第六部:父よ
ハヌマーンは荒れた。
今までの冷静な彼は何処に行ったのかと言わんばかりに荒れ狂い、絶対に行くなと強く命令した。
ナノも久方振りに強い口調で俺を止めていたし、アンヌも口には出さないものの複雑な眼差しを送っていたのである。それだけ俺の存在が彼等にも大きかったのだと認識出来たが、かといってそれをそのまま受け取る訳にはいかない。
ハヌマーンにも説明した通り、俺は酷く不審を呼び込みやすい人間だ。明確な過去を語ろうとせず、身分は常に不安定。
冒険者であるだろうと誰もがそう言うかもしれないが、持っている力を加味すると冒険者であるとはとてもではないが言えない。
他者の権力とて力にはなる。俺が不味い状況に陥ればハヌマーンが助けてくれるように、現在の身分は平民以上貴族未満と表現する方がよっぽど正しい。
だから、そこに付け込まれるとハヌマーンが苦境に立たされる。俺が表立って行動してはいないものの、どうしても何かをしていると気付く人間は多いだろう。
例え噂話になる程度として、それを真に受けやすいのが彼等だ。現実的な裏付けをする人間はあまりにも少なく、適当な話題で誰かが追放されるという話も実在している。
出来る限り、貴族にとっては俺のように不正の証拠品を集める人間は嫌うだろう。
彼等が好き勝手出来なくなるし、余計な締め付けはそのまま不満に繋がる。貴族達にとって王族は恐ろしいが、同時に相手が人間である以上はやりようはあるとも認識している筈だ。
世の中には人間では太刀打ち出来ないような危険な道具もある。現に王宮内の保管庫には厳重に管理された遺産が存在し、万が一流出すれば国そのものが揺れてしまう。
王を倒すのが不可能でも、自身の領地に影響が無ければ国に大打撃を与えても良しとする勢力はきっと存在する。
故に、多少なりとて王族の傍に付け込まれ易い人間を置くのはよろしくない。
この説得は既に七回にも及んだ。毎日毎日話し合いを続けたが、ハヌマーン自身は一向に首を縦には振らないのだ。
「ならば私が父上に掛け合って正式にフェイ殿に領地を与える! これまでの活躍から考えれば男爵位についても不思議ではない筈だ!!」
「そんなことをすれば余計に彼等を刺激するだけです。 それに、例え領地を貰ったとしても付近には別の貴族も居ます。 彼等が邪魔をすれば、割を食うのは私ではなく領民。 ……私はその事実に耐え切れません」
優遇措置は顰蹙を買い易い。
圧倒的な力があればそれでも良いが、俺自身に多数の人間を倒し切る力も権力も無い。それがあるとすればナルセ家ではあるものの、力を貸してくれるのは兄妹だけだ。
そして、兄妹だけでも限界はある。人間である以上、体力の限界や倫理の邪魔の所為で倒せないなんて出来事も起きてしまうだろう。
それに俺自身が身軽に動けなくなる。領主ともなれば書類仕事や社交などやるべきことが圧倒的に増え、更には政略結婚なんて面倒なものまで付いて来てしまう。此方にとってそれは重荷にしかならないし、断じて避けるべきだ。
個人的な部分も含めて否定理由を述べていくと、ハヌマーンの眉が顰められていく。
少し考えれば解る筈だ。感情的な理由だけで物事を進めれば、必ず何処かで歪みが生じる。特に貴族への格上げなんて真似は余程理性的にやらねばならず、今回ギルドマスター達を平民から貴族にしたのも今後を考えてのものだ。
中には国の経済を回している商人の内の何人かを貴族にもしているが、それだってこれまでの功績があったから。
忘れてはいけない。俺がやった内容が功績に当て嵌まっても、まだまだそれは積まねばならぬ山だ。
「お勤めご苦労様です、兄様」
今日も今日とて言い争いを繰り返し、城下の家に戻った俺をノインが迎え入れた。
何故此処にと思いはするが、彼女は家族だ。ナノも中には居たようで、女性同士で暫くの間談笑を交わしていたらしい。
そして私室に入った俺に対し、ノインは素の表情で此方を労う。何処で彼女が聞いているのかも解らないのに、今の彼女はそんなことを忘れてしまう程に上機嫌だ。
書類作業で使うだろう重々しさのある机に湯気をあげる紅茶が置かれ、それを軽く口に含む。
実家で時折ノインが淹れてくれたミルクティーだ。好きな味に口元が緩むのを感じつつ、本日来訪した理由を視線で彼女に問い掛ける。
「ヴァルツ様が久方振りにお会いしたいとのことです」
「……そういえば、結局会えずじまいだったな」
貴族の粛清時には此方も東奔西走していた所為で、最後まで師には会えなかった。
会いたいと言ってくれるのならば勿論だと頷き、彼女も嬉し気に首を縦に振る。銀糸の髪は相変わらず綺麗で、やはり貴族令嬢にしか見えない。
これで騎士だというのだから、周りから見れば詐欺にも感じるだろう。俺や兄様にはまったく違和感が無いものの、それは長く彼女に接していたからだ。
「他には何かあったか」
「はい。 ……あの、父上が王宮に参ります」
彼女が師に会わせたいが為に直接此方に来ることはない。そんな程度であれば翌日の仕事中にでも話せば良いし、それが無理ならば手紙にして送れば良い。
だから他に何かあるのだろうと思って聞いたが、案の定彼女は表情を曇らせた。
父上が来る。ナルセ家の現当主が王様に呼ばれて参上するのだ。懐から取り出した手紙を貰い、その紙面に目を走らせる。
予定では一週間後。その時に父上が王宮に参るそうで、協力を正式に取り付けるのだろう。
まだまだ不安が多い状況であるからこその判断だが、その時には当然ながら俺も王宮に居る。鉢合う可能性が高いし、そもそもこうしてノインが来た以上は要件は予想出来る。
「会えと?」
「いいえ、違います」
彼女の言いたいことを口にしたが、それを本人は否定した。
「当日は私と兄上は会うことになるでしょう。 ですが、何とかして外に出てください。 兄様であるフェイは正体不明の冒険者だと、そのまま嘘を貫きます」
「……お前がそれを頼むということは、父上は疑っているのだな」
「私とネル兄様が時折会話をしていたのが疑念の種になってしまったようです。 申し訳御座いません」
「――いや、そもそも悪いのは俺だ。 お前が気にするようなことはない」
フェイとして接触している俺とノイン達の会話を聞いていた。
となれば、やはり何処かに誰かを潜ませていたと考えるべきだ。可能性として高いのは侍従達だが、虱潰しに彼等の背景を探れば途端に父上は正体に辿り着く。
だからノインもネル兄様も何処かへ一時的に離れてもらうことを願っているのだ。会えば荒れると解っているからで、もしも戦いになれば王宮内の備品は数多くが破壊されるだろう。
勝敗はこの際関係が無い。問題なのは他の貴族の横槍が入ってくることだ。
父上達についてはどうでも良いにしても、兄妹の家を喪失させる訳にはいかない。万が一没落するようであれば、ノインもネル兄様も悲惨な末路を送るだろう。
ハヌマーン達が助けてくれるかもしれないが、確証は無い。それに家の問題は身内だけで解決するべきだ。
「出来る限りそっちの言う通りにするが、大問題に発展しそうなら遠慮無く呼び出せ。 こんなことでノインもネル兄様も縁切りされる訳にはいかないからな」
「私は別に構いませんよ。 そうなった方が自由に過ごせるでしょうし、平民らしい暮らしには興味があります」
「あんまり良いものじゃないぞ。 お前は美人だから変な連中が来るだろうしな」
「そうなった時は兄様を頼りますよ。 兄妹の中で一番平民生活をしていたのは兄様ですから」
「まったく……」
物事を軽く考え過ぎている。だが、そんな軽い態度の彼女が今だけは有難かった。




