最終章:欲望の代償
王妃は身体だけを見れば確かに魅力的だ。
ナノにもノインにも負けず劣らず、国家の姫と呼ぶに相応しい。楚々とした立ち振る舞いを心掛けていれば女性の憧れの的になれた筈だ。その方が政治を回していくのも簡単だったろう。
その全てを放棄して、彼女は俺に媚びることを選んだ。王に媚びるよりも俺に付いた方が生き残れると判断したのだろうが、先の一件で腕を切断されたことを理解していないのか。
神は裁定を下した。無能な王族も貴族も総じて不要であり、滅ぼされるべきなのだと。
それを理解して足掻くのは勝手ではあるが、遅かれ早かれ彼等は全て死ぬ。外獣大侵攻は今を生きる者達にとっては絶望的な話ではあるものの、俺にとっては必要以上に焦る程の事態ではない。
寧ろ予定調和なのだ。起こるべくして起こり、王弟が率いる討伐者達が撃破する。筋書き通りになるかはともかく、頭の中である程度の流れは決めてあった。
「わ、私が王族としての責務を果たしてこなかったことは理解しております。 ですがどうか、再度の機会を与えてくださいッ。 次は間違えることなく王族としての女の責務を果たします!」
『……それを語るには前提が不足しているぞ』
人間は間違えたとしても反省してやり直すことが出来る。
その言葉は真実ではあるが、真実にも許容限界が存在するものだ。個人の失敗であれば許されても、国家規模の失敗となれば相応の責任追及を受ける。彼女は王妃としての教育を受けた上で頂点の女となり、様々な意見を無視して王と同様の生活に溺れてしまった。
一度知った贅沢を捨てるのは極端に難しいものだ。特に浪費癖の激しい彼女であれば、一度許した後に再度浪費を繰り返しかねない。
何より、王族の責務を果たすのであれば彼女は王の隣に座っていなければならないのだ。俺の傍に付くことは不可能であり、そんな話をした時点で彼女に反省の意思は無い。
此処には貧民街の住人だった人間も居る。彼等の厳しい眼差しを見て、一体どうしてそんな言葉が出てくるのか。
『お前に機会を与えるなら、王の傍で王の考えを変えねばならぬ。 一生を掛けて国に尽くし、己を殺して民の為に生きろ。 それが出来ないのなら、お前には最早何一つの価値も無い』
「――――ッ!!」
彼女は目を見開き、次いで俯く。両の手を握り締め、その様を俺は冷めた気分で見る。
一度大きな間違いを犯した人間は、最早普通の罰では許されない。彼女は国の衰退の一助を担ったのだから、費やした血税の分だけ民に尽くさなければならないのだ。
それが解っていれば此処には来ない。今直ぐにでも同士を集め、王の考えを変えるか王そのものを変える策を巡らせている。
彼女はどこまでいっても王妃に相応しくない一山いくらの貴族令嬢で、器として正しくなかったのだ。金に目が眩んだ人間程、その醜さは極端に酷くなる。
だから助けないし、興味もない。最早話すべきことは話し終えたと視線で侍従達を見やれば、全員が真剣な顔で頷いて王妃に戻ることを提案する。
戻って王妃が無事なのかどうかは解らないが、抜け出したのは彼女だ。どうなるにせよ、その点は全て自業自得である。
しかし、彼女は侍従の声を無視して更に一歩前に出した。目前まで迫った彼女に、護衛達も剣を抜く。
緊張した雰囲気が流れる中、彼女は緊張を感じながらもなんとか口を笑みに変えていた。
「是非、御傍に。 そうでなければ――――この貧民街が火の海に沈むこととなりますわ」
精一杯の虚勢を張りながらも出てきた言葉は、やはり保険だった。
貴族であれば小細工の一つや二つ程度あって仕掛けるのは当然だ。毒や脅迫、誘拐に誤情報を使って自身を優位な立場に置こうとするのは一種の本能でもある。
だからこそ、期待外れだった。時代が異なれば手法も変わると思っていたのだが、彼女のやり方は俺の知るものとまるで大差が無い。簡単に予測が立てられ、簡単に対策を立てられるものだ。
「現在、この貧民街には何故か傭兵団が入り込んでいます。 彼等は火と油を持ち、今にも家に火を放ちそうになっています」
『脅すつもりか』
「いいえ、単にこれは私が集めた情報です。 彼等の場所も人数も把握しているので、私が教えれば未然に防ぐことが出来るでしょう」
要は彼女は此方の要求を呑めと脅迫している。そうでなければ家々に火を放ち、折角立て直した場所を元に戻すぞと語っているのだ。
それこそが彼女の切り札。自身の色香に酔わないのであれば、脅すことで言うことを聞かせる。
何とも貴族らしく、そして幼稚で愚かなことだ。護衛達も動揺を見せず、いっそ残酷なまでに冷静そのもの。流石に彼女も護衛達くらいは動揺させられると思っていたのか、静かなままの俺達を見て眉を寄せていた。
――遠くから声が響く。
無数の悲鳴に、剣撃のぶつかる甲高い音。一瞬だけ空が照らされたものの、その光は直ぐに消えた。突然始まった音の数々に彼女は貧民街に顔を向け、侍従達も酷く慌てた態度を見せる。
『予想外、という顔だな』
「一体……何が起きているのですか」
『なに、此方には優秀な自警団が居るのでね。 不審な輩が家を燃やそうとしているのであれば、個人の判断で勝手に止めに入っているだろうさ。 ……ああ、ちなみに強さに関しても問題は無い。 日常的に異形を討伐している者達だからな』
討伐者として自警団の面々も外に出ることはあるが、全員が消えることはない。
そして、外獣の討伐に慣れてしまえば普通の傭兵に負けることも無いのだ。たった一人で何十もの外獣を討伐しているが故に、肉体も精神も少々人間の枠組みから外れ始めている。
勿論、それでも現代と比較すればまだまだだ。今は精鋭である護衛を除けばランク四に手が届くかどうかであり、間違っても今の時代の人間の方が強いことはない。
未だ彼等は始まったばかりなのだ。だからこそ、旧時代の人間に負けることは皆無である。
何れ騒ぎは沈静化していき、貧民街に多くの死体が並ぶであろう。彼女の雇った傭兵の数は不明であるが、十や二十ではあるまい。
簡単に予測を立てられるからこそ、事前の準備は万全だ。保険として護衛の一人を確認に向かわせたのも効果的だったろう。例え防具を身に纏っていなくとも、一般の人間に彼等の動きは捉えられないのだから。
やがて何名かの自警団の人間が姿を現し、俺の前で膝を付く。服のそこかしこに血痕が付着し、いかにも戦闘終了直後であることを匂わせた。
「雷の御方に御報告致します。 貧民街に傭兵団が入り込み、我々の住居を燃やそうとしておりました。 既に頭を含めて主要な人間は捕獲し、それ以外は殺しております」
『ご苦労。 突然の襲撃にも関わらず、すまなかったな』
「とんでもございません。 我等の街は我等で守ります。 御方から直接指導をされておいて、何も出来ないなど恥ずかしくて生きていることも出来ません。 ――護衛のアニスから聞きましたが、此度の襲撃は王宮からの攻撃である可能性が高いとのこと。 早急に情報を吐かせましょう」
『ああ、そうしてくれ。 材料が揃い次第、私が直接王宮に出向く。 ……時代が変わるのも目の前かもしれんな』
「どうか、御方の思うがままに」
最後に深く頭を下げて、自警団の人間は下がる。
残った者達の排除と情報を早く集める為だ。彼等が本気で情報を吐かせようとするならば、尋問を選ばずに拷問を選ぶ。
自身の胸に湧いた怒りを込めて、その全てを相手にぶつけるのだ。その過程で死んだとしても、一人が証言してくれれば何も問題は無い。
仮に何も吐かずに死んだとしても、今この場には変えられぬ現実がある。この状況を王に伝えた時、さて彼女はどのような対応をするだろうか。
小刻みに身体を震わせる彼女を見やりつつ、最後の言葉を述べる。それが彼女の処刑宣告であるのは、誰であっても瞭然だった。
『帰るといい。 帰って、全てを王に話すといい。 どうなるにせよ。お前はもう逃げられないのだから』