最終章:西のナルセ
見知らぬ世界は新鮮な気分だった。
誰も彼等を知らず、誰も彼等を知ろうとせず、肩に力を入れずに動くことが出来ている。
この世界に二人の肩書は存在しない。強いて言えば神だが、それは彼等にとって肩書にはなりえない。行動が縛られ、自由な振舞いを許されない称号こそが肩書であり、自由に動けるのであれば神は一種の立ち位置でしかないのである。
神にも様々存在し、中には人を救わぬ神も居た。悪神としての立ち位置も存在するのならば、如何なる振舞いをしようとも彼等は二人をそういう者達だと認識するしかない。
馬を走らせ、二人は並びながら過去の風景に目を向ける。
現代であれば舗装された道も、この時代であればまるで舗装されていない。工事が開始される気配も無く、土と雑草ばかりがある道程は退屈にも感じるだろう。
「時代が変われば変わるものだな」
「冒険者や民主騎士団が居ないのも新鮮でした。 当たり前だと思っていたものが無くなると、こうなるのですね」
外獣の大侵攻は普段から起きるものではないが、冒険者や民主騎士団が居なければ簡単に外獣を街内に侵入させてしまう。
この大事は今後の防衛について考えさせられるものであり、此処からあの王弟アルバルトが冒険者や市民を守る騎士団の土台を築いていく。
その土台の上に経験や技術が蓄積され、最終的に辿り着くのが彼等の知る現代だ。
ザラもその流れに沿うつもり、であれば彼の邪魔をしない為にも強く何かを変えようと二人は思わない。その所為で折角の自由が失われてしまえば国を出て行かねばならなくなる。
何時かは去らねばならぬとザラは言うが、二人はそうは思わない。神としての地位がどれだけ強大かは二人も当然把握しており、世界の流れそのものを変えることも可能だ。
その過程で死ぬ人間が何人居ようとも、平和の為ならばザラも二人も切り捨てられる。
特にこの二人に関してはザラのような人間を生まない為にも愛情が皆無の家庭を認めない。二人は貴族社会に混ざることはないし、彼等の因習も総じて屑と断じる。
馬を走らせながら世間話をしつつ、数日を掛けて目的の西の街に到達した。
被害は大きいものの、ザラと会った街と比較すればまだ軽傷の部類に入る。それでも怪我人は多いし、死者も居る。二人が気にしないだけで、激痛に悶える人間や今にも死にそうな掠れた唸り声も確り存在していた。
外獣は居ない。しかし、ネルが気配を探った瞬間に街の周囲に無数の反応があった。
今は休息状態であり、準備が整い次第敵は再度の襲撃を仕掛けてくるだろう。その前に街の防備も固めたいところだが、二人の目にはもう崩壊の二文字しか映らない。
内部に進んでいけば、容姿の整った二人は目立つ。
格好も騎士服のままであるので余計に注目を集め、現地に偶然居た者達は二人の佇まいに強者の気配を感じた。
今この瞬間において、戦力は一人でも多い方が良い。見た目は完全に貴族めいているが、それでも報酬をちらつかせれば食い付いてくれるかもしれないと一人の討伐者が近付いた。
「こんな街にまさか来る人間が居るとはな。 どんな用件だ?」
「救援だ。 ザラからと言えば解る筈だ」
「――――本当か?」
ザラの名前が出た瞬間、討伐者は剣に手を添える。
救援が事実であれば有難いことこの上無い。しかし、相手の態度からザラを敬っている様子は無い。本当に彼から頼まれての救援なのかが解らず、故に警戒したのだ。
ネルもそれは解っているので、掌を討伐者の前に差し出した。最初はその上に何も乗せられていなかったが、次の瞬間には完全な球形の炎が出来上がる。
燃料も無く、細工をしている素振りも無く、不可思議な発生はザラの雷を容易く想像させた。
まさか、と討伐者は顔色を変えた。ザラに対して砕けた口調で話せる人間はあまりにも少なく、現状は王弟アルバルトや現王くらいなもの。
それ以外に居るとなれば、必然的に選択肢は絞られる。
添えていた手を慌てて外し、片膝を付いてザラにそうしたように跪く。全身から汗から噴き出し、討伐者は今にも死にそうな程に顔色を悪くさせていた。
「申し訳ございません! 何分緊急時故、どうかご容赦を……!!」
「気にするな。 寧ろ先の行動は褒めることこそあれど、叱責すべき部分は一つもない。 それよりも、ナルセ嬢が居る場所にまで案内してもらえるか?」
「はッ、直ちに!」
討伐者を先頭に二人は街の中心部にある巨大な屋敷に辿り着く。
正門前には二人の騎士が門番として立ち、討伐者達の姿を見れば笑顔で迎えてくれる。騎士達にとって討伐者とは弱者を助ける正義の使者だ。
腐敗した貴族に代わって人々を守り、彼等が鍛えてもらった相手は神。正に万人が夢想する正義の味方となり、確かな犠牲者を生み出しながらも全滅を防ぎ切っていた。
騎士達は死者が出てしまった事実を責めない。仮に討伐者が居なければ顔を合わすことも言葉を交わすことも出来なかっただろうし、神の実在を信じることもなかっただろう。
人類は決して見捨てられている訳ではない。そう信じられることがどれだけの希望になるか。
故に、神との間に関係を持てたナルセ家は特別だ。その当主の娘も実際に神に教えを受けて戦場では獅子奮迅の活躍を見せ、この地での発言権を獲得している。
誰も彼女も討伐者も無視しない。例え今正に討伐者が神を連れて来たと言われても、彼等はそれを真実として二名の人物に最大限の敬意を払った。
「直ぐに許可を得ますので、どうか今暫くお待ちください」
「何も言わずに来たのは此方だ。 気にするな」
気さくな笑みで言葉を返す男神に、騎士達は頭を下げながらもやはり違うと感じ入る。
力を持ち、比類なき権力を持った人間は総じて傲慢になり易い。しかしながらそれは人間においての尺度の話であり、神に関して言えば正確なものではないのだ。
神は如何なる身分の相手であろうとも同様に接する。男女、階級、美醜、老若、その全てが神には同列だ。
騎士の一人が邸内にて休んでいるシャーラを呼ぶと、彼女は飛び起きて簡単な支度を済ませた。まさかいきなり神が来るとは想像していなかったし、そもそも神は合流しないことを先に言っていた。
その上で会いに来たとなれば、何かがあったと考えるのが普通だろう。
もしや首都が落ちてしまったのかと危惧しながら正門に向かうと、そこには彼女の知らない一組の男女が居た。討伐者が案内した二人は本人の情報曰くザラと同様の神であり、本人から頼まれて此方に向かってきた。
「そちらがナルセ嬢で構わないか?」
「は、はい。 シャーラ・ナルセと申します。 ……失礼とは思いますが、本当に雷神様と同じく?」
「まぁ、そうだな。 あまり公にはしたくないんだが、もうザラがかなり大々的に言ってしまった。 隠すよりも自己紹介を済ませてしまった方が今は良い。 ――炎の神を担当している、ネルだ」
「同じく神をしております、ノインです」
ネルは炎の翼を出現させ、ノインは空中に浮かぶ剣群を出現させる。
異常な光景に直ぐにシャーラは納得し、謝罪と共に邸内に案内した。侍従達に紅茶を用意させ、恐らく休むであろう客間も準備させる。
案内された部屋は元は執務室だったのだろう。書類が束になって棚に収まり、焦げ茶色の巨大な机が中央に置かれている。更に部屋の端には長机が置かれ、その上に大量に水が入ったポットが幾つも並べられている。
中央に置かれている机の上にはこの街と周辺情報だけが詳細に記載されている地図が広げられ、恐らくは彼女の手によって地図に文字や線が書き込まれている。
「此方で主に防衛戦の指揮を行っています。 とはいえ、私自身は経験が無いのであまり良い結果は残せませんでした」
「生き残っただけでも十分だ。 ザラと合流した街は今にも落ちそうになっていたからな。 十分にやれている」
「そ、そうでしょうか? 有難う、ございます……」
自信無さげに、しかし嬉し気にはにかむ彼女の表情に二人の知るナルセは無い。
時代が変われば何もかもが変わる。馬に乗っていた時に零した言葉を、ネルは感慨深く感じていた。