最終章:天から来る者
破壊の雷撃が周辺地帯を照らす。
誰も目を開けられず、誰も事態を察することは出来ない。遥か後方に居る王弟の居る場所でその稲妻の輝きが見え、誰が来たのかを即座に察した。
稲妻の輝きから遅れて轟音が街を襲い、生き残った領民達が耳を抑える。衝撃波は簡素な作りの建物を悉く破壊し、無事であるのは石や煉瓦で作られた家や離れた位置にある家のみ。
力強く生えた雑草は地面に倒れ、山と積まれた作物は散乱し、木製の壁は中央から大きな穴を開けた。
しかし、それ以外の明確な被害は無い。誰も死なず、誰も怪我を負わず、破壊の極光はそのまま静かに鳴りを潜めた。
一体これは何なのかと民は困惑する。新たな外獣による襲撃かと警戒する人間も居たが、殆どの人間は恐怖も警戒も凌駕した驚きに支配されていた。
王弟は座り込んだ足を立たせ、供をする騎士数名と共に外に出る。室内から飛び出した領民を戻すのと、この轟音の正体を彼等に語る為だ。
貧民街の暮らしを良くする為に立ち上がった旅人。何の縁も無く、たった一回の恩で貧民街を救うことを決めた男。
王弟にとってザラとはそのような人間で、極端にまで突き詰めた善人が適当だ。自身の見栄を何一つ求めず、ただただ己の持ち得る手段で彼等の生活を支える。
時には己の武力で、時には己の知恵で。
貧民街の住人の力も借りて復興した貧民街は見事の一言。少なくとも他の貴族での領地ではあまり見ない程の復興と発展を遂げ、神が住む街と名付けるのに納得もしていた。
正しく、困窮に喘ぐ人間にとってザラとは神だ。本人は演技だと言ってはいるが、彼の成した全てを並べてしまえば人間だと思う方が少ない。
単体で無数の外獣を滅ぼし、雷を手足の如く操り、皆の勇気を復活させる。王家すらも敵に回せぬ男がザラであり、彼が国を興せば付いてくる人間は無数に出てくることだろう。
その輪の中にはやはり、王弟もある。ナルセの一族も彼に追従し、民の繁栄の一助となるべく奔走するのは決まっていた。
「皆、安心するといい。 先程の一撃は雷の御方による怒りの鉄槌だ」
声を張り上げずとも、誰も言葉を発さない状況では広く伝わる。
農地に住まう領民達は王弟に視線を向け、その次に光のあった方に顔を向けた。曇り空でも雨が降っている訳でもないのに、今も彼等が見ている方角からは無数の紫電が空に立ち上っているのが見える。
自然によって発生するものではない。直ぐに気付いた領民は、喜びを露に膝を折って神への信仰を形とした。
どうか救ってください。差し出せるものであれば何でも差し出しますから。
一本の蜘蛛の糸に縋るが如く、今正に彼等が頼れるのは雷神だけだ。絶望的な状況を覆せるのは、彼を除いて他に居ない。
討伐者達の弱点を王弟は知っている。それを埋める時間は無かったし、そもそも膨大な知識を短期間で全て入れるには無理があった。
外獣の全てを此方は知らない。今回突然現れた炎の巨人のように、この事態に乗じて姿を現したとしか思えない個体も他に出てきているだろう。
それを止められる人間は限られる。
人類最高の武力を持つ人間のみが未来を決め、この戦局を左右するのだ。故に王弟は彼が望んだ通りに神として扱い、その名声を高めることを決めた。
間もなくして紫電は消え去り、遠くから馬に乗った人間が迫る。
少数の人間だけで構成された騎馬部隊は王弟の編成したものではなく、ザラが構成したものだ。雷の残滓を全身に巡らせながら王弟の目前で馬を停止させ、そのまま飛び降りる。
酷く慌てた様子なのは、王弟の無事を先ずは確認したいが故か。
「まさかこっちに居るとは思っていなかったぞ」
「貴殿はつい先日まで別の街にいただろう? 急がれてしまえば我々が何処に居るかなぞ解らんさ」
「……では、シャーラ嬢の居場所は把握しているか」
「西のシャマクだ。 此処からなら十日は掛かる」
シャーラは今現在、ナルセ家総出で西にあるシャマクの防衛についている。
シャマクは別名として肉の街とも呼ばれ、広大な牧場を保有した開放的な街だ。通常は事故を防ぐ為に街と牧場の距離は取るべきではあるが、運搬速度を鑑みて隣接されることとなった。
牧場から出荷される肉や牛乳も彼等の食料事情を支える大事な柱だ。潰される訳にはいかず、故にナルセ家は王弟と簡単な会議をした上で二つの方向に別れた。
シャマクもこの街も大事な生産施設だ。それに資源地も守らねばならず、必然的に騎士達の層も薄くなる。
シャマクの状態も間違いなく悪い。ザラが居なければこの街も消えていたことを考え、そう長くは保てないと王弟は直ぐに結論を出した。
「一先ず、街の状態は最悪を脱した。 我々は簡易ではあるが立ち直しつつ、騎士を使って一度情報を集める」
「解った。 では此方はシャマクに急行してシャーラ嬢の手助けを……ッ」
「どうかしたか――その手は」
突然言葉を切ったザラに声を掛けた王弟は、彼の片腕が震えていることに気付く。
見れば、その部分には他よりも多くの雷が纏わりついている。先程の一撃が想像以上に彼の負担となったのは明確だ。
しかし、そんなことを理由にザラは下がらない。彼は片腕を隠して真剣な顔で急行することを告げた。
出来る限りのことをする。命を賭けてでも未来を守らねばならないのだから。
それが未来を知る者としての責務であり、何時か生まれるネルやノインの為となる。何を失ってでも、愛した者達が居なくなってしまう世界を認めることは出来ない。
腰に差した回復薬を飲みつつ、再度馬に跨る。睡眠を最低限として移動をし続けたとしても、やはり七日以上は確実に掛かってしまう。
飛行する術でもあれば話は別だが、無いもの強請りをしても意味は無い。
片手で手綱を握り締め走らせようとする――――前に、領民の誰かが大声を発した。
「アルバルト様! 空を!!」
「何ッ……なんだあれは」
恐怖を込めた声に、王弟は空を見る。
ザラもその視線を辿って空を見上げ、天高い位置に巨大な穴が開いているのが見て取れた。
王宮の一つ程度であれば容易く飲み込みかねない程の大きさを誇る穴は黒く、内側を知ることは出来ない。そもそもその穴が居る地点にまで行くことが不可能であり、そんな技術があればザラは此処で困ることはない。
だが、もしやという直感があった。この国で、ましてや世界全体で遺産を知っている人間は皆無だ。秘密裏に使っている人間は解らないが、この瞬間にあの大穴を開く意味は一切解らない。
他国が侵略したとして、穴から兵を送れば即死だ。そのまま地面に叩きつけられ、鎧分の重量と相まって碌に受け身も取れずに身体が粉砕する。
では外獣かとも思うが、穴から外獣が出てくる様子は無い。
何よりも殺気と呼べるものが絶無であり、誰かが気付かなければ王弟もザラ達も見逃していただろう。
故にこれは何処の国のものでもなく、同時に外獣のものではない。まったく別の要因によって発生したものであり、他に思い付ける人間はザラ以外に居ない。
まさかという思いがザラの全身を駆け巡る。
自然と足は穴の真下へと歩き始め、その様子を皆が見ていた。最初はゆっくりとした速度で、しかし次第に走り始め、最後には雷を纏って他を無視して一直線に駆け抜ける。
何も目に入らない。穴の先から出てくるだろう存在に対してのみ、ザラは全神経を集中させる。
瞬きもせずに穴を見つめ、彼の瞳は穴から出てくる何かを捉えた。それは豆粒くらいの大きさではあったが、自然落下するそれらに向かってザラは雷龍を飛ばしたのだった。