第六部:国家への牙
「どういうことですか!」
王宮でハヌマーンの声が響く。
扉で封鎖されているとはいえ、壁を貫通して侍従達の肩を揺らした。王宮において叫び声とはある種日常的なものであるが、それが誰のものであるかは解っていない場合が殆どだ。
謁見室において、俺達は王と謁見していた。参加者はナノと俺とハヌマーンだけ。他の人間は総じてハヌマーンの部屋で待機している状態であり、何かあれば直ぐに動けるようになっている。
王からの呼び出しは今回が初めてだ。故に、ハヌマーンも含めて全員が緊張した面持ちで挑んでいたのは間違いない。
王本人の顔が厳しいものであるのも俺達の緊張を高め、放たれた言葉にハヌマーンは憤怒を込めた声を上げた。
現在、様々な街のギルドマスターから嘆願書が届いている。その内容は総じて新王子であるハヌマーンをギルド総括の立場から退く事であり、理由についても様々なものが寄せられていた。
「職務の怠慢、理不尽な要求、秘密裏の調査による信用低下。 ……まぁ、王子に相応しくない理由がこの紙には羅列されている」
「陛下! 私はそのようなことはしておりません!!」
王子が一時的に健全化から手を引いたのを好機と察し、敵はどうやらギルドマスターそのものを動かした。
基本的な職務については継続して続けているものの、他にも仕事は無数にある。王宮に舞い込む嘆願は数多く、その全てについて様々な要請を各所に回しているのだ。
それ以外でもギルド支部がある各領土を治める貴族達と状況の確認や改善案を聞き、なるべくギルド支部に居る冒険者が市民に受け入れられるようにする。特に先の事件によって低下傾向にある現在においては、信頼回復は急務と言えるだろう。
然程傷が深くなかったのが幸いしたことで回復は容易だったが、それでも冒険者一人一人が確りと仕事をこなさなければ何も解決しない。
結局のところ、双方共に努力せねば市民は動いてくれないのである。これは酷く当たり前であるものの、しかし明確にそうだと認識するのは難しい問題だ。
そして、敵はそんなハヌマーンの状況を知りながら敢えてギルド統括ではなく王に嘆願書を送った。
理由など簡単だ。王とハヌマーンの間にはやはり未だ平民と貴族という各々の常識がある。王子達と王ならばともかく、ハヌマーンとの間に埋められないモノがあるのは事実だ。
そこを刺激するつもりなのだろう。上手く互いの関係が悪化すれば都合が良く、そのままハヌマーンを排斥させられる。
ついでに隠し子について王を批判することも可能だ。表立っては出来なくとも、影で噂すれば平民達の耳にもきっと入るだろう。
支持率低下は王にとっても不味い筈。例え王者であっても民が居なければ王にはなれない。
新しい王を擁立するつもりであれば、流石に度が超えている。ハヌマーンを蹴落とすつもりならば王を巻き込む必要は無く――故に、王者は百獣の笑みを見せ付けた。
「解っている。 これは只の悪戯のようなものだ。 小賢しい連中が考えた、賢しい振りをしただけのな」
「……そ、そうですか」
「ああ。 ……なんだ、私がこの情報を信じるとでも?」
「い、いえ! そのようなことは決してありません!!」
ハヌマーンが大人しくなったことで調子に乗ったのだ。
それが百獣の王者の怒りを買った。この家族程仲が悪いとは程遠く、生まれも常識も両者にはまったく関係無い。
何十枚も重ねられた嘆願書の束を破り、王は足元に捨てた。視線は前を向き、威嚇しているとしか思えない顔に思わず門番に預けたことを忘れて剣のある腰を触った。
強制的に服従させるなんて生易しいものではない。邪魔する者は誰であろうとも踏み潰し、絶対強者としての地位を周囲に振り撒く。
王自身を愚弄しただけだったならばこれほどに怒りを露にしなかっただろう。離れていた家族と漸く近くで過ごせると思っていたからこそ、蹴落とそうとする連中は許せない。
これで首謀者の極刑は免れなくなった。加担した人間も合わせ、粛正されるのは確実だ。
「フェイ。 調査の結果はどうか」
「――は、順調に情報は集まっております」
俺とランシーンが貴族側のギルドマスターを調べ、面白い程に共通項が見つかった。
第一にギルド支部の位置と質だ。平民側のギルドマスター達は木造を主流にしつつ、なるべく物騒な人間が出歩いても支障が出ない街の端に支部があることが多い。
出てくる人間も冒険者ばかり。極めて支部らしい形態を取り、補助の面で言えば不足が目立つ。
事件が起きた港町のギルドマスターからも周辺ギルドの情報が舞い込み、やはり平民側の支部はどうしても質が悪くなり易い。
対し、貴族側のギルドマスターが用意する支部は非常に充実している。
煉瓦で壁は作られ、扉は鉄製の物も存在。各種補助も行き届いていていることから、冒険者の数は明らかに貴族側に傾いている。
金があるからこそだが、それによって明らかな格差が生まれていた。
第二に、総じて彼等は何かを隠している。遠目からギルドマスターの帰宅行動を見守り、常に何かを警戒しながら馬車に乗り込んでいるのを確認した。
更に、ギルドマスターの中には外に職務に出ている際に路地裏から何等かのやり取りをしている所も見ている。
これは調査の協力を頼んだナナエの報告にもあったことであり、少なくとも彼等が連絡を秘密裏に取っていることは確かだ。
手紙の内容を調べてみたかったが、それをすれば敵に勘付かれる懸念が残ってしまう。
故に見に徹し、なるべく多くのギルドマスターの行動を盗み見ることに時間を費やした。
「貴族側のギルドマスター達が何かを隠しているのは確かです。 状況的に鑑みれば、やはりハヌマーン様に関連するものでしょう。 ……もしかすれば、事を起こした張本人に繋がる情報が得られるかもしれません」
「よくやってくれた。 それだけ情報があれば視察の道順も決め易い。 私は近々周辺領土に視察に向かう。 供として王子の誰かを付けようと考えていたが、ハヌマーンにするとしよう。 その手で悪人共を縛り上げるのだ」
「はッ!」
過激な発言だが、誰も否は無い。
此処で否を言えば理由次第で投獄されかねない。流石にそんな危険な真似はしたくないし、貴族達が悪人であるのは事実。
「ナノよ、お前に領土の選定を任せよう。 此度の視察、私の臣下を使うのは避けた方が良い」
「かしこまりました。 早急に決め、準備を進めさせていただきます」
「ああ、頼もう」
謁見はそれで終わり、俺達は王の居る部屋から退室する。
門番達とも距離を取った段階で三人揃って息を吐き、見合わせて笑みを浮かべてしまった。
あの王の前に立つとどうしても緊張してしまう。発言一つ、行動一つに無意識の警戒をしてしまい、気が休まることが一切無い。
畏怖。その二文字が容易く浮かび、王者の意味を無理矢理にでも理解させられてしまう。
取り敢えず、これでハヌマーンが動く理由が出来た。王からの呼び出しであれば誰も逆らえず、ハヌマーンが行動した結果だとも考えない。
間違いなく王が狙った策の一環だろうが、その流れに今は乗せてもらうつもりだ。
「思わぬ所から助けの手が入った。 父上は助けなどしないと思っていたのだが」
「それだけ家族を想っていらっしゃるのです。 ――だからこそ、我々も手を抜けません」
「勿論だ。 ナノ殿、どうか都合の良い道を考えてくれ」
「お任せください。 フェイ、付き合いなさいよ」
「解りました」
これが反撃の一歩となるのか、それとも更なる絶望への穴となるのか。
今は解らないが、やるべきことをやるまで。そうしなければ誰も納得しない結末に終わるだろう。




