森の精
カスミ草そのものは何処にでも自生している。
とはいえ、やはり植物は植物。己にとって一番適した場所で育つのは道理であり、最短で大量に手に入れるには危険を犯す他にない。
無数の化け物達が犇めく森の中。狼や猪を殺しつつ、なるべく奥地に向かって足を向けた。
奥に行けば行く程、人が立ち入った跡が消えていく。それと同時に血の跡も見えるようになっていき、少なくない犠牲者が此処で生まれたのだろうと理解させられる。
剣は一本。これが折れれば俺も苦戦するのは避けられない。なるべく早めに目標を達成するべく、俺は単身森の中腹地点だろう場所を彷徨っていた。
内部は陽の光があまり届かず、奥に目を向ければ暗闇に閉ざされている。時折獣の唸り声が聞こえ、その声が近くで聞こえれば警戒するばかり。
昔であれば三人で行動していた。
何時如何なる時も俺達は纏まって行動していたが故に、実は一人での実践はあまりにも少ない。
されど、自信が無いということは無かった。例え一人であっても生き残って見せる。才能が無いと言われはしても、これまでの経験が嘘を吐くものではないのだから。
この森そのものは規模としては大きくは無い。かといって小さいという程でもなく、目印を付けても似たような木々が無数にある所為でまったく役に立たない。
最初から自分自身で記憶する。そうでなければ何もかもが一緒の場所を進むのは不可能だ。
生えているカスミ草を取りつつ、足は止まらず次へ向く。今の所は順調であり、この分であれば然程時間を掛けずに目標数に到達するだろう。
再度、獣の唸り声。
数は三。種別は狼。草を掻き分けて此方に突進を仕掛けるその姿は、狼というにはあまりにも巨大だ。
人間の身体を優に超えるその様。さながら巨大な馬車が突撃を行う様を視界に収めつつ、俺は中空を飛ぶ狼の下を通過する。その際に喉に剣を突き刺し、強引に縦一直線に切り裂く。
着地と同時に狼の身体からは鮮血が噴き出す。その色は青く、動物では有り得ない血液を垂れ流していた。
他の動物達とは異なる進化を遂げた動物。常識の外に居る怪物を人は外獣と呼び、常にその存在達と戦い続けている。
俺の目の前に居る狼も同じだ。灰色の毛を持ち、顔立ちそのものは狼そのものであれど、圧倒的なまでの大きさの違いが普通の狼ではないと告げている。
「先ず一」
鮮血を垂れ流す狼はそのまま横に倒れた。今も呼吸はしているが、首から尻までを一直線に切ったのだ。
内臓を垂れ流し、致命傷を負えば如何な生物でも生存は出来ない。狼が一匹死んだ事実に、他の二匹は警戒を強めた。
俺の周りを歩きながら牙を見せ、攻撃の隙を伺っている。
数そのものは多いが、この手の相手には既に慣れていた。全速力で狼に突撃し、後退する狼の顔面に向かって外した鞘を投げ付ける。
剣のみを使っていたが故に接近以外の可能性を無くしていた狼は、突然の鞘に酷く驚いた様子を見せていた。
後退していた身体を大きく飛び跳ねさせ、薄暗い森の中にその身を隠す。
その間に背後からは別の狼が迫り、爪が直撃する前に身体を傾けた。
「二」
刃に迷いは無い。
訓練通り、実戦通り、これまでの結果を狼に叩きつけるだけ。先程よりも高度の低い狼の真下に滑り込むように潜り、そのまま真横から喉を一閃する。
断ち切られた喉からは青い血が噴き出し、狼はくぐもった声を漏らしながら着地に失敗してそのまま倒れた。
剣に付着した血を振ることで吹き飛ばし、鞘を回収する。
残る一匹の視線は感じるものの、近付く気配は無い。暫くは視線の先に此方も目を向けるものの、やがて狼の方から走り去って行った。
戦闘の気配は消え去り、残るは二匹分の死体が残るばかり。
その死体から牙を引き抜こうとして、そのまま帰った後を想像して手を引いた。
俺はまだランク一。狼を撃破出来るだけの力は無いと客観的に判断される以上、下手に外獣の素材を持ち帰っては騒動の種となる。
冒険者という存在ではなくとも、人は自分よりも優れている人間を見ると嫉妬する。
それは俺も同じで、俺を見る他の冒険者も同じだ。狼の撃破そのものはランクが低くても可能であるが、俺の年齢が素材を持ち帰る事を阻害する。
これからも誰かが見る前で戦うことはしない方が良いだろう。
自分のこの力は、単純に幼い頃からの努力の結晶だ。それを過剰に卑下するつもりは無いし、過剰に持ち上げる事もしない。
俺は俺のまま、努力を怠らずに進むしかないのだ。天性の物を持たなくても生きていけるように、少なくとも師には失望されない程度の結果は残したい。
「……、……」
そう考えながらカスミ草を取っていると、耳が何かの音を拾った。
言葉と思うには聞き取れず、音楽というには短すぎる。単純な音の羅列としか言えないものを耳は掴み、そこには此方を害する気配は一切無かった。
好奇心が疼く。それが危険な行為であると解っていても、探してみたいと心が囁いている。
声はかなり近い。探そうと意識すれば直ぐに見つける事も出来るだろう。
「だ、れか……」
「――何処だ!」
今度は正確に拾った。
音としてではなく、人の声として。直後、草木を揺らす音がした。
その音の方向に駆け出し、暫く走った後に俺は見つける。大きな巨木に身体を預け、意識を喪失しかけている女性の姿を。
薄い青のドレスに似たワンピースを着込んだ彼女の胸元は切り裂かれ、確かな赤に服が染まっている。
今直ぐにでも止血をしなければ出血多量で死にかねず、慌てて腰に取り付けた回復瓶を手に掴む。
意識は僅かであれどもまだある。自分の力で飲むことは不可能ではない筈だ。
「回復薬です。 ゆっくりで良いから、少しずつ飲んでください」
「……ん」
目は開かれてはいない。血を流し過ぎた所為で白くなり過ぎた肌を見つつ、ゆっくりと飲む彼女に一先ずは安堵の息を漏らした。
回復薬のランクとしては最低だが、それでも寝ているよりは遥かに回復する。
その証拠に胸元の傷は急速に小さくなっていき、その神業的な回復速度に改めてこれを開発した人物は天才なのだろうなと思わせられる。
傷口が塞がり、他にある異常も同時に回復しただろう。見掛け上は何の怪我も無い状態となったが、だからといって後は放置なんて真似が出来る筈もない。
武器が振るえなくなるのを覚悟の上で横に持ち、全速力でもって森からの脱出を図る。
今この瞬間を狙われるのは勘弁だ。記憶を辿って目的地にまで移動し、先ずは森を出る。
入ってからはまだ時間が経過していない。中腹付近には居ると思うが、まだ比較的簡単な場所の筈。
探しながらの移動では然程距離は稼げない。それが功を奏し、出口付近にまで移動するのは然程難しくはなかった。
だが、これだけ騒々しく走り回れば注目を集めるのは確実。事実、既に無数の視線が俺に向いているのが解っているからこそ、それらを無視して出口へと一直線に走り続けていた。
やがてその出口を迎え、最後のひと踏ん張りだとそのまま飛び込むように森を抜ける。陽の光が強くなり、俺達を暖かく照らす太陽の前ではあの森で生息している生物達は生活出来ないのだろう。
視線が向いているものの、誰も攻めようとする気配が無い。逆に今入れば大量の外獣達と剣を交える必要が出てくるだろうし、今は大人しく街へ帰還するのが順当だ。
カスミ草は現在七十本程度。残りの日数でカスミ草を集める必要が出てしまったが、人命と比べれば些細なものだ。
今は先ず街に帰って休ませる必要がある。
黒色の髪を持った女性の素性も調べなければならず、場合によっては元の家まで送り届ける事もせねばならないだろう。
冒険者としての仕事ではないが、一度助けた身だ。ある程度の区切りまでは面倒を見ねば、恐らくこの女性は生きてはいけまい。
綺麗な指や服を見つつ、新しい厄介事に溜息を零した。