最終章:これが新たな始まり
朝、日差しが視界に入る。
閉じた瞼から日光の暖かみを感じ、ゆっくりと目を開けた。俺以外誰も居ない室内は寝室であり、貴族でしか住むことを許されないような部屋で最近は過ごすことになっている。
微睡みに浸る思考を側頭部を軽く叩くことで現実に引き戻し、巨大なベッドから降りて支度を済ませた。本来であれば新しく神住街から選抜された侍従が支度の手伝いをするのであるが、俺達が屋敷の管理を任せるだけに留めたので支度は手伝わない。
部屋を出ると直ぐに執事服に身を包んだ初老の男性と顔を合わせる。
初めて会った時は満足に風呂にも入れずに襤褸布一枚の生活をしていた彼も、今では腰を確りと伸ばして執事らしい振舞いを自然に行っていた。元々は貴族の家で筆頭執事をしていたお蔭で教育を施す必要も無く、寧ろ率先して侍女になった者達に教育を施す様は頼れる年長者だ。
ただし、その教育は非常に苛烈なものだった。見込みが無いと解れば即座に切り捨て、現在この屋敷で活動する侍従の全ては目の前の御仁が合格を出した者達になっている。
「おはようございます、ザラ様。 朝食の準備は済ませております」
「ああ。 ナノ達は既に?」
「既にお集まりで御座います」
短く言葉を交わし、今日の予定を確認しながら長い廊下を歩む。
処刑が終わって直ぐ、王弟は俺達を呼んでこの屋敷を与えた。この国が神を大切にしていることを証明する為に、そしてこれからの活動の拠点とする為に、酷く巨大な家を簡単に渡してきたのだ。
当初はそこまで大きな屋敷を必要としていなかったので断りを入れたのだが、ナノやシャルル王女の説得を受けて承諾。
王弟も断られればどうしたものかと思っていたそうで、俺の承諾に安堵の顔を浮かべていた。侍従も護衛役の討伐者も全て神住街から選ばれ、全員で引っ越しとなったのである。
一応は元の家で行き来をすることも可能だったが、それでは万が一の場合に対処が出来ないとして若い子達は親元を離れ、夫婦は休みの日に顔を合わせる形で離れた。
今は敷地内にある屋敷の一部を彼等専用の施設へと改装中であり、完成すれば護衛達の寮として機能する。
玄関へと続く道も表向きは花が咲き誇る綺麗な場所であるが、訪問予定者が居ない限りは護衛達の走り込み場所となっていた。
現在、護衛達には神騎士としての特別な位を与えられている。
この位は此処で護衛を行う者限定であり、逆に言えば神住街の住人でもこの地位を持っていないと俺達の護衛は出来ない。王弟が玉座を手にしてから生まれた新たな位だが、その位に対して文句が出ることは現状無かった。
神を守る騎士の位。それが如何に名誉な事かは誰であれ理解出来るところで、一般的な視点では通常の騎士位よりも格が高いとされている。
実際は命令権を持っていないので国の騎士として活動出来る訳ではない。同じ騎士位に組み込まれながらも、系統としては別種という複雑な形に収まっていた。
この位を手にしたとして生活が安定する訳でもないのだ。公式では平民は平民のままであるので、やはり貴族の方が格は上とされている。
だが、神を守っている時点で人気は異常に高い。誰もがなれる訳ではないし、人員も決まっているものの、それでも市井の間では神騎士として地位が欲しいと思う者は多かった。
「おはよう、今日は私達の方が早かったわね」
「昨日は遅くまで仕事をしていたからな。 流石に起きるのも遅いさ」
屋敷内に住む人間が一同に会する場で、今席に座っているのは俺を含めて三人だけだ。
ナノにシャルル王女、そして俺。残るネル兄様とノインは仕事の関係で別の場所に出張中であり、帰ってくるのは一週間後となっている。
その際に俺とネル兄様を除いた三人が何やら話し合いをしていたが、内容そのものを俺は知らない。何故かネル兄様は遠い目を向けていただけだった。
和やかに食事を済ませ、空になった皿が下がる。次に執事が数枚の紙を俺の前に置き、その文面に視線を向けた。
「……建設は順調みたいだな。 特に問題らしい問題は起きていない」
「そりゃね。 これまでよりも多くの食事と水が与えられ、払われる賃金も調べた限りでは過去最高。 面倒な監督官を派遣させていないから連絡も滞り無い。 逆にこれで問題が起きるとしたら外獣か個人間の争いくらいなものよ」
「僕等からすれば適正な報酬を与えているだけなんだけどね。 それでもこの世界を生きる者にとっては有難いんだろうさ」
重い税は消えた。軽くなった税のお蔭で苦しんでいた者達は喜びながら仕事を行い、大通りはかつてないほど盛況になっていると言われている。
薄汚れた道から人は消えていき、努力次第で生きていける環境は整い始めた。王弟がこれから更に状況改善の政策を打ち立て、この国を強く豊かに変えていくだろう。
世界で最初に外獣の脅威を跳ね除けた国。その価値は計り知れず、討伐者の中には他国の者から誘われてもいる。他の国からすれば何としてでも自国に招き入れたいのだろうが、討伐者達は揃って拒否した。
今居る場所以上に良い場所は無い。有難い話ではあるが、我々はそちらの国には行けない。
酷く丁寧に話を断られ、その平民らしからぬ姿に他国の者達は神の一片を感じたとかなんとか。本人達が努力をしただけなのだが、それでも彼等は周囲からの評価に喜ぶのだろう。
「で、外獣の駆逐は何処まで進んだ?」
「討伐者達を派遣して危険と判断された場所はある程度安定しているわ。 とはいえ、彼等の実力はあんたみたいに阿呆な域にはないもの。 私達の求める状況まで達するには時間が掛かるわ」
「時間が掛かるのは承知の上だが、阿呆な域はないだろう。 俺よりも強い奴はごろごろ居るぞ」
「はいはい。 私から見ればどっちもどっちよ、あんたも十分に上位陣なんだからね」
「ナノに僕も賛成だ。 そこで謙遜されると僕は何なんだとなってしまうからね?」
「それは……解りました」
二人の言葉に俺は納得するしか選択肢がない。
確かに、遺産を使える時点でこの世界の中では上位の力を持つことになる。その上でナルセ家特有の地獄の鍛錬を受ければ、如何に凡人であってもある程度の水準にまでは到達するだろう。
そこから先はやはり本人の資質になるも、二人が強いと言ってくれるのであれば信じることは出来る。――ついつい口元が綻ぶと、二人の口も緩く弧を描いた。
「さて! じゃあ仕事場に行きましょうか。 私達がしなくちゃいけないことは山程にあるわよ!!」
「そうだな、特に書類仕事に関しては無限にあるな。 ……肉体労働をしていたいよ、俺は」
「まぁまぁ、僕も一緒にやるから。 頑張れ頑張れ」
シャルル王女の苦笑を聞き、執事に頼んで馬車を入り口に回してもらう。
やってくる間に女性陣は動き易いドレスを纏い、俺は貴族達の前に立ったとしても然程失礼にならない程度の恰好を取る。しかし、現場に出ることもあるので戦闘向けに俺の服は改造が施されていた。
何時もが如くに剣を腰に差し、神住街で住んでいた頃よりも派手になった馬車に乗る。行先は王宮であり、最近の俺の仕事場はその内の一室であった。
馬車から覗ける窓で外を見る。歴史の流れ通りであれば暫くの間は平和が保たれ、徐々に徐々にとこの国は発展していく。
その過程で争いは数えきれない程に起きるが、それはどうしても避けられないものだ。
他国の事情を知る由は無いし、そもそも全ての争いを無かったことには出来ないのだから。――――それに今は正直、他人の事を考えるだけの余裕はなかった。