第六部:長く遠いモノ
この戦いは互いが本気になる必要はない。
そもそも俺自身が遺産に慣れる為の戦いであり、完全な実力など出せそうもないからだ。極限状態になれば何とかなるのではないかと思う気持ちはあるが、さりとてそれはもしもの話。
現実的に見て、完全に使い熟すのは不可能だと考えるのが妥当だ。勿論ネル兄様もそこは受け入れているので、この戦いは単なるじゃれ合いで終わってしまうかもしれない。
ナルセ家同士の戦いということで、騎士団長が訓練を止めさせて多数の新人騎士を見学させている。それを了承した覚えはないものの、それで何かを閃いてくれるのであればと何も言わなかった。
ネル兄様は自身の剣がある。王宮から支給される武器ではなく、彼本来の得物だ。引き抜かれた剣に曇りは無く、太陽の光を反射して鋭い切っ先を俺に向けている。
手入れを怠っている様子は無い。触れるだけでも斬れてしまいそうな業物に、普段の武器であれば壊されてしまうかもしれないなと少々の戦慄を覚えた。
審判役はノイン。彼女は静かに興奮し、最も戦いを近くで見れる場所に陣取っている。
勝利条件は相手が降参、或いは武器を落した場合のみ。即興で行われたが故に細かいものは定まっていないが、逆にその方が俺達にとっては気楽に出来る。
少し視線を横に動かせば、王子であるハヌマーンは騎士団長の背後に居た。万が一の為ということだろうが、流石に我を忘れてしまう程熱中するつもりはない。
「こんな風に戦うのは何年振りだったか」
「最後に剣をぶつけ合ったのは私に才能が無いと言われた時です」
「もうそんな昔になるのか。 どうりでお前の姿が新鮮に見える」
「それは此方も一緒ですよ。 服装の違いなどはあるでしょが、やはり剣を構える兄様を見るのは妙に見慣れない」
一年二年なんて長さではない。五年以上も戦う姿を見せなければ、体格の変化などによって違和感の方が強くなる。
それにそもそも、俺達が模擬戦をした回数は多くはなかった。殆どの時間を鍛錬に費やし、まともな斬り合いなど記憶にある限りでは十も無いだろう。
故に、互いにとってこの戦いには過去と現在の擦り合わせという側面もある。人前では常に硬い表情をしているネル兄様は珍しく獰猛な笑みを浮かべ、その身からは確かな闘志を感じてしまう。ネル兄様は静かな人間で、騒がしさをあまり良しとはしない性格の持ち主だった。
戦いや集団行動の際にはその部分を抑えているが、本音は出来る限り静かな場所で平穏な暮らしを送りたいと考えている。それは幼い頃の付き合いで理解していたものであるし、今もその態度に変化は無い。
そんなネル兄様だからこそ、戦闘技法は基本的に受けだ。肉食動物が如くに食らいつくのではなく、敢えて受けてから対象を真正面から打ち砕く。
腕に自信がある人間程、ネル兄様の剣を受ければ絶望する。
親の欲目でも何でもなく彼は才能に溢れ、親を凌駕する唯一の素質を持っているのかもしれないのだから。
そんな相手とまともに戦おうとしても斬り負けるだけだ。ネル兄様に勝つには彼の意識の隙魔を狙わねばならず、その上で速度にも勝利しなければならない。
剣を構え、踏み出す機会を窺う。擦り足で移動しつつ、俺もネル兄様も円を描くように移動した。
音は入って来ない。他者に対して一瞬でも意識を向けた瞬間、俺は間違いなく不意の強襲を受けるだろう。受け側が攻撃を仕掛けないなんてことはないのだ。
付け入る隙があれば容赦無く攻撃する。これは別に剣士であるかどうかは関係無い。
狙うは腕か足。そこに攻撃を当て、防御されることを想定して背後を取る。視線を一ヶ所には定めず、なるべく多くの部位に視線を巡らせた。
「それでは――勝負開始!」
「……ッ!」
「――――」
先手必勝。合図の言葉と共に地面を蹴り付け、そのまま一気にネル兄様に接近する。
真正面からの突撃に対し、ネル兄様の構えは防御。切っ先を向けるのではなく、刃を下に降ろして俺の攻撃を逸らそうとする意図がありありと見えた。
最速で左腕を狙って横切りを放ち、その一撃は容易く剣に受け止められる。金属同士の不協和音が耳を傷めつけつつ、僅かに走った火花と同時に俺の剣は何の力も入っていないかの如く逸らされた。俺の力の流れを利用して最小限で攻撃を回避し、そのまま肩で突撃を行われる。
足を滑らせて突撃を回避し、背後を取って何の遠慮も掛けずに剣を下から掬い上げた。しかしその攻撃は見てもいないのに身体を僅かに横に動かすだけで避けられ、即座に回転斬りが此方に襲い掛かる。
咄嗟に剣で受け止めはしたものの、ネル兄様の剣は力強い。普通の外獣が赤子のように感じる程に重く、受け流そうと思っても流れに逆らうように逆方向に力を入れている。
一瞬の膠着状態が続き、直ぐに分が悪いと此方が下がった。
そのまま仕切り直しと剣を構えようとするも、その頃には間近にまで剣が迫る。咄嗟に切っ先を打ち上げて回避をするが、入れた力が弱い所為で時間は一瞬しか稼げない。
しかし、その一瞬でもあれば身体を強引に引き摺るように動かすことは可能だ。
距離が近いからこそ僅かな動作でも影響は大きくなる。人間は前に足を踏み出す力は強いが、横に関してはその三分の一程度になることが多い。
理不尽な軟体生物であれば兎も角、人間である以上は関節の縛りは当然ある。そこを意識して側面から攻撃を仕掛ければ、盤上の支配から逃れることは出来るのだ。
とはいえ、そんなものは初歩の初歩。最初に教育を受けるに当たって覚える心構えの一つであり、その程度で揺らぐとは微塵も考えてはいない。
横凪ぎの一撃を一切の躊躇も無く振り、その攻撃を剣の腹で受け止められる。
側面防御故に体勢は悪いものの、当人の筋力によって重厚な鉄に刃物を突き立てている錯覚を覚えた。前面の防御も強く、側面の防御も強い。
残る死角は背後や上だが、そう安々と突破は許してくれないだろう。
「あの頃とは見違えるような動きだ。 やっぱりお前には才能があるよ」
「それはあの家で受け入れてもらえるような才能ではありませんでしたけれどね」
「……どんなものであれ、お前の才能は誇って良いものだ。 ナルセの家とも師のものとも異なるお前の我流の剣技は、受けていて心を沸き立たせてくれる」
「一度も焦った表情をしていない兄様にそう言われても説得力がありませんよ」
「なら焦らせてみせろ。 窮地において進化する才――それを全開で燃やしてなッ!」
語り合った刹那、何時の間にかネル兄様は俺の背後を取っていた。
どうして、何故。そんな言葉が一瞬だけ脳裏を過り、それでも身体は回避を行う為に順当に動く。人間の限界を超えたような動きに心からの戦慄を覚えつつ、転がりながら振り下ろしの一撃を避けた。
降ろされた一撃は深々と地面に刺さり、一切の躊躇をしていなかったことが伺える。俺が必ず回避してくれることを信じて、ネル兄様は絶命の一撃を放ったのだ。
試しの場であるにも関わらず、実に容赦が無い。これが他の騎士団員相手であれば確実に死んでいただろうに、そんなことを文句と一緒に言い放てばお前だけだと返って来る未来が容易く想像出来る。
まったく――――実に嬉しいものだ。
信じてくれるから、此方も信じられる。俺とネル兄様の関係を確かなものとしてくれる戦いに胸が高鳴り、身に宿る力が更に更にと引き出されていく。
もっと、もっとだ。あの男に認めてもらい続ける為に、己は最強を目指さなければならぬ。
腰に差していた雷剣を引き抜く。俺の想いに呼応して振ってもいないのに紫電を放ち、刀身を陽の光が如くに照らし出していた。




