第六部:結婚
事前説明の後にシャルル王子は一旦席を外した。
見せたい物を持ってくるとのことだが、それは随分と大きいものらしい。手伝いを進言したものの、やんわりと断られて本人は部屋から出て行ってしまった。
一人となった部屋の中は嫌に広く感じて、どうにも落ち着かない。彼自身の私室というのも合わさり、まるで見知らぬ女性の部屋の中で取り残された気分だ。
例えとしては不適切かもしれない。しかし、緊張はしてしまう。
王族の私室で待たされる人間はそこまで多くはないだろう。家族か信頼の置ける人間でなければ警戒するものだろうし、室内に侍従の一人でも配置しているものだ。
それだけ信じられている理由は定かではない。彼の何処に俺を信頼する理由があったのかは不明なままであり、ハヌマーン関係が信頼に繋がったとは考え難い。
もしもそうであるならば、俺達が初めて王宮に訪れた際にシャルル王子が出迎えることはなかった。
かなり初期の頃から何故か信じていて、その信頼は今回の件を経て更に蓄積されたのだろうと見るべきだ。
個人的な付き合いという意味では、俺はハヌマーンに次いで深い。とはいえ、それは他の王子と殆ど面識が無いからこそ。赤の他人という意味では比較的深いだけで、傍に置く程の信頼は無い。
暫く無駄に思考を回していると、静かな足音を耳が拾う。最近はますます音に敏感になり、虫の羽音に意識を向けられることも随分と増えた。
暗殺があった際には発見が早くなる利点があるものの、それ以外では意識して無視しなければ無数の音を拾ってしまう。
そして足音であれば、歩き方や音の大小によって年齢や性別をある程度判別することが可能だ。
この足音は小さく、そして小幅。女性特有の足音であり、貴族であれば当たり前の歩行だ。
まさか誰か来たのだろうか。こんな場所に居る所を見られては妙な勘繰りを受け兼ねないが、かといって周囲に隠れられそうな物は何一つとして存在しない。
いや、窓があるのでそこを開ければ脱出は出来る。しかし、それをする程必死にはなれなかった。
扉が開き、入って来る人物の顔を見ずに壁を見つめ続ける。聞いてくるのであればその時に顔を合わせれば良いし、人違いだと思ってくれれば勝手に退出してくれるだろう。
騎士に確認は取っている筈だが、王子がいきなり何処かに行くことだって十分にある。
しかし、件の人物は室内を歩いた。ヒールの足音はよく響き、妙に心臓に悪い。ナノもよく履いている靴だが、相手が違うだけで随分と印象も変わるものだ。
そのまま向かい合うように座っていた椅子に女性が腰掛け、そこで初めて女性の顔が俺の視界に入る。
「――――」
――一瞬、自分の頭がおかしな幻覚を見せているのではないかと悩ませた。
一房だけ縛って首に垂らしたままの金の髪に、優しく此方を見やる青の瞳。けれど顔は何処か緊張気味で、どう見ても他人とは思えぬ表情を俺に見せていた。
俺が幻覚だと思ったのは、その人物の恰好だ。青を基本色にし、白の刺し色を入れたドレスは女性らしい。胸の膨らみも確かに存在し、女性という印象を強く此方に押し付けてくる。
だが、その人物は男性だった筈だ。間違っても女性だったという事実は存在しない。
「ど、ちら様ですか」
「ふふ、君のそんな声は初めて聞いたよ。 大丈夫、同一人物さ」
「逆にそちらの方が全然大丈夫ではありませんよ!」
つい大声が出てしまったが、当の本人は小さく笑うだけだ。
第二王子シャルル・エーレンブルグ。目の前の女性は先程まで話していた人物と一緒で、その真実を隠しながらこれまで接していた。
何故隠していたのか。どうして今この段階で本当の姿を見せたのか。
質問は湧き出てくるものの、少なくとも女性と男性が二人きりの状態で良い筈がない。直ぐに出て行こうと腰を持ち上げ、されどその前にシャルル王子が口を開けた。
「私のこの姿を知っているのは一部の人間だけさ。 王と兄上と信頼出来る人間だけが知っていて、後は皆私の事を男だと思っている。 だから良からぬ噂が立つようなことは無いよ。 君が漏らさなければね」
「このような重大事を漏らすつもりは御座いません。 全て胸に仕舞っておきます」
「そうしてくれると助かるよ。 ついでに、この場合の私の身分についても説明しておこうかな」
一般的にシャルル王子の身分は第二王子だ。
貴族達はそう認識しているし、少しでも王族を知っている人間であれば同じ結論に落ち着く。それが今までの真実であるし、これからもシャルル王子が明かさない限りはそうなる。
だが、少なくとも俺は知ってしまった。彼は彼女であり、王子ではなく王女の一人であると。
第一王女シャルル・エーレンブルグ。それこそが本来の彼女の肩書きにして、正当な位置づけ。
「私が身分を隠しているのは、当時私以降に王子が存在しなかったからだ。 ……今でこそ三人も男子が居るが、私が生まれた当初は兄上と私しかいなかった」
王族に嫁いだ女性の役目は、王を支えることと次の王である男子を産むこと。
それも一人ではなく、複数人の子供を産まねばならない。一応は一人息子でも支障は無いが、複数人も存在すればいざという時に長男以外を王に据えることが出来る。
この御時勢だ。何時どんな時に子供が死ぬかは解らず、不慮の事故など有り触れていると言っても良い。
普通に生きていても運が悪ければ子供は死ぬのだ。より危険の多い王宮内であれば、予備を用意するのは必然だったろう。
しかし、二人目の子供は女だった。これでは王としての役目は遂げられず、他国との関係強化に何処かに嫁ぐ他無い。
故に長男の安全を考え、彼女は男として振る舞うことを要求された。
女性らしさを封印され、なるべく男性らしく振る舞うことを求められ、周囲には覚られぬよう日々努力する。
酷い話だ。あまりにも彼女という存在を蔑ろにしている。――特に酷いのが、他に男子が生まれたにも関わらずに彼女を女として公表しないことだ。
「その、王に進言はしないのですか?」
「……正直に言えば、もう慣れてしまった。 今更女らしさを学んでも仕様がないし、その所為で正体が露見されたら大変だ。 今、王は自分の撒いた種によって不利な立場に居る。 この状態で更に追い込む真似などさせたくないし、寧ろこのままの方が好都合でもある」
「好都合、ですか」
「女性だからこそと言うべきかな。 男性の機微というものを読み易くなるし、そのお蔭でこれまでも困った状況から脱することが出来た。 何れは公表せねばならないが、現段階で態々公表する意味は一切無い」
成程と頷く。
女性は男性の視線に敏感だと聞くが、彼女の話を聞いてみる限りでは本当なのだろう。
知覚が鋭ければ鋭い程に読み合いには長けるし、それはそのまま戦闘にも使える。剣の動きを表情から察することが出来たのならば、誘導して逆に追い込むことが可能だ。
現にそれをノインはしている。彼女は元々が技巧に寄った戦い方をしているので、知覚が鋭い程に戦いを計算出来る。
シャルル王女が何れ公表するというのならば、既に話は通してある筈だ。機会は彼女が決め、それに合わせて第一王子あたりがお膳立てをするつもりなのだろう。
彼女自身は女を捨てていない。何時までも男を貫くことを否定はしないが、やはり性別は偽らない方が良い。
偽ればそれを利用される。少しでも彼女が優位に動く為には、やはり秘密は抱え込まない方が良い。
「その、不躾な話で申し訳ないのですが……婚約者は居るのですか?」
「婚約者は居ないよ。 周りからは早く決めろとせっつかれているけど、何分性別を偽っているからね。 するとしたら兄上が即位した後になるだろうけど、その頃には適齢を過ぎているかもしれない」
確か、王の年齢は四十台だった筈だ。
第一王子は二十代に突入したばかりであったし、即位する年齢は恐らく二十の半ばか後半。シャルル王女の年齢が不明なので何とも言えないが、この国の適齢が十六から二十であることを考えると先ず恋愛結婚は難しい。
王族の時点で政略結婚になるであろうが、適齢を過ぎた以上は相手は減る。なるべく若い内に子供を産んでほしいと考える貴族連中にとって、適齢が持つ意味は非常に重い。
そして、結婚出来なかった令嬢は悪く言われる。正当な理由でも捏造された理由でも、適当に拡散されて表舞台から退場させられてしまうのだ。
残酷だが、それが貴族社会。生き残る為に食い潰し、己が生きるカードを増やす。
思わず暗い表情をしてしまった俺に、彼女は柔らかい微笑を送るだけだ。本当に辛いのは彼女の方だろうに、そんなことはおくびにも出していない。
強い女性だと、素直に思った。だが、次に彼女から出てきた言葉で単に強いだけの女性ではないのだと思わされた。
「だから、適齢を過ぎる前に君の所に嫁ぎたい。 どうだろうか?」
「……はい?」




