最終章:少年の志
ナジムと俺が住む家の前で少年の声が響き、護衛の一人が外に確認に出る。
暫くしても戻らなかったので俺も外に出て、護衛が困った顔で何とか少年を追い返そうとしている姿を見た。
背は小さく、腰を僅かに超える程度。茶髪の髪はあちらこちらが跳ね、白の上衣に黒のズボンといった出で立ちは極めて平凡そのものだった。
目は茶色。顔立ちは整っている部類であるものの、際立って美形ではない。総合的に見るのであれば、記憶に残り難い少年であるとしか俺には言えなかった。
少年は出てきた俺と目を向け、輝かんばかりの笑顔を浮かべる。子供特有の純粋な輝きを前では暴力的な態度は取れず、片膝を付いて少年と目線を合わせた。
「こんな場所に来てどうしたんだ?」
「神様に弟子入りしたいんです!!」
尋ねた言葉に対する答えは、此方の想像するものとは違っていた。
思わず目を見開いてしまうと、少年は恥ずかし気に顔を伏せて弟子入りの理由について説明する。彼は貧民街ではなく首都内にある一般の家で生まれ、少々の貧しさがありながらも両親と共に元気に暮らしていた。騎士を夢見て同年代の子供と一緒に木の枝で素振りなどをしていたそうだが、適当にぶつけ合っていた子供達の間に少々年上の子供が乱入したそうだ。
その子供は既に騎士としての鍛錬を始めていて、当然ながら何も教えを受けていない子供では勝つことは出来ない。容赦無く殴られ、散々に罵倒されたそうだ。
その所為で彼を除いた子供は木の枝を振るわなくなり、自然と騎士の話題が出ることもなくなった。
しかし、彼だけは騎士の夢を諦めていなかったのである。彼なりにどうして負けたのかを考え、無謀にもその年上の子供の後を付けて鍛錬風景を見ていた。
その子供は兄に教えを受けていたそうで、ならば自分も誰か騎士に教えてもらおうと考えたのである。
しかし、見た限りにおいて少年の身体はまだ鍛えるには適さない。これから身体が出来上がっていく段階であり、もしも騎士としての鍛錬を積ませれば身長が伸びなくなるかもしれなかった。
それ故か、少年に戦い方を教える人間が出てくることはない。両親達も必死に少年の考えを変えようとしていたみたいだが、それが逆に少年の夢を刺激してしまったようだ。
少年なり考えに考え、出した結論は最近話題となっている神に教えを請うこと。騎士ではないものの、戦う力を持たなかった者達を討伐者に育て上げた情報を頼りに来たそうだ。
その行動力は見事なものだったが、あまりにも何も考えていなかった。子供なのだから当然だと思ってしまうものの、俺も他の者と同様に鍛えることに関しては否定的だ。
「駄目でしょうか!? 下働きでも何でもします!!」
「こらッ、いい加減にしないか」
俺が困った顔をした所為か、いよいよ護衛も語気が荒くなってきた。
大の男の怒りの声には流石に怖かったのか、一瞬だけ少年の身体が震える。だが、その目に恐れはない。
行動力だけではなく、彼には度胸もある。そもそも彼は何度も諦めることを言われ続けていたのだ。今更大人の言葉一つで自身の考えを変えることはないだろう。
追い返すことは簡単だ。だが、その行動力を否定させては卑屈になってしまう。子供の内からあらゆる選択肢を潰されてしまえば、将来的に自信の無い子に育つと言われている。
であれば、単に否定するのはよろしくない。ここは子供の遊び程度の範疇で鍛えるのが最善か。
子供の首根っこを掴もうとする護衛を手で制し、再度視線を合わせる。その目にはやはり純粋な輝きが残っていて、これからも彼は鍛える為の手段を求めるだろう。
溜息を一つ。少年の右肩に手を当て、なるべく穏やかな口調で語り掛けた。
「君の身体はまだまだ成長期だ。 無理に鍛えでもしたら、これ以上背が伸びなくなるかもしれないぞ?」
「それでも! ……それでも、皆を馬鹿にしたアイツの言った通りにはなりたくないんです。 お願いします!」
「――――二週間だ」
告げた時間に、少年は驚きを露にした。最初は理解していないようだったが、時間を掛けることで俺の言っていることが解ったのだろう。
喜びを露に、何度も何度も頭を下げた。その少年の頭を撫でつつ、護衛に手紙の準備をさせる。
何をするにせよ、少年の両親に連絡は必要だ。そこで連れ戻されるか、あるいは少年の意思を尊重するかは家族間で話し合うしかない。
二週間は目安だ。もしも少年に才能が無いのであれば、指摘をしつつ再度選択をさせる。別の才能を探すか、このまま騎士を目指すかを。
その中で騎士を選ぶのであれば、例え才能が無くとも諦めさせはしない。そんな真似をすれば、俺は自分の親と同じことをしたことになる。
夢はそうそう簡単に消えるものではない。いくら叶わなくとも願ってしまうもので、それそのものが原動力となる。
「先ずは手紙を書くから、それを持って御両親に報告をするんだ。 明日までには準備をしておくから、その時に来ること。 いいな?」
「はい! 絶対に行きます!!」
「良い返事だ。 明日のお昼に来るといい」
一旦部屋に戻って護衛が用意した羊皮紙に出会いまでの流れと成長を阻害しない程度の鍛錬の許可を書き、それを丸めて少年に持たせる。
それを持って少年は走り出し、直ぐに去って行った。
嵐のような時間が過ぎ、急に周りが静かになったような感覚が襲い掛かる。溜息を吐き、気遣うような眼差しを送る護衛に大丈夫だと告げた。
「明日の鍛錬には一名追加だ。 子供用の木剣と広場の周辺に危険な要素がないかを洗ってくれ」
「解りました。 では自警団の者に任せましょう」
「そうしてくれ。 ……さて、遅くなったが見回りをしよう。 ついでに各担当者達に子供が来ることを言っておかないとな」
「畏まりました」
恭しく返事をする護衛を伴い、貧民街の格主要施設を巡る。
俺が訪れると皆が跪こうとするので、それを制止させつつ問題が無いかの確認と少年についてを説明しておいた。突然の乱入者ではあるものの、既に余裕を得た者達は快く少年を受け入れることを承諾してくれた。
これで少年が迷子になったとしても周囲の者達が保護してくれるだろう。なるべく目を離さないようにするつもりだが、予定外の出来事なんてこれから幾らでも出てくる。
途中でナジムと出会い先の一件を話し、見回りを終了させた。その後は自己の鍛錬も行い、街中に繰り出して市場の状況も調べる。
人を放っても良かったのだが、市場の状態は生で感じた方が解り易い。黒い外套で顔を隠して最初に見た頃よりも活性化した市場を眺め、次に育てたい作物の種等があれば購入していく。
ナルセ家の土地も一部借りてそこでも農業を行うので、種は絶対に必要だ。取れた作物や薬草類はそのまま偽装商人に販売させ、売り上げの三割を貰う手筈となっている。
シャーラからは全額でも構わないと言われているが、土地を借りているのだ。その税だと考えてもらわなければ、流石にこちらも罪悪感が酷いことになる。
一日はそのまま過ぎていき、何事も無いかの如く流れた。首都は最初に訪れた頃よりも遥かに活気が増していき、周辺で討伐を繰り返している者達の報告によれば大き目の街も徐々に元通りになっているそうだ。
王弟が玉座に付くまでに出来る限り経済状況は改善させておきたい。寝る前にそう考え、新しくなった羽毛の布団に身を横たえる。
明日は大変だぞと瞼を閉じた。その耳に馴染の少ない馬車の走る音が聞こえたのは、幸運なのか不運なのか。