終わりの刻:忙殺
書類、交渉、指示、活動。
山と積まれる作業に辟易した思いを抱えながらも、毎日を忙しく過ごしていく。土地の確保から始まった建設は最優先とされているお蔭か直ぐに完成していき、現在形だけでも整っている場所は五カ所に及ぶ。
現代では数十も稼働していたものだが、五カ所だけでも動かすのは苦労させられた。唯一苦労しなかったのは人員くらいなもので、他の街に居る貧民街の住人を神住街の者達に任せる形で教育も順調だ。
やはり神住街の魅力は大きいようで、例え俺達が居住地を変えたとしても一種の聖地扱いとして多種多様な人間が移り住むようになった。
不足した分の食料などはナルセ家が新たに獲得した土地を一大食料生産地として稼働させて何とかしている。まだまだ育成段階なので供給には辿り着かないが、最終的に国内の食料生産高は増大する予定だ。
今は外獣が蔓延る地帯に存在する野生の食べ物を集めて何とかしている状況である。
他国との交易でも食料品の数を増やそうと王弟は考えているが、その国にも人は当然居る。輸出量には限界があるもので、今後も交渉はするものの望みは薄い。
貧民街の住人をも救済しようとすれば、それに掛かる衣食住の負担も多くなる。彼等は金を持っている訳ではないので、基本的には自給自足か働きに出なければならない。
とはいえ、貧民街への偏見の目は徐々に無くなろうとしている。未だ一部の地域では馬鹿にされているが、貧民街の住人に高い能力を持った人間が紛れ込んでいるのは全国に知れ渡った。
それに単純な労働力も馬鹿には出来ない。身体の不調を元に戻せば、数字や文字を学ばなくても肉体労働で活躍出来る。
実際に今建てている建物にも神住街の住人が多く関わっていた。彼等の中には文字や数字を学んでいない人間も多く、それでも密に言葉を交わすことで多少の失敗はあれど不和はない。
職人の棟梁が人に対して差別をしていないのも大きいだろう。平民であろうとも神住街の人間であろうとも平等に扱い、それが周囲の好感を集めている。
差別をする人間はしている側の支持を集め易いが、逆にされている側から恨まれ易い。警戒と憎悪が渦巻く空間を嫌悪している身としては、棟梁を選んでくれたナノには感謝しかなかった。
「どうだ、調子は」
「あ、神様! おはようございます!!」
朝、首都に建てられた本部に入ると門番をしている青年がにこやかに頭を下げてくる。
彼は重厚な扉を開け、俺はそのまま簡単に挨拶を交わして中に入った。
内部は装飾を抑えて実用的な物を選んでいる。わざわざシャンデリアを使うことはないし、過度に床が大理石である訳でもない。
現代にはまだ広まっていない支援設備も備え、なるべく彼等が死なないような措置も施している。
これから先、長い長い時間の中でその設備群も形を変えていくだろう。もしかすれば現代のように無くなってしまうかもしれないが、その時を俺が知ることはない。
入って来た俺の姿に職員達は一斉に頭を下げる。彼等の中に貴族は居ないが、やはり職員なので身形はそれなりに良い。元から質の良い人間は余計に人目を引く姿だ。
その中の一人である黒の上着を纏った野性味溢れる人間が出てくる。
彼は一度頭を軽く下げるも、それ以上に畏まった態度をせずに軽く首をしゃくった。その瞬間に隣に居た女性が彼の靴を踏み潰す勢いで攻撃し、室内に絶叫が響き渡る。
「アンタは何時になったら相応の態度が取れるようになるの! ……すいません、神様」
「いや、構わないさ。 もっと気楽でも良いくらいだぞ?」
「痛ってぇな! 別に本人が良いって言ってんだから構いやしないだろ!!」
「体裁を整えろって言ってるの! 折角ギルドマスターになれたのにその地位を捨てるつもり!?」
ギルドマスター。その言葉をこの時代で生きる人間が口にすると、何だか強い違和感に襲われる。
この時代には無かった施設の誕生。今後の外獣対策や職を失った騎士達を引き受ける場として作られたギルドは、瞬く間に世間に受け入れられた。
そこには単純に俺自身への信仰だけでなく、外獣への被害を今後は減らせるのではないかという期待もあった筈だ。
彼等の期待を裏切らない為にも早く完成させたくて無理をしていたが、お蔭で本店はもう稼働を開始している。現代の時と同様の運営方法を採用し、確り奪い合いにならないよう依頼掲示板には強制的に列を作る腰までの高さの仕切りを作った。
ランク制も導入し、此方も一から十までの十段階となっている。
カードも専門の職人を抱え込んで作ってもらえるようになり、それが一種の身分証にもなるよう王弟には相談済みだ。
その身分証にはランクや個人情報が書かれ、中には犯罪歴まで存在する。一度獄中に居た人間に対して役人が専用のカードを作り、そこに全てが書かれる形だ。
これはある種、再発防止への抑止である。
今後彼等が冒険者と呼ばれる役職を手にする以上、信用は絶対に必要だ。仕事の達成率、本人の能力、人間関係等はやはり簡単に解るものではなく、問題が多発するようであればそれなりの対処を取らねばならない。
故に、本店を任せるギルドマスターには敢えて力自慢を選別した。副マスターも用意して二人で一人の役割となるように調整したのだが、本店に就任した二人は兄妹である。
どちらも傭兵をしていたそうで、ガルムと呼ばれた黒髪の男は好戦的な態度を隠しもしない。挑発を仕掛ければ簡単に乗るだろうと予測していたが、それを副マスターとなったシャミが抑えている。
口喧嘩が絶える様子はないが、それ以上に発展しないのは二人にとってこれが日常だからだろう。
「その辺で。 今回は仕事で来ているんだ、早速執務室に向かいたい」
「あ、はい! では此方に」
「おう」
気安い態度のガルムに再度シャミが怒鳴るのを聞きつつ、二人についていく。
執務室は貴族が訪れることもあり、それなりに華美となっている。ガルム本人は気に入らないと思っているようだが、こればかりは我慢してもらわなければならない。
それにギルドマスターに応募したのは他でもないガルム本人だ。傭兵としての生活に妹を巻き込むのをこれ以上避けたいからと応募した以上、今後は相応の振舞いを求められる。
執務机前の二つのソファに机を挟んで座った。シャミが予め部下に命じていたのか、直ぐに飲み物が机に置かれる。
黒い液体は最近になってこの国に入ってくるようになった珈琲だ。現代でも数は少ないものの愛好者が居るようで、目の前のガルムもその愛好者である。
匂いを楽しみながら最初の一杯を口にすると、ほうと小さく感嘆の声を漏らした。
「この地位に就いてから上手い珈琲に巡り合えたんだ。 中々の上物だぜ?」
「成程、では此方も失礼しよう」
珈琲を此方も一口。喉を通る苦さは万人には理解されないかもしれないが、コクの深い味わいは確かに良い。
愛好者が出るのも自然だ。俺ももっと飲めば好きになれる味だと素直な感想を口にすると、そうだろうそうだろうとガルムは口を綻ばせた。
「他の奴等にもあげてみたんだがな、どうにもこの味の良さを理解しねぇ」
「言っておくけど私も嫌いよ、それ。 果実水の方が私は好きだもの」
「これだからお子ちゃまは……。 ま、解る者同士で楽しみましょうぜダンナ?」
「そうだな。 ちょくちょく飲んでみるのも良いだろうさ」
さて、と空気を切り替える。
俺の意識が変わったことをガルムは察し、直ぐに態勢を整えた。シャミも副マスターとしてガルムの背後に立ち、その顔を笑みから真剣なものに変える。
「現在の状況を教えてくれ。 なるべく遠い順から頼む」
ギルドは始まったばかり。俺は今日も仕事に時間を奪われていた。