最終章:再会
感動的な出会いなんて要らない。
物語めいた再会も要らない。
劇的なものに人は感動するが、実際に体験している側からすればこれほど不安を煽られるものはない。本当にそうなるかも解らないのだから、大切な人物と離れる経験をすればする程にその手の話は嫌いになる。
光の一つもない闇の中を落ちつつ、ノインは胸の中で言葉を重ねる。不安を紛らわせる為に、自分の想いを強くする為に。
何も失わず、欲しいものを全て得て、穏やかな生活を続けたかった。ただ夢を目指すだけで良い生活を送れたのなら、それはどんなに幸福なのだろう。
誰もが夢を叶えたいと思っている。思って、しかし現実は夢の食い合いだ。
同じ夢を持った者同士が潰し合いを行い、結果としてどちらかの意思だけが残される。世界には理想に対する許容限界が存在し、はみ出る者達を悉く切り捨てるのだ。
ザラもまたその限界によって切り捨てられたとすれば、世界が取ったのはハヌマーンの意思。これから先もあの時代の中でハヌマーンは勝利を重ね、傑物として人々の記憶の中に残るのだろう。
その裏で犠牲となった人間の名は徐々に風化し、最後には忘れ去られる。
誰かの為に犠牲となることを選んだ人間の末路なぞ、そんなものだ。――そして、だからこそ助けられた人間はその人の為に何かしらの行動をしなければならない。
同じ道を進むか、その人物の想いを背負って理想の道を進むか。
全てはその人次第。故に、ノイン達が選択した道は前者と言っても良いだろう。ザラの為に、ザラと同じ道を行くのだ。
闇の中で一筋の光が差し込む。その光は落下していく程に大きくなっていき、徐々に光の先に世界があることを知ることが出来る。
「見えたぞ! 場所は……解らん!!」
「過去ですから当然でしょう!? それよりもこの落下を何とかしなければ!」
ネルの言葉にナノが反応し、着地の為にノインとネルが構える。
落下の形で時代を遡るのは想定していなかった。門の形であるが故に地面に出現すると考えていたのだが、そもそもザラを除いて誰も現代で時代を遡った人間は居ない。
横方向に移動したと思ったら縦方向に落下していたとしても不思議ではないのだ。それを何故先に考えなかったのかとナノは悔やみ、こうなるのであれば飛行が出来る遺産の一つでも持ってくれば良かったと過去の自分を殴り付ける。
尤も、飛行が可能な遺産はその全てが制御が困難だ。大きさは問題無いとしても何か起きた際に解決出来る人間が居ないのであればまったく意味が無い。
穴を抜け、大空へと投げ出される形となった彼等の目に映ったのは、燃え尽きた無数の畑だ。
戦でも起きた後なのか、はたまた外獣にでも荒らされたのか。見渡す限りの畑に黒煙が立ち上り、無事な箇所など僅かしか残されていない。
自分達が居る位置が何処なのかも定かではないが、農地自体は広い。これでは食料自給率が一気に低下し、民衆の飢えは加速するだろう。
されど、そんな事情は今の彼等には関係無い。
ノインが普段使いの剣ではなく、青い鞘に納められた剣を引き抜く。刀身は他と大差は無く、僅かながらに短い。十字の柄の中央にはサファイアが如き青い宝石が嵌め込まれ、その輝きは何年経とうと磨き上げられた直後のようだ。
剣に意識を向け、中空に向かって振る。
その刹那、刀身は一瞬だけ青い靄を纏って分裂した。
数は全員分の四。柄は無く、刃の部分だけが分裂して巨大化する。その刃を平らにした状態で全員の足元に移動させ、一時的な足場として使用した。
「やっぱり便利だな、お前の剣は」
「数を増やすことだけしか能がないですから。 それ以外は貧弱です」
「私は知らないんだけど?」
「教えてませんでしたから。 遺産の情報はなるべく広めたくはないので」
「同感だね。 僕も遺産を持っていれば詳細情報は伏せるよ」
ノインの遺産の特性は分裂。
刀身限定で数を増やし、更に巨大化を可能とする。縮小は不可能であり、数はノインが処理出来る限界まで増幅可能だ。
手数は増えるが、言ってしまえばそれだけ。剣術が極端に高くなければ戦力とはなり難く、逆に言えばノインだからこそ使える剣でもある。
その剣に乗ったまま静かに降りていくが、遠くの大地から雷鳴を轟かせた龍が迫って来る。
すわ知らない外獣かと全員は身構えるも、龍は彼等の目前で停止した。よくよく見ればその身体は全て雷によって構成され、核と呼ぶべき肉体が存在しない。
彼等が見て来た外獣の中でそのような個体は存在しなかった。ましてや、人を目の前にした状況で襲わない個体も居ない。友好的であるとは常識的に考えて有り得はしないのだ。
だからこそ、全員は真っ先にその可能性を思い付く。ノインが一気に刀身を地面に向けて降ろし、その速度にナノとシャルルが冷や汗を流しながらなんとか体勢を整え続ける。
落ちれば一巻の終わりだ。折角過去に転移したというのにこんな場所で死ぬ訳にはいかない。
連日の書類整理によって鈍った身体に鞭を打ち、やがて地面に居る人物が見えてきた。――それは間違いなく、彼等が待ち望んでいた者だ。
過去に合わせた服は貴族の服と呼ぶよりは冒険者の服で、身長も会わない間に随分伸びた。黒髪に少しくすんだ金の目は、今は彼等に向かって一直線に向いている。
驚きを露に見開いた眼に、ノインもナノも胸に抑えきれない程の歓喜がやってくる。我慢なぞ出来るものかとノインは刀身を蹴って突撃を行い、ナノも彼に向かって飛び降りた。
一斉にやってくる二人を片手ずつで何とか受け止め、見知った気配の数々にザラの涙腺は緩んだ。
「ど、うして……」
最早二度と会えぬと諦めていた。この時代に意図的に向かうのは不可能だと解っていて、だからこれまで自分の居場所を作りながら未来を作っていたのだから。
ザラは自身の体感する全てが夢にしか感じられなかった。何もかもが現実味を欠いていて、夢を見ていると言われてしまえば即座に納得して覚醒の為に自身を殴り付けただろう。
だが、そうさせる前にナノは自分の目から涙が流れているのを自覚しつつ彼と顔を合わせる。
何時も何時も、失う前は彼と顔を合わせていた。これまでもそうで、これからもきっとそうなると思っていて、しかしそんな未来はふざけた妄想に過ぎなかった。
贅沢だったのだ。彼という人物の傍に居過ぎた所為で、これが普通だと錯覚してしまった。
だから愛情を抱かなかったし、ある種の仲間意識しか持っていなかったのである。そんな己を彼女は常に屑と罵倒し、されど今やそんな言葉を吐く意味は喪失した。
今度こそ、彼の傍に居続けるのだ。あらゆる全てを捨ててでも、己は彼の隣を勝ち取り続ける。ノインとシャルルについては諦める他にないが、それ以外の女は総じて敵だ。
そして、それはノインもまた同じ。
再会した彼を見た瞬間に二度と這い上がれぬ愛を抱き、誰にも渡すものかと暗き炎を無尽蔵に増大させる。ナノは許そう、シャルルは身を弁えているので許そう――――だが、他に近付く女が居れば容赦はしない。
そんな二人の想いなど知らぬザラは降りて来た二人にも目を向け、嗚咽を漏らしかけた。変わらぬ姿に、敵意ではなく友愛を込めた眼差し。愛すべき兄に親交のあるシャルル王子がそこに居て、夢幻の如き空間がそこにあった。
泣き止んで離れた二人と代わってネルが近付き、ザラの胸に軽く拳を当てる。ネルは笑っていたが、その眦には確かに光るものがあった。
「漸く、会えたな。 お前が居なくなった所為でこっちの生活は滅茶苦茶だ」
「……申し訳ありません」
「ああ、ああ、いい。 謝罪をさせたい訳じゃない。 寧ろ謝るべきは俺だ、あの時助けられなかった俺なんだ」
「そんなことは……」
「あるさ。 あるから、謝罪も含めて話をしよう。 別れていた時間分の話をな」
互いに別れたのは偶発的なものだ。決して狙ったものではないし、どちらも互いに謝罪を求めることはない。
だから話をしよう。これまでの失った時間を埋める為に、何時までも何時までも話をしよう。その提案で、ついにザラの目からは雫が流れた。
決して兄妹の前では見せまいとしていた泣き顔を晒して、年相応に彼は頷く。
されど、この瞬間に平和的に話をする時間は無い。どちらもが求めても、外的要因が彼等の和を破壊しようと迫り来る。
離れた地から馬の足音が聞こえたのは、ザラが泣き止んで直ぐだった。