運命
剣と剣がぶつかり合う。
火花が散り、次の瞬間には担い手達が距離を取る。そのまま片方は様子を見る為に観察に徹するが、もう片方は牙を剥き出しにして距離を詰めた。
一直線に駆け出し、何のフェイントも混ぜずに速度に任せた剣撃を放つ。
横凪ぎの一撃は容易く回避され、振り切って硬直した身体に向かって相手の男は突きを放った。
その攻撃を横にステップを刻むことで避け続けるものの、体勢を整えるまでの間に男は二度と剣を振るわせるものかと連撃を続ける。
幅広の大剣に近い剣が迫る様子は恐ろしいものでしかない。日頃から慣れている女から見ても、男の武器は脅威としか認識出来なかった。
通常、大型の武器を振るう際にはどうしても力が必要となる。ましてや連撃しようとするならば並外れた筋力が必要となり、その時点で男の限界は限りなく常人を凌駕していた。
だが、それを見ても女は退くつもりが一切無い。連撃を回避しながら相手の動きを見定め、縦の攻撃に合わせて距離を詰める。
大物の武器は総じて距離が離れるもの。大剣に極めて近い長さを持つからこそ、懐に潜り込まれると次の動作が一瞬であれ遅れる。
そして、女はその隙を見逃さない。首元に向かって突きを放ち、しかしてその攻撃を男は首を傾けることで回避した。
直後、女の腹に衝撃。男の蹴り上げによって女の身体は宙を舞い、最後に地面に転がる。
立ち上がろうとするものの、直ぐ目の前には男の姿。既に接近して剣を振り被り、落とせばそのまま女は死ぬだろう。
「これで俺の勝ちだな、ノイン」
「――負けました」
地面に転がったノインは剣を離してしまった。
此処で無理矢理立ち上がったとしても、彼女は徒手空拳を習ってはいない。それに例え、殴りかかったとしても彼女の腕ではまともな傷を負わせられないだろう。
故に、長期的な面で見れば彼女の方が積んでいる。男と女の体格差は何時如何なる環境においても重要だ。
その様子を見ていたヴァイツは、各々の成長振りに複雑な眼差しを向けている。
既にザラが失踪してから一ヶ月以上が経過した。ザラには彼が若い頃に使用していた道具を渡しているものの、それ以降の行方はまったく掴めてはいない。
一応は状況を把握する為に手紙のやり取りをしようという提案があったものの、この家の主が鋭い性格の為に直ぐに発見されるとザラ本人に却下された。
よって、ヴァルツは今もザラの行方をまったくと知らない。
目の前の兄妹二人にも何度も質問されたが、現在は行方不明であるのが現実である。
そして、どれだけ聞いても知らないの一点張りをした所為か兄妹達は不満を抱えながらも何も言わなくなった。
代わりに尋ねられたのは、ザラが失踪するまでの間にどれだけの鍛錬を続けていたのか。
それならば知っている筈だとネルは詰問し、ヴァルツはそれを知っていた。ザラは隠れるように鍛錬を続けていたが、才能が無いと判断された人間が行う事は二つに一つ。
なので監視も兼ねてヴァルツは見守り、その過酷さに何度も声を掛けるべきかと頭を悩ませた。
ザラの鍛錬は一般の範疇に収まってはいない。
その事実を知った時の兄妹達の表情は尋常のものではなかった。双方共に瞬き一つもせずに虚空を睨み、手は握り締め過ぎて血が流れていた程だ。
それ以降、二人の生活は一変したと言えるだろう。これまでの鍛錬に加え、更に自分を追い詰めるような生活をするようになった。
朝目覚めてから、夜眠るまで。普通の貴族であれば優雅に過ごせる日常を放棄し、まるで自分を罰するように剣を振るい続けていた。
この二名にはザラとは違い、明確に剣の才能がある。それ故に、自身を追い詰める程に彼等の才能は形となって現実に出現していく。
最早二人の実力は同年代の人間を遥かに凌駕している。
一般の騎士ですら今の二人には勝てないだろう。勿論、それは知略を抜きにした純粋な実力だけでの評価だ。
ヴァルツが一度手を叩く。過酷な鍛錬をすると決めた以上、ヴァルツは二度と失敗しない為に休憩の回数を増やすようにした。
本当は訓練密度そのものを減らしたかったのだが、そうすると彼等は隠れて勝手に鍛えようとする。
妥協するしかない。既に身体は酷使し過ぎて足が震えているのが見えるものの、その程度であの二人が終了させることはないだろう。
「一旦休憩です。 座って水を飲んでください」
「……はい」
「解りました」
兄であるネルは素直に答えたが、ノインはこれまでの素直さなど全て捨てたように不満を込めた言葉を発する。
随分嫌われたものだ、とヴァルツは苦笑した。
それがますます彼女の不満を溜め込むことになろうとも、彼はこの状況でそれ以外考えられない。
剣の道を進み、人間関係についてはヴァルツも然程詳しくはなかったのだ。確かな実力を付けても、ヴァルツ本人は他者の思慮を見抜く実力までは不足していた。
近くに居たメイド数人が、昼食の為に運び込まれた白い丸テーブルの上にいくつかの料理を乗せていく。
その全てが夕食の物と比べて少なかったが、まだまだ鍛錬を重ねる二人には丁度良い量だろう。
飲み物も甘い果実水だ。ヴァルツにも振る舞われ、彼は感謝の言葉を述べながら立ったままそれを受け取った。
「……この果実水も、ザラ兄様は飲めないのですね」
「ノイン……」
座り込んだ彼女は鍛錬を続けていた姿とは打って変わって、俯いている。
その手に果実水を持たないのは、やはりどうしてもザラの事を心配してしまうからだろう。
未だ無事に過ごしているだろうか。何か厄介な事態に遭遇し、瀕死の重症になってはいないだろうか。
もしや、という可能性はどうしても彼女の頭の中に残る。
その度に考えてしまうのだ。どうして自分達は今、こうして贅沢に過ごしているのだろうかと。
これが将来に対する投資であると解っていても、彼女は納得することは出来ない。それが自分に許されているのならば、兄であるザラにだって権利がある筈だ。
才能の良し悪しがあろうとも、家族であるならばと彼女は考えてしまう。そして、その気持ちが長兄であるネルには痛い程に解ってしまった。
「ノイン。 ザラは絶対に見つけ出す。 今後あの方にどのような言葉を投げ掛けられても、俺達は俺達の意思で探すんだ」
「それは勿論です。 でなければこんな鍛錬を続けていく意味なんてありません。 ――三人で、また笑い合う為にも」
父親も母親も、ザラを探す事を反対するだろう。
王族であるシャルルも同様の言葉を投げ掛けられるに違いない。だが、それでも構わないのだ。
失踪してしまった当人からの言葉が聞きたい。三人で再度未来を模索する為の時間が欲しくて欲しくて堪らないのだ。
その為に貴族として相応の格を見せろと言われれば、二人はまったく逡巡せずに剣を引き抜く。
ナルセ家は騎士の家。格という意味では、騎士としての有り様そのものがそのまま格に繋がる。
如何な外獣も撃破しよう。如何な悪人も撃滅しよう。だからどうか、邪魔をしないでくれ。
込めた願いは鍛錬という形で発揮され、才能という原石を見事な宝石になるまで磨き続ける。今はまだまだ片鱗だけであれど、何時かは歴史書に名が載る程の剣の使い手になるかもしれない。
これはヴァルツの直感に過ぎないものだ。だが、剣士の直感というものは時として命を助けてくれる。
「今回の事の原因は私です。 だから、君達が立派になるまで全力で支援します。 何時か出会う、その時まで」
「はい。 一先ずはまた実戦訓練でしたよね」
「ええ。 場所は港街近くの森です」
図らずも、運命は彼等を引き寄せていた。