最終章:神の一族
馬の鳴き声が聞こえ、面倒なことになったと舌打ちしたい気持ちになった。
振り返れば、此方に迫る護衛の者達。彼等は純粋に此方を心配していたが、今だけは近付いてもらいたくはなかった。一先ずは全員にあまり話さないことを伝え、目前で停止した者達と顔を合わせる。
馬の列に紛れて見えなかったが、その中には王弟の姿もある。彼は俺の背後に居る面々に意識を向け、何事かを考えているようだ。
降り立った面々は片膝を付いて跪く。
皆の見ている前でその仕草は勘弁してもらいたいものの、此処で言ってしまえば要らぬ疑念を起こさせかねない。
今更ながらに羞恥心が騒ぐのを感じつつ、何とか彼等と必要以上の会話をすることを避けることを決めた。
「突然飛び出されたので御心配致しました」
「ああ、気にしないでくれ。 勝手に動いて済まなかったな」
「いえ、御方にとってはそれほどの大事だったのだと解っております。 ……そちらの方が先程穴から出てきた方々ですか?」
護衛達の目も悪くは無い。
遠くに見えるネル兄様達を捉えるのも不可能ではなく、話の矛先が向いた兄様達はどうしたものかと顔を合わせた。
やがて全体の纏め役としてシャルル王子――王女が前に出る。その美しさは相変わらずなもので、護衛達も彼女の姿に暫し視線を奪われていた。
「初めまして、私はシャルルと申します。 そこのザラ殿とは深い間柄でして……」
「では貴方様も神なのですか!?」
「――――は?」
綺麗に振る舞いながらの挨拶は、しかし護衛の一人の大声によって遮られた。
突然の確認にシャルルは思わずといった体で言葉を漏らしてしまったが、そうなるのも当然だ。俺は頭痛を覚えながらも視線だけで何とか合わせてもらえないかと頼み、少々の疑問を感じながらも彼女は俺の懇願に演技めいた笑みを浮かべた。
「そうですね。 今回我々はザラ殿の様子を確認する為に参ったのですが、まさか素性を公開しているとは思っておりませんでした」
シャルルの見事な嘘に護衛達も感嘆の声を漏らすが、俺は背中に冷や汗を流しっぱなしだ。ナノからは説明を求める強烈な視線が向けられ、ネルは面白そうなことが起きているなと言いたげな愉悦の笑みを浮かべている。
ノインだけは何故か当然と胸を張っているが、逆に肯定される方が心に傷を残す。ナノの方に少々怒り混じりのものの方がよっぽど気が楽と言うものだ。
その後も二言三言と会話を重ね、何時の間にやら全員が神の一族として認識されてしまった。
そのまま全員で街内の無事な家に居を構えることとなり、一旦護衛も含めた全ての人間を離れさせる。退出直前に置かれた水で焦燥によって渇いた喉を潤しつつ、彼等に向かって言い訳の説明が始まった。
時間が無いのは解っているが、だからといって今の彼等に俺の状況を説明しなければ何処で齟齬が生まれるか解らない。
一度完全に情報を知ってもらうのが最終的な時間短縮になる。故に恥ずかしさも感じながら説明をし切り、全てが終わった後にはナノからの呆れた眼差しが送られた。
「何というか……馬鹿なことしてるわね」
「うッ」
「助けてもらった恩を返す為に貧民街を立て直したのは立派だけど、その為の方法として普通神を名乗る? 本物が聞いていたら今頃死んでいるわね」
「貴族や王族に対抗する為にはこうするしかないと思いまして……。 この大侵攻が終わったら姿を晦ますつもりでした」
「馬鹿。 一度姿を晦ましても皆地の果てまで探すわよ。 ――まぁ、これで私が調べたモノと合致するわね」
「調べたモノ?」
自分が馬鹿な真似をしている自覚はある。だから責められたとしても文句は言えないのだが、ナノの顔からは此方を蔑む類の感情は向けられなかった。
寧ろこれこそが俺だと呆れた顔をしながらも目は語り、暖かいものが流れ込むのを感じつつも疑問を口にする。
確かに大侵攻そのものは実際には本に記載されていた。どれほどの被害については明確にされておらず、ただ国家の危機として記されているのだ。
そもそも、彼等が此処に来る為には俺が何処に居るかを知らねばならない。普通に考えれば遺産でも用いらなければ不明であり、あの時の大穴から鑑みて遺産を使ったのは確かな筈だ。
「雷神降臨。 あの本は世界各地に説が存在しているんだけど、その内の一つにあんたの事が記載されていたの。 私達はそれを調べ上げ、遺産を使って此処に来たって訳」
「そうだったのですか。 ……苦労を掛けてすみません」
「良いのよ、あんたに会えたんだから苦労するだけの価値はあったわ」
謝罪に、彼女は満面の笑みを浮かべて返す。
その言葉に驚き、彼女は何よと楽し気に言葉を放った。これまでも素直な言葉はあるにはあったが、好意に対して直球な言葉はあまり聞いていなかった。
婚約時でもそれは一緒で、だから彼女が前向きになってくれた事実に胸の暖かみはますます増していく。
喪失した穴が急激に埋められ、元の形へと戻っているようだ。これまで背を向けていた寂しさが溶けるように消え、幸福の二文字が胸を満たす。
まるで生まれて初めて感じたような気分に、擽ったい感覚も抱いた。
ナノは俺の自意識過剰でなければ、愛を抱いてくれている。身内以外から親愛や友愛とは異なる愛を向けられたのは初めてで、持ち余し気味になるのは避けられない。
どうしたものかと緩む頬を見て、ナノの頬は赤く染まる。視線を合わせずにそっぽを向いてしまい、何とも言えない雰囲気が部屋全体に広がった。――――そんな室内で咳払いが二つ。
ノインとシャルル王女がわざとらしく此方の意識を変えさせ、ナノが二人を睨む。
「私達も会えたのは嬉しいんですよ?」
「そうでもなければ此処に来ようとは思わなかったしね」
二人も喜びを露にして腕に抱き着く。兄妹同士であれば然程不自然ではないが、シャルル王女は身内ではない。
慌てて腕を引き抜こうとするも、彼女は強引に俺の腕を更に引き込んだ。腕に当たる柔らかい感触を努めて無視しつつ、ネル兄様に視線で助けを求めた。
だが、当の本人は窓の外を眺めているだけで手を差し伸べる気配は無い。こんなにも俺が危機感を醸し出しているのに、兄様は敢えての無視を決め込んだ。
つまり、助けは来ない。一体全体どういうことかと焦る俺の耳元に、そっとシャルル王女は囁いた。
「愛人になりたいってことさ。 あまり言わせないでほしいな」
「あ、愛人!?」
「出来れば本妻が良かったんですけど、そちらは既にナノ様が座っていますから。 なので愛人として囲われようかなと」
「何がなのでだ! こっちは欠片も納得してないし一度もそんな素振りは見せてないだろ!! ……いや、シャルル王女には一度結婚を打診されましたが」
「言っておくけど拒否権は無い。 一度居なくなった所為で我々は自分達の気持ちに気付いてしまったんだ。 だから、例え嫌でも引っ付くのでそのつもりで」
「うぇ!?」
「……あんたのそんな声、初めて聞くわ」
二人の甘えた声に、ナノの拗ねたような声。
いきなりの事態に思考は混乱を極め、どうするのが最善なのかも解らない。誰か答えをと求めても、今この場に既婚者は一人も存在しないのである。
挟撃だ。一分の隙もない完全な挟撃だ。逃げ場など無く、俺に残されているのは受け入れることのみ。
それでも考える時間はほしいと思う俺に、ついに助けの手が入る。数回手を叩く音が鳴り、全員が張本人であるネル兄様に向く。
滅多に見ない視線を逸らしたままの態度は、なるべく干渉したくないが故のものだ。それでも干渉しなければならないのは、こんなことをしている時ではないからである。
「そろそろ話を進めるぞ。 求愛するのは結構だが、その前にもう一つザラには言わなければならないことがある。 ――――俺達はもう、元の時代には戻れない」