脱走計画
こちら、完全に趣味で投稿している作品ですので投稿頻度はかなり遅いです。
――――自分が家族から見捨てられたと自覚したのは八歳の頃だった。
騎士系の貴族である我が家は剣に拘る傾向があり、騎士としての作法や稽古が非常に厳しい。俺の記憶の中では一度として両親に優しくされた覚えは無く、酷い時には半殺しにまで追い込まれる事が多かった。
作法についてはそれなりに出来ていたのか厳しく感じなかったが、今考えればそれは普段の稽古が必要以上に厳しかったからだろう。
それでも当時の俺は期待されているのだと必死に食らいついていたし、兄妹達も師範相手に剣を振るっている姿を見せていたのだ。
俺と兄妹達の立ち位置は一緒だと、そう思い込んでいた。それが崩れたのは八歳の誕生日を迎えて少し経った頃。
日課の鍛錬を行っている最中に、兄妹同士による試合が行われた。
勝っても負けても何かがある訳では無いが、家中においての発言権に関して影響を及ぼすのは確かだ。
そして、最終的な結果は見事な惨敗だった。三人兄妹の中で俺が一番弱く、兄には一瞬で敗北したのである。
自分が絶対に勝てるとまでは思っていなかったが、かといって絶対に負けるとも思ってはいなかった。
良くて辛勝、悪くて拮抗。同じ時期に稽古を始めたからこそ、冷静に俺は分析していたのだ。
実際はその三人の中で最も弱くて、線の細い妹には技量で完全に凌駕されていた。
質の悪い夢か何かかと思いつつ、されど俺達全員の師であるヴァルツ・ハーケンという男は俺に向かって残酷な言葉を残している。
「残念ですが、貴方には剣の才能が無い。 このまま鍛錬を積んだとしても三流が限界です」
それが四歳の頃から必死になって鍛錬を続けた俺の末路だった。
ヴァルツは有名な人物だ。世界において最強に近い生物である海龍を撃破し、王様達からの信頼も厚い。
元は平民であった時代があった為か民衆からも人気があり、噂では王女の一人と恋愛関係だとも言われている。
一部の貴族からは蛇蝎の如く嫌われているものの、大多数からは歓迎されている男だ。その本人から才能が無いと言われてしまえば、俺の両親も大人しく納得する他になかった。
才能が無い。その言葉がどれだけ未来を狭める事になるかを、俺は良く解っている。
現にそう言われた直後から両親は俺を放置するようになった。鍛えても鍛えなくても然程の変化を生まないのであれば、兄や妹に注力した方がずっと良い結果を生む。
俺は一人でこれまで以上に鍛錬に集中した。
兄も妹も俺を心配してくれている。だが、そんな眼差しを向ける二人に嫉妬している自分が居るのは事実だ。胸の中で燃える嫉妬の炎は俺の勝手な感情で、そんな感情を二人にぶつける訳にはいかないとその炎を燃料として更に鍛錬に費やした。
その所為で全身がまったく動けなくなる程酷使する事になってしまったが、その際には誰も助けてはくれなかったのである。
兄妹ならば心配で身に来るかもしれないとも考えた。しかし、そんな真似を両親は許さないだろう。
俺の放置は更に進み、最早会話する人間は執事やメイドくらいなものとなった。
師範も兄妹も心配の目を向けるだけ。そんなものは何の糧にもならないと嫉妬の炎は更に増大し、このままでは俺は兄妹や両親を殺そうとするかもしれないと考えるようになった。
――――そんな事は断じて認められてはならない。
騎士道精神など関係無く、これまで両親が育ててくれたのは事実だ。それを無視して殺害しようとすれば、今度は兄妹が生活出来なくなってしまう。
兄妹達に悪い部分は無い。山の中で共に寝る事も、倒した動物で食事を摂る事もあったのだ。
自慢の兄妹であるのは言うまでも無く、兄が当主となっても俺は文句は無かった。妹もその点は一緒であり、兄の事を尊敬していたものである。
このままでは駄目だ。そう考えた時、最初に頭に浮かんだのは家からの離脱だった。
一刻も早くこの家から消え、誰にも迷惑が掛からないような場所にまで逃げるのだ。
既に両親は俺を見捨てている。役職としては然程重要な位置を任せはしないだろうし、居なくなっても悲しむ事は無い。
兄妹が悲しむかどうかは、正直に言えば解らない。だが、数年もすればそんな二人から俺の記憶は消えていくだろう。
「だから、私に声を掛けたのですか」
「ええ、無事に逃げ切るには貴方は最大の障害になってしまいますから」
夜。
師範の居る部屋の中で、机を挟んで一対一で話をしていた。
九歳となった俺の生活に変化は無い。強いて言うのであれば食事のランクが下がった程度で、相変わらず空気のような扱いを受けるままだ。
日課の鍛錬を終わらせた俺は事前に師範から時間を貰い、こうして話をしていたのである。
この家から逃げるとして、先ず第一に師範から逃げ切らなければならない。
それは困難を極め、はっきりと言うのであれば不可能だ。最初から話をつけておかなければ、そう長くない内に捕まってしまうだろう。
俺の話を聞いていた師は腕を組んで悩んでいた。
このまま脱走を手伝うのは家の事を考えればするべきではない。しかし、兄妹を除いた家族の全てが俺の事を見捨てているのは事実。
更に嫉妬によって殺してしまうかもしれないという可能性を示唆すれば、人殺しを許容しない師は揺れるだろう。
「……こうなってしまったのは私の責任です。 ネグル殿達は確かに厳しい人物であるが、決して愛を与えない人物ではないと思っていた。 だからこそあそこで伝えても問題は無いと思っていました」
「私もそう思っていました。 でも、現実は変わりません」
「そう、ですね……。 申し訳ございません」
深々と頭を下げる人物に、直ぐに頭を上げてもらうよう願う。
確かに原因の一端は師である。あそこで師が告げなければ、俺が冷たくされる事は無かったかもしれない。
けれど、あそこで師が言わなかったとしても結果は変わらないだろう。才能が無いのは事実であるし、冷たくされてからの一年で俺と兄妹達の間にははっきりとした差が生まれていた。
自分の鍛錬が彼等以下とは言わない。だが、あの二人も必死に鍛錬を積んでいた。才能のある人間が俺のような真似をすれば、差が広がる一方となるのは明白である。
「それで、目を瞑ってはくださらないでしょうか」
「常識的に言うのであれば、私はそれを認められません。 大体、どうやって生活するというのです。 多少なりとて資金は用意出来るでしょう。 過酷な鍛錬に比べれば、職を探す事も不可能ではないかもしれません。 ……ですが、世界は残酷です。 貴方の年齢では直ぐに死んでしまうかもしれません」
「……両親はそれを望んでいるでしょう」
あの空気を長い間経験していれば、嫌でも両親の考えている事は解る。
あれは何らかの切っ掛けがあれば俺を殺すつもりだ。今はまだその切っ掛けを用意出来ていないが、何れ毒殺でも暗殺でもして恥の芽を潰すつもりなのは目に見えている。
これは俺が脱走を思い付いた後に判明した事実であるが、この情報こそが脱走を後押しする要因となっているのは間違いない。
俺の言葉に師は目を見張っていた。表情にはまさかという言葉が浮かびあがり、さりとて今までの出来事の所為で完全には否定出来ないと最後には溜息を吐く。
「資金については節約をすれば数年は維持出来ます。 仕事も身元を隠せる冒険者がありますし、それで死んでしまっても貴方に責任を負わせるつもりは一切ありません」
「御兄妹はどうするのです。 あのお二方は常に貴方様を心配しております。 時にはネグル殿達と話し合いの場を設けているのですよ」
「それは初耳ですが、結果はどうなっているのです?」
「それは……」
「――何も変化していないでしょう? あの二人で変わらないのなら、どうしたとしても変化はしないですよ」
現状において、全てが俺を否定していた。
俺が居るだけで余計な騒ぎが起きる。俺が居るだけで空気も悪くなる。このままが続けば、今度は兄妹達も何か騒動を起こすかもしれない。
最悪の状況だ。ならば、その大元を切除するのは道理だろう。
悪い箇所は切り捨てる。何処の国でも行われる、当たり前の行動だ。それは師でも否定出来ない。
結局、師であるヴァルツ殿は俺の提案を呑んでくれた。彼もまたこの空気が発生している原因が俺にあるのは否定出来ず、脱走の手引きをしてくれる事になったのである。
決行は三週間後。それまでの間に準備を済ませ、此処から脱出するのだ。
希望は無い。楽観も無い。無い無い尽くしの脱走には物語のような夢が無く、だからといって安々と死ぬつもりも生憎と無い。
全ては当日に決まる。その時になって初めて、俺は後悔を抱くかもしれない。