現代:大切な誰かが居ない世界
穏やかな風が流れている。
大きな争いが起きていない国は幾年かの時間が経ち、元の平穏を完全に取り戻していた。
ベルモンド家が残した施設は全て廃棄。関係者や一族に至るまで全てが排除され、残党と呼ばれた勢力も王が率いる国軍によって最早形を成していない。
外獣の数は相変わらず変化せず、冒険者に舞い込む依頼も常と一緒だ。違うとすれば彼等の姿勢だろう。
一昔前であれば冒険者とは荒くれ者で、品行方正とは無縁の者でもあった。奪い合いは当然として、妬みや嫉みだけで依頼を妨害する例も後を絶たなかった。
技術の幅も大きく、一番下であれば基本的な部分すらも知らない人間が多く居たのである。審査も緩く、重罪人が犯罪資金を集める為に冒険者として活動していたこともあった。
だが、今ではその全てが変化している。
新たな規則によって冒険者達には一定の品位が求められ、誰であっても即時に加入出来る訳ではなくなった。
冒険者専用の教育施設が新たに建てられ、引退した冒険者が教師として厳しく技能を磨かせている。年齢に差は無く、そこで冒険者として活動する資格が取れなければ再度努力するか、諦めて故郷に戻ることとなっていた。
施設での学習期間は三年。薬草摘みから外獣退治までを経験し、貴族の専属契約を受ける可能性もあることから礼儀作法までも受けている。
その為、冒険者という者達の地位はこの数年で一気に引き上げられた。
平民と貴族の間。中流と呼ばれる位置づけとなり、彼等は平民よりも貴族に近付く可能性がより高かった。その為、場合によっては平民と貴族の中継ぎを任せられることも多い。
中間管理職めいた関係を築くことも多いので苦労人間もそれなりに誕生したものの、明確に犯罪行為を働く人間は一気に減少した。
港街は特に管理が厳しく、現ギルド長と筆頭ギルドメンバーが双方に意見を激突させることで日々新たな案が生まれている。
特にギルドメンバー内のとある女性は真剣にギルド全体の改善を行おうと考え、契約した貴族を通してギルド全体の管理を任せられている第四王子ハヌマーンに自身の意見を伝えていた。
その度にハヌマーンはランシーンに言えと怒鳴るのだが、当のランシーンは王族と直接的な繋がりを持っている所為で常に誰かに呼ばれていた。
彼女は今やハヌマーンの宝剣と呼ばれ、ランク以上の価値ある人物として独特な立場を得ている。
外獣との戦闘を行う機会は減ったものの、実力そのものは既にランク九。遺産を持たない者の中では強者と呼ばれることも多く、ヴァルツから直接の手解きを受けて更に実力を伸ばしている。
だが、日課の業務は様々なギルドから流れ込む大量の意見書を纏めることだ。ハヌマーンは多忙なので、意見書の数は少なければ少ない程助かる。
彼女はその選別を行いつつ、時にはギルドマスターや貴族と顔を合わせて話を詰めることも多かった。
「今日はこれ、後はこれ、これ、これ、これ、これ、これ、これ――――何時終わるの、これ」
「紙が無くなるまでだろうねぇ」
「他人事のように言わないでください! 貴方が持って来たものもあるんですよ!!」
「だって君に流した方が王子に流すよりも早く伝わるじゃないか」
「私を通さないでください!」
王宮に与えられた一室でランシーンは机を何度も叩き、ソファで優雅に紅茶を飲む男に叫ぶ。
薄いガウンのような恰好をした男――グルン・ファットマンは叫ぶランシーンを見ながら口角を吊り上げる。
グルンが持ってきた意見書をランシーンは自分を通すなと言っていたが、彼は商人だ。それもハヌマーン御用達となったことで様々な大口を手にし、一大勢力として世界を股に掛けた活躍をしていた。
特にギルドの備品を一手に扱う役割を担い、総責任者はグルンの父親ではなく彼本人となっている。ギルドの管理に深く関わるからこそ、意見書の中にはギルドに関係するものも多い。
故に彼女が通すなと言っても、結局は彼女の目は通さなければならないのだ。そうせねばハヌマーンの仕事量が爆発的に増加する。
「……何時の間にやらこんな役職に。 どうしてこうなったのでしょう」
「君が薄情な性格をしていなかったからだろうね。 見捨てても良かっただろうに、放棄を是としなかった」
「それは……」
別れの日。彼女はナノから教えられた場所に向かった。
王都から離れた丘の上。その地点で集合の時を待ち、結局は何も起きずに朝を迎えてしまったのだ。帰ってきた時には全てが終わった後で、消えた面々から自分は敢えて残されたのだと理解させられた。
どうして残されたのかを解らない程彼女は愚かではない。嘗てザラが担っていた仕事を受け継いでくれとナノから頼まれ、彼女はそれを拒めずに渋々引き継いだ。
薄情になり切れなかったのである。全てを切り捨てて独自の道を進むことも出来ただろうに、彼女は寂し気に仕事をするハヌマーンの姿を見た所為で捨てられなかった。
残された人間からすればナノ達の行動は強引に過ぎるものだ。承服出来るものではなく、故に現段階でも時を越える別の遺産をグルンに命じて捜索させている。
今一度再会出来たのであれば、ランシーンは迷うことなくナノの頬を叩くだろう。だが、叩いた後に彼女は泣いて再会を喜ぶのだ。
そして、叩くのは彼女だけではない。
ハヌマーン専用の執務室。紙が山のように置かれた机を無視して、彼は窓から見える空を見る。
その目は遠く、現代を見ていない。過去を想起し続け、成長した身体と比較すると落ち着きがあり過ぎた。嘗て持っていた明るさは鳴りを潜め、今では親しい者以外に本心を晒すことはない。
王族としてはある意味理想だろう。整った相貌と王子という地位によって縁談は多く舞い込み、ギルドの管理者として現段階では上手く回している。
上の兄と合わせて着々と彼もまた有名になり、最早平民であったことを問題視する人間もいない。
結局王は彼を次期王として任命はしなかったが、代わりの効かぬ人間として特に二人で会話もしていた。その内容の大部分は私的なもので、二人で話している間だけは親子でもあったのだ。
「世の中は良くなった。 王宮内の風通しも良くなって、見下されることも減った。 仕事は忙しいけれど、それでも充実しているのは間違いない。 ――けれどやっぱり、貴方に会いたいよ」
寂しさを込めた独り言を拾う者は居ない。
給仕兼護衛として傍に侍るアンヌも、今は瞼を閉じて言葉を流した。彼は何かを言ってほしいと願ったのではなく、ただ何となく言葉を吐き出しただけなのだから。
ハヌマーンの人生はまだまだこれからだ。一個人に縛られる時間は無く、これからも国や民の為に仕事をせねばならない。
彼は解っている。このままでは腐るだけだということを。
如何に上手く回していたとして、過去しか見ない人間が成功を収め続けることは出来ないだろう。ギルドの状況改善を行っていたのはザラがそれを求めていたからだし、彼の執務室には世界中の雷神降臨が棚に置かれていた。
遺産を探し続けているのも過去に向かう為だ。未だグルンから発見の報は入っていないが、諦めることは断じて出来ない。
居なくなったあの日から、そして未来に至るまで、ハヌマーンは彼の姿を忘れられないのだ。
それはある種の呪いのようで、彼自身が諦めきれない限りは永遠について回る。――――それを解っているからこそ、彼の人物はやってきたのかもしれない。
唐突にノックの音が室内に響いた。返事をしないハヌマーンに変わり、アンヌが誰かと声をかける。
外には騎士が居る筈だ。ノックをするのも騎士で、しかし扉から聞こえた声は騎士達の声ではなかった。
「お話ししたいことがあります。 お時間がありますでしょうか」




