最終章:剣の雨
想像を超える規模での攻撃によって大部分の外獣を殲滅することには成功したが、かといって全てが消えた訳ではない。
一度態勢を整えてから別側へと外獣は移動を開始し、その部分に展開されている壁の数は少ない。元から森方面に防衛意識を強めて壁を多くしていたので、別方面への壁の数は多くはないのだ。
次第に炎を避けて移動し始める個体を見て、シャーラは即座に命令を下す。
猟師達で時間を稼ぎ、その間に討伐者達を移動させて叩く。ネルはこの場から動かずに炎による殲滅や威嚇を行い、代わりにノインが討伐者達と共に側面へと移動する。
街内に居る人間の避難場所も変更させ、なるべく外獣達からは離れる位置取りを心掛けた。
猟師達は壁の上から矢を射掛け、炎で平原を焼く。先程までであれば警戒していたが、熱量の違いで敵はネルの生み出した炎ではないことに気付いた。
そのまま炎を突っ切り、一目散に壁に迫る。
こうなれば矢で敵を直接殺す他無いのだが、彼等の射掛ける矢に外獣の硬い皮膚を貫く強度は無い。鉄の鏃を使った矢では彼等は倒せず、現代においては外獣由来の素材を用いることが多いのだ。
力を使った方法であれば鉄の武器でも倒せるが、遠距離の武器にはどうしても限界が存在する。
使い方が総じて同じであるので使用は覚え易い。ただし威力が一定であり、その一定の基準を突破出来なければ幾ら打ち込んだとしても脳裏に描いた結末に辿り着かないだろう。
猟師達の腕は悪くはない。悪くはないが、しかし基準を満たせるだけのものではなかった。
ついに到達された外獣は煉瓦製の壁に出来ている窪みを使い、着実に猟師や勇士を食らわんと唸る。最早彼等に遊びは無く、全力をもって人類を滅ぼしてやると言わんばかりだ。
怒りと殺気に支配された彼等は例え死ぬとしても一矢報いる為に牙を剥き出しにしている。そのあまりの迫力を前にすれば、ただでさえ常人である彼等が耐えられる訳がない。
精神的に持ち堪えられるのも肉食動物と戦うことがある猟師くらいなもので、それでも限界間近だ。
討伐者はまだ側面には到達していない。どれだけ急いだとしても元々の基礎能力が違うが故に、純粋な四足歩行で野山を駆け回る個体には勝てないでいる。
なら、彼等の命運はここまでなのかと言われれば――答えは否だ。
壁を登り切って胴体を食い千切ろうとする狼の首が閃光の如く直進する一本の剣に切断された。斬り落とされた頭はそのまま地面に落下し、胴体も頭と同様の末路を辿る。
他に登っていた個体が纏めて一斉に斬り落とされ、剣群となって地面に着地した剣は青い光を残して消えた。
残るは死体と、突然の出来事に唖然となる猟師達。一体何が起こったのかも解らぬ事態に、しかして壁の前に立った女性を見た瞬間に疑問は氷解した。
「五十。 これで間に合いましたね」
白き髪の乙女は、剣を持って眼前の敵を睨む。
彼女の背後には無数の剣が群れとなって虚空から姿を現し、その切っ先を迫り来る敵に全て向けられた。数はあまりにも膨大で、およそ数えられる範疇を逸脱している。
一人で万の敵と相対する力。半ば無尽蔵にも近い剣の増殖は大元の性能と遜色ない力を有している。
それらが青白い輝きを有しながら一斉に射出され、外獣達の頭から胴体を一気に両断していく。回避する個体も居るが、剣は愚直に直線を描かずに弧を描いた。
回避し緩んだ背後に刃を突き立て、上から上半身と下半身を断ち切る。細切れにするような遊びは無く、冷酷無慈悲に殺していく様はさながら屠殺が如く。
白き髪に血は付かない。彼女は殺戮者であり、審判者のような真似は出来ない。
彼女が優先するはただ一つ。愛した男が敵と定めたのなら、その相手を問答無用で滅ぼすのみ。
「何をしているのです。 弓を握っているのであれば矢を射掛けなさい。 もうじき討伐者達も此処に集まります。 絶望する必要は無いのですよ」
「は、はいッ。 おい! さっさと攻撃を続けろ!!」
顔も向けずにノインは平坦な言葉で猟師達を叱責する。
何の感情も込められていない言葉は外獣の脅威とは別の恐れを猟師達に抱かせ、直ぐに全員が敵目掛けて全力で弓を引く。その間もノインによる射出は続き、漸く討伐者達が来た頃には大半の外獣は滅ぼされていた。
「け、剣神様ッ」
「八割は滅ぼしました。 残りはそちらに任せますが、一応は私も警戒として此処で待機します」
「解りました。 御助力、誠にありがとうございます」
「いえ、あの人が鍛えた方々を喪失させる訳にはいきませんから。 ――もっと強くなってくださいね?」
討伐者は、その時初めて彼女の本性に触れた。
瞳に輝きなど存在せず、人形のような能面で語るその姿。否応無しに恐怖と不安を掻き立て、同時にあの女神はまったく人の世に興味など無いのだろうと確信させられた。
彼女が常に考えるのは雷神だ。雷神が鍛えたからこそ討伐者達は軽い叱責で済んだだけで、これから先で成長の兆しを見せなければ彼女から雷神に価値が無いと言われるかもしれない。
討伐者にとって神への失望程恐ろしいものはないのだ。期待を喪失するくらいであれば、首を切ってあの世に旅立った方が余程楽になれる。
死んだ先で神に愛されることは無いであろうが、それでも彼等は死ぬことを選ぶ。
故に討伐者達は目を血走らせて残った外獣の群れの中に飛び込んだ。
一体でも多くを殺し、少しでも雷神に高評価を貰う。そうせねば何も得られないと信じる姿に――――ノインは別段意識を向けるようなことはない。
「すいません、お待たせしました! 戦況は――――え?」
シャーラも外周を回っていたので、到達は討伐者達とほぼ一緒だ。
眼前に広がる死体の数々は激戦の後を感じさせるが、そこに転がるべき死体は一つとしてない。猟師も勇士も皆死なず、残った外獣達を討伐者が追い回す。
外周の壁に寄り掛かっているノインの姿を視界に収め、間違いなく彼女がこの結果を生み出したのだとシャーラは確信した。
何処かつまらなそうに討伐者達の活躍を眺め、壁への接近が認められた個体にだけ彼女は剣を飛ばす。
その剣は外れず、角度を調整しながら如何なる回避も許さずに敵の生命を奪い去る。
「剣神様、皆を御救いしてくださりありがとうございます」
「いえ、この場で間に合うのは私しか居ませんでしたので。 それにネル様が力を出したのですし、私も少しは貢献せねばあの二人に怒られかねません」
艶やかな笑みを見せるノインに、シャーラの全身に悪寒が流れた。
彼女は他の二柱とは違う。人間に対して友好的では無いし、感情的に振る舞うのを良しとしていない。冷徹に眺め、手を貸せる場所で貸し、最短で結果を残す。
まるで機械めいた行動に戦々恐々とした思いをシャーラは抱くが、救ってもらったのは事実。感謝の意を示しながらノインの横で外獣の様子を監視し、少しでも不味い状況に陥りそうであれば猟師達に命令を下して遠距離から邪魔をする。
「……ネル様と言いましたが、やはり神の中でも序列のようなものはあるのですか?」
「……そうですね。 私はネル様よりも格下ですし、あの三人の中で一番格上なのはネル様です。 ですが、その表面だけを知ってあの人を貶すようであれば――私もネル様も許しはしません」
一瞬だけ解放された殺意にシャーラは身が竦んだ。
神の殺意は濃密で、人の精神を容易く破壊する。その一端でも受けるのは不味いものの、ノイン自身が直ぐに隠したことで呼吸が止まった時間も僅かで済んだ。
神の序列の中で、雷神は彼女の知る三柱の中でも一番下だった。そして彼等の過去で雷神を必要以上に貶す事件が起きたのだろう。
三人の繋がりは彼女には解らない。だが、二人にとって雷神はやはり大切な存在なのだ。
それこそ暴言一つで殺さねかねない程に。序列は低くとも、その序列に縛られないものを雷神は持っている。そのことを常々忘れるなと、ノインはシャーラに告げているのだ。
「滅相も御座いません。 私は所詮人間です。 神に対して唾を吐くような行為などするつもりは一切ありません」
「そうであることを祈ります。 尤も、貴方のような人間ばかりではないでしょうけれどね」
紅の瞳が空を睨んだ。