第四部:注意
何をするにしても消えていくものがある。
それは時間であるし、金であるし、動く者達の体力だって着実に無くなっていくものだ。バウアーとナナエに本来ならばする予定の無かった説明を行った俺はその足で王都まで走り、今度は引っ越しの準備を始めた。
王の発表については既に別の人間が行っているとのことで、そこに俺達が入る隙間は無い。一度は此方も何か準備をしなければならないのではないかと考えたが、それをしても邪魔にしかならないと結論が出た。
アンヌも今は護衛としての任を務めるだけ。唯一ハヌマーンだけが礼儀作法の練習等に時間を奪われ、俺が戻ってきた時にはもう別の勉強へと移動していた。
そうなってしまえば、俺は他にする以外選択は無い。しかし引っ越しの為に持っていく道具類も然程多くはないのだ。
精々大きい物と言えば武器くらいなもので、手入れ用の小道具等は全て一つの袋に入れてしまえる。
時間が掛かったのはナノの方だ。
服も何着かあるし、この生活の中で増えた代物もある。特に彼女の方が積極的に他者と関係を持っていた為、増えていく日用品は大いに彼女の部屋を圧迫していた。
宝石やドレスではないのは、彼等なりに配慮した結果なのだろうか。それとも単純に彼女を馬鹿にするつもりで送ったのだろうか。
何せ、貴族にとって日用品など侍従が使うような代物だ。
肌荒れ防止のクリームは冬の季節には有難いし、何も書かれていない粗い紙は手紙を送るのに使える。けれども、それを貴族達が頻繁に使うかと問われれば答えは否だ。
彼女も半ばふざけて送ったのだろうと見当を付けているが、真相は闇の中。実によく解らない行動をするものだ。
そのような私物達を馬車に詰め込み、新しい煉瓦造りの家の中に並べていく。
家は広いので掃除をするのも一苦労だ。客室は定期的に王宮在籍の侍従達が行っていたが故に、二人で掃除をしていくというのが何気に初めてなのである。
雑巾を近くの井戸で組んだ水で絞り、埃を落とす為に藁を集めた箒を振り回す。
腰を非常に使う作業ばかりだが、これも一種の鍛錬だと思えば随分と楽なものばかりだ。反対にナノの方は服装を簡素な物に変えて苦悶の声を漏らしながら掃除していた。
元貴族とは思えない姿である。その様に思わず小さく笑ってしまい、離れている彼女に睨まれてしまった。
「絶対に近い内にメイドを雇うわ……」
「お金の無駄遣いになりますよ」
「一応とはいえ貴族なのよ? なら居ない方がおかしいでしょ」
「それは……まぁそうですが……」
正論ではある。俺達は今後も家を空にすることが多くなるだろうし、その時に貴重品を置いたままにしていては強盗に取られても早くは気付けない。
それに毎日の掃除洗濯は非常に時間を取られる。急ぎの際にするとは思えないが、常に清潔を保ちたいのであればなるべく早い段階でメイドや執事のような存在を雇うべきだろう。
とはいえ、そのような存在を何処で雇うというのか。王宮に居た侍従達は総じて貴族の三女や四男だ。後継者として任命されず、しかして他所の貴族と結び付く為に彼等は働いている。
貴族という身分を持ちながら明確に平民寄りの役職を持っているのはこの仕事くらいだ。他が管理職ばかりである以上、ある意味唯一無二である。
そこの者達を雇うのは、あまり良い選択であるとは言えない。
彼等が狙うは利益や名家の血だ。それがあるからこそ生きて来れているのだから、俺達の声に素直に従う筈も無い。
所詮は成り上がり。結果を出したとはいえ、貴族としては新人も新人だ。王族からの覚えが良いのが唯一の注目点だが、それを除けば俺達に魅力は無い。
その上で雇いの声に応えたというのであれば、別の目的があると判断するのが普通だ。
王族狙いか、単純に此方の素性狙いか。どちらにせよ、こういった点からも警戒をせねばならない。純粋に雇うのならば平民の中からということになるだろう。
さりとて、侍従としての教育を受ける機会なんて平民の中ではあまりにも少ない。一つは家族から教育を受けること、二つ目は知り合いに紹介されてその家の先輩から教育を受けること。
どちらもそう簡単に起きるものではない。そして見つけ出すのも難しい話だ。
彼女の言葉には一理あるものの、最終的に発見出来るかどうかには運が絡むだろう。だからこそ彼女も早めに見つけ出したいのだろうが。
引っ越し作業を全て終わらせ、漸く一息が付く。
買ってきた机に王族からの頂き物である質の良い椅子に座り、自分で淹れた紅茶を飲んで息を吐く。
「荷物が少なかったのが良い方に動いたわね」
「そうですね。 これで家財道具がもっと多かったらと思うと冷や汗の一つでも流れそうです」
「実際貴族の引っ越しは大掛かりとなるわ。 馬車が何十と一ヶ所に向かい、御付きの人間も何百と馬車の後ろを進むわ」
「……想像したくありませんね。 道中の迷惑になりますよ」
「そんなこと貴族達が気にする訳ないじゃない。 国の事情か自身の都合か、どちらにせよ彼等は自分勝手に色々進めてしまうものよ」
俺達の雑談は二言目には何時も愚痴だ。
それだけ不満が溜まっているということなのだろうが、しかしそれでは建設的ではない。途切れた瞬間を狙って軽く咳払いをし、天井を見上げながら居なかった期間に行っていた内容について相談を口にする。
「――仲の良かった冒険者に一つ頼み事をしました。 ギルドに関することです」
「聞かせなさい。 此方は知らないわよ」
「頭の中で考えていただけですから。 それに直ぐに中止が出来るようにしてあります」
冒険者をより健全な施設とするには、現在の状態は些か治安が悪過ぎる。
死傷者が多いのは避けられようがないものの、新人をわざと餌として活用する冒険者も居るのが現状だ。それに恐喝や暴力も目立ち、それを止めても別の場所で同じような事件が湧き出てくる。
それを止めている側も存在はしているが、勢力としてはあまりにも小さい。俺達のような小規模勢力は何かしら切っ掛けが無ければ大きくはなれず、特に慈善事業でしかない冒険者の活動では大々的にはなれないのである。
他者を助けるにも金が掛かり、ギルドも表立って支援をしては波風が立つ。表面上は誰をも受け入れている以上、明確な制限を設ければ騒動となるのは必然だ。
だからこそ、この現状に対して一手を差し向けることが出来る。
個人的に、今はまだ試しの段階だ。これが成功すれば他所にも波及させ、最終的には全体にまで広まってほしいと願っている。
「今はまだまだ人助けが精一杯です。 困っている人間を助け、なるべく新人が死ぬような事態を避けて強くする。 悪人に対抗するにはやっぱり強さが一番ですから」
「で? それが成功に進んだら次はどうなるの」
「ギルドにも協力をお願いします。 勿論、秘密裏にですけど」
表立ってギルドが協力しては問題だ。とはいえ、ギルドが主導で秘密裏に動いても誰かが暴こうとするだろう。
ギルドが提案を受け、資金だけを提供する。彼等との関わりはそこまでに務め、そこから先は一般に偽装している冒険者達が行動するのみ。
一番先頭を行く人間を決めるつもりはない。そこで頂点を決めようとしても喧嘩になるだけだろうし、結局の所最終的な決定はハヌマーンに繋げる形だ。
だから、これはハヌマーンにも納得してもらわねばならない。
「あんたね……まぁ、結果を出してから言いたかったんでしょうけど、もっと前に言いなさいよ」
「あはは……成果を出してから話をした方が理解を得やすいと思いまして」
「それはそうだけどね、だからといって何でもかんでも突っ走るのは駄目よ。 やるならせめて私にも相談してちょうだい」
彼女からは注意だけが飛んだ。俺の言葉を否定するのではなく、彼女はただ指摘だけを行ったのである。
彼女の言葉は全て正論だ。そして同時に、彼女は俺のやる事に関して否定的ではない。他の誰もがやらないようなことをやらねばならぬ現状において、これは良いと内心で頷いたのだ。
俺は素直に謝罪し、彼女はそれを受け取って先を促す。そこから先は互いの意見交換ばかりが続き、気付けば紅茶が冷めてしまうくらいに俺達は熱中していた。




