最終章:閉鎖された昨日、
元の場所には戻れない。
その言葉に、一体どれほどの衝撃を感じたのだろう。
声は出ず、目は瞬きを忘れ、身体は小刻みに震える。それでいながら手足から力が抜けていて、どうして今も立っていられるのかが解らない。
戻れない理由をネル兄様は語った。遺産を起動し一時的な穴を開くことは出来るが、その維持までは出来ない。
機能そのものがあっても、そもそもの燃料が現代では存在していないのだ。――――それでも、彼等は俺に会う為だけに転移を強行的に実行した。
怒りはある。何故そんな無理矢理な行いをしたのかと。
後悔がある。俺がこの時代に飛ばされたから彼等は遺産を強行的に使ったのだと。
心配がある。彼等が居なくなった王宮で、果たしてハヌマーンは無事に生活を続けられるのだろうかと。
様々な感情が湧いては別の感情に塗り潰され、繰り返される所為でどれが自身の本音であるかが定まらない。怒りたいのか、悲しみたいのか、喜びたいのか、何もかもが滅茶苦茶だ。
「……ハヌマーン様はどうするんだ」
「ランシーンを残したわ。 彼女には嘘の集合場所を教えて一緒に転移出来ないようにした。 今、彼女だけがハヌマーン様本人と冒険者を直接繋げることが出来るのだもの」
「護衛と言うのであれば団長殿が居る。 王との話し合いの末に民主騎士団と統合し、外と内の情報共有をより密に行えるようにしたんだ。 これで侵入者の情報も入り易く、元平民が多い為にハヌマーン様も気安く話が出来る。 お前には理解が難しいかもしれないが、彼の周りには既に多くの味方が出来ている」
二人の話に嘘は無いのだろう。
俺が居なくなった間にも時間は進み、変わるべき箇所は変わった。ハヌマーンの権力もより強大となり、最初の頃と比較すれば天と地程の差がもう出来ている筈だ。
見守るべき時間はやがて終わっていき、何時かは一人で進む。彼はもうその時期に入り、もうじき俺の手など必要無いまま己の成したいことを成していく。
「それに、もしも俺達が居れば違う争いが起きていただろうさ。 父上や母上との殺し合いは、もう避けられない」
「それは……そうなのかもしれません」
父も母も、俺が知る最後まで変わりはしなかった。
剣としての実力は確か。しかし、それは今の俺達で埋められない差とも思えなくなっている。自意識過剰なのかもしれないが、直感が追い付けると語り掛けていた。
それ以外に関して、あの人達に良い部分があった記憶は無い。これまでもこれからも、きっとあの人達は俺に対して変わらぬ態度を続けただろう。
そして、俺に対する扱いに兄妹が激怒するのも解っていた。二人が争いを起こし、やがて家を血で濡らすだろうと。
どちらもが生きる為には今回の事態は有効だったのかもしれない。決して納得出来るものではないが、かといって理解出来ない程ではなかったのだ。
「僕も結構複雑な状況だったからね。 あのまま王宮に居続ければ、身分の偽りによって貴族共に叩かれていただろうさ。 醜聞を流され、品位を貶め、何処かの男と結婚する――そんな末路を辿っただろうね」
シャルル王女もまた、確かに複雑な状況だった。
この転移はそんな状況を一気に解決することとなり、今の彼女の表情に一切の翳りは無かった。寧ろ清々しい顔で此方を見やり、見知らぬ場所にも関わらず余裕の素振りを見せている。
ナノもそう。彼女はナルセの性を名乗れないのであれば最悪ベルモンド家の生き残りとして陰で悪態を吐かれる。いや、悪態を吐かれる程度であればまだ良い方だ。
彼女も処刑すべきだと貴族達が口々に言えば、俺達の居ない状況で防ぎ切れる保証は無い。それに彼女自身が、もう俺と共に在る事を決めているのだ。
それを覆させるようであれば、間違いなく彼女は死ぬ。
「渡りに船といったところですか」
「そんなところだ。 我々全員は此方で生きていた方が何かと都合が良い。 お前が神としての地位も用意してくれたしな?」
「偶然なんですけどね。 ……まぁ、皆の意見は解りました」
もう元の場所には戻れない。ハヌマーン達は慎重になっているから迂闊に遺産を起動させられない。
つまるところ、直ぐには新しい穴は出来ない。ランシーンが忍び込んで動かさないとも限らないが、二度目は絶対に阻止したいと考えるだろう。
警備を厳重にされた時点で短期間でランシーンが動かす術は無い。申し訳ないとは思うが、彼女には現代に残るべき理由が確り存在している。ならば、此方に来させるのではなく残させるべきだろう。
最初はナノに対して怒りを見せるかもしれないが、何れ彼女も現代に居た方が正しかったのだと納得してくれる筈だ。所詮主観ではあるものの、そうだと思わなければ前を向ける自信が無かった。
これで互いの状況把握は済んだ。話だけで大分長い時間を使ってしまったと思いつつ、頬を叩いて意識を目覚めさせる。
弱気になるのは全部終わってから。先ずは大侵攻を止め、国の存続を確定させねばならない。
「一先ずは大侵攻を止めましょう。 この時代で外獣と戦える人間は極めて少ない状態です。 恐らくもう突破された前線もあるでしょう」
「情報を集積させている場所はあるの? 拠点拠点にしか集まっていないのであれば全体の状況を知ることは出来ないわ」
「無理としか言いようがありません。 貴族達は独自に行動を起こしており、王宮も殆ど把握出来ていないでしょう。 援軍が差し向けられているかも解らない状態です」
「最悪ね。 なら、せめてあんたの所の情報は解るでしょう? あの馬に乗った者達があんたに付き従っているんだから」
現状、討伐者達は王弟の騎士とナルセ家の騎士と神住街の者達のみ。
王弟の騎士は此処で外獣を倒し、ナルセの騎士は西の地で戦っている。そして神住街の討伐者達は各々別の場所で戦いを続けている状態だ。
終わった者からナジムに報告し、そして別の場所へと向かう。故に俺達の陣営の情報を全て知っているのはナジムだ。
「なら、先ずはそちらに合流しましょう。 私は戦闘が出来ないし、シャルル王女も戦闘をさせるべきではないわ。 他の陣営の場所に厄介になる訳にはいかないし、私達の拠点も神住街にしましょう」
「なら、私が一緒に付いて行きます。 その間にネル兄様とノインは西のナルセに手助けを」
「解った。 ナルセは我々にとって忌むべき存在だが、祖先は関係が無い――お前も解っているな、ノイン」
「……解っております。 では早速動きましょう」
全員で今後の動きを定め、部屋の外に出る。
王弟アルバルトにも彼等の動きを共有させ、そのまま彼は此処に留まって周辺の情報を集めながら騎士の壁を構築する。
炎の巨人は俺によって退けられた。先の状態で如何なる個体にも明確な弱点があることを理解し、次は絶対に退かぬと決意を露にする。士気が高いのは良いことだ。低いままよりはずっと良い。
王弟から全員分の馬を借り、その背に乗って一気に駆け出す。話していた時間を少しでも埋める為に護衛が追い付ける速度で馬を急かし、一気に首都への道を急いだ。
途中の道でネル兄様とノインは別れ、残るは俺とナノとシャルル王女に護衛のみ。
俺を無視して二人の護衛を第一にしたことで視界は広く、より遠くを見渡せるようになった。そこで初めて、空の彼方に無数の黒煙が立ち上っていることに気付く。
方角は首都。建物はまだまだ見えないが、首都が襲われている可能性は高い。
「更に急げるか!?」
「勿論です! 死ぬ気で追い付きます!!」
威勢の良い声を聞き、一気に馬を加速させる。使い潰したくはなかったが、この際それも仕方無し。
遠くの場所に辿り着く為に、俺達は一直線に首都を目指して駆け抜けた。