最終章:雷の尊称
身体が求めた休息期間は凡そ七日間。
最初の四日で身体を動かせる程度には治り、残りの三日で元通りに戻れるよう素振りや動作の調整を行っていた。その間にこの世界の情報を出来うる限り調べ、結果解ったことは多くはない。
先ず最初に、この国は現時点では大国ではなかった。どのくらいの国土を有しているかは不明であれど、まったく知らぬ国名が多くこの国の近くにある。
次に、冒険者者達の組織であるギルドが無い。影も形も存在せず、実力者達は自分達の足で交渉するか王宮の兵士を目指している状況だ。
そして最大の情報である王や王弟について。この国には二人の王子が存在し、片方が現在は王になっている。
王弟は王に疎まれたことで地方の領主を任され、その領地は交易所として栄えているようだ。位置を聞く限り、その土地は俺が五年程過ごしていた港街に近い。
随分と奇妙な符号ではあるものの、これ自体は偶然だろう。
それよりも問題なのは、王の治世だ。やはり本に残されていた通りに乱れているみたいで、貧民の救済など一切考えずに贅沢三昧の日々を過ごしている。
貴族達も王に倣って贅沢を常とし、資金が不足すれば国民から吸い上げている状態だ。
お蔭で貧民は常に生産され、国内は酷く弱っている。このままの状態を維持したとして、十数年後には何処かの国に飲み込まれていることだろう。
その前に外獣の大侵攻が発生し、王弟が前線の指揮官を務める。
王弟がどのような志で王を目指すかは不明だが、その人物が現代まで続く国の根幹を築くのは確かだ。
「何時もすいません。 まだ病み上がりでしょうに」
「いえいえ、助けてもらいましたから」
起きてから思っていたことだが、青年――ナジムの恰好は非常にみすぼらしい。
それはこの区画で生きる人間も同じで、俺が過ごしている此処は貧民街の中だと直ぐに察することが出来た。食料が不足し、不衛生な状態が続き、容易に明日を拝めない毎日を過ごす彼に恩返しをするにはどうすれば良いのか。
暫く悩み、結果としては一先ず彼の生活を少しは向上させることにした。
幸い武器は生きている。遺産であるが故に破損の兆候すら見えず、雷も何時も通りに発生させることが出来た。初めて発生させた際には周囲の人間からかなり恐れられたものだが、口封じも兼ねて大量に動物の肉を持ってくれば歓迎されたものである。
狙ったのは草食動物を狙う肉食動物達だ。環境を荒らす原因にもなりかねない害獣を積極的に狩り、血抜きを施してからナジムの家の裏手にある小さい広場で焼肉をしていた。
調味料は無いので味気の無い肉であるが、それでも生命線を繋げるには十分。
貧民達にも盛大に施すことで味方を増やし、情報を集める一助にもなってくれた。敵を増やすよりも味方を増やす方が難しいものであるが、貧民相手であれば欲求は解り易い。
その間に宝石の原石が取れる場所に出向き、周辺に居る外獣を駆除しながら採掘作業も行っていた。
宝石なんて俺にはなんの価値も無いが、貴族達にとってはそうではない。最近は外獣の被害によって満足に鉱石類を集めることも出来なかったようで、宝石商に売れば随分高く売れてくれた。
その金で胡椒と塩を買い、狩った動物に塗して焼けば食欲を刺激する良い匂いが周辺に流れる。これを繰り返していけば、貧民達の間に俺の噂が流れるのも自然なことだ。
「最近は皆の顔色も良くなってきました。 野菜は細々と育てている人間が居ましたが、体力不足で大した量が取れなかったんです。 今は肉を多く食べたお蔭で体力も取り戻しているみたいで、他の人達と協力して野菜を育てています」
「そうですか。 ……ですが、これは一時的な救済にしかなりません」
「――そう、ですね」
貧民の数は日に日に増している。
何か根本的な解決をしない限り、俺の行動は何の結果も生みはしない。いっそギルドでも立ち上げてみるかと考えてみたが、そもそも市井の間に資金が流れていないのである。
殆どが貴族達の間でだけ流れ、停滞しているのだ。貴族達が平民に対して報酬金を払ってくれるのであれば兎も角、現在の状況ではとてもではないが払ってくれないだろう。
寧ろ追い払えと別の人間に依頼して繰り返すだけだ。
学校もこの時代には無い。家庭教師は居るようだが、やはり貴族籍の人間が家庭教師になっている。家格の低い貴族が高位貴族と繋がる為に家庭教師をしているようで、その中に平民は当然ながら居ない。
全てが全て、貴族の為に回っている。こんな状況では国が痩せ細るのも当然な話で、あの外獣大侵攻が国の流れを変える契機になったと見るべきだ。
貴族の中で流れを変える人間が生まれなければ、国が豊かになることはない。
民は疲弊している。食料を貰っている王宮の兵士達には勝てず、数だけ居る烏合の衆と何も変わりはしない。その事実をナジムも理解し、故に苦悩している。この状況を変える一打はないものかと。
「平民や貧民に対し心を砕いてくださる領主様は居るには居ます。 しかしそのような領主様は大概の場合貴族達に嫌われやすいそうで、持っている領地も爵位も大きくはありません」
「住む場所のみを求めた場合でも大多数の貧民を連れて行けば食料不足に陥るでしょう。 となれば、やはり此処で何か行動を起こさねばならない」
元の時代に戻るのは絶望的だ。となれば、此処で生活出来る環境を自分で整えなければならない。
そして、貧民達も此処で生きるしか方法が無いのである。その為に出来ることは幾らかあるものの、俺はこの時代の法をまったく知らない。
もしも違反していれば、その時点で捕まえられてしまう。後は貴族達が生意気と判断して生産物に金を落さないようであれば、やはり貧民達の生活に変化は起きない。
厄介な時代だ。弱者は弱者のままであれと決め付けられ、彼等は死ぬ最後まで自由を求められない。
そんな生活に何の意味があるというのか。奪って奪われ、痩せ細る生命に意味があると思える筈が無いだろうに。
「この貧民街には監視の目はありますか」
「いいえ。 こんな場所を態々監視する人間は居ません。 勝手に生まれて勝手に死ぬような者達ばかりですから」
「ではもう一つ。 此処の土地は舗装されていません。 野菜を栽培している付近の家を片付け、更に土地を広げることは可能ですか」
「……奥地にある畑でしたら周辺の家は無人です。 崩すだけの力があれば、後は皆で広げることは出来るでしょう」
「解りました」
法として正しいとは思えないが、他に選択肢は無い。
せめて外獣大侵攻が起きるまでは時間を稼ぐ為に、俺は外に出て畑のある場所を目指した。俺とナジムは今では注目の的だそうで、動く度について来る人間が大勢いる。
俺は肉を大量に持ってくることで。ナジムは貧民らしからぬ知性を持つことで。
互いに居る場所が違うと皆が感じ、だからこそ僅かながらに期待を持っていた。俺達ならば何かを成してくれるのではないかと。
崩壊寸前のあばら家達の前に立つ。今にも崩れそうな家々を見て、剣を引き抜いた。
「これからこの付近にある無人の家を全て解体し、耕せる土地を広げます。 もしもよろしければ、解体した家の木材を全員で分配して冬に備える燃料にしましょう」
「空いた家なら他にもいっぱいあるぜ! そっちも崩すのか!?」
「ええ、なるべく広く畑を作りたいです。 その為にも家の下の土が良い状態かを、此処で作物を作っている方々に確かめてもらいたい」
「任せな! 私達は農家だからね、土の状態を確かめるなんて訳無いさ!!」
「お願いします」
肉を食べて元気になった者達にお願いをしてもらい、刀身に紫電を迸らせる。
威力はこの時代の中でも最大。ただし、貧民街の外には知られない程度のものに留める。身体に稲妻を流して纏い、僅かに走る痛みを感じながら十数の家の解体を始めた。
時間は有限だ。明日にも死にかねない者達が居るのだから、急がない道理が無い。
だが、その時俺の耳は拾った。誰のものか解らないし、もしかすれば幻聴だったかもしれないが――――俺のことを雷神と呼ぶその声を。




