脱兎の兆し
「遅くなってしまったんですが、高位の回復薬をくださり有り難う御座いました」
「ああ。 気にしないでくれ、俺がしたかっただけだからな」
砂浜を蹴る。
飛び上がり、討伐対象の頭部に向かって剣の柄頭を叩き付ける。
自身の体重と落下速度と力を込めて剥き出しの骨を殴り、それを割った。
声無き苦悶の声が上がり、俺を突き飛ばそうと腕を差し向ける。平らな一枚骨である腕の側面には鋭利な骨が見え、今までの生物達をその腕で殺したのだろうと簡単に予測させた。
着地時には既にその腕は間近に迫っている。このままボーンタートルの正面に居続ければ、俺の命なんて呆気なく終わっていた。
右から迫る攻撃を左に回り込むようにして回避する。
ボーンタートルは大人四人分の大きさを誇るが、陸上においての速度は酷く緩慢だ。
彼等の本領は海に居てこそであり、そうでなければ弱点で頭部の粉砕も容易であった。
回り込み、左の腕から昇って甲羅のような骨の上を走る。
相手は俺の位置を振動で気付き身体を揺らそうとするが、やはりどうしても遅い。
それが実行される前にはもう頭部付近には到着していて、再度跳んで剣で頭部を殴り付ける。最初の一撃で既に砕けている部分の横を攻撃したお陰か、次の攻撃は更に砕けてくれた。
そして、二度も決まればその巨体も崩れる。
骨だけの身体でどうして気絶なんて概念が存在するかは定かではないが、一切動かなくなれば後は解体作業のようなものだ。
砂浜に着地し、全力で残りの頭部を砕く。全てが無くなってしまえばボーンタートルも死に、残るのは巨大な骨だけ。
残った骨はギルドが回収し、そのまま建物の骨組みや武器防具の素材になるらしい。
俺に素材の優先権はあるものの、今使っている鉄剣で分相応だ。なので全てをギルドに提供するつもりであり、その代わりとして報酬の上乗せを発生させる。
これは事後承諾の形でも構わないとバウアーが教えてくれたので、不安に感じるようなことはない。
周りを見渡しても、既にボーンタートルそのものは目標数を討伐しきっていた。両腕に鈍痛が響くものの、骨折も罅が走っていることも無いだろう。
念の為に回復薬を飲んでおいたが、鈍痛は少しマシになった程度だった。
他にボーンタートルが居る気配は無い。先程までは低く唸るような声が広がっていたものの、今では漁師や船乗り達が喜んでいる声が聞こえるだけだ。
危険だとしても、此処は彼等にとって大事な場所である。それ故に様子を見ていたのだろうと一人納得して、一緒に来ていたバウアーとナナエと共に帰路についた。
その道中で、軽く雑談をする目的で感謝の言葉を送ったのだが、案の定というべきかまったく気にせず彼は前を向いて笑っていた。
男臭い笑みは自信の現れだ。俺に使った分の薬品なんて直ぐに集まると言わんばかりの自信は、そう簡単に身に付くものではない。
ランク六という地位は伊達ではないという訳だ。そしてナナエも重く受け止めていない状態を見るに、また手に入ると考えているのだろう。
「それより、俺の提案はどうする? 依頼が終わるまでの間は保留していたが」
「そう、ですね……」
バウアーの誘いの言葉は、正直に言って魅力的だ。
何も考えなければ一も二も無く頷いていただろうし、少なくとも俺には良い効果ばかりが与えられるだろう。
実際の裏側がどうかは知らないが、彼等は十分に信用出来る。もしも彼等の態度がまったくの嘘であれば、俺は最早誰も信じられないだろう。
これに関して、実家は一切関係が無い。単純な悪意ばかりであり、それを切り裂く自信があれば断っても良い話だ。
だが、バウアーが直接提案するくらいには危険だと訴えているのも事実。
死にたくないならば、冒険者として活動するのであれば、たった一人で活動するなんて考えは最初から捨てるべきかもしれない。
「魅力的な提案です。 出来ることなら、協力関係を結ぶ事に否はありません」
「おお!」
「ですが、そちらにも予定はある筈です。 私に関わって余計な損失が発生しても、弁償は出来ませんよ」
近しい間柄になるべきではない。それは解っているが、解っているからこそ打算的な関係を構築する。
三人で協力関係を構築しても、基本的に俺は一番弱い。
ランクという部分に目を向ければ解るように、俺が現時点で登れる最大ランクは四だ。それも将来性を買ってという意味でのランク四であり、それ以上の力を見せる事は結局出来ていなかった。
勿論、一から四にまで駆け上がるというのは破格だろう。だが、あんな理由で駆け上がるなんてのはまったくもって後免だ。
俺は俺の実力でもってランク六に到達したい。
強さでもって他者を護り抜く。そんなレベル六になれれば十分だ。
だからこそ、今この場で冒険者を辞めるような事にはなってほしくない。その為に彼等を利用することは否ではなく、しかし確りと出来ない事は出来ないと告げておくのも忘れない。
その言葉に、バウアーは此方に顔を向けた。その目に驚きを含めて、しかし次の瞬間には我慢出来ないとばかりに笑い出した。
これはどういうことだと思っていると、バウアーと反対の位置に居たナナエが肩を力強く叩く。
ランク五ともなると肩を叩くだけでも威力が桁違いだ。ひりつくような痛みを訴える為に彼女に顔を向ければーーーーその顔は優し気なものに彩られていた。
「そんな真似はしないよ。 私もバウアーも気にしないし、フェイも気にしない方が良い。 甘えられる内は存分に甘えて良いんだよ」
「それは……」
「小難しい事を考える必要は無いんだよ! これはただのお節介でもあるんだから!! ね、バウアー」
「勿論だ。 存分に頼ってくれ」
彼等二人の行動を、俺は正確に理解出来ていない。
善意だ。この二人は善意の塊のような存在だ。家でも兄妹達が似たような眼差しを送っていたが、彼等二人はそれ以上に甘える事を許していた。
それは俺が子供だからだろうか。それは俺がまだまだ弱いだからだろうか。
二人は俺の素顔を知っている。知っているからこそ、誰かが守らねばならぬと考えているかもしれない。
もしもそうであれば、それは俺にとって屈辱だ。絶対に覆さねばならない評価でもある。
二人の優しさが胸に痛い。決して彼等が悪い訳ではないが、その優しさに甘えていては自身の堕落を生むだけだ。
二人の言葉に苦笑を滲ませ、帰路を進む。
ギルドで依頼達成報告を行い、報酬の銀貨を貰って宿屋を目指す。二人も俺が住んでいる場所を把握する為についてきていたが、街の入り口付近で無数の人間が犇めき合っている姿を見つけることで足を止めた。
「なんでしょう、あれ」
「なんだろう。 ……ちょっと私聞いてくるね!」
駆け足でナナエは人の群れの中に飛び込み、情報収集を行う。
流石の俺では潰されるし、バウアーでは威圧してしまうだけだ。ナナエが一番情報収集に向いていて、暫く俺達は待つ事になった。
そして戻ってきた彼女の表情は、どうにも明るいものではない。
しかし暗いものでもなく、固く真剣なものだ。踊り子風な格好と比べると酷く違和感があるものの、それが俺達に緊張を与えた。
「……何があった?」
「貴族が来るって。 それも有名人中の有名人がね」
「マリー伯爵か? それとセントロイズ侯爵?」
「どちらでもないわ。 ーーーーナルセ公爵よ」
放たれた言葉に、俺の芯が震えた。
絶対に会ってはならない者達の姿を思い出し、意識が揺れる。そのまま倒れてしまえばどれだけ幸福なのだろうと思いながらも、決して誰にも悟られないように揺れる視界の中で直立を続けた。