最終章:神の意志
「この国はどうしようもない程に腐敗しております。 御方は既に知り得ていることでしょうが、このままでは国としての形は何れ保てなくなるでしょう」
『そうだな。 此処に最初に来た時点からそれは解っていることだ』
「はい。 ですので、私はこれまで準備をしておりました。 玉座を簒奪する準備を」
『……ほう』
室内に驚きの声は無い。向こう側の護衛達は全て知り、俺達側が俺自身が驚かないことで驚愕を胸に隠している。
公爵家の人間が玉座を簒奪する。その内容は何処かで聞いたような話で、過去の出来事をなぞっているかのようだ。俺も現在の王家に対しては軽蔑しかないが、かといって玉座を奪うことを目標に定めてはいない。
彼はこの時代の人間だから問題を解決したいのだろう。されど、本人の言葉をそのまま素直に受け取るつもりはない。
ヌシライ公爵家が何処かに施しをしていた情報は一切無かった。此処に来た時に初めてその家名を知っただけで、俺としてはその他大勢の内の一つでしかない。
玉座の簒奪が出来るのならば大したものだ。だが、彼等の目的が簒奪で完了するのであれば協力は出来ない。
「私の家は元は騎士家系です。 今でこそ公爵家相当の領地や仕事が与えられましたが、本来の職務は王族の守護でございます。 私は長い間先代王の守護をしており、今の王を守護するのは長男であるバルジです。 ――ですが、そのバルジから送られる情報の数々が絶望的なものでした」
『具体的には?』
「……そこから先は私が御話します、雷神様」
騎士家系から成り上がったのは王からの信頼を得たからだ。
先代の時点では領地も与えられていない名ばかり貴族で、そこで王の事を数多く守ったのだろう。建国の父であれば理由を揃えるだけで貴族の地位を明確にすることが出来る。
この国の始まりも争いからであったと聞くし、地位を上げる機会はきっと多かったのだろう。
そう思いながら、恐る恐るの体で話始めるバルジの声に耳を傾ける。その間にナジムは護衛の一人に指示を下して追加分の紅茶を用意させ、湯気の立ち上る紅茶が一つ分俺の前に置かれた。
バルジが語る王の生活は、実に欲望に忠実と表現すべきものだ。
似合う似合わぬとは別に見境なく服や宝飾品を買い、王宮も本人の要望に合わせて豪奢な物に改築させている。
俺が今まで見ていた王宮も王が自己顕示欲を満たしたいが故に出来上がった代物で、先代の時点では半分程の大きさだったらしい。
食生活も実に贅沢なことで、世界中の美食を網羅しているとのこと。
兵士達には黄金の装飾がされた鎧を着せ、自身を黄金の王と呼称することもある。他所では鍍金の王と蔑みを込めた名を与えられているが、当人はそれを知らない。誰も語らないのだから知らないのは当然である。
国の問題は基本的に放置。全てを纏め役の貴族に任せ、女遊びに現を抜かす間抜けな王だ。
そんな王の姿に感化されたのか、上層に居る貴族達は総じて欲望に忠実だ。下々の苦労を見ずに己の都合を押し付け、結果として今の貧民街を形成している。
言ってしまえば、この国を治めているのは子供だ。学が無く、常識も知らず、求めているモノに何の躊躇も無く手を伸ばす。
王として、為政者として最悪の中の最悪。
こんな王が即位してしまったのは、ひとえに王が他に候補を用意出来なかったから。激務に次ぐ激務によって子供は一人しか作れず、その子供が成長して王になってしまった。
「時折他国の人間と話す機会があるのですが、どれもこれも亡命を勧めるものばかり。 本来ならば侮辱だと怒る場面なのでしょうが、その度に毎回苦笑いをしています。 ……一体私は、何の為に自分を鍛えたのでしょうか」
「最早あらゆる国から此処は舐められてばかりです。 だからこそ、私は一度全てを消したいのです」
『愚かな王も、愚かな貴族も消してしまおうと?』
「消すべきは消し、残すべきを残す。 その為の戦力は、徐々に集まりつつあります」
話を聞けば聞く程に、彼等が俺に求めたいことが解ってくる。
このまま簒奪を始めれば少なくない数の血が流れるだろう。元より王位簒奪とはそういうもので、血が流れない方がおかしい。貴族も王も、あるいはその一族に至るまでを全て滅ぼし、新たな国造りを開始する。
その際に王となるのは――王弟。あのアルバルトが次の王となり、そのまま現代にまで血を繋げることとなる。
本来、俺が居ない時間では大侵攻の後に全てが起きていた筈だ。どうして規模の小さい領地に居る王弟が王になれたのかと考えたものだが、裏でこのような出来事があったのであれば納得出来る。
つまり全ては予定調和。人の行動次第で歴史は変わっていくものであるが、現在の状況を鑑みるに王は公爵家の行動をまったく把握していない。
遊んでばかりの王が察することなど不可能だ。そして、それは王妃もまた一緒である。
金遣いの荒い人間がまともな感性をしている訳がない。下々の人間を気にせず、王妃はその座にある特権を今頃は遺憾なく振るっているのだろう。
『――成程。 つまりは私が王宮に出向けば、全ては始まると?』
「は、その通りで御座います。 如何な王とはいえ、やはりその身体は人。 神の言葉が優先されるのは間違いありません。 そうなれば、教会側も此方に協力をしてくれるのは確実です」
『ではそれに成功したとして、お前は何を望む』
「……バルジが騎士として忠誠を誓える王でございます」
真っ直ぐなヌシライ公爵に嘘は無い。
忠誠を誓える王。つまりは、彼等が尊敬出来る偉大なる王を求めているのだ。それは簡単に出てくるものではないし、出てきたとしても素直に座ってくれるとは限らない。
順当に進めば座るのは王弟だ。だがもしも、彼等が王弟を王として認めないのであれば再度の王殺しが始まる。
今この瞬間に始めるのは避けなければならない。始めるにせよ、それは大侵攻が終わった後だ。
彼等の集めた戦力も必ず必要となる。だから、この関係をこの場限りのものとしてはならないと胸に決めた。
であれば、彼等が求めるのは何か。今後の未来に対し、可能な限り希望を持てるものとは何なのか。――それは当然、一種の保証である。
俺と当主は二人で視線をぶつけ合い、無言の空間に確かな重圧を発生させた。
神に頼むとなれば、その代償は大きい。そして、目の前の男はどんな代償であったとしても払うつもりだ。
ならばと、見つめあったまま口を開けた。
『協力自体は吝かではない。 お前の望みを叶えるかどうかはさておき、現王達を排除することは貧民街の面々を救済する上では避けられないことだ』
「ではッ」
『ただし、お前にはそれ相応の対価を支払ってもらう』
「勿論でございます。 神の力添えを受けるとなれば、如何なる対価も惜しくはありません」
当主はその場で跪き、隣に座っていたバルジもまた膝を折った。仰ぎ見られる感覚をむず痒く感じながらも、今思い付いた対価を口にする。
『これから先、異形の怪物達がこの国を飲み込まんと動く。 現王達の兵では止めることは出来ず、止められるだけの兵力を用意するのは至難だ。 故に、お前は国を守る為の戦力を集めよ』
「――良いのですか。 その程度の内容で」
『命や財貨に興味は無い。 私が求めるのは完全なる勝利。 辛勝で終わらせるつもりなど一切無い。 それは我が友である剣神ノルンも一緒だろうよ』
最後に適当に聖書に出てくる神の名前を添えれば、目に見えて当主の顔色が変わる。
床に擦り付ける勢いで頭を下げるヌシライ家の面々を見て、取り敢えず戦力の問題は解決するかと内心で息を吐いた。




