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光双のポルタ  作者: もものふ
13/14

第2幕 -3

「あの悪魔め!!」


街ゆく人々がぎょっとした表情で俺の方を振り返った。一斉に注がれる視線。誰に言うでもなく、道のど真ん中で悪態をついている男が居れば、当たり前の反応だろう。

だが、人目よりも何よりも言葉が自然と口から溢れて止まらない。


「くそっ! どうしてまた、ここに居るんだ……?」


俺は頭を抱える。今、自分の目の前に広がるのは黒塗りで大層な彫刻が刻まれた、見知った大きな門。先程まで感動を噛み締めていた、大好きなあの場所。

ポルタ座の前でひとり、呆然と立ちつくす。じんと凍える寒さの中、自分の置かれている状況がどうしても理解できなかった。

ひとつだけ言えるのは、頭上高くに広がる薄らぼけた淡い蒼色から察するに、まだこの場所が悪魔の手にかけられていない世界だということ。

深呼吸を大きく1度。辺りをぐるりを見渡してみれば。

街中に大きな変化はなかった。人々は街中に溢れていて、忙しなく往来を繰り返している。それどころかむしろ見慣れない店も増えて、ますます活気が増しているようにも思えた。

それに比べて、ポルタ座の前だけは悲しいくらいにがらんと静かだ。大門前の通りを歩く通行人はポルタ座に全く目もくれない。

観劇券売りの小柄な初老の男性が寒さに凍えながら門の前で佇んでいる。俺と目が会うなり、男は表情を和らげ、手を振りながら近づいてきた。


「また来てくれたのかい。いつもありがとう」


そう言って彼は俺に券を手渡す。


「あの、お代は」


「良いの良いの。いつも観てくれているお礼だよ」


にこやかに微笑む男性。途端に警戒心が湧き上がる。


「……受け取れません。ポルタ座のチケットはとても希少価値が高い。喉から手が出るほど欲しい人も沢山いるはずです。無償でだなんて、絶対に駄目ですよ」


お金を払おうと俺は財布を漁る。その様子を男は不思議そうに眺めていた。


「……お客さん。いつも思うけれど、ほんと熱心だよねぇ。ポルタ座の観劇券が値上がりしたのなんて、もう何年も前のことじゃあないか」


「……え?」


思わず手を止めて男の顔を見た。俺が表情を歪めたことを確認した彼は、罰が悪そうに目線を逸らす。


「あの頃は実力のある演者が沢山揃っていたさ。だけどそういう奴らはこんな片田舎の辺鄙な小劇場には留まらない。もっと大きな舞台へと引き抜かれていっちまう。今じゃあ残っているのは全盛期のほんの一部の役者だけ。近頃は電気館なんていうハイカラな娯楽施設も出来たらしいし、そりゃあ客足も遠のくよなぁ。おれも電気館のチケット配りの方が金になると思ってたところで……」


男もしまったと思ったのだろう。ついうっかり小言を零して咳払いをする男に軽蔑の視線を送れば、顔を引き攣らせながら空笑いをしてみせた。


「とまあ、そんなわけでお客さんの熱意には毎日感服させられているわけで。雇われている以上、おれもここの良いところを売り込んでいかなきゃいけないのに、このザマだからなぁ。ほんとお客さんのこと、見習わなくちゃだね!」


早口で言い終えると同時に、男は観劇券を俺に押し付ける。なおも不服そうな表情を浮かべていれば。

途端に男の顔が無表情に変わる。能面のようにすっと表情を殺した男は俺の耳元で囁いた。


「……これを配り終わらないと何か言われるのはおれなんだ。人助けだと思って受け取ってくれよ、なぁ?」


唖然とした。幼少期のあの頃、父と母が必死になって俺のために手に入れてくれたポルタ座の観劇券は、今や世間的に価値の無いただの紙切れと化している。売り裁けずに長時間男の手に握り潰されていたのだろうその券は、悲しいくらいに皺だらけだった。

しわくちゃになった観劇券を眺めていれば、心が空虚感に侵食される。男の言うことが正しければ、この数年でポルタ座に何かが起こったということで間違いないのだろう。

俺はポルタ座の門を見上げる。栄華に満ち溢れたその佇まいは堂々たるものだったが、どうやらこの頃からその面影は薄れつつあるようだ。

門をくぐり、客足まばらな庭園の小道を歩いてポルタ座の場内へと足を踏み込もうとした時、ふわりと甘い匂いが漂った。食事とも花の香とも違う、どことなく人工的な甘ったるい香り。俺は思わずその匂いの方へと目線を向ける。

見覚えのある栗色の髪色にはっと息を呑んだ。光をも取り込んで、淡く輝く特徴的な色合い。見間違えるはずなどない、あれはサラさんだ!

小走りに庭園を横切る彼女を目で追いかける。開演前で既に衣装を身にまとった状態の彼女は至極慌てた様子だ。かつてのポルタ座ならば庭園の中で観客達を役者が出迎えるのが恒例だったが、今や役者が目の前を走りすぎたとしても目に留めるゲストはごく少数だ。

彼女の不可解な程に青ざめた表情に妙な胸騒ぎを覚える。俺はこっそりとサラさんの後を追いかけることにした。

彼女はポルタ座の建物裏手口に回れば、長いスカートをたくしあげて外部に備え付けられた螺旋階段を一気に駆け登り始めた。高くかかとがせり上がった靴が階段を踏みしめる度にカンカンと軽快な音を鳴らしている。気がつかれないように距離を保ちながら、そろそろとサラさんの後を追う。

螺旋階段をやっとの思いで登りきると、彼女は既に他の誰かと対峙していた。この位置からでは死角になってしまい、サラさんの姿しか確認できない。ただ、言い争っている様子を見ると複数人誰かがサラさんの目の前にいるようだった。

息を整えながら俺は後方の物陰にしゃがみこみ、聞き耳を立てる。


「冗談じゃない! それはお父様に許可を取っての行為なの!?」


聞いた事がない程のサラさんの怒号と剣幕。対してそれに応える人物の声色は落ち着き払っていた。


「どうしてあの人に許可取りが必要だと思ったのかしら、サラ。今やあの人は形式上の支配人でしかない。現場の総指揮を取っているのは私。あの人だって私が良いと言ったらそれで公演を取り行うわ」


どうやらサラさんの前にいるのは女性らしい。伸びやかな声から察するに彼女もまた舞台役者なのだろうか。その人物を確認しようと僅かに身を乗り出した。

彼女を一目見て、脳裏に記憶が蘇る。ポルタ座の通路に飾ってあった写真にサラさんと一緒に写っていた人物。どことなくサラさんに似ていると思っていたが、実物を前にすると余計にサラさんと目鼻立ちがよく似ていた。


「サラ、貴女も気がついているでしょう。あの人の熱意は一過性のものに過ぎなかった。支配人として演者たちをここにつなぎ止めておくことすらできない。管理者としては失格よ。今、ポルタ座は前作踏襲では栄華を取り戻せないところまで来てしまっているわ。新しい風を取り入れなくちゃ」


彼女の言葉の発音には妙な抑揚がある。人離れした作り物のように整った顔から見てもどうやらこの国の出身ではないのかもしれない。


「だからといってサクを使うことないでしょう! サクの体力ではこの公演を演じ切れない。そもそも事前にこの公演は私を使うと言ったはず。公演直前の今になってその判断を下すべきではないと思うの、お母さん!」


やはり彼女は母親だったか。予想が当たった。

サラさんの母親はたえず我が子に冷え切った目線を向けている。


「私の事はお母様と呼びなさいと何度も言っているでしょう、サラ。全く、自分の立場を弁えてものを言いなさい。選ぶのは私。使ってもらいたいのであれば、私を認めさせるような演技をしてちょうだい。ここ最近の貴女の演技は観ていてとても見苦しいの。実力不足を理解しているのならもっと練習を怠らない事ね。今回はサクを使うわ」


「でもそれじゃあ、サクが倒れちゃう!」


その時、サラさんの肩に手が置かれる。死角から現れたのは。


「大丈夫だよ、姉さん。必ずやり切ってみせるから」


栗毛の長い巻き髪に、サラさんと全く同じ衣装を身にまとった人物。空いた口が塞がらない。

サラさんがもう1人いたのだから。

サクと呼ばれた人物は穏やかな笑みをたたえていた。その笑顔と反するように、サラさんの表情は歪みを増していく。


「……お母様は間違っているわ。私が至らないからといってサクにまでこんな格好をさせて。私の身代わりにするのはどういうつもり? どうして男のサクまでお母様の理想に巻き込もうとするの? 双子なのにまるで替えの効く人形のように私たちを使って……! 理解できない」


「理解してもらわなくても結構よ。それに落ちぶれる貴女と違ってサクには貴女よりも優れた魅力がある。華奢な体つき、愛嬌のある笑顔、透き通るような白い肌。素人目からしてみれば双子の見分けなんて付かないだろうけれどね、私には分かるわ。彼の方が確実に仕上がっているのよ」


サラさんは呆然と立ち尽くしていた。そんな彼女にサクと呼ばれた少年はにこりと微笑む。


「姉さん、心配しないで。僕には『カプリコルノ』がいる。公演中見ててもらうから平気だよ。ねぇ、カプリコルノ」


少年の声に呼ばれて、黒い影が蠢いた。ぬっと漆黒の物体が地上に湧き上がり、それを形作る。身震いするほどに淀む空気。この纏わりつくようなおどろおどろしい覇気のことを俺は良く知っていた。


『面倒をみるのであれば今回こそはそれ相応の代償を渡してもらわなければいけないな。もう許容はできない、早く代償を寄越してもらおうか。いつまで待たせる気なのだ、アンナよ』


アンナ。それがサラさんの母親の名前らしい。


「そうね、あと少しだけ待っていなさい。貴方に必ず働きに見合った代償を差し上げることを約束するわ」


アンナはにやりと口の端を上げた。

カプリコルノと呼ばれた『悪魔』はアリエーテと同じような風貌をしている。黒い漆黒の布で覆われた身体はアリエーテよりも屈強なように見えた。頭蓋骨は前方に細長く突き出していて、アリエーテの物とはまた違う、長く太い角のようなものが天に向かって2本、雄々しく伸びている。

カプリコルノはふんと鼻を鳴らす。


『……俺はあの『お人好し』とは違う。待てと言われて易々と待つわけがなかろう。それは変わり者のアイツだけだ』


「……貴方が短気なことは私もよく知っているわ。そうね、あと3日だけ時間を頂戴。貴方には私とサク、2人分の報酬を与えるわ」


それを聞いたサラさんは咄嗟に食ってかかる。


「ちょっと待ってよ! どうしてサクまでお母様の『契約』に巻き込もうとするの!?」


アンナは右手を口に当ててこらえるようにして笑う。


「あら、サラ。貴女もしかして弟のサクにやきもち焼いているのかしら。そういうところは全く、可愛らしいのだから」


アンナは慈悲深い目線を向けながらサラの頭に手を置こうとした。伸ばされた母親の手をサラさんはぴしゃりと手で払いのける。

実の娘に敵意を向けられたアンナはふっと溜息をついた後、無情なまでに濁りきった目でサラさんを見下ろした。


「……貴女の反抗期に構っている暇なんて私にはないの。とにかく、貴女には今日の舞台に上がる権利はありません。サクに貴女が演じるはずだった役をお願いすることにするわ。恨むなら私の目に叶わなかった貴女自身の実力を恨むことね」


サラさんは下唇を強く噛み締めて、怒りに身を震わせていた。そんなサラさんを心配そうに見つめるサクはおろおろと落ち着かない様子だ。

サラさんは母親に睨みを効かせて踵を返す。そしてこちらに向かってきた。まずい、このままでは確実に聞き耳を立てていたことがバレる。しかし今更逃げる余裕もない。仕方なく、ひたすら息を潜めてその場をやり過ごすことにした。

靴の音がだんだんとこちらに近づいてくる。怒りを露わにしたサラさんは、こちらに目をくれることもなく真っ直ぐに階段を降りていった。ひとまずほっと息を吐く。この場に残れば見つかるのも時間の問題だ。そろそろ頃合だろう。俺も乗じてサラさんを追いかける形でその場から撤退することにした。

サラさんが母親への復讐を誓ったのはこの出来事が原因なのだろうか。階段を降りながら考えを巡らせる。母親が悪魔の力を借りてまで弟のサクを最高の役者に仕立て上げたのだとすれば、ポルタ座の繁栄は約束されたも同然なはず。

しかし今、ポルタ座は満足に公演ができないほどに壊滅的な状況だ。一体、何があったのだろう。

この物語を見届ければ、真実が分かるのだろうか。アリエーテはそう言っていた。

不本意ながらもあの悪魔の言うことを信じるしかなさそうだった。



「……あれ?」


サクは地面から1枚の紙切れを拾い上げる。不思議そうに首を傾げていれば、すかさずアンナがそれを取り上げた。


「……これは、今日の公演のチケット?」


アンナはちっと舌打ちをする。


「……鼠が紛れていたみたいね」


「でも、それを持っている人ってことは僕の演技を見に来てくれた大切なお客さん、ってことだよね」


ひとり微笑むサクを他所に、アンナはカプリコルノに目配せをする。


「……貴方の姿を見られたわ。どうするの」


『早急に、始末せねば』


カプリコルノがその場から動く。――それよりも先に。


『……ねぇ、その仕事。俺にやらせてよ』


漆黒の影がぬらりと現れる。羊の頭蓋骨にカプリコルノよりも少し小柄な出で立ち。男性のようにも女性のようにも思えるようなその声色。


『お前は双子の姉の方に肩入れしているだろう。あいつに構っていなくて良いのか。アリエーテ』


『別に肩入れしているつもりは毛頭ないんだけれどね。良いよ、こっちの方が面白そうだし』


カプリコルノはアリエーテをじっと見た後、アンナに言った。


『鼠の処理など俺たちには時間の無駄。この小さな『羊』に完全なる駆除役が務まるかは定かではないが、勝手にやらせるとしよう。公演が始まる、サク、早く準備をしろ』


アンナもサクも、そしてカプリコルノもその場をアリエーテに任せて会場の中へと消えていく。

完全にその場に誰もいなくなった後に、彼はひとり息を吐いた。


『……大切な契約者様はきちんと守ってあげないと。早く辿り着いて、真実を見届けるんだよ。アツヤ』

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