最終章:その男、身の程を知らず
謁見室の間と呼ばれるものは、さながら夜会の会場の如く飾り付けられていた。
宝石が散りばめられたシャンデリアに、その内部で淡く灯る炎。白亜の壁に、床には匠が時間を掛けて製作したと思われる国旗の模様がある。やはりその溝を埋めるかの如く黄金が流し込まれ、光の反射によって床の輝きを一層強くしていた。
玉座から入り口までに続く一本道には赤い絨毯が敷かれ、両脇には大小異なるテーブルが均等に配置されている。机の周りには着飾った貴族達が此方を眺め、一部は鼻で笑っていた。
呼ばれていた時点で何か考えてあるのだろうとは思っていたが、予想以上の内容だ。
これは神を歓迎する為のものではなく、正反対のもの。護衛達は怒りを露に身を震えさせるが、俺が怒らないことで何とか最後の一線を踏み越えないようにしている。
玉座に座るは王と王妃。
黄金の印象は拭えず、されどそれは鍍金そのもの。線は細く、されど筋肉自体はある。腹を丸見えにした丈の短い服は、王が着るにしては少々奇抜な部類に入るだろう。
長い髪は伸ばし放題だ。自身の背丈にまで伸びた金の髪は大きく広がり、蒼い瞳は輝きに満ちている。足を組み、膝を玉座の手摺に乗せて頬を乗せていた。
指全ての指輪を嵌め、耳にも涙状の宝石をぶら下げている。
そして王妃であるが、彼女も彼女で王に負けず劣らずの姿を見せていた。白を基調とした広がるようなドレスにはレースが付き、小粒の宝石を多く付けられている。此方は白の髪に赤の瞳を持ち、その姿は嘗ての王妃を連想させた。
美しいという意味では、彼女は正に美しい。されどその美しさは今、男を誘う毒花と一緒だ。
赤い口紅は此方を試すように弧を描き、傍では侍従の一人がゆっくりと巨大な扇子を扇いでいる。
他も大なり小なり着飾り、現在の国とは正反対の様を俺達に見せ付けた。これが見栄の集大成だと言わんばかりに。
彼等を視界に収めつつ、名前を呼ばれた俺はゆっくり前を歩く。
護衛達も動き、そのまま全員で王の居る玉座の前にまで進む。護衛達は人間であるので身分としては王よりも下だ。故に渋々跪き、俺は神として二本の足で立つ。
その様子に、王は小さくほうと呟いた。声は想像以上に若々しい。
「跪かぬのか。 私は王であるぞ」
『王? ――王など、何処に居る』
俺の発言に、貴族達はざわめく。
あまりにも無礼な言葉だ。神でなければとてもではないが面と向かって発言など出来ない。しかし、王は俺の言葉を聞いても喉で笑うだけだった。
「成程、神を詐称するだけはある。 その傲慢不遜な態度、誠に神のようではないか」
『信も不信も個人が決めることだ。 私を神と呼ぶのであればそうであるし、神と呼ばないのであればそうではない。 ……さて、下らぬ会話をする暇は此方には無いのだ。 用件を言え』
「まぁそう急くな。 茶の一杯くらいは楽しんでも良いだろう?」
王は指を鳴らし、一人の男の侍従が白のカップに入った茶を持ってくる。
漂ってくる風味から解るのは、この茶が決して安物ではないことだ。加え、その茶の香りに混ざって刺激物の匂いもしている。それはこの紅茶に合わず、間違いなく毒物を仕込んでいた。
カップを手に取り、侍従は礼と共に下がる。冷静な顔をしていたが、放つ気配には若干の乱れがあった。侍従である点から戦闘に身を置く人間ではないのは確かだ。
王は顔色を変えずに俺が茶を飲むのを待っている。だが、毒物を自分から飲むような馬鹿を誰がするというのだろう。
ましてや、此処は貴族の領域。一瞬の油断が命取りとなることを知っている身としては、全てを切り捨てるのが正しい。
そのまま紅茶を傾け、赤い絨毯に紅茶を流す。空になったカップを絨毯に落とし、そのまま足で踏み潰した。俺の動作の一つ一つに貴族達が反応を示すが、どうでもいい。
この場に居る貴族達は全員敵である。ただ利権を使って贅を貪る人間を、俺は人間だとは断じて認めない。
『私は用件を聞いているのだ。 貴様のように暇人ではないと言わねば気付かないか?』
「私とて別に暇ではないのだがね。 よろしい、では用件を言わせてもらおう。 ――昨今、怪物共の被害が深刻なものとなっている」
漸く本題へと移った王の言葉は、その顔とは裏腹に非常に真剣な内容だった。
俺達も問題視している外獣の存在だが、王宮側では手も足も出ない状況が続いている。何でも一部の優秀な騎士だけが外獣を討伐出来ているそうで、それ以外の箇所では酷い有様が続いているとか。
このままでは来年の税を納めることが出来ない国民で溢れ返り、貧民街の範囲がますます拡大されていくだろう。
俺がどれだけ助けたとしても、地盤そのものを破壊されれば再起は難しい。その被害は貴族達も例外ではなく、外獣の占領範囲が広がれば広がるだけ自領が縮小していく。
当然、他国も似たような状況だ。だからこそ今はまだ戦争が起きていないのであって、もしも外獣の脅威が無ければ今直ぐにでも戦争は始まっていただろう。
「我々も手は尽くしているが、やはり完全な絶滅にまでは至っていない。 騎士団の被害は増える一方だ。 そんな時に貴殿のような人間が現れ、この首都に襲い来る怪物共を纏めて殺していた。 その力をそこに居る者達にも教えているのは私も知っているぞ」
『純粋に鍛えているだけだ。 あれを撲滅するには今のままでは不可能極まりない。 己の力を突き詰め、多くの経験を積まねば呆気無く死ぬだけだろうな』
「その通りだ。 故に、私は貴殿に協力を頼みたい。 その力の一部でも騎士団に教えてもらいたいのだ。 なに、報酬は十分に払おう。 お前が望むだけ、好きなように準備させるつもりだ」
『そうか。 なら――』
王の言葉に、貴族の誰もが口を挟まない。
これは最初から予定されていたこと。王の突然の言葉でもなんでもなく、ただ単純な協力要請だ。王としては受けて当然だと思っているだろうし、それは平然と此方を眺める王妃も一緒のこと。
貴族は内心どう思っているかは不明だが、表面上はそのまま受け入れるだろう。全ては己の金を守る為に。
王は民衆を守る為かのような発言をしている。しかし、傲慢が過ぎる口調には嘘しか込められていない。隠している訳でも何でもなく、彼等は自分達を守ってもらう為に協力してくれると根拠も無しに信じているのだ。
信じていないのはこの場に居ない面々で、その数はきっと少ない。此処に集まった面々は皆当主や代理当主であり、数で言えばかなり大規模だ。
保身、保身、保身、保身。
胸の内にある本音に苛立ちが止められない。何故常識的に考えられないのかと言いたくて堪らない。
例え言っても無駄であると解っていても、それでも俺は思うのだ。彼等のその性根は、一体どこまで腐り果てているのかと。
剣を引き抜き、床に刺す。
石に弾かれるかと思ったが、剣の方が遥かに質が上だ。本物ではない材質の前に、この剣を止めることは出来ない。
突然の動作に喜び一色だった謁見の間が静まり返る。彼等は俺を神とは見ず、何処までも特別な能力を持った人間として見ている。勿論それは正解で、嘘を吐いているのは俺の方だ。
しかし、今此処でそれを明かすことは出来ない。こうまで虚仮にされたのだから、やり返すことを止める人間は居ないだろう。
此処には貧民街で護衛役を担う者達も居る。そんな者達の為にも、俺は神でなければならないのだ。
意識を剣に。剣を中心に極大の紫電を走らせる。
爆発の如く雷は周囲に広まり、机や壁を容易く破壊した。突然の暴挙に貴族達は我先にと入り口に走るが、そこに雷で編んだ龍を配置させる。
『――判決は下った』
一筋の雷が俺の上にある天井を破壊する。太陽の光が差し込む空に向かって、俺は真摯に跪いた。
聖書において、神は複数存在している。以前に俺が挙げた剣神がそうであるように、雷神もまた聖書に存在する神だ。しかしその神の中でも序列が存在し、頂点に座している神は天空神と呼ばれていた。
『天に居ります我等が父よ』
これは全て演技だ。だが、彼等の今後を変える圧倒的な絶望を叩き付けるものでもある。
『人の世は儚く、容易く心は腐り果ててしまいました。 真に清らかな人間は本来の場所から追いやられ、今や悪心が支配する状態となっております。 最早、座して見ているだけの状態を続けるべきではありません』
誰も声を発さない。誰も俺を止めようとしない。
真摯に、敬虔に、まるで本当に誰かと話しているフリをしている俺を人々はどう見るのか。出来ればこれで改心の一つでもしてもらいたいところだが、現実は先にも述べたように儚いものだ。
人は簡単には変わらない。一本の柱が立った時点で、それは歪になっても存在し続ける。腐った心がそのまま残り、例え一時はしなくなっても何かの拍子に犯罪を犯すのだ。
であれば、最早彼等を生かす道理は存在しない。判決はもう、下ったのだから。