第五部:少年
それは小規模な爆発だった。
机や椅子を吹き飛ばし、中心点には無数の斬撃痕が残る。だが同じ中心に居る少年は傷付かず、彼に暴力を振るおうとしていた男は露出した肌の全てに薄い切り傷を作ることとなった。
突然の事態故に、誰もが何も発しはしない。先程までは騒がしさを見せていたこのギルド内に耳に痛い程の静寂が起こり、それはギルド職員であっても変わらない状態だ。
事の流れを理解しているのは俺と起こした本人であるランシーンだけ。彼女の圧倒的な速度で男を撫で斬りし、態と注目を集める為に椅子や机を斬った。
後で賠償する必要はあるものの、効果は覿面だ。少年も床に尻を付けた状態で唖然と目の前に居るランシーンを見やり、何も言えないでいる。
そのまま暫くの間が開き、このままでは誰も何も言わないのではと思い始めた頃に彼女が口を開く。
「――騒々しい。 騒ぎたいのであれば他所でやってくれ」
刺々しさのある言葉は俺の知る彼女のものとはとても思えない。
怒気を孕ませ、過剰なまでに剣の柄を握り締め、このままでは男をそのまま切り殺してしまいそうだ。
準備をしろと言ったのは俺だが、何も言わなくても彼女は飛び出したことだろう。俺のやっている事に参加することを決めた彼女が、このような事態を見過ごす訳が無いのだ。
ランシーンの言葉に合わせ、唖然としていた男も漸く意識を元に戻した。
咄嗟に距離を取って腰に付けたナイフを取り出し、警戒心を露にする。そこに余裕なんてものは無くて、あの男も一瞬で彼女の実力を理解したのだ。
「いきなりなんだお前!」
「騒々しいと言った。 此方は依頼を終えたばかりで疲れているんだ。 少しは静かにしてくれ」
「知ったこっちゃねぇよ! そんならさっさと宿屋にでも籠れば良いだろうが!!」
彼女はああ言っているが、状況的に少年を助けようとしているのは一目瞭然だ。
それは他の人間も理解しているだろうし、少し考えれば声を荒げている男も気付く筈である。今は突然の事態に困惑しているだけで、時間を掛ければかける程に彼女の目論見は露見してしまう。
とはいえ、今回はそれで構わない。冒険者としての振舞いがあまりにも情けないからこそ今回は介入したのだから。
怒声をあげた男はそのまま一気に彼女に近付き、そのナイフを心臓に向かって振りかぶる。動作は緩慢で、速度に比重を置いていなくても避けるのは簡単だ。
彼女であれば軽く剣を振るうだけでナイフを持っている手首を斬り落とせるだろう。外道相手に容赦は無しであるが、しかし彼女は剣を使わずにナイフを持っていた方の手首を掴んで真横の壁に軽く投げ飛ばす。
大人一人分の身体を動かすには相当な筋力が必要だ。相手が痩せているとしても大の大人が苦労するだろう。
それを簡単に行えるのは、一重に対外獣を起点として鍛えているからである。
「……情けない。 大人が子供に暴力を振るうなど、普通の感性ではないぞ」
心底情けない。息を吐きながら男に冷たい目を向け、次に背後に居る少年に視線を落とす。
向けられた少年の方は肩を一瞬震わせ、不安そうにランシーンを見る。助けられた側ではあるものの、突然の事態にそちらも大分困惑しているようだ。
彼女が尻もちを付いている少年に手を伸ばしてもそれは変わらない。少年にとって彼女はよく解らない人物なのだろう。
「ほら、立ちなさい。 早く薬草を集めて納品しないと受け付けてもらえませんよ?」
「……あ! すいません!!」
彼女の言葉に漸く己の目的を思い出したのか、慌てながら彼女の手を取って立ち上がる。
そのまま周辺に散らばってしまった薬草を集め始め、彼女もそれを手伝う。そのまま薬草を集めて納品すれば終わり――とはいかないのが現実だ。
壁に叩きつけられた男が身体を痛みで震わせながらも立ち上がり、ランシーンの背中目掛けて攻撃を仕掛ける。
ナイフは無い。叩きつけられた直後に落としたのか、今は拳を固めるだけだ。
このまま観客の一人として見ていても解決はするだろうが、それでは彼女に任せきりとなってしまう。一応最初に始めると決めたのが自分である以上、手を出さない訳にはいかない。
幸いと言うべきか、男の味方はいなかった。徒党を組んでこないのであれば、制圧するのは簡単だ。
彼女の背後を狙うその男の背中に、此方は軽く殺気を叩き付ける。相手はそれを受けて動作を停止し、目を見開きながらゆっくりと此方へと振り返った。
男の視界には椅子に座りながらナイフの切っ先を向けている俺の姿が映っているだろう。
距離は離れているが、俺が垂れ流しているものを感じれば警戒しない筈もない。この殺気の所為で今度は此方に視線が集まるものの、今更気にする必要性は皆無だ。
「ランシーン。 どうだ」
「はい。 目立つ怪我はしていません。 多少頭を切っていますが、回復薬を飲ませれば直ぐに完治します」
敢えて丁寧語をせずに尋ねると、彼女は何も疑問に思わずに答える。
そのまま少年と共に俺の居る席の方に移動し、集めきった薬草はランシーンが受付の人間に渡した。
俺の隣にはおずおずと座っている少年の姿。此方が視線を向ければ少し心配になってしまいそうな程に身体を震わせ、恐怖を隠そうともしていない。
周囲に殺気を放った以上、この少年にも当然届いている。見る限りでは新米も新米のようだし、そもそもまともに戦闘をしているようにも見えない。
ナイフの一本も携帯していない姿は酷く頼りなく、誰かが護らねば容易に狩られてしまいそうだ。
彼等のような存在は世間一般で底辺冒険者と呼ばれ、主に戦えない者が多い。度胸が無い者や四肢の一部を欠損してしまった者がこの層で日夜足掻き続け、何とか冒険者としての生活を続けていた。
栄光とは正反対。惨めでひもじい思いを抱き続けながら依頼を達成し、何時か何処かの冒険者のお供になるのを望むのである。
中堅や高位の冒険者ともなれば採取依頼の質や量も遥かに高くなり、場合によっては冒険者を専属で雇う。
その中に入れれば、少なくとも数ヶ月は空腹に悩まされることも無くなるのだ。故にこの層の冒険者は居なくならないし、彼等が運んでくる薬草類によって俺達は日々危機を凌いでいる。
馬鹿にする理由など存在しない。
冒険者として、そして一人の人間として彼等の存在は必要だ。もしも居なければ最悪中堅の冒険者が採取することになり、割に合わないと収穫高は低下していくだろう。
必然、その分だけ回復薬の価値は高まる。数を必要としても資金不足に陥れば、流石に冒険を続けることは難しい。
彼等の頑張りがあってこそ、俺達は生活が出来ているのだ。だから恐怖による恭順よりも、信頼による仲間関係こそが冒険者社会を回す最大の力となる。
戻ったランシーンの手には小さな袋に入った報酬があった。その袋を少年の机の前に置き、酒場で働く給仕の一人にミルクを注文する。
「さて、先ずはこれを飲んでおけ」
「はい……って、これ回復薬ですか?」
「そうだ。 流石にそのままの状態だと飲食も難しいだろうからな。 解っているとは思うが、遠慮は不要だ」
「――解りました」
恐怖で震えてはいるものの、言葉そのものは確りしている。
彼女の芯のようなものを見たからだろうか。ゆっくりと少年は回復薬を飲み進め、傷の修復を開始した。
ランシーンが彼に与えた回復薬は中位の物。値段で言えば大量に買えないくらいには高いのだが、それを敢えて教える必要は無いだろう。
それにこれは、彼女なりの調べ方だ。何処までこの少年は冒険者としての知識を有しているのか。
結果としては、最低も最低だ。回復薬の種類もまともに看破出来ていないのであれば、もしかすると何処かで詐欺にでも会っているかもしれない。
完全に傷が塞がり、湯気をあげるミルクが少年の前に出てくる。
俺達は水を用意し、早速話を始める為に口を開いた。




