最終章:先祖と子孫の相違
「出てきてくれましたね。 先程から皆家に閉じ籠っていましたので」
「誠に申し訳ございません。 此処に居る面々は、大なり小なり貴族によって酷い目に合わされた者達ですので」
剣を引き抜いた護衛達を下げ、少女は軽く口を開く。
軽い言葉遣いをしているが、警戒をしていない訳ではない。突然屋根から落ちて来た人間を少女なりに警戒しているようだが、その警戒は随分と甘いもの。
暗殺者であれば護衛を下げた瞬間に刃を刺し込んでいた。例え彼女本人が大丈夫であったとしても、襲撃を受けて彼女が対応した時点で護衛の必要性は薄い。彼女は実力があると思っているから深く考えずに行動しているようだが、恨みだけで一矢報いる人間を俺は知っている。
そのままナジムは平身低頭の姿勢を維持し、少女はその姿に少々焦りながら対応していた。
彼女はどうやら正面から貧民と話した訳ではなさそうで、喋ろうとする度に視線が泳いでいる。言葉を考えながら、なるべく激昂させないように話しているのが一目瞭然だ。
それが貧民達の矜持を刺激することだと理解していないのだろう。
貧民達は現実的に哀れではあるも、前を向けない訳ではない。現在の状況がそれを許さないだけで、此方が一時的にでも救済手段を取れば次第に何かを始めようと相談することは起きていた。
彼等に向けるべき言葉は、全て本心であるべきだ。隠し事をしたいのであれば見抜かれないように話すべきで、つまりこの時点で彼女は未熟と呼ぶしかない。
自分とて完璧とは言えないが、少女程露骨ではないと思っている。
ノインは巧妙に隠すし、ネル兄様に至ってはまるで真意を口にしない。するのは必要な時だけで、それ以外は下らない会話で終始することが多いのだ。
「では、誠に役不足ではございますが私が案内を務めさせていただきます。 ……どうか、遠目に見るだけで留めてください。 護衛の皆様方もお願いします」
「解りました」
話はある程度纏まり、予定通りナジムが案内役をすることとなる。
表層よりは奥に、されど奥地には届かない程度。貧民街に住む人間からすれば中層とでも呼ぶべき場所を中心に案内を続け、荒れている風景を見る度に彼女は首を縦に振る。
現在の貧民街の状況を彼女なりに頭に叩き込んでいるのだろう。その情報を基に立て直しの計画を彼女なりに考えるのだろうが、その試みは十中八九止められる。
全てを決めるのは現ナルセ家の当主だ。勝手に行動をすれば、当主直々の叱責が飛ぶに違いない。
痩せ細った路上生活者に、合法と呼ぶには怪しい商品を売る露店商。流れる水は透明とは言い難く、貧民達が手に持つ食べ物は萎びた野菜と肉片だ。
これは日頃から敢えてそうしている。今も別の箇所では干し肉が増産され、完成した順に配っているのだ。それを貴族や役人達に覚られぬよう、わざと萎びた野菜も作っている。勿体ないが、他者を欺くには仕方のないことだ。
「畑は此処です。 街中で作ることは違法ではないので、一部建物を崩して我々が食べる分を確保しています」
「……あの、畑は此処だけですか?」
「ええ。 あまり多くを作ると役人達に奪われてしまいますので。 足りないのは承知の上ですが、それでもこれで我慢するしかないのです」
同情を引くように陰のある笑みを形作るナジム。
当然嘘である。彼は他よりも優先的に肉を食べているし、肉集めの最中で手にした野菜達も食べている。それは俺を助けた功績があるからで、そうでなければ今頃は袋叩きにあっていただろう。
だが、彼の表情を見た少女は絶句していた。
これほどまでに追い込まれていたと考えてはいなかったのだろうか。虐げられていることは理解しても、それでも生命は奪わないだろうと考えていたかもしれない。
であれば、やはり彼女は現実を見ていない。意図的に周囲が見せていなかったとするなら、教育としては論外だ。
幼い頃から現実を直視させ、その上で解決策を考えさせる。この時代であれば余計にそれが求められるだろうに、この代の当主は随分甘い扱いをしているみたいだ。
例え彼女が当主にならないとしても、知って損をすることはない。厳しい現実が彼女を叩き上げていくのだから。
「この事は父上に直ぐに報告しますッ。 どれだけのことが出来るかは解りませんが、父上であれば食料の手配等は出来ると思います」
「有難い御言葉でございます。 ……ですが、そのような事をしては他の貴族に睨まれてしまうのではないでしょうか」
「知ったことではありません。 元よりあれらは貴族以外を家畜のように考えています。 であれば、その家畜に手を差し伸ばしたとしても物好きだと笑われるだけでしょう」
「ッ、シャーラ様! それでは御自身の婚約に影響が……!」
「人を人とも思わないような人間と婚約するつもりはありません。 あちらは強引に話を進めてきましたが、父上と共に断固として断るつもりです。 例え相手の家が侯爵であったとしても、性格が最悪なら願い下げよ」
考えは甘い。しかし、芯は硬い。
そう簡単に折れない心の強さを持ち、武にも力を入れている。俺の居た時代の貴族達にも見せたい程、彼女は確かな輝きを放っていた。
彼女ならばと、そう思う人間はきっと少なくない。彼女に付き従い、彼女が描く未来を見たいと思う人間もこれから多く出てくるだろう。護衛達も彼女のその決意に見惚れているようだし、貴族が相手でなければ十分に心酔させる力がある。
足りない部分は他の人間が補えば良い。まだまだ彼女は学べるであろうし、ナルセの更なる発展に目の前の人物はきっと欠かせない。
その心根は尊敬すべきものだ。――そして、そんな心根がどうして次代に受け継がれなかったのかと悔やむ。
何時か何処かで何かが起きて、彼女のような人間がナルセ家から居なくなった。そして残された面々が騎士としての結果だけを求めるようになり、最終的に冷めた生活をするようになったのだ。
「――申し訳無いのですが、それは勘弁願います」
ずっと隠れるつもりだったが、このような言葉を聞いてしまった以上は出なければ不誠実だ。
突然の俺の登場にナジムは驚き、シャーラと呼ばれた少女と護衛達は一斉に剣に手を添える。完全に背後を取った形での登場だからこそだが、最初から殺すつもりであれば態々声を掛けるつもりはないと彼女達なら直ぐに察する筈だ。
「貴方……貧民街の人達とは違うわね?」
「ええ、ただの流れ者です。 そこのナジムさんに助けられまして、暫く此方で厄介になっていました」
怪しまれない程度に顔に真剣味を含め、両手を挙げる。
なるべく危害を加えるつもりがないことを告げ、同時にナジムと同様に平身低頭にはならないことを言外に伝えた。
彼女の肩眉が一瞬だけ跳ねるも、その程度。非礼に対して一々腹を立てないあたり、他からも酷い言葉を投げ掛けられていたのだろうと推測を立てた。
「そうでしたか。 私はシャーラ・ナルセ。 ナルセ家の長女で御座います」
「そちらの話は先程まで聞いておりました。 その上で意見を申しても?」
「構いません。 なるべく多くの意見を私は聞きたいと思っています」
「ありがとうございます。 では、失礼しまして」
先ず最初にだが、一旦彼女はこのまま実家に帰った方が良い。
今後の予定を決めるにせよ、話し合いの場を一度設けねば始まるものも始まらない。貧民街に明確な長が居る訳ではないのでそれはこれから決めるしかないが、決まってしまえばその人物と連絡を取るだけで彼女には事足りる。
いきなり物事を始めたところで失敗するだけだ。自明の理としてそこは強く説明し、事前の根回しを慎重に行っていくべきだと言い続けた。
「貧民街の住人は私が狩ってきた動物の肉や採取した野菜で食い繋いでいますが、何時までも続けることは出来ません。 その為にも、やはりシャーラ様のような方の援助が必要となります」
「貴方が繋いでいたのですか!? ……では、雷の剣士という噂は」
「あはは、何処で漏れたかは解りませんが――確かにそれは私です」
剣を引き抜き、刀身に雷を発生させる。その瞬間に、彼女は隠しようが無い輝きを瞳に浮かべた。




