第六部:誠実さとは如何に
「結婚、ですか……?」
唐突な内容に思わず疑問符を浮かべてしまうが、彼女はゆっくりと頷いた。
結婚。王族と結婚。流石に驚きも許容量を超えれば冷静になってしまうのか、思考は異常な程に冴えている。
普通に考えれば絶対に避けるべきだ。俺と彼女のとの間に恋愛関係は存在せず、此処で無思慮に王女であることを世の中に表明する必要も無い。
彼女が時機を見計らってと言うかもしれないが、それでも彼女との結婚は無しだ。
貴族になるだけでも違和感が強いというのに、王族の身内になるなど忌避感すら出ている。こうなってしまえば事は俺と彼女だけの話にはならず、多くの貴族やハヌマーン達を巻き込んでしまうだろう。
異常に回る頭で叩き出した答えは絶対に否。首を左右に振ると、彼女は困ったように笑みを見せてしまう。
「私では不足だったかな?」
「いえ、そういうことではありません。 お互いに貴族社会に生きているとはいえ、それでも明確に恋情がある訳でもありません。 仮に私がお慕いしていたとしても、貴方様との結婚を周囲は認めないでしょう」
「おや、意外と冷静に話すね。 君の中では随分と驚きに欠けた内容だったかな」
「まさかです。 人間、驚きも過ぎれば冷静になるということでしょう。 ――兎に角、そのような世迷言は捨ててください」
ふざけただけだ。そう判断して告げると、彼女は手を口に当てて小さく笑い声を漏らした。
その様は女性の所作だ。男性の所作よりも違和感が少なく、女性だと解った上で見れば恐ろしい程に中性的という言葉が頭に浮かんでこない。
男性だと言われているから男性だと思い込んでいただけで、実際は彼女は女顔だった。
化粧をしているのもあるだろう。服装がドレスであるのも理由としてはある。しかして、やはり顔が女性のものでなければ何処か違和感を覚える筈だ。
何故気付かなかったのだろうか。よくよく見れば体格の違いなど瞭然だったろうに。
一先ず断りを入れ、互いに距離を取る。今が大事な時期であるのは言うまでも無く、このような話題をするだけでも誰が聞いているのかも解らない。
この部屋は特別防音措置を施されてはいない筈だ。こっそり話す程度であれば問題は無い筈だが、外の騎士に聞かれている可能性は極めて高い。
いや、この部屋に入る為には騎士の間を通過することは絶対。
王宮騎士団には真実を伝えているとすれば、騎士達が聞いても問題にはならない。ならば一番この王宮の秘密を把握しているのは、貴族ではなく騎士達だ。
彼女は一歩前に寄り、自身の指に付けられている金の指輪を外した。
片方の手で俺の手を取り、その上に指輪を乗せる。王族が臣下に褒美として宝飾品を授けることはよくある話だが、こと指輪に関しては邪推どころの話ではない。
咄嗟に指輪を返そうとしたが、その前に彼女は俺の広げた手を丸めてしまった。それが彼女の意思の強さを表していて、無理に返すことに躊躇を覚えてしまう。
「本当は君を私の騎士にするつもりだった。 その為にハヌマーンに手を貸したんだ」
「弟への情ではないのですか?」
「勿論それもある。 厳しい状況の弟を助けたい気持ちはあるが、それよりも私は君を欲しいと思っていた」
目が合う。
彼女の瞳に一点の曇りも無い。僅かな戸惑いも無く、此方に本心を伝えている。
彼女は本気だ。おふざけなどでは断じて無い。――――だが、そんな目を別の誰かがしていたのを思い出す。
誰だったろうか。酷く純粋な瞳だったと思うが、その目を持った人物は此方を不安にさせていた。
彼女も一緒だ。俺を求めているのは真実だが、そこに宿っているものに不穏さを感じさせる。選択を失敗すれば即座に殺されてしまいそうな、そんな不気味さがあるのだ。
彼女が優し気な女性であることは知っている。とはいえ、それは俺が知る彼女の一側面だ。
本当の彼女を俺は知らない。そして、女性として会うことにどれだけの意味を持つのかも正確に解っていない。
だが、安易に頷けないものであるのは確かだ。
騎士の引き抜きなんて有り触れている。より好待遇であれば乗り換える人間も出てくるもので、彼女が出したのは自身。
王族の身柄なんてこれ以上無い程の代物だ。普通の貴族なら飛びついてくるだろう。
「……残念ですが、貴方様の提案を受ける訳にはいきません。 私が君主として崇めるのはハヌマーン様のみです」
「解っているよ。 私だってあの子の数少ない騎士を独占しようだなんて思ってないさ。 ただ、今の君の立場はこれまでと変わらず不安定だ」
「そうですね」
「正式な騎士ではなく、貴族の身分も名前だけ。 ハヌマーンがこれから王族の一員として生活していく以上、君の今の状態は弱点になりかねない」
忘れてはいけない。
俺は確かに内外に騎士として認知されているが、実際は王から任命された訳ではない。
王からは貴族になれと言われているので名前上は貴族であるものの、それも貴族達には疑問に感じることだろう。
何時か彼が成長する時、弱点となるのは明白だ。だからこそ、王族との繋がりを作ろうという意味も今回の結婚に含まれている。
だが、やはりそれでは彼女に得が無い。互いに何かを差し出しているのではなく、彼女が施しを与えているだけだ。
「幸いなことに君は元々平民ではない。 あのナルセの家の人間であれば結婚するには十分な血筋だ。 君の父上には私から直接話をしよう」
「――いいえ、それには及びません」
父親の身分であれば結婚をするのは不可能ではない。
ナルセ家の役割は王族の絶対的な味方。他者とは異なる役割を持っているのは歴代の王族がナルセに守られたからこそであり、故に嫁として王族を要求しても不思議な話ではない。
寧ろこれまでの歴史の中で一度でも要求しなかったのが不思議な方だ。権力欲が無いのか、単純に平等を貫こうとしたのか。
誰かに偏らないからこそ、争いに巻き込まれる頻度も他よりは少ない。
それを崩そうと彼女は話すが、そもそもの前提が違う。あの人と接点を作りたい身としては、話題に出されるだけでも勘弁願いたいのだ。
「結婚はしません。 貴方様に何の得も有りませんし、態々火種を用意する必要も無いでしょう」
「なら、このまま不安定な状態で騎士を続けるのか?」
「彼の仕事が安定するまでです。 そこまでいけば、私が居なくなっても大丈夫の筈」
「まさか」
俺の仕事は彼を王子として周囲に認知してもらうこと。
それは達成し掛けている。後は危険分子を排除し、彼の仕事が安定するのを待つだけ。それさえ済ませてしまえば、騎士団長に後を任せても問題はあるまい。
弱点となるのならば排除する。自分も含め、問題となるような芽は可能な限り取り除く。
ナノは協力者として参加しているし、そもそも貴族を捨てた訳ではない。ランシーンは単純に冒険者であるし、現時点での俺の身分も貴族兼冒険者だ。
去ると決めた時に一悶着が起きるだろう。ハヌマーンが早い段階で納得してくれれば無事に済むが、そうもいかないだろう。
俺の言葉にシャルル王女は初めて顔を曇らせた。
此方を掴む手を離し、自由となった俺は机に金の指輪を置いて部屋を退出する。
自分の終わりがどこになるのか。そろそろ本気で考えねばならないと王宮の廊下を歩く。
出来れば間に合ってほしい。余計な騒ぎなど起こらず、大人しいままで余生を過ごしてほしいと願い――けれど騒動は起きるのだろうなと確信めいた思いを抱いた。
戦いは直ぐ傍にある。それは王宮に居る限り避けられないのだ。




