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騎士の約束

 この街における最も高い建造物。

 他と比べると細く、灰と黒の煉瓦造りの塔の頂点には灰色の鐘があった。

 普段であれば時間を知らせるだけの役割しか存在しない鐘は、今だけは騒々しく鳴り響いている。

 その音が示すのは異常の二文字。緊急事態故に避難しろという合図の音に、早朝から聞いていた人々は何も持たずに足早に逃げていく。

 同時に、ギルド内部には普段では見られない程の冒険者が居た。

 ならず者、身分を隠した者、極めて常人に近い者、それらを僅かなりとも超えた実力者。

 全てが全て、普段の笑みを消し去って眼前の支配者の言葉を頭に叩き込んでいる。その風景を見ていれば彼等が常人とは違う感性の人間だと理解する事が出来るが、冒険者達を見ていた職員達の表情は芳しくない。

 

 ギルドの支配者――オーナーとされる人物もその気持ちは一緒だ。

 今回偶然にも発見された敵生体はギルド本部の人間との緊急の会議によってランク八が設定され、とてもではないがそれよりも下位の人間に勝てる道理が見つからない。

 今此処に居る冒険者のランクは最高で六。つまりは、ランク八の冒険者を呼ぶ事に失敗している。

 件の冒険者達を保有する街は港街の利益を理解しつつも、その外獣が自分達の街に突如として進路を変えるのではないかと危惧してまったく派遣してくれなかった。

 どれだけの見返りを提示しても、命は惜しいと首を縦に振ってくれなかったのである。

 そうなれば最早自分達の街は自分達で守る他に無く、されども現状において勝てる手立ては皆無だった。


「諸君、対象に関する情報は僅かしかない。 君達に送った書面が全てだ」


 オーナーの言葉に書面を見ていた面々はあまりにも情報の薄さに絶句する。

 そこにあるのは一つの絵と、目測による大きさだけ。ヤドカリを彷彿とさせる苔生した歪な円形の殻に、それを持ち上げる紫色の身体。特徴は他の部位と比較して最も大きい鋏だろう。

 家一軒を丸ごと両断する右腕と、鋏の片側しかない左腕。どちらも対象を切断する事に特化し、足は左右で合わせて六つ存在している。

 紛れも無く相手は甲殻類だ。だが、調査隊が帰って来れなかった時点で通常の種と同列に考えるのは愚かの極み。

 予測を立て続けながら現場の中で最適化させていくしかない。冒険者達の一致した結論はしかし、あまりにも厳しいものだ。

 

「鐘の音……。 緊急避難の合図ッ!」


「奴が此処に来たと思う?」


「確率は高いでしょう。 ナノ様、先ずは貴方様に避難していただきます」


「待って、あなたはどうするつもり」


 宿の一室。

 今も騒々しい外の音を聞きながら、ザラは装備を整える。

 第一優先はナノを含めた街の住人の保護。次点で件の外獣の撃破。頭の中で想定した二つの優先事項によって彼の身体は動き、次に持っていた保存食を無理矢理口の中に収めた。

 貴族であるナノの前でその行動は、失礼にも程があるのだが、今は緊急時。我慢してもらって無我夢中で食べ、腹を満たした後に強引にナノを横抱きにして窓から飛び出した。

 今は一瞬でも早く避難場所にまで彼女を運ぶ必要がある。

 ナノは貴族だ。運動をしていれば別であるが、ザラが見ていた限りにおいて運動が出来るようにはとても見えなかった。

 

 勿論、運動不足という程でもない。

 所謂最低限にしか運動をしておらず、そのまま避難をし続ける平民達の波に突撃すれば転んだ拍子に踏み潰されるだろう。

 幸いと言うべきか、ギルドの職員と思わしき面々が避難を促している。

 その方向は海。そして、現在海には数隻の船が準備を進めていた。叩き起こされた船員達が瞼を擦りながら準備を進め、外しておいた橋の近くには既に夥しい程の民衆が怒号混じりに待ち続けている。

 だが、港街に居る者全員が乗れるだけの数が揃っていない。冒険者を抜いたとしても、それでも何十万も存在する住民を乗せれるだけの船などこの街は保有していないのだ。

 それでも乗せねばならない。例え途中で転覆するのだとしても、それでも生きたければ船に乗る他にないのだ。


「……まだ船に人は乗っていない。 これなら大丈夫そうですよ!」


「大丈夫な訳無いでしょ! ねぇ、あなたはどうするのよ!!」


「少しでも時間を稼ぎます。 まぁ、ランク一ですので何が出来るかも解りませんが」


 屋根の上に降り立つザラの言葉にナノはギルドの冒険者達のように絶句した。

 時間を稼ぐ。ランク一がランク八相当の存在の足を止める方法など、命を捨てるくらいしかない。

 そして、命を捨てて特攻したとしても相手はまったく困らないだろう。人類側が決定したランク制度だが、ルールの厳しさは貴族であれば常識として把握している程厳正だ。

 この八という数字に間違いは無い。ならば、そんな相手と戦おうとする人間は蛮勇が過ぎている。

 

「馬鹿でしょ! ランク一程度しかないあなたに何が出来るの!! ……私と一緒に船に乗りなさいよ。 その方が現実的だわ」


「……まぁ、現実的に考えるのならばそうなんでしょうね。 私もその辺は理解しているつもりです。 ――ですが、そういう訳にはいかないんです」


「そういう訳って……ッ!?」


 ナノはザラという人間の顔を、その時初めて見た。

 外套に隠された幼い顔。鈍い金髪に、黒い瞳を持った少年の相貌は彼女が想像していた以上に幼かった。

 それこそ大人が守らなければならない程に。自分が何故、こんな年下の少年に頼っていたのだろうと考え直してしまう程に。

 あまりにも幼過ぎる相貌は、けれども今は燃えていた。

 その目にあるのは純粋な憤怒か、他者を護る義憤か。ナノには彼の目の真意を理解出来ない。

 しかし、その目だけは少年の輝きではなかった。飽くなき何かを瞳に閉じ込めた、暗黒が如き闇の炎だったのだ。

 それを恐ろしいと、彼女は思う。

 ザラが恐ろしいのではない。少年がそうなってしまった環境に彼女は恐怖を覚えた。

 彼女の家は愚かな家だ。だが、全てが愚かだったという訳では無い。

 

 買いたい物は何でも買えた。食べたい物は幾らでも食べられた。貴族としては当たり前であれども、こうして平民になったからこそ思う贅沢を、以前よりも強く知ることが出来たのだ。

 だから、彼女は何も諦めてはいない。段階を踏んで、或いは飛び越えてあの家に復讐する。

 その意義は一瞬も揺らいではいないし、これからも揺らがない。必要に迫られれば、自身の純潔すら散らすことも厭わないと彼女は覚悟している。

 これを決めたのは全て自分だ。――だが、そんなモノを超えた何かを彼は抱えている。

 抱え、抑え付け、暴れないように常に手綱を握っているのだ。解放すればどうなるかも解らない衝動を胸に、彼は日々を生きている。


「このまま住民達の中間くらいの場所に降ろします。 ……後は、ご自身の足で乗船してください」


「――解った、解ったわよ。 どうせどれだけ言葉を重ねても無理矢理乗せるつもりだったのでしょう。 でも、一つだけ約束しなさい」


 五体満足でなくとも、無事に生きて顔を見せろ。

 その言葉に、今まで船を見ていたザラは初めてナノに顔を向けた。その顔は驚きに包まれ、暫くすると苦笑へと変わっていく。

 無謀な約束だ。決して結べる筈も無い。兄も妹も、この言葉を聞いて結ぼうとは考えないだろう。

 乗船口に近い路地裏に降りる。ナノを立たせ、真っ直ぐと彼女の目を見据えた。

 約束を守らなければ絶対に動かないと告げる紅玉の眼差しに、彼は姿勢を正した。

 騎士の約束は至上の約束。破る事は死を意味し、故に無謀な約束は慎むべき。

 幼い頃に父親に言われた言葉が頭に過る。それは確かにその通りで、蛮勇を誘発させるような約束はするべきではないのだろう。

 

「――ナノ・ベルモンド様、貴方様の約束は必ず」


 胸に手を当てて、彼女の前で跪く姿にナノは直ぐにそれが騎士の約束だと解った。


「お願い。 我儘だと解っていても、それでも願わずにはいられないの」


 此処は路地裏。儀礼的な場所でも何でも無く、この約束も所詮は口約束だ。

 大多数の人間が見守る中での明確な契約となっていない以上は、破ったとしても何の問題にならない。

 だが、そうではないのだ。今この瞬間において、彼と彼女は互いに契約を知る者。

 それだけで良い。傷付けてほしくないと思った同士が約束を結んだのならば、それで十分なのである。

 

「だから、生きて」


「――解りました」


 その言葉と同時に立ち上がる。

 物語において、騎士には姫が付き物だ。同時に、騎士には危機が付き物ではある。

 最後の言葉に合わせ、二人は離れた。残りの言葉は一切不要。

 これにて約束は交わされたのだと、ザラは全力で船とは反対方向に進んだ。

 騎士としての己を願った。剣の強さを求めた。誰にも負けない、誰とも解らない天下無双の背中を追いかけ続けた。

 それだけでは足りないのだ。自分を追い込む為に、今こそ他の燃料を注ぎ込め。

 ――――その時にこそ、()は強くなる。

 地獄の釜へと自分から進む彼の顔は、狂喜に彩られていた。

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