最終章:いざ、過去の戦いへ
港街までの道程は馬を使っての移動となる。
道中に舗装された道は存在せず、馬を休憩させながら一日でも早い到着を目指していた。馬を使い潰すつもりであれば更に前に行けるとしても、移動はこれからも続く。
戦場は一つではなく、手の届かない範囲に無数にある。その全てを雷に任せた移動に頼れば、先に潰れるのは此方だ。
護衛も追い付けず、現地の兵と僅かな討伐者達だけで戦況を引っ繰り返す必要がある。それでは俺が無事でも、前線そのものが持ってはくれないだろう。
故に馬を休めて三日の道程を走破し、港街へと到達した。
未だ港街そのものには煙が上がっていない。人気は少ないものの、死臭はせずに単純に逃げ出しただけだと判断する。
この地には討伐者は居ない。首都周辺から離れ、辺境の中でも一等賑わいのある筈の街だ。街中を歩いてみると僅かながらに室内に人の気配を感じ、どうやら籠っていると推測を立てた。
遠目に見た限り、外獣が迫ってくる方向は陸地。
海は穏やかなままを維持し、少なくとも今直ぐ暴れる気配は無かった。であれば、そのまま進路を陸に居る兵達に向ける。
剣撃の音が遠くからでも聞こえ、数も百や二百では足りない。見据える先から血の臭いが漂い、道の途中では拉げた鎧が転がる死体の群れがあった。
その殆どが人間であり、外獣の死体は極僅か。仮に十人で一体を倒しているとしても、全滅は必至だ。
兵達が相手をしている外獣の種類は甲殻類。川や湖から出現したのか、蟹を彷彿とさせる個体達は硬い殻の所為で剣を弾いていた。斬鉄を必要する程ではないが、かといって関節部位を狙わねば甲殻類を効率的に倒すことは不可能だ。
家一軒に相当する巨躯で、発達した二対の鋏を振り回し、時には挟み込んで上半身と下半身を切り別ける。鎧も骨も関係無く、潰して折る様は見るものに絶望を抱かせるだろう。
既に前線と呼べるものはそこにはない。辛うじて形を作っているだけで、ゆっくりと後方に下がり続けている部隊も発見した。
「関節を狙え! 基本は通常の蟹と一緒だ!!」
『了解!』
手綱を手放し、馬の背を蹴って一気に蟹に肉薄する。
赤い甲殻には無数の棘が存在し、激突しただけでも全身に無数の風穴を作るだろう。一先ずはその棘に当たらないよう蟹の目の前に着地し、今にも殺されそうになっていた兵の代わりに六本の足を切断する。
甲殻を直接狙うのであれば苦戦したかもしれないが、関節部位は柔らかい。然程力を込めずとも素の筋力だけで断ち切り、最後に鋏の根本を斬り落とす。
それでも蟹は生きているが、最早出来ることはない。そのまま藻掻くだけで、これなら時間を掛ければ殺し切れる筈だ。
他の面々に視線を向ければ、全員が無事に関節を切断出来ている。――――単純なランクであれば四か。
「あ、貴方は討伐者の方ですか!?」
「そうだッ。 出来れば全ての関節を破壊して動きを止めたいが、それでは遅れる! 必殺の鋏だけを破壊し、残りはそちらに任せたい!!」
「は、はい! 解りました!!」
彼等が敗北していたのは、鋏の振り回す速度と威力が尋常ではないからだ。
その体躯から繰り出される体当たりも確かに恐ろしいが、何処か一本でも破壊出来れば途端に蟹は崩れ落ちる。兵達にそのことを伝え、大声で護衛達にも鋏を狙うことを命令した。
途端に全員の動きが変わり、積極的に鋏だけを破壊していく。俺も彼等に負けじと剣を振り、鋏を破壊した次の瞬間には別の蟹へと飛び移る。
速く、的確に、慈悲も残さず。思考する瞬間すらも惜しいと身体を反射で動かし続ければ、自然と意識は久方振りの深層へと潜り込む。
全てが遅い世界において、俺の動きだけが通常だ。壊して壊して壊し、都合が四百を殺した頃には陽は西に傾き始めていた。
次の敵は何処だとそこで初めて思考が挟まり、されど蟹達の鋏は悉くが地面に落ちている。兵達が止めを刺すことで死んだ蟹も多く、護衛が一部を手伝っていた。
港街の危険はこれである程度去った。まだ次が現れるだろうが、時間を稼ぐことは出来た筈だ。
剣に付いた体液を振り落とし、鞘に納める。それと同時に護衛の一人が他の兵よりも幾分か立派な鎧を身に付けた人物を連れて来た。
壮年の男性は俺を見て目を見開き、直ぐに片膝を付く。
「我等がシラカバを守ってくださり、感謝の念に堪えません」
「貴殿がこの街を治めている者か」
「はッ。 バッツ・ガディール伯爵です」
「ではガディール伯爵。 此処に居る戦力の中に王宮からの援軍は含まれているか?」
「居りません。 全てこの自領で生まれ育った兵で御座います」
ガディール伯爵の言葉にやはりと納得の溜息が出る。
王宮が援軍を出さないことは想定していた通りだ。彼等は自身が育った街を守る為に挑み、死ぬことを覚悟していた。
だが、覚悟をしていたとしても本能的な恐怖は残る。絶対に勝てないと覚った彼等が恐怖に腰を抜かしたとして、誰が嗤うことが出来るだろうか。
彼等は彼等なりに必死に戦っている。そんな彼等に何の支援もしないのは、流石に無慈悲と呼んでもおかしくはない。
一先ずは彼等に前線の維持を任せる。一度完全に滅ぼしたが、敵の数は正確には不明なままだ。再度現れる可能性を加味して、怪我を負った兵達を街へと戻す。
そんなことはさせられないとガディール伯爵は止めようとするが、今は猫の手だって借りたい筈だ。そっと彼の声を止めさせ、馬を往復させて全員を大きな建物の中にまで運んだ。
「兵の総数はどれくらいだ?」
「元は総勢五百です。 確認を急がせていますが、おおよそ二百程度しか生き残ってはいないでしょう」
「……その兵数で次に来るかもしれないアレを止められるか?」
「正直な話、無理でしょうな。 鋏が使えなくなっても死傷者は出ております。 そのまま削られ続ければ、次は確実に街への侵入を許すでしょう」
ガディール伯爵は隠し事を一切せずに俺に語ってくれた。
この街に居る騎士の数は総勢で三百人少々。残りは農家や腕に覚えのある人間で構成され、戦力と呼ぶにはあまりにも心許無い。討伐者の存在は知っているものの、討伐者の活動範囲からこの街は外れている。
何よりも神を守る為に討伐者達は首都周辺を掃討していると思われていたらしく、最初から要請することを諦めていたそうだ。
これは俺の所為である。単純に経験や人数によって遠出をさせなかったので、どうしても遠い街等には手が届かない。
「それに関してはすまない。 彼等はまだまだ経験日数が足りていないし、数も多くはない。 今も少数で各地に派遣しているが、その人数だけで果たしてこの難局を突破出来るかどうかは定かではないのだ」
「確かに討伐者達の情報は最近のものですが……それでもこれだけの結果を出せるとは。 貴方様が直々に鍛えたという話は本当だったのですね」
「時間が無かったのでまだまだ教えることはある。 今は取り敢えずアレらを討伐出来るだけの力を与えただけだ。 他の知識に関してはそちらに軍配が上がるであろうよ」
討伐者達は決して誰よりも強い訳ではない。並の騎士相手であれば十も二十も相手に出来るが、本当の強者には負ける。
加えて、基礎を鍛えただけであるので剣技に関しては付け焼刃だ。ある程度様になっているとはいえ、本職の人間が見れば拙いと指摘されるだろう。
知識不足も当然ある。討伐者は外獣殲滅に特化させただけで、弱点も大きいままだ。
俺がいない間に毒でも盛られれば十分に殺されてしまう。それを言うつもりはないが、彼ならば直ぐに勘付くだろうな。
「一先ず半日は此方で休息を取りたい。 ただ休める場所だけでもあれば十分だが、構わないか?」
「場所だけなどととんでもない! 食料も水も当然出します。 貴方様は我等を御救いになった神なのですから」