最終章:見知らぬ訪問者
日々の仕事を熟していくと、少しずつ見慣れた光景に変化が生じるようになった。
壊れた家屋を最低限生活出来るだけ修理し、食べ物を毎日満腹になるまで食べたことで骨と皮からは既に無縁となっている。リューを始めとした自警団の面々によって犯罪数は低下の一途を辿り、この街に巣食っている麻薬組織は滅ぼした。報復の余裕すらない程に追い詰めに追い詰めたことで首謀者達は騎士団に捕縛され、それを成したリュー達に騎士団長から直々に褒賞として金貨百枚を貰っている。
その全てを俺に渡そうとしていたが、断固として受け取らずにリューに任せた。
金貨百枚を何に使うかは自警団の中で決めれば良い。俺は麻薬組織が栽培していた原材料を雷で燃やし尽くしたが、組織内の人間を倒し切ったのはリュー達だ。
それに俺に金を渡したところで何の意味も無い。全てを貧民街の復興に使われるだけで、リュー達に何の利益も生むことはないのである。
であるならば、リュー達が好きに使えば良いというのが俺の結論だ。
「貧民街の区画も随分住み易くなったね。 建物を少し綺麗にしただけでも大分様変わりだ。 最近は平民向けの商人達も此方に顔を出すようになってきたし、漸くお金の流れに自然と混ざれたかな」
「貴族達もいよいよ此方に顔を向け始めた。 今頃は何が起こっているのかと調べている頃だろうな」
貧民街が貧民街だと言われている理由は、街が不衛生であることと住人達が骨と皮ばかりの薄汚れた状態で放置されていることだ。犯罪の温床であることから誰も入りたがらず、入ってしまえば待っているのは死のみ。
死の雰囲気が濃く染み込んだ街は暗く、希望的なものなど何一つとして存在してはいなかった。
だからこそ、それを改善すれば嫌でも人々は貧民街を見てしまう。暗い雰囲気が徐々に消えていき、人々の顔には明るさが取り戻され、ゆっくりとだが街の状態も綺麗になっていく。
貧民街に大工が居たのは僥倖だった。彼等に資金の一部と材料を渡せば、酷く嬉し気に修理をしてくれたものである。
畑も存外上手くいき、野菜に関してはかなりの部分が解決された。勿論需要に全て応えた形ではないので畑の拡張は必須であるが、一度成功すれば後は真似をするだけで野菜は解決する。
余りが出ればこれを市場にも販売するつもりだ。その金銭は全て育てた農家の方々に送られ、好きなように使っても良いと決めてある。
とはいえ、そうなるまでに後数年は必要だ。農家達もそれは承知の上で、それでも嬉し気に作業をしてくれていた。
状況が良くなっていけば、自然と外の人間も意識を向けてしまう。
商人は貧民街が改善されていく状況を見て、目敏く商売を始めた。今はまだ露店商か行商人のみであるが、このまま状況が改善に進んでいけば店を開こうとする人間も出てくるかもしれない。
商人達の存在は貴重だ。相手は此方が金を持っていないことを承知の上で一つあたりの単価の安い植物の種や木製の農具を販売していて、その殆どを此方が買い占めている。
買い占めれば、商人達も喜んで次の商品を売る為に四方八方に足を運ぶ。彼等の活動そのものが経済活動と呼んで差し障りなく、故に出来る限りは友好的な関係を築いている真っ最中だ。
そして、少数であろうとも商人が貧民街で販売しているのであれば、何処かの貴族が貧民街の現在を知ったとしても不思議ではない。
最近は平民の服装を身に纏った騎士達が入り込むことが多く、貧民街の住人達にこの状況が発生した原因を聞いている。
俺の存在については話さないように言い含めてはいるものの、何れ漏れてしまうのは間違いない。
既にナルセ家が此方と接触していることは知っているようで、貴族達が担当者であるシャーラに話を聞くことが増えていると最近は愚痴を吐いていた。
鉱石類の入手もその貧民街の住人が関係していると見ているそうだが、彼等の金に関する嗅覚には一種の感嘆を覚える。
勿論良い意味ではない。このまま全てを知られてしまえば、彼等は権力を振り翳して鉱山地帯からもっと多くの鉱石を掘らせようとするだろう。
大量の石を運ぶのはどれだけ鍛えても辛いものだ。それを何の力も無い住人にさせようとするのであれば、相応の道具と賃金が必要となってくる。
支払い能力を貴族に求めるのは当然で、されど貴族達は平民達に賃金をあまり多く払いはしないだろう。したところで、その額は割には合わない筈だ。
であれば、貴族が視線を向ける現在の状況は決して良いとは言えない。何か別の出来事が発生してくれれば良いものの、外獣の被害を除けば明確な脅威は未だ発生していなかった。
「本当に、貴族の存在が厄介だね。 居なければ此方が自由に動けるんだけど、それじゃあ政治を行えないし。 かといって居たら居たで問題を起こしてばかり。 最近結婚した王妃様も金使いが荒いと評判だ」
「貴族の目から見ても、だそうだからな。 一体どれだけ血税を使ったのか皆目見当も付かない」
「まったくだね。 ……後、王の近衛の一人が最近此処ら辺を歩き回っているみたいだよ」
「初耳だな。 何処からその情報が?」
「実はその近衛が貧民街出身でね。 顔見知りが多かったから情報も多かった。 能力が特別秀でていたし、他人の心が読めるなんて特異な力を持っていたお蔭で近衛に取り立たされたんだ。 とはいえ、家格はそのままで部下からも軽んじられているみたいだけどね」
「心を読む……」
二人で近況について話をする時、時折俺の知らない妙な情報が出てくる。
この近衛についてもそうだ。読心の力を持った人間なんて俺の時代には存在しなかったし、そんな力を持っていれば幾ら口を噤んでいても俺達の存在が王に知られてしまう。
今はまだ調査の段階だから何も起きていないだけで、遠からず騎士が俺を捕まえに動くかもしれない。
雷の力は武器依存だ。俺自体には然程特別な力は無く、精強な部隊が動けば勝てるとは言い切れなくなる。そうなる前にさっさと此処から抜けた方が良いのだろうが、そうなればで資金を稼ぐ手段が限られてしまう。
最速で問題を解決するのであれば、近衛を殺してしまえば良い。如何に貧民街出身とはいえ、成り上がった人間が綺麗である筈が無い。
俺もそうだが、一度でも上を目指した時点で綺麗なままではいられなくなる。こっちは味方を売ることまでは是としていないまでも、近衛にまで登った人物であれば売りかねない。
人は自身が安全である時程他人に優しくなる。自身の足元が何時崩れるかも解らない現在の状況で、その人物が他者を慮るとはとても思えなかった。
「ザラさんも雷を操るし、もしかすれば同じ人間かもしれないね――っと、誰か来たみたいだ」
同じ人間。
まさかと思う。俺は雷を放てる理由を知っているが、この世界の中ではまだ遺産については知られていない。
だが特別な力を秘めた遺物としてなら、僅かにせよ貴族の世界に存在しても不思議ではないのは事実。あれらはどうやってかは解らずとも、奇妙な物を見つけ出す手腕は悪魔的に見事だった。
とはいえ、ナジムの話を聞く限りでは件の人物は近衛になる前から読心を持っているように感じた。
であれば、貧民街の中で偶然手にした可能性の方が高くなる。それがどんなものか理解していなくとも、立身出世に使えるのであれば使うという思考は至極当然なものだ。
考え込む俺の前にナジムが近付く。誰かが来ていたと言っていたが、その顔は酷く緊張を表に出している。
直ぐに厄介な人物が来たのだと覚った。剣を手に取り、一体誰だとナジムに尋ねる。
「噂をすれば影ってのは、案外本当みたいだね。 ――例の近衛と複数人の騎士が、僕等に話を聞きたいと来たよ」




