終わりの刻:騎士の願い
「結婚おめでとう、雷神殿?」
聞いた覚えのある声に顔を向けると、王弟がワインを揺らしながら悪戯気な表情を浮かべていた。
身体を振り向かせ、互いに持っているワイングラスをぶつけ合う。周囲には仲の良さを見せつけられるであろうが、目の前の彼にそんな意図は一切無い。
結婚の予定を決める際、一番に張り切ったのはアルバルト陛下だった。
勿論俺もナノも他の二人も気合を入れていたのだが、それ上回る勢いで会場の準備や婚礼衣装を仕立て上げたのである。その結果として俺は殆ど手を出せず、女性陣は流されるがままに全てを整えられた。
指輪だけは選べたのでナノの瞳の色に合わせてガーネットにし、シャルル王女にはトパーズ、ノインにはサファイアにと用意したのであるが――実際に指輪を見せた際には飛び上がらんばかりに喜ばれた。
何時も落ち着いているシャルル王女もこの時だけは子供の如くにはしゃぎ、ナノには何と泣かれてしまう。
それが嬉し涙であるとは解っているが、それでも気にするものはするのだ。泣き止むまで抱き締めると、彼女は力強く此方を抱き返した。
その俺の背中にノインが抱き着き、両方から挟まれる形で皆に喜ばれたのである。
胸に過る幸福感は莫大で、何故もっと早くこの話をしなかったのかと思うばかりだ。ネル兄様が言ってくれなければ焦り続けるシャルル王女を半ば無視した状態で日々を過ごしていたに違いない。
だからネル兄様にも感謝をして、本人は軽く返事を送るだけだった。
会場は王宮にある王族のみが使用出来る教会だ。神の婚礼ということもあり、誓いの言葉は無いしそもそも神父も居ない。
進行役を務めるのは王弟で、彼は白い神父服を身に纏った状態で四人が並ぶ列の前に立った。壇上に登るのは神への不敬として登らず、通常とは少々異なる形で結婚式はそのまま進行。
正直に言えば、その時点での記憶は朧気だ。美しい白いドレスと唇が合わさる柔らかい感触は覚えているものの、周囲の状況は一切脳に記憶されなかった。
ただ、拍手喝采があったことは解っている。俺達の結婚を裏側はどうであれ皆が祝福し、神同士の結婚を国の慶事として国民にも広く知らしめた。
街中を歩くことはなかったが、耳は怒号のような喝采を覚えている。遥か遠くからでも聞こえた声には、間違いなく喜びの感情だけが宿っていた。
「ありがとう、アルバルト殿。 貴方のお蔭で恙無く全てを終わらせることが出来た」
「なに、気にすることはない。 純粋に私が祝いたかったのだ。 ……少々彼女達には勢いが強過ぎてしまったみたいだがな?」
「あれだけ性急に事を進めればそうもなるさ。 それに国内の貴族のみならず他国の貴族まで呼びつけるなんて、一体どういうつもりだ?」
赤ワインを飲みながらも、事の真意を王弟に尋ねる。
結婚式に参加する来賓は最初の時点で僅かなものにしようと考えていた。王弟やシャーラ、討伐者達にナジムのような関係者だけで全てを済ませようとしていたのだ。
それに待ったを掛けたのが王弟である。貴族達を呼んで大々的なものにしようと提案され、彼女達の一世一代の舞台を飾ることを条件に呼ぶことを認めた。
そして今は式後の披露宴だ。シャンデリアの輝く広い会場の下ではテーブルの上に豪奢な料理が並び、多種多様な人間が着飾った姿で話し込んでいる。
だが、彼等の視線の大部分は俺やナノ達女性陣に向けられていた。
何か理由があれば話し掛けたいと思っているのは明瞭で、それは他国の人間も例外ではない。正式に神と話をする機会を得られたのだから、誰だって話してみたいと考えるものだろう。
それでも話し掛けてこないのは、王弟が傍に居るからと互いが互いに牽制しているからである。
雑談一つでも先を越されるのは嫌なようで、耳で聞こえる限りでは中身の無い世間話ばかりだ。空返事を互いに返しているかのようで、その中身の無さには呆れすらも感じてしまう。
「一つは自慢だ。 今のところ神が降りて来た国は他にない。 隠れていれば話は別であるが、周辺国の人間が全て来ているのは確認している。 彼等は神とはどのような姿をしているのかを見たくて見たくて仕様がないのだ。 それを刺激しつつ、次に私とザラ殿が友好を深めている姿を見せて我々に与したくなるよう誘導する」
「なんだ、二つ目は考えていたのか」
「使わない手はないと思ってな。 神聖な結婚を利用されて憤ったか?」
「いいや、利用出来るなら何でも利用しろ。 俺達がそこに居るだけでアルバルト殿に益があるなら、何も言いはしない」
「そう言ってくれると有難いな。 ……おっと、そろそろ私は離れるとしよう。 これからも頼む」
「ああ。 それじゃあな」
王弟がワイン片手に離れ、その瞬間に数名の貴族が王弟に話し掛ける。
他に貴族の子女達も此方に近付き、頬を赤く染めながら遠慮がちに話し掛けてきた。なるべく柔らかい表情を浮かべて対応しつつ、冷静に彼女達が嘘をついていることも見抜く。
言葉一つ、仕草一つ。本当に可憐なように自身を見せ、あわよくばを狙っていた。
もしも神の寵愛を受けられれば、その瞬間に人生の勝者となるのは間違いない。高い地位も家の将来も約束され、目の前で中身の無い世間話をしている子女達は幸福の日々を過ごせる。
だが、結婚した直後の男性に色目を使うのは不味い。単純に周囲の目が鋭くなるのもあるが――――それ以上に嫁達は察する能力が非常に高いのである。
子女達の身体が突如として跳ねた。全身を震えさせながら周囲を見渡し、体調不良を理由に離れていく。
彼女達が身体を震えさせていた原因はノイン達の視線である。
絶世の美女達が極寒の如き殺意を叩き込めば、安易な行動を取るような人間を下がらせることなど容易だ。厄介なのはノインが近付き、流れるように俺の腕に自身の腕を絡めたことである。
深い青のドレスを体形に合わせて作った為、彼女の線の細さが浮き彫り状態だ。ネックレスも指輪もそれぞれ一つだけにも関わらず、自身の美だけで周囲を圧倒している。
叶う女性など殆どいないだろう。俺も美人は何人か目にしたが、ノインに並ぶような女性はこの会場内には嫁以外いない。
「御話はお済になられましたか?」
「あ、ああ。 だがいきなり殺意を叩き込むのはどうかと思うぞ」
「度胸があればこの程度受け流せます。 ……兄様の傍に居るべき女性は私とナノ様とシャルル様以外は居ませんよ」
「拗ねるな拗ねるな。 別にそこまで強く咎める気はないさ」
優しく背中に流れる白銀の髪を撫でると、彼女は満足気に吐息を漏らした。
その仕草だけでも色気に溢れ、彼女も大人になったのだと感慨深い気持ちになる。少し前までは可愛気のある女の子といった見た目だったのに、今では引き寄せられない異性が居ない程の美人だ。
彼女の動きに合わせて俺も足を動かす。互いに顔を見合わせ、表情には常に微笑みがある。
そんな二人の空間に分け入れる人間はおらず、そのままナノ達の傍にまで近付いた。シャルル王女は朗らかな顔をしてはいたが、ナノは細目を向けている。
「いきなり浮気は止めてよね。 殴らなくちゃいけなくなるから」
「浮気をする予定は今のところ無いな」
「ま、美人をこんなに娶ってるんだ。 その上で浮気をするようだったら……ねぇ?」
「怖いことを言わないでくださいよ。 そんな相手を作る時間も気持ちもありませんから」
苦笑していると、そうだねとシャルル王女は簡単に引き下がる。
しかし、その目は妖し気だ。舌なめずりをする様からは蛇のような気配を感じ、その不気味さに何とか話題を絞り出す。
「そ、そういえばネル兄様は結婚しないんですかね。 あの人なら結婚相手に困らないとは思うんですけど」
「ネル兄様は結婚するつもりが無いみたい。 剣の道を究めたいってさ」
「――その話には興味がそそられるな」
剣の道。その魅力的な言葉に興味が湧くも、直後ナノに軽く胸を叩かれる。
言葉にはしなかったが、彼女の目を見て直ぐに解っていると返す。剣の道を究めてみたくはあるが、それよりも先ずは皆を幸せにするところからだ。
今日はネル兄様は周囲警戒の為に外に出ている。同じ神として参加してもらいたかったのだが、万が一を考えて敢えて披露宴には参加しなかった。
それでも式場で静かに涙を流していたことを俺は朧気な記憶の中で覚えている。嗚咽を漏らさず、涙を拭うこともせず、彼は淡々と涙を流しながら拍手を送り続けていた。
祝福を込めた真摯な眼差しを嘘と思うことはない。だから、俺はネル兄様がどんな道を歩んだとしても応援するつもりだ。
主役であるにも関わらず、俺達四人はベランダに出た。
夜風が頬を撫で、暖まった身体を心地良く冷やす。上を見上げれば何処の世界でも変わらぬ夜空が見えた。
この空の続く先に現代の人間が居ないのは解っている。解っているが、それでも続いてほしいと願ってしまう。
父親も母親も良い人間ではなかった。現代では辛い記憶も多く、腐らなかったことが少々信じられない。そう思えるのはきっと辛いだけではない出会いがあって、明るい未来が確かにそこにあるのだと感じさせてくれたからだ。
最早元の時代には帰れない。例え帰る手段があったとして、俺はそれを選択することはないだろう。
ハヌマーンには申し訳ないと思う。王にも一言謝りたかった。彼等が居たからこそ、俺は騎士として誰かを守ることが出来たのだから。
どうか幸せになってくれ。それが自分勝手な願いだとしても、彼等ならきっと幸せになれる。
「幸せになってください」
「なるなら、皆一緒だ」
ナノの心からの願いを聞いて、俺も心からの願いを口にする。――世界はその日も、何も変わらぬ秒針を刻んだ。
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