最終章:不穏な情報共有
「ただいま戻りました!」
元気の良い声がナジムの家で響いた。
断りを護衛に頼んだ後、二日も経過した頃にネル兄様とノインが帰還。俺を見た瞬間に彼女は我慢の限界とばかりに抱き着き、そのまま俺の服に頬を擦り付け始めた。
いきなりの行動に苦笑はするものの、まともに会話が出来たのは再会した直後だけだ。それなりに彼女も成長したとはいえ、まだまだ彼女は甘える方が多いようだ。
ネル兄様も俺と同様の顔をしつつ、騎士服の上着を適当な椅子の上に置いた。その服一つでも万金の値がするのだが、実に適当な扱いである。
此処に来たのは二人だけではない。討伐者をせずに少数の騎士達と一緒にシャーラも此処に現れ、今まさに行われているノインの仕草に口を開けて呆けていた。
大方、彼女はノインの表での振舞いしか見なかったのだろう。
冷静な時の彼女は可愛さが鳴りを潜める。冷たい相貌の方が多くなり、口調も他人に合わせて丁寧語を使っていた。
そんな姿ばかり見ていれば、彼女のことを冷たい女性と認識してもおかしくはない。それに、その評価についても強ち間違いではないのが面倒なところだ。
二面性の両方に癖がある。家族だからこそ受け入れられているのかもしれないが、これがもしも他人であれば俺はどんな反応をしていたのだろう。
思わずそんなことを考え、まだまだ甘えたがっているノインを引き剥がして椅子に座らせた。
「ほら、今は情報共有の時間だろ?」
「むぅ……それじゃあ後でで良いですか」
「一緒に外に出て外獣を討伐するなら良いが……」
「構いません! ――ぃよっし」
拳を握り締めて喜びを露にするノインを見て、彼女はここまで過剰に喜んだだろうかと首を傾げた。
ネル兄様は笑うのを我慢しているし、シャーラに至っては顎が外れるのかと思わんばかりに口を開いている。目も口と同様に限界まで開かれ、中々に凄い顔をしていた。
間抜けな絵面が出来てしまったが、ナノが手を数回叩くことで空気を入れ替える。そのナノもちょっと笑いそうになっていたのを俺は見逃さない。
取り敢えず主要な面子全員を強制的なものも含めて座らせ、ナジムが記録係として数枚の紙と羽ペンを用意。
先ず最初に行われたのはネル兄様の所だ。西の街の被害を二人が見た限りで答え、詳細は街で先頭を張っていたシャーラに聞く。
神の会合めいた会議だけに彼女は少々緊張していたものの、先程のやり取りのお蔭で止まらずに口は動いた。
その内容はやはり悲惨だ。立て直しには彼女曰く五年は必要だと断言され、それも必要な人員や資材が順調に揃えばこそ。そうならなければ十年は必要だと言われてしまい、実際に元通りになるのは難しいと感じてしまう。
神住街は例外だ。
必要な資金も物資も集められるように皆が努力していたからこそ急速に回復した。いざこざが内部で起き続けてれば今も復興は無かったであろうし、恐らく首都を含めた国内の街の被害はもっと増大されていただろう。
何事においても人類は協力出来なければ大事を成せない。一人になって全てを成そうと思っても、どうしても誰かと繋がり合うことになる。
赤の他人が自身に影響を及ぼしていないなど、どうして断言出来るだろうか。
小さなものから大きなものまで、人は必ず何処かで他者と繋がっている。故に繋がりを自覚して協力出来なければ、街の復興なんて夢のまた夢に終わるだろう。
シャーラが居た西の街を直す伝手は今は無い。王弟は今後が一番忙しくなるであろうし、まだ怪しい集団が居る。それらを滅ぼすにせよ、説得して抑えるにせよ、長い時間が掛かるのは確かだ。
「私の方の報告は以上です。 別地方の街とはいえ、やはり領民の方々とは一度協力し合った仲ですので……何とか助けられないかと思ってます」
「そういえば貴方の土地は大丈夫だったの? 首都の傍だし、中々危険な状態だと思うけど」
「父が手配してくれた大工の方達で外獣用の大きな壁を事前に作ってあります。 主要箇所を守る方式ですので、円形の壁の中に居れば大型でも壊すことは出来ません。 それに雷神様と稽古をしていく内に今のままでは領地を守れないかもしれないと騎士達も鍛えてありますし、領民も触発されて自身で武具を揃えています。 偶然ではありますが、結果的に私達が治める土地の被害は比較的小さいままです」
「へぇ、成程。 ザラは何か教えたの?」
「いえ、彼女の剣に幾つか指摘して後は模擬戦だけです。 形は出来ていたので、細かい部分を修正して経験を積めば強くなると思っていますよ」
「そ、そう言っていただけますと恐縮です……」
照れ臭そうに顔を俯かせる彼女に、ノインが凍える目を向けた。
ナルセに対して彼女の目は厳しい。あの親に繋がる血筋故に、違うと解っていても不意に冷たくなることがあるのだろう。ノインは特にこの問題に敏感だから、触れるには気を遣わなければならない。
咳払いをして、話題を変えるつもりでもう一つの質問を口にする。
「……あ、俺からも一つ。 さっき別地方と言ったが、その地を治めていた貴族は何処に?」
「逃げました。 上客だったので安否を確かめに行ったのですが、その時には既に姿形もありませんでしたよ。 今頃は何処かで怯えているか死んでいるんじゃないですかね?」
「典型的だな。 出来れば後者であることを祈るよ」
領民を見捨てて逃げた時点で救いは無い。当てでもあれば逃げ延びれるだろうが、こんな非常時に受け入れてくれる貴族が何人居るのか。
保身を第一とするのであれば余程高位の貴族が救いを求めない限りは門を閉じるだろう。今も王宮の門を閉ざしている王族のように。
「さて、じゃあ次は此方だな」
「私から報告させていただきます。 より詳細な数値などをお知りになりたい場合は資料を作成しましたので、読みたい方は私に声を掛けてください」
ナジムは慣れているのか流暢だ。外獣大侵攻が始まった頃から時系列順に話が始まり、時折全員が理解しているのかを確かめつつ続きを話している。
手慣れた語りのお蔭で俺も簡単に理解出来ているし、シャーラから齎された情報と合わせて敵の分布を脳裏に描けるようになった。敵の位置は総じてまちまちであり、種類もやはり別々だ。
生活環境すら異なる者達が一斉に動き出しているのは確定である。そして、本に出てくる勇士は出てこない。
才能を知る機会を得なかったからなのか、そもそもあれは脚色されていたからなのか。俺の知る本の内容も結局は嘘で構成されたものだったので居ないのも当然だが、それでも居てほしかったと思わずにはいられない。
ナジムが最後まで伝え切るのを耳で捉え、これで一先ず全員が今の状況について理解が及んだ。誰も事の真相に辿り着けてはおらず、単純に外獣を人々から守っただけ。
本に出てきた内容通りである。これで少しは本の内容と離れていればと思うも、過去は簡単には変わらない。
ある種恐ろしいもので、同時に変わらないことに安堵もする。
しかしそれは俺だけのようだ。他の面々は厳しい顔で虚空を眺め、ノインは何事かを呟いている。その何かを聞こうと耳に意識を向けて集中すると――怨嗟に塗れた罵声が流れ込んできた。
「……殺すか」
端的に、簡潔に、極めて残酷に。
一体何がどうなってその結果になったのかは解らなくとも、今のノインに慈悲の欠片は皆無だ。そのまま声を掛けなければ何処かに出掛けてしまいそうで、思わず隣に座る彼女の腕を掴む。
意識を虚空から此方に戻した彼女は、しかし目に嚇怒を宿したまま。深く深く、普段の綺麗な色を捨て去った瞳には、赤い輝きが残されていた。