最終章:過去と未来の接触点
「先日は王妃が失礼をしたな」
ナッシュ地方。
豊かな大地とは言わないものの、外獣に占領された鉱山を奪還したことによって人が集まるようになった人気な領地の一つ。
そこにある一つの屋敷は他の貴族達の屋敷と比べて小さいものの、品の良さを漂わせる作りをしていた。此方を案内する者達の教育も行き届き、万が一解雇されたとしても別の場所で生活が出来るだろう。
屋敷の主である王弟と簡単な挨拶を交わし、侍女の一人が二人分のカップを置いて部屋を退室する。中に入っているのは林檎の風味を感じさせる紅茶のようで、一口含んでみると甘さと酸味が程よく舌を刺激していた。
中々どうして、旨い物だ。そう思いつつ、突然の来訪に詫びを入れる。
本当は訪れるつもりは無かったのだが、やはり一度確りと話はしなければならないと思ったのだ。王弟からは気にするなと言われ、いきなり数日前の話題を始めた。
「まさかの来訪だった。 王宮に縋り付いたままかと思っていたのだが、此方に縋り付いてくるとは」
「貴方の力は偉大過ぎる。 その力を振るうだけで万人は平伏し、独裁政治を行うことも出来るだろう。 今こうして玉座を狙っていないことが不思議なくらいだ」
「興味など無いからな。 あんな者達の相手をするよりも今は先ず国力の回復だ」
「その考え方そのものが珍しいのだがな。 力を持てば傲慢になるし、他者を従わせようと考える。 神という地位を手に入れた貴方ならば最早出来ないことを探す方が大変だ。 ……しかし、貴方は力を持っても他者の為に尽力することを選んだ。 国家繁栄の地盤が再度固まり始めているのは間違いなく貴方のお蔭だろう」
「そんなことはないさ。 俺が居なくとも、立ち上がって先導してくれる誰かが居れば皆は動き出していた。 きっと、貴殿が動けば立ち上がる人間も居たよ」
「そうだろうか。 ……そうであるならば、嬉しいことだな」
小さな笑い声をあげ、紅茶を一口。
俺の行いによって再度国家は元の形を取り戻し始めている。外獣討伐によって資源地を獲得し、貴族相手に必要な物を売って金を吐き出させ、生活が苦しい者達に生きる為の術を教え込む。
貧民街の住人が主導となって行われるそれは、最近になって他国も真似をするようになったことだ。能力のある人間を身分問わずに師範役とし、参加者を募って共に技能を学ぶ。
材料等はナジムが全て計算してくれているので財政の破綻は起きていない。最近は計算を子供達に教えているようで、ゆくゆくはナジムの業務の一部を任せるつもりだそうだ。
弱者救済。その言葉を胸に人々は立ち上がり、一丸となって少しでも自分の生活が向上することを願って生きている。
過去の弱さは無くなり、今の彼等は非常に力強い。この状態のまま王弟に後を任せれば、俺の知っている時代にまでこの国は存続してくれるだろう。
「……それで、王宮にはどのような処罰を与えるつもりだ?」
「王妃は廃嫡。 ただし王妃を除いた彼女の一族は全員処刑。 本当はこれを機会に王も殺してしまおうかと考えたが、彼女の行動を予測出来た人間は居ないだろう。 だから、一先ずは王妃の排除だけとした」
「随分と甘いな。 私ならこの機会に王妃の座にあの令嬢を座らせたことを王に詰問するぞ」
「なに、これは最初だ。 現段階で王の排除を推進させる動きを見せてしまえば、次に座るのは王弟である貴殿。 それは今避けたいことだろう?」
「確かに。 外獣の侵攻は日に日に勢いを増している。 陣頭指揮を執れる人間が首都に行っては連絡の遅れから首都への侵入を許してしまうかもしれない」
最早王の排除は免れない。
遠からず目の前の男が王の座に就くであろうし、現王もそのことには気づいている筈だ。俺がこうして何も隠さずに訪問している時点で、貴族達も次の王を察するだろう。
これまで王弟は放置されていた。何も出来ず、何をしようと考えても協力者を得ることも出来ず、まったく身動きの出来ない人生を歩まされていたのだ。
それが今回の件で完全に開放された。王弟を止められる人間は王ぐらいなものだが、その王が行動すれば交代劇は一気に加速する。
神の選びたもうた王の器。周囲は王弟をそう認識し、後押しを始める。
少しでも心象を良くしようと足掻き、しかしその殆どを王弟は見抜いている。この交代劇が完全に終わった時、現体制に蔓延る腐った根は悉くを切り捨てられる筈だ。例え如何なる手を尽くしたとて、証拠を隠すこともせずに悪事を働いていたのだから助かる手など有りはしない。
それはまだ先の話だが、少しでも頭が回るのであれば誰であれ解ること。
足掻いた所で何の意味も無いのであれば、今から逃げる用意をした方がずっと利口だ。貴族としての地位も贅沢も出来なくなるが、少なくとも王弟は忙しさによって追手を放つことはないだろう。
分相応の暮らしをつつ、質素に生きて死ねれば幸福だ。ただし民が彼等を発見すれば殺されるかもしれないが。
一先ず、王宮内の処分はこんなところだ。甘いと言われてしまえばそれまでだが、甘いのには相応の理由がある。王弟もそれは理解しているから、あまり指摘をすることは無かった。
己も近い内に玉座に座ることが決定されている。これから民を率いる立ち位置となるのは、もう避けられない。
俺が嫌いだったように、王弟もまた貴族同士の付き合いに嫌悪を抱いている。彼等の厄介さは身に染みて解っているであろうし、出来ればこのまま封じ込められたまま死にたかったのかもしれないと俺は考えている。
「俺としては王宮の事など一分だって考えたくはない。 外獣の脅威を取り払うことだけに集中したいのが本音だ」
「私だってそうだ。 王になることが決定されていなければ、今頃は外獣の討伐や領民の生活にのみ意識を配れば良かったものを――この気苦労はある意味貴殿の所為だな」
「ほう、では別の者に玉座を任せるか?」
口角を吊り上げながらの言葉に、此方も同様の表情で返す。
互いにやるべきことは多くある。頭は一つしかないのに、三つも四つも考え事が追加されていくのだ。それは疲れるし、出来れば放棄したいもの。気楽に生きられればどんなに楽だろうと思いつつ、俺も王弟も逃げることを選ばなかった。
苦労を自分から背負うという点では、案外似ているのかもしれない。そう言ってしまえば王弟は止めてくれと反論するであろうが、民の為に苦心する様を見れば誰だって優しき苦労者として映る。
暫く小さな笑い声を互いで漏らしつつ、紅茶を飲んで喉を潤わせた。これで王宮に関する話題は終了だと雰囲気は告げ、次に外獣に関する話に変える。
「それで、外獣は今現在どの地方から来ている?」
「ほぼ全て、と言うのが正しいな。 あらゆる場所から湧き続け、占領された土地の中でも突然出てくることが多い。 作業中は討伐者を傍に置かないと不安で仕様がないな」
「彼等は何処でどのように誕生するかも定かではない。 何も無い場所から突然湧き出したとしても不思議ではないな」
「厄介な話だ。 相手にしたくないのが本音だが、奴等は積極的に生物を狙う所為でそれも出来ない。 それに、どうやら一部の場所に外獣が大量に集まって群れを形成しているようだ」
「――それは一体どこだ」
会話の中で出てきた群れの情報に意識は引っ張られる。
それが大侵攻を起こす者達なのかどうかは定かではないが、場所を聞いた上で調べた方が良い。
「群れの場所はベルモンド家が占有している鉱山地帯だ。 どうやらあの場所は外獣の発生地としてベルモンド家に多くの報告が上がっていたようでね、偶然その話を聞けたのだよ」