ギルドの認識
長く身体を休ませる行為はどんな場所でも慣れてはくれない。
既に一週間。身体を慣らす行為を行いつつも、限界まで追い詰めない生活は俺に不安を齎せた。
お蔭で激痛も鳴りを潜め、無事に布も取れたものの、右腕の痕は大分酷い。火傷の痕跡じみたものが右腕全体に広がり、長袖で隠さなければ嫌な意味で注目を集めてしまうだろう。
右手も手袋で隠す必要があるのでこの休息期間中にナノに外套を含めて購入してもらった。
金を渡そうとすると彼女は構わないと決して受け取らず、それでは俺の気が済まないと告げると彼女は代案として三日間程無償で護衛をすることになった。
それでも購入した代金以上にはなっていない。完全な納得は出来ないものの、それ以上の何かを求めてしまえば今度は彼女が困ってしまうだろう。
そんな日々を過ごし、無事に全快となった俺はギルドの中へと進んでいた。
最初に入った直後から周囲からは無数の視線を向けられている。そこに籠っているのが興味関心である辺り、向けている相手は殆どあの戦場に居た者達なのだろう。
そんな人達を務めて無視して、受付所に居る女性に声を掛ける。
彼女は俺を見た瞬間に誰だか解ったのだろう。少々お待ちくださいませとだけ告げ、俺は受付で立ちっぱなしとなってしまった。
視線の真っ只中に居るのは居心地が悪い。別に注目をされたくてしたい訳ではないのだが、それでもあんな真似をしでかした以上は嫌でも注目されてしまうのだろう。
溜息を吐くことも出来ない。――そんな空気を打破してくれたのは、俺の袖を掴んだ者だった。
「や、一週間振り!」
「貴方は……」
横に居たのは、ヤドカリ戦の時に一番動き回っていた双剣使いだ。
あの時はあまり他者を認識していなかったので姿を記憶していなかったが、二つの剣が俺の頭の中に残っている。
そのお蔭で双剣使いだと解ったものの、まさかその人物が女性だとは思わなかった。
褐色の肌に、踊り子を想起させられる布の少なさ。双剣使いが軽装であるのは定番であるが、だからといって彼女の恰好はあまりにも煽情的過ぎた。
それこそ、性に興味の無い俺でも少し誘惑される程だ。意識すれば普段通りでいれるものの、他の者達に下卑た眼差しを向けられることもきっとあるだろう。
「あの時の君の動き、すっごい良かったよ! わくわくしちゃった!!」
「そう言っていただけると、有難い限りです」
「硬いなぁ。 戦場の時みたいにもっと砕けても良いんだよ? あ、ちなみに私の名前はナナエね」
「あははは、あの時は戦場でしたので。 それにランク一の私がタメ口など有り得ませんよ」
「……え? 君ランク一なの?」
失敗した、と認識する頃にはもう遅かった。
驚きを多分に含んだナナエの目。そこから見れば、成程やはり自分の力はランク一以上なのだろう。
確かに、一や二の依頼書には日雇いの仕事が多かった。討伐依頼もまったく存在せず、まさに一平民の為の仕事ばかりだと言える。
その域を超えたランク三や四からが、討伐依頼の入る場所なのだろう。
周りからも驚きの声が漏れている。顔も晒してしまったし、俺の年齢は皆には解ってしまっているに違いない。
一歩、ナナエは前に迫る。
右前の編み込みの髪が揺れ、短めの黒が視界に大きく広がった。
掴んでいた袖を離し、今度は俺の左手を掴んで彼女はそちらに視線を向ける。
「うわ、あんな子供っぽいのに凄い傷だらけ。 どんな鍛え方してたのよ」
「そこには深い訳がありまして。 あまり聞かないでいただけますと幸いです」
「あ、うん。 別に詮索はしないよ、そういうのはあんまり興味無いからね。 それに将来有望な冒険者が増えてくれるのは嬉しいよ」
慌てて下がる彼女の姿に、俺も笑みを見せるだけに留める。
仲が極端に悪くなるのは避けておきたい。何処で活動するにしても悪評だけが歩き回るのは個人的に喜ばしいものではなく、かといって過剰に仲良くなる必要も無い。
そう思っていると、此方に向かってくる一人の初老の男性が見えてくる。
燕尾服を着込み、歪みの無い歩行で優雅に此方に来る様子は、とてもではないが冒険者らしくはない。
白髪の髪をオールバックに纏め、髭の一つも無い皺の少ない顔は、柔和さとは無縁のものだ。
一目見ての印象は鷹。それも爪を隠さない、牙を剥きだしなままの獰猛な鷹だ。
「よく来ていただけました。 私はこの街のギルドマスターを務めております。 皆々様方からはオーナーと呼ばれておりますので、貴殿もそのように呼んでいただければと」
「解りました。 それで、私に用とは?」
「それについては、私の部屋でお話しましょう」
この周りには無数の目がある。歩き始めたオーナーに従う形で進み、受付の後ろにある扉を開いた。
内部は貴族に引けを取らない程に豪華だ。
赤いカーペットに、黒檀の幅広な机。彫刻の刻まれた書類棚や壁に掛けれた大きな地図があり、黒檀の前に俺はそのまま立った。
座り込んだオーナーは机の引き出しを開き、一枚の書類を俺に見せる。
それは依頼書だ。ランクは書かれておらず、報奨金も一切書かれていない。
内容は人探し。――――その人物は、ナノだった。
「君はこの人物と共に行動しているね? 何人もの冒険者が君と一緒に居る彼女の姿を見ている」
突然の質問内容に、どうして俺が呼ばれたのかを理解した。
幾ら平民らしい恰好に変えたとしても、彼女の顔を知っている人間であれば顔を見ただけで解ってしまうだろう。
だが、これは依頼書だ。しかもまだ正確にランクも報酬金も決まっていない、張り出される前のものである。見つけたというよりかは、単純に探してくれとこの支部が言われているだけだ。
ならば、それを撤回させれば時間は稼げる。その間に彼女を何処かに逃がせば、まだまだ発見には至らないだろう。
言い回しを考える。どう言えば撤回してもらえるかを考えて、考えて、けれども咄嗟では何も言葉が出てこない。
ただ驚かないように表面上は取り繕うだけだ。既に相手が関係性を理解している以上、無言のままというのは別の面で疑われかねない。
「ええ、確かに彼女とは行動を共にしています。 死に掛けていた彼女を助け、結果的に今は一緒に行動していますね」
「ふむ。 成程」
迷った末に出てきた言葉は、関係性の薄さを証明するものだ。
俺と彼女の間には助けた者と助けられた者以上の関係は無い。そう振舞うことで、相手に警告の言葉を促す。そして、それを準備する時間を設けてもらえば良い。
「では、彼女の出自については何も知らないと?」
「ええ。 ……彼女は何か特別な存在なのですか?」
ついでに、此処で不安を込めた言葉も送っておく。それで相手は多少なりとて此方に対する同情を芽生えさせたのか、背凭れに身体を預けた。
顎を擦り、俺ではなく天井へと視線を向ける。明らかな思案顔であるものの、身分が上の者がそうした振舞いをしていても不思議ではない。
相手の方が有利なのは事実だ。此方は隠し事が多く、少しの情報漏洩がどんな形で彼女の家に届くかも解らない。
「ああ、彼女は貴族だ。 それも、この国においては非常に重要な立ち位置に存在するご令嬢と言える。 それ故に早い段階からギルドに捜索依頼が出された」
「ですが、その依頼書は……」
「そうだ。 この依頼書はまだ正式に受理されたものではない。 何せ届いた時期があの外獣騒ぎの真っ最中だったからな。 我々の本分を優先するのは道理だ」
ギルドの仕事は多岐に渡るものの、実際に一番多い仕事は外獣討伐だ。
それを本分と定めるのは間違いではないし、貴族の個人的な依頼よりも街の脅威に対抗するのは自然だ。
ベルモンド家の人間もそれについて違和感を抱えてはいない筈。寧ろ騒ぎを起こした張本人だけに、迂闊に接触しようとはしないだろう。
「だが、それ以外にもこの依頼を素直に受けない訳がある。 私はね、ベルモンド家の人間を基本的に信用していない」
このまま進めば、彼女に時間的猶予を残すことも出来る。
そう確信した直後、オーナーの次の言葉に目を見開いてしまった。