一人ぼっちと協力関係
朝の静けさは何時もと変わりが無い。
起き出した身体にも異変は見当たらず、今日も朝から鍛練を積めるだろう。
上半身を起こして、その部屋を見渡す。道具に武器に、鉄板を衣服に着けた軽装の防具。
流石に質に関しては元の物と同質とまではならなかったのだろう。
普段は隠している鉄板が露出している状態を見るに、鉄板を隠す事は無駄と判断したようだ。そのまま貼り付いている鉄板は違和感の塊である。
だが、違和感の塊と言えば最も大きなものがあった。
見渡しても見渡しても、そこには見知った相手が居ない。普段であれば挨拶の一つでもするような間柄である同室のナノは、今は怒って出て行ってしまった。
既に彼女は常連客とも言える存在が付いている。その縁から更に生徒数は増加し、安定になり始めていた。
このまま数年もせずに彼女は金貨を数十枚も稼ぐだろう。
そうなれば何をするのも自由だ。新しい備品を購入するのも、生徒を選ぶことも、他の冒険者を雇うことも自由。
俺を側に置く必要性は一切無いのだ。寧ろ逆に、今の俺を置いておく価値は無い。
装備を整えて、外に出る。
鍛練をするにしても、これからは油断出来ない。相手が此方を邪魔するのであれば、此方は全力でもって対抗するだけである。
相手は決して常識外れの怪物ではない。同じ人間であり、付け入る隙は多くある筈だ。
希望的観測に過ぎないにしても、気持ちで負けていたら何も達成は出来ない。
故に、今日も俺は剣を振り続ける。
剣を振り続けていると、無数の視線を感じる。
まるで槍の如く突き刺さってくる視線はあの時のものに似ていて、それが何であるかなんて嫌でも解ってしまう。
だが、それを努めて無視して俺は早朝の時間を鍛練に費やした。
相手もまだまだ様子見なのだろう。此方に手を出す気配は無く、ただただ見つめているだけ。
そのまま無事に鍛練を終わり、帰り道の中でも視線は続いている。
途切れたのは宿屋に入った時くらいなもの。遠い部屋を取った彼女の姿は見えず、この分ならば時間を合わせないように動いているのだろう。
軽く朝食を摂り、無くなってしまった護衛の仕事の代わりにギルドへと向かう。
昨日よりも遥かに増えた人の波を掻き分けて掲示板に辿り着いた俺は、新しく選択出来るようになったランク三の依頼書を見る。
「バックボアにフェアリー……一気に討伐依頼が増えたな」
ランクが上がれば当然、難易度の高くなる仕事も多くある。
とはいえ、ランク三の段階ではまだまだ敵は強くない。今こうして見たからこそ解ったが、昔に倒した大猪はランク三の依頼の中には存在しなかった。
あの大猪がランク二相当とは思えず、あれは恐らくランク四くらいに該当するのだろう。
だとすれば、想定される強さにもある程度予測が付く。
純粋な力勝負ならば大猪の方が遥かに上だ。それだけの力をランク三の中には入れないだろうし、一先ずは安心することも出来た。
その上で依頼を選ぼうとすれば。ランク三の依頼書を眺め、一枚の紙を受付に持っていく。
「おはようございます、今回はこの依頼をお願いします」
「はい——ランク三、ボーンタートル十体の討伐ですね。 それではカードの提示をお願いします」
今回選んだ敵はボーンタートル。肉も皮も内臓も存在しない、骨だけの亀だ。
出現地域は海に近ければ何処にでも。この港街であれば常に出現する存在であり、漁師達を妨害することで有名。
本での知識程度だが、彼等は生物に恨みを抱いている。そして、ボーンタートルの恨む先は海に生きる生物全般だ。
元が亀だからだろうか、海の生物を鋭く尖った骨で突き刺し回り、漁師達に何の収穫も与えないようにしているという。
この依頼書を読む限り、最近また増えてきたので、冒険者の手を借りたいという話だ。
距離もまったく離れておらず、報酬金も多い。
旨い依頼だ。これを受けない道理は存在しないだろうと選び、早速足は港に向かっていた。
「おーい、おーい、フェイ君こっちこっち!」
ギルドを出る直前、大きな声が聞こえた。
誰だと顔を向ければ、昨日と同じくナナエの姿が。此方に向かって手を振るその動作に、隣に居た別の男性が溜め息を漏らしていた。
人混みを掻き分けて、俺達は一階の酒場の椅子に座り込む。
相手はナナエと、ヤドカリと戦った際に見た頭髪の無い茶色の肌の男性だ。
今は銀の鎧を来ておらず、半袖にズボンといった軽装で天井を仰ぎ見ていた。
「こうして話すのはヤドカリとの戦い以来だな。 俺はバウアー、ランクは六だ」
「私はフェイです。 よろしくお願いします」
「ああ、あの時は世話になった。 君の勇気と行動によって我々は動けたのだ。 感謝してもしたりない」
「そんな、あまり気にしないでください。 私も冒険者ですから」
「……冒険者だから、か。 まったく、最近の奴等に聞かせてやりたい言葉だな」
「ほんとにね。 最近は皆安定安定ばっかりで、誰も挑戦しようとしないのよね」
「それが悪い訳ではないがな、っとすまないな。 余計な愚痴を言ってしまった」
「いえいえ、構いませんとも」
二人は眉を寄せて話を交わしているが、俺の存在を思い出して即座に話を打ち切った。
相手はランク六。俺が求める理想のランクだ。
件の男性は三十を超えているだろう年齢であり、落ち着きながらも安心感を与えるような柔和な笑みは大樹を想像させる。
滲み出る貫禄も決して嫌な気分にはさせない。良い意味での大人らしさを漂わせる男性は、俺にとって馴染みの無いものだ。
自分では絶対にああいう人間にはなれないだろう。羨望を覚えながらも、一体どんな用で此方に話しかけたのかを視線で問いかけた。
「さて、話は昨日の件についてだ。 君が誰とも一緒に行動していないのが気になってな。 まだ昨日の今日であるから選べないのかと俺は思っているのだが、どうにもナナエが違うと認識しているようだ」
「ごめんね、何か昨日は不味い話をしちゃったんでしょ? だから話を途中で切って帰ったと思うんだけど————どうかな?」
両手を胸の前で重ねて困り顔でナナエは此方に謝罪する。
昨日のあれは嫌になるくらいに此方を的確に抉っていた。才能のある人間が当たり前のように話をするなと、理不尽な怒りも抱えていたかもしれない。
だが、それは俺自身の落ち度だ。彼女は何も知らず、ただ当たり前の言葉を並べただけなのだから。
だから気にしないでくださいとだけ、俺は返した。
それで彼女が納得してくれるとは思わないものの、踏み込むなという意思を汲んで彼女は開きかけた言葉を閉じる。
彼女が俺に興味を持つのは駄目だ。それは断じて、認めて良いものではない。
俺の態度にバウアーは静かに首を縦に振った。俺に事情があるのを知った上で、何も聞かぬと決めたのだろう。
彼の方が信用出来る。思わず内心で呟いた言葉に、自己嫌悪した。
「どうやら訳ありらしいが、冒険者であればそんな人間は幾らでも居る。 俺もナナエも詮索はしないさ、そうだろう?」
「……解ってる。 私はそういう性格じゃないよ、バウアー」
「そういうことだ。 ……さて、脱線したが君は誰と行動するのかは決めているか?」
「いえ、そういうのは特には……」
将来有望な人間を守るのはギルドにとって死活問題だ。
有用な人間が居なくなれば居なくなる程に人類は絶滅の脅威に晒され、歴史の終焉を迎えかねない。
だが、彼等はギルドに命令されて接触しているようには見えなかった。
明らかな善意でもって此方を心配しているのだ。昨日の連中に心を折られ、冒険者を辞めてしまうのではないかと。
俺の言葉にバウアーは笑みを深めた。丁度良いと告げる眼差しに嫌な予感を抱くのは流石に遅すぎるだろう。
「なら、俺とナナエで一時的に協力関係を結ばないか?」
ああ、ほらやっぱり。
予想通りの言葉に、頭を抱えたくなってしまったのは致し方ないだろう。