見ている世界
文化祭二日目、一般開放日。
色々な意味での本番となるこの日、けれど今日の段階で、演劇部に僕が演技的な意味で絡むことはない。
昨日のあの仕掛けのせいで舞台に上げられることは決まったけれど、さすがに昨日の今日で何かをさせようと言うほどの無茶ぶりはしてこないのだった――まあそれ以上の無茶ぶりをされているからなんだけど。
「そしてその無茶ぶりをさも当然のように完了させているあたりが実にかーくんっすね」
呆れながらも関心しているのは祭先輩。
今は朝の九時七分、場所は体育館。
朝の七時半から作業をして、とりあえず完了させたところである。
「洋輔とかも含めて、結構手伝ってくれたので。ただ、元々あるものをリファインしただけとはいえでっちあげです。最低限の強度は約束しますけど、あんまりに過負荷は与えないでください。具体的には三トンは無理です」
「かーくん。人間はそんなに重くないっすよ」
それもそうだけど、目安は必要だろう。
つい先ほど敷設を完了させたのは、いわゆるランウェイというものだ。
学校の体育館のステージは発表会のステージと比べればかなり狭いし、舞台袖の広さもかなり劣る。それをカバーするために、過去はステージの下にもセットを展開したり、そもそもステージを使わず体育館を細長く三分の一ほど区切って一段あげた仮設のステージを作ったりと色々としていたらしい。
その点、今回の演目である『白雪姫、文化祭特別編集バージョン』はそこまで動きあるタイプの劇ではないから、最悪ステージだけでもコンパクトに済ませる事は可能だ。実際昨日の特別ダイジェスト版はなんとかしていた。
とはいえ、今日やるそれは発表会で行った劇のダイジェストではなく特別編集バージョン。ステージに合わせて演技の調整は行われるけれどカットは無し、だからこそ全てのセットを使うし、全ての衣装も用いることになる。
それらを踏まえたとき、体育館のステージでは大きさがちょっと、大胆に足りない。だから最初はステージの下にもセットを展開するパターンで調整が進んだんだけど、皆方部長がひらめいてしまった。
『ランウェイとかがあれば、それで済むのだけどね? 奥行きの表現もできるようになるわ!』
そしてランウェイなどというものにさえも前例があったのだからなんともはや。茱萸坂先輩、錬金術も無しにどうやってこれを最初に構築したんだろう。いや地道に作ったんだろうけど。僕とは違って完全なお手製なのに精密性は高く、かなり苦労しただろうなあ。茱萸坂先輩がというか、そんな茱萸坂先輩に良いように使われたであろう工作部の面々が。
ともあれ、そのランウェイの土台は分解されている状態ではあったけども倉庫に保管されていたし、また土台の組み立て方もきちんと説明書が残っている形だったので、今回必要なランウェイの大きさにあわせて組み立て直し、ついでにいくつか改善もしておいた。
「とりあえず、祭先輩。ランウェイの改善点……というか、改変点で大きいところを説明しますね」
「はいっす。何っすか?」
「見ての通り、LEDライトで縁取りをしてあります。この遠隔リモコンで発光と停止命令が可能です」
リモコンといっても消しゴムくらいの大きさで、スイッチが四つと一つ付いているだけのお手軽仕様だ。
「リモコンのこの物理のスイッチが電源です。これをオンにしないと光りません」
「ふむ」
「で、ダイアル型になってる四つのスイッチですけど、一番左、一回り大きい方が光量の制御になってます。右に回すとぴかっとして、左に回すと鈍い感じで256段階と考えてください」
「……うん?」
「残りの三つはそれぞれ上にR、G、Bとありますけど、赤、緑、青の色の量を制御します。RGBも同じくらい精密に作りたかったんですけど、いかんせん急ごしらえだったのでそこまでの段階分けはできませんでした。それでも128段階は確保しておきました。あ、光量制御のほうもですけど、精密に制御する必要が無いならば、それぞれ四段階程度でかちっと音が鳴りますから、それを使ってください」
「えっと……つまり、色を作れるって事っすか?」
「そうですね。青と赤だけを最大、緑をゼロにしておけば紫色です。本来ならばリモコンをタッチパネル式にする、というかタブレット端末をリモコンにして、好きな色を即選択できるようにしたかったんですが、ちょっと昨日の今日じゃ間に合わなくて……。他にもグラデーション機能もつけたかったんですが、今回は一括での制御しかできません。すみません。それと、今回はランウェイの縁にLEDライトを設置したと言うだけで、LEDライト自体はベルト状に固定してあるので、今後は他の舞台にも応用できますよ」
「待って。待ってくれ。えっと、なんでそんなLEDライトとかが平然と?」
「お父さんがその手のお仕事してまして」
液晶関連の資料はたくさんあったし、基礎理論をふわっと頭に入れることはできた。理解できたかと聞かれるとものすごく微妙だけど、錬金術で無理矢理作ることはできる程度だ。今後はこういう便利系もどんどん練習していきたい。
(やめろ。いや無駄なのは知ってるけど……)
なら諦めておいて貰いたいものだ。
「コストはそんなに掛かってませんから、部費の圧迫は気にしないでください。ああ、でも電力的な方はちょっと注意かな。それでもレーザー加工機を動かすよりかは遙かにローコストですけど」
「……まあ、そうっすねえ。レーザー加工機まであるんだから、この程度で驚いちゃ駄目か」
そうそう、と僕は祭先輩の誤認を後押ししていく。
「いつかは有機ELも使いたいんですけどね。あれ、大きいのを安定して作るのはまだ難しいみたいで」
「かーくんはどこにゴールを設定してるんすか……」
少なくともまだ遠い場所かなあ。
◇
あっさりと。
本当にあっさりとしか言い様がないほどにあっさりと、けれど演劇部の面々は演技のアジャストを完了させ、いざ本番。
観客席は今日も満席、立ち見もかなり入っていて、改めて演劇部としてみると強豪校なんだなあ、と思う。結構小学生の子とかも見に来てるし。僕はこの学校の文化祭に来たことなかったからなあ。
まあ、そんなわけで、演劇開始前のアナウンス。
『本日、場内は大変混雑しております。一人でも多くの方に楽しんで頂くためにも、少々窮屈になりますが、ご協力をお願いします。また、公演中の撮影は、演出を妨げる恐れがございますので、ご遠慮ください。撮影が発見された場合、データ消去の上退場となります。あらかじめご了承ください。本日の公演の様子に関しましては、公演終了後、体育館外の受付において申請していただけましたら、後日になりますが、申請された方に映像をお渡しいたします』
ちなみにその受付は僕たちではなく風紀委員会の面々がやることになっている。じゃあ僕たち演劇部はその間何をするのか? 簡単だ、撤収作業である。僕たち演劇部が終わったらそのあとは軽音部とかも使うしね。
そんな内部事情はさておいて、ようやくブザー音。そして、開演。
その内容は以前やったものと同じ――多少演出的な変化はあれどそれだけだろうと思っていたけど、実際に見てみるとかなり違って見えるのが面白い。
演技の仕方一つで大きく変わるんだなあ、やっぱり。
そしてさっきの今、今日の最初の三十分くらいしか練習には使えなかったはずなのに、当たり前のようにランウェイをLEDライトも含めて使いこなしているあたりに尋常ではないところをあらためて認識。ライトの制御はさすがに照明係に頼んだようだけど、そりゃそうだ。
『鏡よ、鏡』
今日も今日とて、効果音とライトアップ、そして演技が見事にアジャストされているせいでなんだか、すごいを通り越している気がする。舞台としてみているはずなのに、既に調整された後の映像作品を見ているような……それこそ、実は舞台上には一人も立っていなくて、ホログラムかなにかでそこにあるように見せかけているんじゃないかとさえ思ってしまうほどだった。……というかその方がまだしも納得できる。
まさかプロジェクションマッピングを学校の体育館で見ることになるとは……なんていうか、演劇部は演劇部で大概だけど、その演劇部をサポートするという大義名分であれこれ好き勝手やってる周辺の部活も大概な気がしてきた。
にしたって、僕が知らない間にかなり練習はしてたんだろうなと思うと頭が下がる。僕もあの域に達せるだろうか……と考えると、まあ、『理想の動き』に過ぎない以上問題は無いんだけど、バレー部との兼部とどう折り合いをつけるかは考えないとだめかもしれない。それでもなんとかなりそうだと先輩達が、そして僕も判断しているのは、藍沢先輩という先人がいるからだった。
かくしてグランドフィナーレ。
プロジェクションマッピングもふんだんに使われたクレジット表記、スタッフキャストの名前がさながら某SF映画のように舞台上を流れてゆく。その中には当然のように僕の名前も入っていて、なんか嬉しいよね。そして全てのクレジット表記が終わった後、突然舞台上がセピア調に染まる。そしてばんっ、とスポットライトが当てられたのは……白雪姫、つまり、皆方部長。その横で手を振っていた祭先輩やナタリア先輩、そして藍沢先輩は、まるで時間が止まったかのように――ストップモーションを見事に行って魅せて。
「鏡よ鏡、鏡さん。この世界で一番――」
ぷつん、と。
全ての照明が落とされて、真っ暗になった体育館。
ゆっくりと、そこから普段の体育館の明かりがともされていき、見ればステージ上には既に演者の姿はなく、『終』の一文字が浮かんでいる。
『以上をもちまして、演劇部による演劇、「白雪姫」の公演は終了いたしました……』
うん。最後の最後まであくまでも提供する側として主導権を握った、と思う。祭先輩って結構、この手の演出好きなのかな?
淡々としたアナウンスも実は演出の一つだったり。
尚、演劇部の演者四名、およびお手伝いとして参加した数人の先輩方は舞台袖のスペースに滑り込んでいる。
特にメインを張った四人にはドリンクとタオルを渡しつつ、それぞれに上着を一枚ずつ渡しておく。
「助かるわー。ありがと、かーくん」
「どういたしまして。先輩方もお疲れ様です。酸素吸入必要ならボトル持ってきますけど」
「それには及ばないわね」
ナタリア先輩が苦笑を浮かべてそう答え、さて、と改めて言った。
「上着も助かるわ。汗とか気になるのよね」
「確かに。じゃあ行こっか?」
「ええ」
そしてそのままナタリア先輩と皆方部長は歩き始め、少し呆れつつも祭先輩と藍沢先輩がその後に続く。このままここに居残っても良いことはない、と知っているのだろう。
「さてと。それじゃあ皆さん、お疲れ様でした。ここから先は申し訳ありませんが、暫く僕の指示に従ってください。30分で完全に撤収しなければならないので、ちょっと急ぎ気味で、けれど安全第一にお願いします!」
にっこりとお願いをしてみた。先輩達は表情を引きつらせつつも、はあい、とそれぞれ頷いた。
セットの転換とか、そういうのはやってたけど……僕にとっての本番は、ある意味ここからなんだよね。
「いや佳苗。先輩達が困ってるのはあれだ、お前のテキパキ感が異常だからだと思うぜ」
「え? ……いつも通りじゃない?」
「片付けの話じゃねえよ。セット出しとか場面転換とか、お前がそもそも練習に参加してなかったのに、台本をちらっと見ただけで完璧に指示出しから実行までしてるその異常さのほうだよ」
「あー」
いや、でも。うん。
「台本に補足もあったから、何がしたいのかは解ったし。それに昨日の段階でもちらっと演技は見てたからね、何をすれば良いのかは直ぐに解るよ」
「解ってたまるか!」
洋輔の突っ込みにうんうん、と先輩達が頷いている。ううむ、そういう事か。
ぶっちゃけ真偽判定応用編で視界にいる相手がやりたがっていることを把握しつつ眼鏡に付いてる機能の『理想の動き』を拡大解釈してそれに適応させて『相手の想像通りに動く』って形で発揮させてただけだから、僕自身はそんな適応力があるわけでもな――
(言葉に出して突っ込めねえのがもどかしいなあおい! それどう考えても超絶高等技術だろ! 冬華に聞いてみろ!)
――あー。
はい。
反省しよう。
(でも使うんだな)
いやだって、使わないと30分での撤収は無理っぽいし……。
◇
「どうも近頃の佳苗はいつにもまして箍が外れているような気がするんだけどな……、理由がわからん。上様の尻尾攻撃でストレスでもたまってるのか?」
「洋輔に理由がわからないなら僕にわかるわけもない。亀ちゃんの尻尾攻撃はたしかにいらっとするというか困るけど、でもそれが原因で云々とは考えにくいなあ」
なんだかんだで文化祭も閉幕直前。
自由時間を楽しんだ後、僕はそのまま茶室で囲碁将棋部の展示をちょっとだけ手伝っていた。
……まあ、予想してなかったわけじゃないけど、そこまで盛況とは言いがたいかな。茶室の位置も悪かった。ある意味学校の隅だし、こっちの方に展示はほとんどないから、そもそも明確な意思を持ってこない限りは人が来ない。
で、ちらっと入ってささっと出て行くという人も結構多くて、ちょっと葵くんは不満げだった。一方で涼太くんが心底安心していたのは、たぶん忙しい寄りかは暇な方が良いという理論だろう。
尚、あんまりにも暇だったので洋輔を呼び出したら人長くんや二年生、三年生の先輩方も引き連れてきたため葵くんが大喜びし、涼太くんが心底うんざりしていたのは言うまでも無い。
「時折ふと疑問に思うんだけど、お前って結局前多と六原なら前多の味方なのか?」
「当たり前じゃん」
「けど班での人付き合いで言えば弓矢のやつも層だけど、六原の方が長いだろ?」
「それは否定しないよ。否定しないけど」
何を今更という感じの問いだったので、これでは僕も何を今更と答えるしかない。
「涼太くん、背が高いから。駄目」
「…………。いやあいつ平均くらい」
「駄目」
「……はい」
ちなみに昌くんとか郁也くんも僕より高いけど、まあ、許容範囲内である。でも信吾くんくらいまでかな。蓬原くんは、ちょっと、悩むところだ。150センチ乗ってるし。
「理不尽だな……俺もアウトか。平均寄りかは低いんだが」
「当たり前じゃん。幼馴染でもなかったら爆破の一発入れてるよ」
「せめて蹴りにしてくれねえかな」
でもなんとかなりそうだ。
いやなるけどな、と洋輔が視線で訴えかけてきた。
さらっと爆破しようとする僕も僕だけど、洋輔もそれに即応できるあたり、結局は大概なのだと思う。
「待たせたか、二人。悪い、呼び出しを」
「いや、気にしないで」
というか気にするならばまず異世界の言葉で話して欲しい。難解なのだ。いや練習だと解ってるから我慢するけれど。
「それで、どうしたの? 放送まで使って呼び出すなんて」
「だな。普通に呼んでくれりゃよかったのに」
「居るか解らない……、」
冬華は一度そこで言葉を句切り、
『ああ、いや。悪いけどこっちで話すわ』
と、すぐに諦めた。つまりなかなかに急ぎの用事か。
でも場所が悪いな。ここは四階、一般の立ち入り禁止フロアとはいえど中央階段だ。他の生徒が通らないとも限らない。
『端的に述べるわ、妙な子、呪いを行使している側の子が居たのよ。代償が発生するほどに強固なものを使っているのに、その代償がなくなっていた。まるで何かに肩代わりさせているかのようにね。そしてその子の目、左右で色が違ったし、ひょっとしてその子が佳苗、あなたの言っていた「友達の弟」なんじゃなくて?』
『……特徴からして、たぶんそうだね。代償の肩代わりは僕と洋輔で強引にそれを実現させてるから、だと思う』
『なるほど、納得ね』
けれどあの子は危ういわ、と、冬華は腕を組んで言う。
『あの子の才能、ちょっと高すぎるわね。目もあれだし、最初の人なのかしら』
『……最初の人?』
なにそれ?
『お前には才能引換券を生まれ持った人間って説明が手っ取り早いな』
僕の問いかけに、しかし答えたのは洋輔である。そして洋輔はやっぱりか、と言う表情と感情を浮かべてた。
やっぱりって……。
『前に俺もそいつ、弓矢の弟とは会ったことがあるけど、その時に「もしかしたら」とは思ったんだ。確証はなかったが』
『でしょうね。最初の人は必ず両目の色が違うけど、両目の色が違えば必ずしも最初の人と言うわけでもないもの』
ふうん……?
そもそもなんだその、才能引換券ってのは。
『帰ったら説明してやるから少し待て。それで冬華、そのことを伝えるためだけに来たのか?』
『まさか。ただもしも佳苗が言っていた子であるならば、その子の呪いをどうにかしたいんでしょう? 可能よ、方法を問わないならばね。ただ、私がその子と接触できる場所があまりにも少なすぎる。今日を逃せばしばらくは来ないでしょう』
……まあ、そうだろうな。
ただでさえ男子と女子。
ましてや小学生と中学生。
普通に接触することすら難しいだろう。今日みたいなイベントが無い限り。
『方法ってのは、具体的にはどうするんだ?』
『無意識なのに明確な反動が出るほどの呪い、を扱えるのが問題なのだから、解決策は三つよ。一つ、呪いを厳密な技術に落とし込むことで制御してしまう』
『却下。そもそもそう簡単に技術化できねえから呪いは法則として番外なんだろうが』
『そうね。二つ、呪いの上から別の技術によって封印してしまう』
『それも却下。そもそも最初の人がその特権によってその能力を獲得しているのだとしたら、それを封じることができるのは封印系に特化した最初の人だけで、俺もお前もそして佳苗も最初の人じゃあない』
『ええ。三つ、「説得する」よ』
うん?
『説得ってどういう事?』
『そのままの意味よ。あの子に洗いざらいを説明する。呪いの存在を、そしてあの子自身が呪いを扱えてしまうという事実もね。魔法や錬金術の存在を伏せつつ呪いの存在を証明する……普通にやれば難しいでしょう、まともにやれば厳しいでしょう、けれどこの地球、この国であれば、特に問題は無いはずよ。真偽判定を応用してやれば、その手の誘導くらいは簡単にできるでしょうし』
『ああ、なるほどな。そりゃあそうだ』
洋輔が冬華に頷き返す。
が、その直後に僕を見た。不同意、それに気付いたからだろう。
『なんでだ、佳苗。他に手がないぞ』
『確かにその手ならば、晶くんがむやみやたらに呪いを行使するとも思えない。その点では良いよ。でも、晶くんの性格がちょっと問題になりそうで』
『そんな悪い子には見えなかったけれど、腹黒なのかしら?』
『まさか。とても良い子だよ。……良い子すぎる』
呪いの存在を教えたとしよう。
そして晶くんがそれを制御できるようになったとしよう。
となると、晶くんはどう行動するか?
まず第一に、その事実を伝えてくれた恩人として、僕と洋輔と冬華の三人におかえしを試みるだろう。そしてそのおかえしは呪いによって行われる。僕や洋輔や冬華に幸運が訪れる、そういう呪いだ。そこで受ける代償を必要経費と晶くんは割り切るだろう。それは単なる献身や慈愛の気持ち、それに加えて、その先でさらなる利益を見いだせるくらいには賢い子。それが僕の晶くんに対する率直な評価である。
『そのあたりも一緒に言い含めるのは?』
『やればできるとは思うよ。僕だけじゃ無理でも、洋輔だけじゃ無理でも、冬華も含めた三人で協力すれば誘導はできると思う。晶くんに関してはね』
けれどその場合、昌くんと郁也くんがネックになる。それぞれの洞察力は精々普通よりも少し優れている程度だ、けれどあの二人が揃ったときは跳ね上がると僕は観測している。ましてや晶くん絡みの事になれば、それは一段と上がるだろう……昌くんは晶くんのことをとても大切にしているし、郁也くんもそんな昌くんのことを知っているからね。
だからこそ、僕たちが心理的な誘導をかけるとなれば、晶くんのみならず昌くんと郁也くんにも仕掛ける必要がある。対多数への心理誘導それ自体は難しくないけど『いや高等技術だからな?』待って洋輔、これ心の中の思考だから。冬華がきょとんとしてるってば。
『どうしたの?』
『いや。つまり晶くんに色々と仕掛けようとすると、実際には昌くん――つまり晶くんのお兄さんで僕の友達であるその子と、その子にとって大切な幼馴染である郁也くん、郁也くんも僕と友達だけど、その子にも色々と仕掛けないと破綻するってこと』
『したら良いんじゃない。私には厳しいけど、あなたにならば特に問題ないはずよ?』
『その二人だけで済むなら、ね……』
……今日、来てるかなあ。
来てると良いなあ。
来てないかもなあ。
『誰が』
『いやだから、何の話?』
『……ねえ、冬華。その時見た子、晶くんって誰かと一緒に居た?』
『やれやれ。まあいいわ。そうね、女の子と二人だったわ』
女の子……、意外だ。
『私にしてみればって話で、今の私の身体からしてみれば大分年上だけどね。年齢はわからないけど、ずいぶんと髪の毛の長い女の人よ。両目とも綺麗な青色だったわ』
そしてよかった、第一関門は突破したようだ。
『……まさか佳苗、あなたはその人を警戒しているの?』
『うん』
他人よりも見える色が多い、と彼女は自分をそう説明していた。
あれから色々と調べた結果、四色型色覚という珍しい才能なのだろうと言うことも解った。
けれど本当にそれだけか?
美術品の真贋判定をするのが仕事だと言っていた。それは確かに、色使いから判断しているだけかもしれない。
一般的な人間には読み取れない、感じ取れない微細な色の違いを、彼女は明確に読み取っていて……だから、上っ面の色使いとは違った、本当に微細な色使いから真贋を判定しているというだけかもしれないし、十中八九はそれが真実だろう。
でももしも、彼女が真偽判定に近しいことを物に対して行える、そういう目をもっているならば?
『違った世界を見ている』と、昌くんは日さんを称してそう言った。それは他人と比べて目が読み取る色が一色多い、ただそれだけが理由なのか?
それとも本当に――なにか違う物が見えているのか?
例えばソレで僕の眼鏡越しの色別のようなものが見えているとしたら?
『勘ぐりのレベルね。その程度のことにいちいち気にしていたら、あなた、近いうちに呼吸もできなくなるわよ』
『解ってるよ。でも呪いなんて現象を信じ込ませる必要がある。規模を広げてね。……そこに違和感をもたれれば、あるいは魔法や錬金術にも踏み込まれるかもしれない。そういう警戒を、僕は晶くんにも日さんにも昌くんにもしているし、郁也くんに対してもしてるんだ』
『ふうん……』
根拠は、という問いかけを視線でしてくる冬華に、答えたのは僕ではなく洋輔だった。
『あいつら、血液型がボンベイ型という特別なものでな』
『ボンベイ型……?』
『お前にはこういった方が早いだろう、冬華。Oh型だよ』
ボンベイ型。僕はその血液型が意味することを知らなかった。
けれど洋輔は強く覚えていて、だから使い魔の契約を交わして以来、ちらっと共有した情報の中に入っていたのを僕は見逃さなかったし、その件に関しては洋輔を問い詰め、一応の解決をしている。
ボンベイ型。
あるいは、Oh型とも表記される血液型。
それはかの異世界において――
『あの世界においてその血液型に生まれた連中はすべからく魔導師と呼ばれていた』
――魔導師と呼ばれたその才能の、原典なのだそうだ。
◇
あまり悩む時間も無い。
なので多少強引にではあるけれど、日さんの視界に入らないところから冬華には観察して貰いつつも、僕と洋輔の二人で晶くんたちの方へと直行すると、
「あ、渡来さん。こんにちは。鶴来さんも、こんにちは」
「こんにちは、晶くん。日さんも来てたんですね?」
「ええ、こんにちはあ。なかなか楽しいわねえ」
くすくすと笑いながら日さんが言うと、その横で晶くんが疲れた、と言わんばかりにため息を吐いた。……これは、何度か迷子になったパターンかな。日さんの方が。
「晶くんも楽しんでくれてるかな?」
「はい! 演劇も見ましたよ。とても、なんだか……その、不気味なくらいに完成してたというか?」
「あはは。……作ってる側が言うのもどうかと思うけど、やっぱりあれ不気味だよね?」
「だって足音一つ取っても完璧な効果音だったし……あ、いえ。でもすごいと思いますよ。思いっきり引き込まれました!」
うん、フォローありがとう。でも僕も不気味というのが否定しきれないのでその指摘はよくよく祭先輩に伝えておく必要があるだろう。いや今頃、祭先輩の周りから言われてるとも思うけど。
「それは良かった。もうすぐ終わっちゃうけど、それでもよかったら終りまで楽しんでいってね」
「はい! ……ところで」
少し困惑しながら。
けれど、晶くんは言う。
「ちょっと、相談したいことがあるんですけれど」
「うん? ゆーと絡みかな?」
ゆーと。昌くんの家で飼っている、オッドアイのサバトラ猫。
なかなか可愛く凜々しい子なんだよね。こんど亀ちゃんつれて行っても良いかもしれない。いや良くないな、亀ちゃんの性格的に間違いなく喧嘩になるぞ。
「いえ。ゆーとはとっても良い子ですよ」
まあ、そうだろうな。亀ちゃんと違ってかなり大人しい子でもあったし。
「あのですね。……その。渡来さん。鶴来さん。いえ」
うん?
『リバー、ミュゼ、もしかしたらセゾンも居るか』
は?
「……って伝えれば解る、って。そう伝言を、お願いされてたんですけど。そもそも意味もわからない言葉だし、どういう事なのかな? って」
えっと……確かに今のは異世界の言語だ。イントネーションはちょっと変だったし、片言という感じもしたけれど、意味は通じる。意味はしっかりと通じてしまう。
言葉を解析された? どこで、誰が?
いや、言葉の解析だけならばまだしも、なんでその三つの名前が出てくるんだ。
「またずいぶんと妙な伝言だな……っていうか、誰からの伝言だ?」
「それが……、信じて貰えない、と思うけど。渡来さん、からの伝言で」
…………。
渡来さん?
って僕のこと?
「渡来さん?」
僕自身を指さしながら晶くんに問いかけると、晶くんははい、と困ったように頷いた。
そりゃ困るよな。僕から僕に伝言というシチュエーションがまず意味不明だ。夢遊病かなにかで僕に意識がない間、僕が一人でに晶くんに連絡を取った……? 無いだろう、そんなの。少なくとも洋輔と使い魔の契約を果たしてからであるならば、そのあたり洋輔が気付かないわけもない。
「その伝言って、いつ頃だった?」
「一週間くらい前、かな? 今度会ったら伝えて欲しいんだ、ものすごく怪しまれるだろうけれど、けれど僕ならば色々あって気付くと思う。そんなことも言われました」
一週間前。なら当然使い魔の契約は有効。
怪しいよな。でもその後に続く言葉は確かに僕ならば言いそうな台詞ではある。
だとすると、さっきの伝言は本当に僕が僕に対して言ったことって事に……、うーん。
『晶くん。ありがとう』
とりあえずお礼を言ってみる。
晶くんは小首をかしげていた。理解できない、そんな感じで。そしてその様子にはおかしな点がひとつもない。素の反応に違いないし、真偽判定も特に反応は無し。
「もう一つ確認。それ、晶くんが直接、僕から頼まれたのかな?」
「ん……はい。そういう事、……です」
判定はダウト。いや、明確に嘘をつくつもりでの発言じゃない事も解ってるから、追求はしないけども。
「そっか。ありがとう。……妙な伝言ではあるけど、伝言の意味も正直わかんないけど、けれど伝言の意図くらいは察せるしね」
「ならば良かったです。でも、その。ごめんなさい。もっとちゃんと、話せれば良いんだけど」
「無理矢理に踏み込まれて気持ちいいものでもないだろうからね。気にしないで」
とはいえ、僕から僕への伝言をするのに敢えて晶くんを選んだ理由がこうなると明白だ。ちょっと計画は中断して貰わないとな。
(どういう事だ)
さあ、僕も説明して欲しいくらいだけど……ただ。
「そういえば晶くん。さっきから日さんの姿が見えないけれど……」
「え? あれ? ねーちゃん?」
「……あの人ならさっき、あっちにふらふらーって歩いて行ったけど?」
「洋輔。そういうのは気付いたら直ぐに言ってよ。……晶くん、僕たちも一緒に探すよ」
「ご、ごめんなさい!」
「どういたしまして。洋輔はそっちでお願い。僕は晶くんと一緒に行動するから」
「ん」
わかった、と頷く洋輔。
そっちと示した方向には冬華が居るはずだ。呪いに関する対処の計画中止を伝えて貰う。リスクはこの際許容するしかない。
(説明するためにも理由を知りたいんだが)
見知らぬ僕が敢えて晶くんを巻き込んだのは、晶くんじゃないと駄目だったからだ。
そんな理由、僕には一つしか思い当たらない。
(…………)
その僕は、晶くんの呪いを利用しようと考えたんだろう。
(……その、『その僕』ってのはお前に伝言を伝えようと試みたお前だな? それって結局何のことなんだ?)
そのままの意味だよ。
たぶんそれは、僕なのだ。
ただしそれは僕自身じゃなく、少し違った場所にいる僕と言うだけで。
◇
複数の地球。
あの野良猫の言葉も、そろそろ解決しなければならない時期が来たと、その僕は少なくとも考えたのだから。