新しい世界
潮風が辺りに流れている。
小魚の跳ねる音がして、水が太陽の光を反射していた。その眩しさは普段見るようなものではなく、故にこそ新しく到着した街は俺の好奇心を刺激し続けている。
港街・ハノマは人口がとても多い街だ。貿易船が行き交い、別大陸の人間が街に溢れ、冒険者や平民も仕事の募集が多い為か依然として増加の傾向にあると本に書かれている。
また、この街は海に面しているので新鮮な海の幸を楽しめることでも有名だ。俺は魚介類系はあまり食べた事が無いので比較が出来ないが、他の人間の評価によると比べるのも烏滸がましい程だという。
それだけの評価が下されているのならば食べたいと思うのは必然だろう。
だが、その前に俺は冒険者として活動する必要がある。
四角に切り取られた石を敷き詰めた石畳の上を歩き、先ずは当初の目的であるギルドへ。
ここまでの道中はあまり恐ろしい脅威と言えるものは無く、居ても精々が狼程度。何も鍛えていない子供であれば大人しく食われていただろうが、鍛えていたお蔭でその点は無事に突破する事が出来た。
残念ながらその狼は痩せ細っていたので可食部は少なかったものの、動物の牙や毛皮は平民には人気だ。
売れば銀貨一枚くらいにはなるだろう。それを十枚も集めれば換金所で金貨一枚にはなる。
気分は悪くない。早速生活の為の資金が増えたのだから、喜ばない筈が無い。
だが、ギルドが見えた時点でその喜びは鳴りを潜めた。
「解ってはいたが、酒場と共同か……」
この港街は非常に人が多い。
増加も早く、故に建物の建設や街そのものの拡大が間に合わない場合も多いという。
ギルドも土地を確保するのは難しかったらしく、結果的には以前から立っていた大型の酒場の中で営業を開始するようになっていた。
今もその酒場からは無数の男達の大声が聞こえ、外にまで酒の臭いが漂ってきている。
その臭いを意識して気にしないようにしながら木製の扉を開けた。酒場内は更に酒の臭いが充満しており、昼間でありながらも酔っている人間が多く居る。
仕事が今日は休みなのだろうか。木製の丸テーブルに酒瓶片手に突っ伏す様を見つつ、横に設置されている階段を登った。
酒場の二階は冒険者ギルドだ。
以前見た街と同じ様に掲示板には質の悪い紙が張られ、無数の冒険者達がそれを眺めている。
今回は此処から依頼を受けるつもりだ。此処が俺の居た家系とは縁の無い場所であるからこそ、住む場所としては候補地に挙がっている。
此処の冒険者の年齢層としては、やはり俺と同年代の人間は居ない。
この施設の一階は酒場だ。子供が入るには不味いだろうし、仮に入っても見るからに子供っぽければ追い返す大人も居ることだろう。
最低でも成人である十八以上なのは間違いない。であれば、全員が俺より年上だ。
「ランク一で受けれるのはっと」
無数の冒険者達の波を掻き分けながら掲示板を見つめる。
受けれるランクの上限は現在ランクより一つ上まで。つまり俺の場合はランク二までの依頼を受ける事が可能となる。
そして、ランク二までの仕事内容は極めて単純なものばかりだ。
船の積み荷降ろしや、店の手伝い。中には孤児院の子供達の相手などなど、非常に冒険者らしくない仕事ばかりが載せられている。
そういった類の仕事は戦闘をしたくない者にとって需要があるのだろう。今も俺が見ている前で紙を取る者が存在し、その人物は私服姿だ。
ならば、俺が取るのはこのランク帯でも出来る仕事。
化け物討伐はこのランク帯には存在しない。あるのは採取系の仕事ばかりだ。
「薬草採取をするところからかな」
人間、下積み時代が一番長いという。
俺もその例に倣って地道に下積みをしていこう。なるべく近場の場所の依頼書を手に、俺は意気揚々と受付にまで紙を持っていった。
「あの、すみません」
「はい? あら」
受付台のサイズは大人を想定してかどうにも子供である自分には大きい。
故に声を掛けても一瞬受付嬢は俺の姿を探し、視線を下に向けて漸く気付くのだ。
彼女の驚きの表情を見る限り、子供が此処に居るというのは珍しいのだろう。下が影響しているのは間違いなく、されどそんな事は俺にはどうでも良い。
素直に紙を受付台に置き、彼女はそれを受け取る。
数回程俺と紙に視線を移動させ、困ったような表情を彼女は浮かべた。
「え、と。 カードを見せていただいてもよろしいでしょうか?」
「はい」
俺が簡単にカードを出すとは思わなかったのか、彼女は表情を驚きに変える。
いや、この反応を見る限りではそもそもカードなど持っていないと思っていたのかもしれない。
侮っていたという訳ではないだろう。単純に迷い込んできた子供だと認識していたのだとすれば、必ずしも子供が此処に訪れない訳では無いと理解する事が出来る。
よく聞く話だ。子供が入ってはいけない場所に立ち入り、酷い場合にはそのまま行方不明になる事はナルセ家の領地でもあった。
その際には両親達と一緒に捜索に動く事もあったが、見つかったり死んでいたりと結果は決して良いものだけで終わってはいない。
兎も角、受付嬢はカードを受け取った。俺が実際に登録された人間であると解った以上、彼女はランクが合っている限り作業を進める必要がある。
「はい。 此方確認が終わりました。 薬草の見分け方は大丈夫ですか?」
「カスミ草ですよね。 森であれば何処でも自生している物ですし、姿は見たことがあります。 量が量ですので時間が掛かりますが」
「百本の採取ですからね。 時間にも余裕はありますし、ゆっくり採取してください」
「はい。 それでは」
彼女の判断はそのまま作業を進める事だった。
その判断は有難いことだ。此処で子供が依頼を受けるべきではないと言われても、既に資格がある分困ってしまう。
周りから幾つかの視線を受けつつ、俺は小走りでギルドから出た。
準備を済ませてからこの街の外にある森へ向かい、上手くいけば一日で全てを回収して帰りたい。
依頼書に書かれている期間は三日。つまり三日以内に薬草を集め、ギルドに納品すればそれで完了だ。
払われる報酬は銅貨五十。これは平民が一週間で消費する金額だという。百枚集まれば銀貨一枚となり、その時点で一ヶ月分の給料の半分だ。
悪い仕事ではないだろう。宿を取っても食事もしても余る報酬というのは良いものだ。
安定性は無いものの、そもそも自分の生活に安定なんて文字は無い。何時この街から出るかも定かではない以上、冒険者という役職は自分には合っていた。
最初に行動したのは宿の準備だ。最短で終わった場合も考えて早めに安い宿を抑え、安心して街から出る。
此方は昼間であったのが功を奏したのか、酷く簡単に終わった。
他の宿屋と比較して家屋の状態は良いものの、盗難対策も盗聴対策もされていない宿は他よりも評価という点では落ちるのだろう。
部屋そのものも非常に余っており、一週間食事有りで銅貨三十という金額は個人的に破格だ。
受付をしていたのは少女で、料理をしていたのは恐らくは少女の母親と父親。三人で切り盛りをしていると思われる白木の建物は、何故だか人の温かみに溢れていた。
盗難対策も盗聴対策も冒険者をする上では必要なのだろう。
チームを組んでいれば話し合いをする場も欲しい筈だ。その観点から見て、此処はソロで活動する冒険者には打ってつけであると言える。
金を支払い、そのまま依頼を済ませてくるとだけ少女達には告げて食料やその他を購入後に街を出た。
馬車が無い分移動は徒歩。薬草を入れておく為の麻袋は露店売りの商人から買い、今の所は極めてお得に済んでいる。
店の従業員よりも日々の生活に命を懸けている露店や馬車の商人の方が比較的安く買えるものだ。
これは昔に街に出向いたからこそ解ったものであるが、露店の人間が一日経つと死んでいたなんて事もある。
それは元から飢えていて、更に外的要因によって追い詰められて死んだ場合だ。従業員は仕事を黙々とするだけで給金が貰える以上、どうしても必死になれているとは言い難い。
「カスミ草か……懐かしいな」
とはいえ、彼等も彼等で生きている。多少は力を抜いて生活出来るのなら、それに越した事は無い。
早々に意識を切り替えて、頭の中に浮かぶ草の姿を思い出す。
カスミ草の使い道は回復薬だ。他に使う素材があるとはいえ、全ての回復成分の中心を担うのがこのカスミ草であるのは世間一般の常識と化している。
故に、それだけ大量のカスミ草を消費するのだ。街によってはそれこそ足りなくなる程に。
回復薬は何処でも使う。使うからこそ供給は止まらず、需要の消失も有り得ない。
俺も使った事があるが、あの飲み薬は普通の飲み物としても優秀だ。その分単体では大した効果を得られないが、掠り傷程度なら直ぐに完治する。
百本というのは決して多くはない。精製される薬品としての量も百であれば三十程度が精々だ。
だからこの依頼以外にも別に依頼は出されている筈であると決め付け、なるべくかちあう前に全てを収集をしたいと考えながら近くの森へと入って行く。
久方振りの自然溢れる世界。その世界はやはり、俺が体験した草花の匂いに溢れていた。