
『御宿泊の方でしょうか?』
『いえ、人を探していまして。 金髪で黒目の少年なんですけど、見たことはありますか?』
その言葉に、文字通り硬直した。
手に持っていたパンが手から離れ、そのままスープに落ちる。跳ねた水滴が手を汚したが、そんな事に意識を向けられなかった。
硬直した身体のまま、耳だけは情報を求めて研ぎ澄ます。他の宿泊者はまるで気にしていないが、俺にとっては死活問題と言っても過言ではない。
『金髪に黒目、ですか? ……さぁ、私は見ていませんね』
『ザラという名前なんですが、何処かで聞き覚えはありませんか?』
『ザラ……ザラ……いやぁ、その名前も聞き覚えがありませんね』
『……そうですか、ご迷惑をおかけしました』
少女の声と、俺は思った。
だが違う。この声の正体は間違いなくーーノインだ。
公爵家の普段着を着ていれば確実に相手に警戒される筈だが、店員の声には質問に対する困惑しかない。
つまりは旅人としての変装をしている。そう判断すれば、この流れも解るというものだ。
謝罪をしたノインは直ぐに宿屋から出ていった。足音が聞こえないが、それでも近くに居る事が理解出来てしまって、背筋に冷たいものが流れる。
最早食堂で食事をする事も恐ろしい。此処に居ないと相手が判断すれば二度と立ち寄らないと思うが、それでも慎重になって損は無い。
俺の日常は彼等が去るまで再開されない。解っていたことであるが、それでも俺はその事実を再認識するのだった。
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