第七部:男が去った日
「――ッ、ガフッ……」
咳き込む。
拳によって吹き飛ばされた身体は地面を転がり、容赦無く痛めつけられた。
たった一撃。壁のような拳の一撃によって複数個所が骨折し、今も激痛を訴えて止まらない。唯一生き残った右腕で回復薬を腰から引っ張り出して飲むも、その瓶以外は全て砕け散っていた。
回復速度は高い。生き残った薬剤が高級品だったお蔭で耐久性もあり、敵の一撃に耐えてくれている。
急速に治っていく感覚を抱きながら治った足で立ち上がると、巨人は誰かを追って攻撃を続けていた。その肌は時折鉄のような色に変わり、剣が当たる度に火花を散らしている。
更に全身のあらゆる箇所から針を生やし、火炎の弾や黒い穴を用いて地形を丸ごと飲み込んでは消していた。
あの死に掛けだった遺産持ちが食われたのだ。融合によって取り込まれ、付随していた遺産を今は使っている。本来であれば二人で動かしていたものを一人で動かしている辺り、最早遺産としての形は有していないのかもしれない。
完全に治った腕を数度振り、剣を持つ。
二刀の内の一つは既に折れていた。長年の相棒ではあったものの、元は普通の剣。特別なところが何も無い武器は根本から折れ、大地に転がっている。
雷剣だけは無事だ。罅も欠けも無い新品のような姿は、流石遺産と呼ぶべきだろう。
試しに足に雷を流す。その途端に何時もの数倍の痛みが襲い掛かってくるが、今はそれに呻いている時間は無い。
半ば強引に動かした身体は治ったばかりで悲鳴を訴える。その悉くを無視するも、無理を背負い続ければ何れ強制的に意識を喪失してしまう。
戻ってきた俺を見て、ノインは気遣わし気な目を向ける。
「さっき回復薬を飲んだ。 他は壊れたけどな」
「でしたら私の分を……」
「いや、自分の分は自分の為に使え。 ――何があっても、自分の命を優先するんだ」
この巨人を前に、怪我をしないと言い切ることは出来ない。
先程の拳は巨人とは思えぬ早さを持っていた。さながら人のように動き、恐らくは遺産の能力を利用して身体を向上させているのかもしれない。
だが、それは何時までもは続かないものだ。現に巨人は別の力はよく使うが、身体能力の強化は頻繁に使っていない。
反則であるからこその代償を支払っているのか、単純に機会を伺っているのか。どちらにせよ、先程までと同じ戦い方をすれば命が幾つあっても足りはしない。
一先ずと巨人の攻撃範囲に足を踏み込む。
此方に顔を向けたアーサーは剥き出しの筋肉を凄惨な笑みに変え、穴と火炎弾を用いて一斉に攻撃をし始めた。
火炎弾はあまり速くはない。避けようと思えば避けれるもので、五発分の全てが雷を必要としない。だが、安全地帯を潰すかの如く穴が大地や空中に設置されていた。
ただ避けるだけでは迷路の袋小路に迷い込むものだ。
雷を使いながら細い隙間を抜け、相手の動きを止める一手を打たねばならない。
「師匠!」
「任せてくれ!」
俺とは別方向に居る師を呼べば、即座に此方の意図を察して攻勢に出る。
他も動き、五方向からの一斉攻撃だ。火炎弾が何処まで発射出来るかは不明だが、五人分の軌道を予測することは流石に難しいだろう。
遺産の発動方法がどんなものかは解らないが、俺の雷と一緒であれば少なからず思考せねばならない。
全員分の軌道を予測し、逃げ道を潰しながら二つの遺産を行使するのは不可能に近い。だからこそ、例え四人までは通せなくても最後の一人が通ればそれで良い。
アーサーの出した結論は、広範囲への攻撃だ。
火炎弾という明確な回避方法が存在するものではなく、円形の壁という接近への拒絶を選んだ。これによって炎の能力が他よりも抜きん出ていることが解る。
身体強化は時折しか出来ず、黒い穴は武器を出さずに地形を飲み込むだけ。針もひたすら皮膚から突き出すだけで、そこから対象を追って曲がる訳ではない。硬化に至っては肌を守る程度。どれも強いと言えば強いが炎程の応用性を発揮出来ていない。
きっと巨人のままであれば全て応用せずに単純な力しか発揮出来なかっただろう。アーサーが遺産を持っていなかったと考えるのは難しく、護身の為の遺産が炎であると考えれば応用力があっても不思議ではない。
その力は巨人向けに拡大され、中々接近を許さないものになった。この壁を乗り越えるのは難しく、常人では突破は難しい。
だが、此処に集まっているのは才能の塊集団だ。
一人の天才で突破出来ずとも、二人や三人も集まれば道理を蹴り破ることも造作もない。
師を頼ったのもこの為だ。炎の壁は恐ろしいが、龍の撃破を成した人物であればこの程度の問題は些事である。その証拠に、彼は一直線に壁に向かって一太刀を入れた。
風を纏った斬撃は壁を超える程の大きさとなり、一時的に全員が飛び込めるだけの広い隙間が出来る。潜り込んだ後は生える針達をネル兄様、ノイン、ランシーンで破壊。
出来上がった道を駆け上がり、全身に雷を流す。激痛を無視して意識を落していくと、巨人の肌が硬質化していく瞬間が見えてくる。
発動する場所を起点として一定の範囲を硬化させる能力は、やはり練度不足によって全身にまでは巡らない。
俺が何処を狙うかも解っていないのに数ヶ所しか守れていないのは、元より全身硬化が出来ないからだ。――――そして、俺の狙いは硬化した肌には無い。
光にも近い速さで身体を一気に駆け巡り、上半身のある首まで到達。
此方に対して驚きを露にしている上半身に向け、剣を一閃する。ぶつかる瞬間に硬い感触が腕に襲い掛かるも、完全な硬質化にまでは至っていない。
強引に刃を通すことで肉を切断していき、その度にアーサーの焦りようは加速していく。
「再生能力は厄介! 能力達も一つ一つを相手にしていたら面倒極まりない! なら、直接本体を叩くのが道理だ!」
『ギ、サマァ――!』
肉塊の腕が俺の肩を掴む。
軋む音を立てて砕かんと力を込め、立っている場所からは針が俺の足を貫いた。アーサーは口から火球を吐き出し、顔面を逸らすことで無理矢理回避。炎が頬を舐め、それを何度も繰り返されれば重度の火傷に発展する。
だが、焦って俺だけに意識を向け過ぎた。戦闘の素人であることは丸見えで、俺に集中しているからこそ別方向から兄妹が登ってきても気付かない。
敵によって肩の骨に罅が走る。最早折れるまで後僅かとなった時、敵の両腕をノインとネル兄様が一本ずつ斬り落とす。
血を噴き出しながら舌打ちをするアーサーは断面から針を生み出し、そのままノインの左肩とネル兄様の左太腿を貫いた。
走った激痛に二人は一瞬だけ呻くも、怪我を負うのは承知の上。
今更無傷で済むものかと斬り落とした刃で顔面と心臓を同時に突き、そこで初めてアーサーは悲鳴を上げた。
痛覚が無いとはいえ、喪失感までは失えない。強大な回復能力を有していたとして、連続で致命傷を受け続ければ回復なんてしていないのと一緒だ。
更に追加で雷を剣を通して身体に流す。
俺に流せば力となる雷だが、他者に流れば死を招く一撃と化す。雷に焼かれ、心臓と頭を剣で突かれ、上半身を今にも切断されそうなアーサーに生き残る術は残されていない。
そして、余裕が無いのは此方も一緒だ。力が抜けていく感覚が増えていき、既に明確な違和感となって襲い掛かっている。
限界を超えて酷使し続けているからこそ身体は回復の為に意識を切断しようとしていて、それを強引に繋ぎ止めて力を入れている状態だ。
早く。早く。早く。
両腕で柄を握り締め、これが最後だと全力を傾ける。
僅かな可能性も残してはいけない。アーサーと呼ばれた男は今日此処で死ぬのだと――骨を断った。




