第七部:勘違い
「あ、あの。 あまりお気になさらなくとも……」
「気にしないでください……」
羞恥心に支配される俺の肩をランシーンが優しく擦る。
思っていたよりも顔は赤面してしまい、誰よりも前を歩いていた。雷神の話は実話ではあるものの、その詳細についてはあまりにも不明な点が多い存在だ。
故に架空の人間として描かれることが多く、子供は時折木の棒を持って雷神の真似事をしていたものである。
今の俺はそれと一緒だ。あまりに恥ずかしくて誰にも顔を合わせられない。きっと振り返ればネル兄様や師匠あたりは微笑ましく見ているのではないだろうか。
敵地でふざける時間は無いのだが、あの瞬間は本当に無意識で呟いていた。
普段であれば絶対にしないその行動を取ったのは何故か。自分でも解らぬ状態に困惑をしつつ、恐らくは無駄に張り切っていた所為だと強引に納得させる。
赤面した顔を落ち着かせつつ、俺達は順調に屋敷を目指す。
最初の水使いは存外弱いものだった。自身で鍛えた訳ではない筋肉は見せかけで、話している間も隙だらけ。何時でも斬れると思ったからこそ誘導を疑ったが、単に敵はまったく鍛えていなかっただけだ。
遅く、鈍く、故に死ぬ瞬間も知覚出来ていない。これまでの俺達の警戒は何であったのかと思わされる程の質の低さは溜息すら零れそうなものだが、逆に言えば所詮はその程度と気楽に構えることも出来る。
今回の敵は然程大した敵ではないのではないか。ジャミルは厄介そうに見ていたが、それは外獣に対してだけで人間に対しては重くは見ていなかったのではないか。
そんな楽観的な思考が脳を巡る。頭を振って思考を吹き飛ばそうとするも、やはり最後のギルバルトの表情が脳裏に描かれてしまう。
最後の最後まで自身の勝利を疑わず、疑似的に作られた身体で勝てると踏んでいた。
筋肉と水さえあれば負けぬ道理は無い。確実に驕っていたからこそ、現実的な末路に思考が及んでいなかった。
歩いている間にも外獣達が姿を見せる。時間稼ぎを目的とした雑魚の集団を即座に処理し、僅かに足を止めることもしない。
認識の相違は確かに俺達を蝕んでいた。
遺産持ちが露払いの役目を担っていた筈だ。実際の最大戦力が外獣である以上、油断すれば死に繋がる。
全員は未だ気を引き締めたままだが、それも何時まで続くのだろう。新たに出現する外獣達の強さもランクで言えば四か五くらいなもので、脅威とは呼べない。
壁としての役割すらも担えないのであれば、それは単に資源を浪費しているようなものだ。外獣の生死に一々気など向けないが、彼等が戦力と呼べるものを無駄遣いしていることだけは解ってしまう。
「妙、と言えば良いのでしょうか」
「妙?」
外獣を捕獲するならば弱い方が良いのは俺でも理解出来る。秘密裏に雇えた冒険者達の実力がその程度だったと考えれば、材料の質が低いのもある種当然だ。
だが、ふと違和感を覚える。放出された敵の質が低いのは、人工外獣達の餌だったのではないかと。
つまり彼等は解放されただけで、もしかすれば壁とすら認識されていないのかもしれない。この事態は偶然によるもので、向こうも大部分の餌用外獣が逃げ出すとは想定していなかった?
ギルバルトが此処に居たのは単に騒ぎを聞きつけただけで、偶然出くわしたからこそ護衛のような存在も連れていなかったと見ることも出来る。
あの戦いの結果が一瞬だったのも今思えば当然だ。あの爆発魔を見たからこそ貴族の遺産持ちは強いと判断していたが、常識的に考えて貴族は態々自身の武を磨きはしない。
最初から役目として背負わされていない限り、最低限の護身以上を求めはしないものだ。
あのギルバルトは最初から見捨てられていた。水の遺産は大事ではあるものの、勝利した後に探せば良い。俺達が遺産を大事にすることも見越し、完全な放置を決め込んでいた。
今、外獣達は一目散に山上から山下に向かって駆けている。周囲を見渡してみれば解ることだが、外獣は全員が此方を狙ってきている訳ではない。
寧ろ俺達の存在が視界に入ったからこそ、外獣達は襲ってきたのだ。つまり本当の敵は今も駆け降りる雑魚の外獣ではなく――――唐突に聞こえ始めた足音だ。
数は三。四足動物特有の足音ではなく、どちらかと言えば人間のような足音。
ただし地響きを伴う足音であり、そんな音を普通の人間が出せる筈もない。その足音の正体を確かめる為に近場にあった木々に隠れて様子を伺えば、外獣を追い掛けていた三体の巨人が目に入る。
腰布を纏っただけの一つ目の巨人。遥か巨大な身体を緩慢に動かし、されど一歩一歩が広い。坂の勢いも合わさり、何れ逃げている外獣を捕まえてしまうだろう。
「青い肌に、緑の一つ目? ……近似する種はサイクロプスだが、あっちは橙色の肌だぞ」
「特異個体だろうな。 何と掛け合わせているかは解らないが、あの個体は此方の情報には無い」
ネル兄様も何度も鍛錬と称して外獣を屠っている。
サイクロプスの強さはランクにして七。決して弱くはなく、かといって殊更強い訳でもない。緊急時にはその巨体に見合わぬ俊敏性で攻撃を仕掛け、奇襲を仕掛けた側が逆撃を受けることがある。
弱点は人間同様。違いが目の数と体格の違いだけなので、硬い皮膚を突破すれば心臓を一突きするだけでも十分に死に至らしめることも出来る。
これがサイクロプスの基本情報だ。他よりも強いとはいえ、この集団で協力すれば三体程度は倒せる。
問題はどの方向に特異であるのか。力なのか、俊敏性なのか、それとも皮膚の硬さなのか。一度攻撃を仕掛けない限りは判明せず、そしてこのまま山下にサイクロプス達を行かせる訳にはいかない。
「前列が囮をします。 後列が急所を突いてください」
「解った。 気を付けろよ」
「ええ。 ――ではッ」
軽くネル兄様と言葉を交わし、三人でサイクロプスを目指す。
三体の後ろに俺達は付き、その背後目掛けてナイフを投げる。猛毒が塗られたナイフは掠るだけでも甚大な影響を与えるものだが、予想に反してサイクロプスに当たったナイフは簡単に弾かれた。
金属に命中したかのような音を立ててナイフはそのまま地面に落ち、サイクロプスは此方を振り返る。俺達を視界に捉えた瞬間に敵は大口を開けていきなり走りだした。
その速度は、やはり俺の知っているサイクロプスよりも速い。大岩を思わせる圧倒的な質量が殺意を充満させて進み、片腕を振り上げている。
限界までそれを引き付け、振り下ろした瞬間に後方に下がった。
腕は轟音と共に地面に叩きつけられ、殺人的な爆発を起こす。飛んでくる石の礫を回避しつつ様子を伺うと、既にサイクロプスは次の攻撃態勢に入っていた。
「想像より早い! 全員油断するな!!」
雑魚ばかりの外獣とは目の前の個体は違う。人工外獣らしい性能ぶりに舌打ちを叩きつつも、指示を飛ばして回避重視で相手の様子を観察するに留めた。
攻撃する隙はあるにはある。恐らくそのまま剣を振れば命中するであろうが、ナイフの結果から鑑みるに並の筋力では目の前のサイクロプスの肌を突破することは出来ない。
斬鉄を成し遂げられる程の筋力があれば傷付けることは可能で、それが出来るのは後方組だけ。
俺達が出来る限り注意を引いている間に二人はサイクロプスの背後に回り、背中から首目掛けて一気に飛び跳ねる姿を視界の端で捉えた。
回転を付けて威力を底上げし、そのまま首を両断する勢いで剣を刺し込む。
絶叫を上げてサイクロプスは二体倒れ、残るは一体だけとなった。突然の状況変化に生き残ったサイクロプスは暫し動作を停止させていたが、仲間が死んだことで白目の部分を赤く充血させる。
血のような雫を流し、天に向かって嘆く様はさながら人間のようだ。そんな姿も普通のサイクロプスとは異なり、されど調べるだけの余裕は無い。
地面に拳を突き刺し、敵は鉱山地帯の一部を持ち上げた。膨張した腕の筋肉が悲鳴をあげているが、そんなことなど知らぬとばかりにサイクロプスは此方に投げ付ける。
地面の一部とはいえ、あまりにも大きさが桁違いだ。直ぐに回り込むように走り、ネル兄様と師で三角の形で取り囲んだ。
そのまま三人で一斉に襲い掛かり、直後下を向いた敵の頭部にランシーンが上から刃を突き立てる。
落下の力も加味したことで威力の増した刀身は根本までサイクロプスに埋まり、確かな手応えを彼女に与えた。




