第六部:偽りを選ぶか、真を選ぶか
ハヌマーンの言葉に対する父の言葉は、保留というものだった。
俺を消すのか消さないのかを再度母と話し合い、最終的な採決を再度この場で通達する。これはハヌマーン自身も望んだ通達だったので王族が絡むこととなり、話は何れ王や他の王子達にまで及ぶだろう。
出て行った父の扉を眺め、今後の未来を果たしてどうするべきかと悩ませる。
ハヌマーンもナノも、兄妹達も俺が此処から居なくなることを是としていない。何としてでも残ってほしいと願っているが故に、現在の状況を利用しない手は無いだろう。
新しく今後を通達するとしたならば、本来残らねばならない。再度逃げれば素直に父達は消すことを選択するであろうし、今度は王族とて容赦はするまい。
ハヌマーン達が必死になって探したとしても、発見されれば処刑は確実。逃げることがどれだけ彼等に負担を掛けるのかと思うと、大人しく姿を消すことは出来ない。
「……ザラ殿、と呼んでも良いか」
「……」
ハヌマーンの声に、静かに振り返る。
最早外套は意味が無い。今更隠したところでどうしようもなく、隠すべき相手も居ない状態だ。
不安気な目が俺を見る。どのように呼ぶかなんて好きにすれば良いのに、ハヌマーンは一々此方に尋ねてくる。そんな姿に何処か微笑ましさを覚えつつ、俺は素直に首肯した。
それだけで彼は喜びを露にするが、もう一方であるナノは不機嫌だ。
理由は解っている。本当ならば張り手の一つでも放ちたいのだろうと確信しつつ、しかしそんな真似をしてしまえば自分はどうなのかと思わねばならなくなる。
だが、俺は彼等達に対して最大まで頭を下げた。こんな程度で足りるとは思えなくとも、今出来る最大の感謝はしなくてはならないと思って。
「この度は大変お手数をお掛けしました」
「気にするな。 ……あのような父親相手であれば逃げるのも納得だ。 自身の息子や娘を道具にしか思わぬ親を、私は親だとは断じて認めない」
「ですが、その所為でナルセ家を敵に回すことになります」
「構うものか。 裁くべきは裁き、受け入れるべきは受け入れる。 ――それに、跡取り達も随分と父親に対して敵意を露にしていたな」
ハヌマーンの目は横に動き、俺の背後に下がった兄妹二人を見やる。
「やはり、お前達にとっても親は敵か」
「勿論で御座います。 我々一同、あの男を父だと認識するつもりはありません」
俺達兄妹と両親達の間には、最早埋められぬ溝が出来てしまった。
出来ることならば家族一同平和であってほしかったが、兄妹にとっては俺も家族の一員なのだ。特にノインに関しては昔から俺に懐いていて、結婚相手を選ぶにしても俺のような性格の持ち主を望んでいた。
だから、こうなってしまうのはある意味必然だったのかもしれない。長い長い逃走の果てに、俺は漸く元の名前を別の誰かから聞くようになるのだ。
そして、俺の本当の身分を知った二人はますます此方を逃がさないだろう。
信頼は崩れず、信用は失われず、逆に離れるだけの口実が見事に潰れただけだった。
現在も貴族ではあるものの、俺が正式に実家の苗字を口に出せるようになれば周囲も驚愕するだろう。最初は信じてくれないだろうが、家族の誰もが否定しなければ何れ真実だと信じざるをえなくなる。
真偽不明な噂でも、それを否定せずに放置すれば真実になる。追求する人間が居ない以上、俺がナルセの人間だと発覚するまでの時間は僅かだ。
「よし、これからはザラ殿はナルセを名乗れ。 兄妹達も今までのフリをせずとも良いぞ」
「解りました。 お気遣いに感謝致します」
「兄様!」
ハヌマーンの気遣いに感謝していると、背中から声と共に抱き着く人間が居る。
言わずもがなノインだが、彼女は先程までの険吞な雰囲気を消して喜びを全開まで表に出していた。例え妹でも年頃の女性に抱き着かれた経験など無く、久方振りに不穏なものとは無縁の焦りを覚える。
王子の手前、無邪気に甘えるなど論外だ。そういった真似は後にしろと言うものの、当の本人に守るつもりは一切ありはしなかった。
うなじ辺りに顔を埋めて過剰に密着する様は恋人に接するかのようで、一度でもそんな真似をされれば勘違いする男も出てくるだろう。
彼女が誰に対してもそんな真似をするとは思っていないが、かといって今後の彼女の行動に心配になる。
今後は家族関係について下手に隠し事をしなくて良いのだ。甘えるのも自由となった彼女の行動がどうなるか、なんという心配になるのも当然だろう。
ネル兄様は苦笑するだけ。何時も静かな相貌を見せているだけに、気を抜いているのは確かだ。
そんな二人の様を見ていると、俺まで口元が綻んでしまう。王宮の中で笑うことはあるにはあったが、ここまで胸が温かくなることはあまりなかった。
「良い笑顔ではないか。 外套で隠すよりも其方の顔を見せた方が味方も増やし易いぞ?」
「ご冗談を。 私は口下手ですので味方など増えませんよ」
「なに、世の中には顔の良さだけで王になった人間も居ると言う。 ザラ殿の顔も十分に整っているとも」
変な持ち上げ方だ。
苦笑すると、朗らかな笑みをハヌマーンは返す。ナノは溜息を零しながら結局は笑みを見せ、この場は少なくとも悪い方向へ動くことは無かった。
そのまま暫く家出をする前の出来事を語り、全員で紅茶を楽しむ。
王族とお茶を共にするなど本来なら有り得ないが、彼にとっては寧ろ王族故にお茶の相手を選ばねばならないとする慣習が気に食わないそうだ。
何があるか解らない王宮だからこそのものだと理解はしても、何の含みもない世間話はしたいもの。
女であるとか男であるとかなどは一切関係無く、彼は純粋に誰かと過ごせる時間を大切にしていた。
「この件でナルセ卿は動くだろう。 それが味方としてか、敵としてかは解らない。 幾ら王家に味方する家でも、感情を無視出来るかどうかは別問題だ」
そしてお茶の時間が終われば今後についての話し合いになる。
突然の情報ばかりではあったが、ハヌマーンは既にそれを織り込んだ話を始めている。とはいえナルセ家がどのように動くのかは依然として予測は出来ず、例え王家の事情があったとしても敵になる可能性はあるとのこと。
これは誰しもが頷ける話であり、もしも敵になった場合は家族の中でまともに対応出来る人間は居ない。襲われれば壊滅は必定ではあるものの、ならばとノインは口は開いた。
「事前にヴァルツ殿を呼んであります。 彼ならば父に対抗は出来るかと」
「ヴァルツ殿? 彼の剣聖をどうして呼べたのだ」
「どうしてと言われれば、私達の師はあの方ですので」
ナルセ家は王家を守る剣でなければならない。
その為、求められる力量も多くなる。それを叶えようとするのであれば、師の水準も高くなるのは道理。
師は貴族粛清の折に秘密裏に協力していたが、結局は表に出てくることはなかった。本人はこの程度で認めてくれるような家ではないと言っていたものの、同時にまだ大きな戦いがあるだろうとも語っている。
それに父が敵として参戦すれば、戦えるのは必然的に師だけだ。外獣の中でも最高峰である龍を討伐した男だからこそ、その頼り甲斐は並ではない。
圧倒的な安心感を与える相手の参戦にあのナノですら安堵の表情を浮かべるも、問題は他にも多くある。
「よし、ナルセ卿については大きな問題にはなり得ないな。 では次に、最近になって目立つようになった貴族達の動きだ」
大きな動き。それが貴族達の最後の反抗なのか、新しい攻撃なのか。
始まりつつある激戦の予感に、どうしようもなく胸がざわつき始めた。




