だからこそ
今回は特に散文。
文化祭は土日の二日間を通して行われる。ちなみにこの土日分のお休みは翌週の月曜日と火曜日に代休があるので、お休みの量は減らない。
また、土曜日の一日目は校内の生徒と教職員のみで行われる事実上のリハーサルであり、いろいろな人が遊びに来る本番は二日目、日曜日となっていた。
ちなみに撤収は日曜日、文化祭の閉会後に順次行われるのだけど、準備は土曜日の朝早くにするのではなく、その更に前日、金曜日の午後から行われる。
なので文化祭は二日開催だけど、都合三日間ほどの期間があるわけだ。
そういうわけで前日である午後、給食を食べ片付けたところでホームルーム。
「さて、いよいよ明日から開催となる文化祭だが、これの準備をこれから始める事になる。部活や委員会としての準備が優先される子は昨日までにそれぞれ通達して貰っているし顧問や担当教員に確認はできているから、そちらを優先してくれたまえよ。それと、教室内はそれなりに片付けなければならないから、それぞれロッカーに荷物は移しておくこと。以上、連絡事項はおわりだ」
…………。
生徒達の白々とした視線が担任の緒方先生に突き刺さっている……気付くかな、どうかな。暫くの沈黙の後、緒方先生ははっとしたかのようにこほんと咳払いをした。
「明日のことを先に説明しなければならなかったね、済まない。明日は朝八時四十分までに教室に集合しておくこと。その後体育館で開会式が行われるからね、そのつもりで居てくれ。……今度こそ連絡事項はおわりだ!」
「起立」
今度はちゃんと皆が安心したということを示すかのように徳久くんがいつも通りに号令をかける。気をつけ、礼。一旦さようなら、そういうわけで文化祭の前夜祭ならぬ前日準備の開始である。
「じゃあ佳苗、後でよろしくなー」
「うん。前多くんも涼太くんも、重たいものがあったりしたら置いといてね」
「任せるよ、その辺は」
じゃあな、と一旦去って行くのは何も葵くんと涼太くんだけではない。軽音部の部長を務める湯迫くんや、工作部の梁田くんに蓬原くん、写真部の佳くん、……あれ?
「どうしたんだ、佳苗。妙な表情して」
「いや……」
徳久くんの問いかけに、僕は素直に答えた。
「部活を優先した子たちって、委員会のほうはいいのかなって思ってさ」
「…………」
佳くんは写真部ながら文化委員。実行委員会にも一枚かんでいる。
蓬原くんは工作部として向かったけど保健委員。たしか保健委員は保健室の隣の部屋を使って展示をするという予定だったと思う。
葵くんは思い出してみれば風紀委員だし、涼太くんが放送委員なのは確認済み。
湯迫くんは立場的に軽音部を優先するのは当然とは言え、地味に図書委員なんだよな。
「……まあ、大丈夫だろう。委員会の一年生なんて、基本的には雑用なんだから」
「ふうん。そんなもんか」
僕も委員会入れば良かったかな。いや、入りたくても入れない事情があった以上仕方が無いんだけど、飼育委員会とか興味がある。でも檻の中に猫を入れるのはかわいそうだなあ……。
(なんで猫なんだよ。飼育委員会が飼育するのは兎だろう)
いや洋輔、たしかうちの学校、うさぎじゃなくて鴨だよ、飼ってるの。
(ああ、そうなのか。ジビエにでもするのか?)
それは僕にしてみてもまさかの食育発想だった。
もうちょっとほんわかとしたものをイメージしてほしいものだ。
◇
僕たち一年三組として出展するものは改めて、ブックメーカーというものだ。
文化祭にまつわる『YESかNOか』で答えられる問題が複数出題され、その正解数を競うというものである。それだけを聞けばむしろクイズにも聞こえるのだけど、ブックメーカーという名前に表されているように、予想ゲームに近い。
というのも、第一問からして、
『一般開放日の来場者に訪れる一般参加者で、腕時計を着用しているのは三百人以上。 Y/N』
……って感じ。
ちなみに一般開放日でも文化祭はフリー入場ではなく受付を介する形なので、風紀委員会などの協力を仰ぎ、受付に一年三組の子を二人以上常駐させることでカウントする事になる。二人というのはダブルチェックだね。
但しこのゲーム、時間的には十三時に受け付けを終了する。で、十四時ぴったりに結果発表。ここで四問以上に参加していれば景品が贈呈され、全問正解している人には特別賞が付与される。
景品は駄菓子の山分け方式なので、わずか一時間の猶予で駄菓子の山分けをしなければならないというなかなかに難しいことを要求される。まあ何とでもなるだろう、洋輔もいるし。
そして特別賞は複数あって、まずは表彰状。これは既に印刷済み、実際に達成者が出たらそこに名前と日付を入れて渡すことになる。そしてそれとは別に栄誉……かどうかはともかく、全問正解者で、かつ本人が望むならば、その全問正解者の名前は暫く学校の中央階段に設置されている掲示板にポスターが張られる。
尚、一日目はリハーサルなので啓示も表彰状も無しだけど景品はありだ。本番と比べればちょっと少ないけどね。
というわけで、あらかじめクラスの子たちが作っていた装飾用のあれこれを飾り付け……なんだけど、なんだかこう、コンセプトがよくわからないな。
造花のようなものもあれば、紙をリング状にした定番のあれもあるし、応援に使うようなビニールを裂いたふわふわもあるし。
もうちょっとこう、シックな感じのほうが良くないかな?
いっそ色を全部白と黒……、なんか縁起が悪いな。それに演劇とは違うのだ、別に統一感なんて無くても良いのかもしれない。
そもそもここで行うのは出題と表彰くらいだからな……、他のクラスほど凝る必要も無いといえばそれまでなんだけど、手抜きというのも気が乗らないので、演劇部として磨いたちょっとした小技をちらほらとちりばめることに。
……うーむ。
でも最初から僕がいればなあ。色々とそれっぽい会場のセットとか……ふむ?
「ねえ、佳苗。何か良からぬことを企んでるように見えるんだけれど」
「そんなことはないよ、昌くん。ただ、演劇部のセットに確か三大映画賞の授賞式をモチーフにしたやつがあったなあって思って」
それを流用すれば一気に華やかにできるな……、いや。
「でも、駄目だな」
「あれ、駄目なんだ。珍しく自制が勝ったの?」
「……郁也くんは僕を欲求の権化か何かだと思ってない?」
「わりと」
なかなかの正直者な郁也くんと、そんな郁也くんと一緒に苦笑を浮かべて居る昌くんだった。この二人のこの感じ、嫌みがまったくないのがいっそ清々しいんだけど、人によっては苦手だろうなあ。
「残念だけど使えない理由があってさ」
「演劇部のものを勝手に使えないってやつ?」
「それもあるけど、もっと致命的な、サイズの問題。あのセット、ちゃんと展開しようとするとこの教室の天井じゃ低すぎるんだよ」
「…………」
舞台にあわせて僕の前任者こと茱萸坂さんが作ったものだ、と書いてあったような。あのセット、使いどころがないようでかなり応用ができるんだよね。
そう考えるとそもそも僕が使おうとするまでもなく、既に文化祭で貸し出しされてるかも。結構セット系は貸し出しが多いからな。この前の白雪姫のやつもいくつか貸し出してるんだっけ。大型のセットの持ち出しはほとんど無かったけど……重いしな。
「ま、あるものでも十分良い感じにしていけそうだし。本格じゃなくて『それっぽさ』でいいならば、やりようはある――」
はず。
錬金術を頼らずに、どこまでやれるかな。
◇
結論から言えばさほど苦労せずに飾り付けは終わった。
そもそも女子達である程度飾り付けの方針は決めてあったらしい。大体女子に指示される通りにやれば問題は無しって感じだった。いくつか手直しした部分もあるけど、誤差だろう。
で、大体の準備が終わったところで僕は皆から承諾を貰い、和室へと移動。
到着したそこでは葵くんと涼太くんがテキパキと飾り付けを済ましていた。というか、ほぼ終わっていた。
「遅かったかな?」
「そうでもないよ。昨日までさんざん佳苗に手伝って貰ってたからこれだけ早くできただけ。おれたちは並べただけだしな」
「だね」
僕の問いに涼太くんが答え、葵くんは安心して、とでも言いたげな表情で追認してくれた。よかった。
とはいえまだ少し作業は残っていたので、それを手伝ってゆく。
将棋部と囲碁部が出展するのは詰め将棋や詰め碁といったミニゲームの類い。こちらも全問正解でちょっとした景品が出されるようだ。
また、それとは別にフリースペースとして、囲碁や将棋を打てる場も用意されていて、詰め碁や詰め将棋をやっている間は遊びにきた側でやる分には自由、詰め碁も詰め将棋もやっていないフリーの時間であれば葵くんや涼太くんが相手をしてくれるそうだ。もちろん本気で。
僕が挑戦するのも面白いかもしれない。
「いやむしろ、佳苗にはこっち側でやってほしい」
「葵くん。一応僕は演劇部で、バレー部なんだよ」
「でもほら、佳苗の強さって尋常じゃないし」
「涼太くん。僕は強い相手にしか勝てない」
「お前のその悩みも大概頭が悪いぜ……」
いや僕もそう思わないでもないんだけど。なんかそうなるから仕方が無いのだ。
「まあうん。僕、割と当日は忙しくもないから……演劇の舞台の前後はそこそこ拘束されるけど、それ以外は特にこれってやつもないし、暇なときは来て手伝うよ」
「助かるよ、本当に。オレたちだけじゃ限度もあるからなー。それ以前にそこまで人が来るか? って話もあるんだけど」
「確かにな。囲碁や将棋で天才的な才能を持つ時の人が居れば、とりあえずで寄ってくれるやつもいそうなんだが」
そうだね、と涼太くんのぼやきに頷きつつも、なんだろう、今年こそまだ目立ってないけど来年には大騒ぎされてる誰かがいそうだな……。タイミングが良いんだか悪いんだか。
「ま、変に忙しくなっても困るから良いんだけどな。二人で回すのも限度があるし」
「それも、そうか」
ちなみに二人も文化祭は遊びに行きたいということで、学生デー、つまり一日目は半分ほどここを閉じておくらしい。妥当なところだろう。
そもそも少人数なのだから一日中やるのではなく、他の部と合同でやれば良いんじゃ? と思わないこともないけど、専門性が高いからな。専門性って意味で言えばそれこそ茶道部と合同出よかった気がするけど……、茶道部、女子勢力が強すぎるからな。それを苦手に思ったのかもしれない。
ともあれ大盤も含めて準備が完了。
「ふう。おかげで助かったよ、ありがとな!」
「どういたしまして。僕は並べただけだけど」
それでも役立てたなら何よりだ。
で、時計をながめる。結構な時間にはなっていた。
一通り準備が終り始めた頃だ、けど、皆方部長たちとの約束の時間にはまだ大分早い。
どうしよう。
「暇なら今日こそ一局打ってかない?」
「いいね。なら前哨戦とでも称して、やろうか」
他にやることもないし。敢えて言うなら演劇部の最終調整に参加するくらいかな、でもそっちも実は今回はあまり触れていない。
触れていないというか避けられているというか。何か先輩達には考えがあるらしく、その考えにおいて僕の存在が微妙に邪魔……と言うと言葉が強すぎるけど、結果的には邪魔らしい。
何か僕に内緒で演技を詰めている、ってことになるんだけど……ま、明日になれば解ることだ。それまでは我慢我慢。
というわけで、盤をはさんで葵くんと向き直る。さも当然のように涼太くんは記録用の道具をそろえて持ってきた。棋譜に残すのか……まあいいけれど。
「振り駒の結果、葵の先手だ」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
涼太くんの仕切りで僕と葵くんの言葉が重なり、いざ、前哨戦と言う名の決戦が、事実上の制限時間無しのこの場において繰り広げられるのだった。
◇
将棋を終えてそろそろ時間か、と体育館へ。
葵くんは涼太くんと一緒に検討も済ませてから帰ると言っていたから、結構居残るつもりなんだろう。怒られない間に帰りなよとは言ったけど、どこまで意味があるものやら。
というわけでいざ体育館。
に入ると、丁度演劇部の練習、の片付けが始まったところだったようだ。皆方部長が近寄ってきて、そのまま笑顔で口を開いた。
「あ、かーくん。ナイスタイミング!」
「その様子だと、調整は上手くいった感じですか」
「なんとかね、りーりんが間に合わせてくれたわ」
ふうむ。祭先輩も大概でたらめな調整能力なんだよなあ、とかズレた感想を持ちながらも、話は話として進めなければ。
「それはよかった。衣装、修繕が必要なものはまとめてありますか?」
「えっと、まだりーりんが着てるから、ちょっと待っててね。着替えが終わったら来るはずだから、それまでは足止……ここで休憩よ!」
明らかに足止めって言いかけたよね。え、何、そこまでして僕に見られたくないわけ?
そう言われると今回は決定稿の台本も貰ってないんだよな。なんか急に不安になってきた。この人達、一体何をやろうとしてるんだろう。現代劇で学生が出るとしか知らないぞ。
緒方先生がオッケーを出したわけで、妙な内容って事はないんだろうけど、だとしたらなんで僕に内緒なんだ。小道具の一つでも追加すればそれだけで違うかもしれないのに。
「まあ、良いですけれど。そういえば皆方部長に聞きたかったことがあるんですけど、この場でいいですか?」
「ええ。何かしら?」
「皆方部長って、将来……っていうには近すぎるか。高校受験、やっぱり茱萸坂さんの学校を目指すんですか?」
「うーん。半分正解かな?」
半分?
なんか前に僕、皆方部長からそれとなく大胆に告げられてたと思ったんだけど、事情が変わったのかな。
「いえ、大筋では変わらないわよ? 私、ぐみぐみ先輩に誘われてたし、そのままついて行くことにしたしね。けれど私は目指すわけじゃないし」
「同じ事なんじゃ?」
「いいえ、違うわ。私は受験しないもの」
ああ、推薦か……、そりゃそうだよな。皆方部長の表現力は結構えげつない。その表現力を生かし切ってる祭先輩のほうがおかしいんだけど、茱萸坂さんならば似たようなこともできるだろう。
それに環境も良さそうだし。
「ただ、そこでらんでんがちょっとねー」
「藍沢先輩が、ですか?」
「ええ。……まあ」
思い上がりであって欲しいんだけどねだなんて、珍しくも曖昧にぼかしつつ、皆方部長は天井をながめた。
「これは私たちの問題よ。かーくんに関係が無いなんて言えないけど、それでも迷惑はかけないように努力するわ。ごめんなさいね」
「いえ。……んー」
真偽判定から応用編で、心境把握をやれば何を隠したがってるのかは解るけど……。正直、そこまで追い詰められている状況でもないし、なにより皆方部長は僕に対して善意で隠しているのだから、それを暴くのはなにか違う気がする。
暫くそのまま雑談をしていると、祭先輩が体育着姿でやってきた。
体育着姿。
体育着? あれ?
「ちっす。かーくん、元気っすかー」
「僕は元気、ですけど」
改めてまじまじと見て、
「なんで体育着なんですか?」
やっぱり変わらなかったので聞いてみたら、祭先輩はあはは、と少し照れるように笑い、
「着替えるの面倒だったんすよ」
と身も蓋もないことを言った。気持ちはわかるし、体育着での登下校も別に禁止はされてないから別に誰も何も言わないだろうけど……。
にしてもなんか、体育着姿の祭先輩って普段より幼く見えるな。何でだろう。
球技大会とか体育祭では特段、そういう印象がなかったんだけど――ん。あれ。
「のわりには、それ、祭先輩の体育着じゃないみたいですけど」
「…………。鋭いっすねえ」
サイズが違う。幼く見えたのは『ぶかぶか』だったからだろう。藍沢先輩から借りたのかな? いや、藍沢先輩のものにしてはちょっと小さいか。
「借りたわけじゃないっすよ。来年くらいになれば自分で使えるし、今回は小道具で使うって事っすね」
「なるほど」
現代劇。制服。体育着。学校が舞台、で間違いはなさそうだけど、流石に内容は読めないな……セットがあればちょっとは違うんだろうけど。
「さて、かーくん。悪いっすけど、修繕をお願いする衣装が何着か出たっす」
「はい。簡単なものならこの後ちゃっちゃと済ませますし、だいぶ派手に破けていても明日の朝までには間に合わせますよ。最悪ゼロから作れば間に合います」
「頼りになるよねー。本当に、かーくんだからこそできる無茶だわ!」
褒めて貰っているような、微妙に人外と言われているような……まあいいや。光栄です、と答えつつ、後から付いてきた藍沢先輩が大きな紙袋を僕に手渡してきた。結構重たい。中身は……女子の制服と男子の制服が一着ずつ、と、変形ワイシャツかな。
「渡来、それとものすごく今更なんだが」
「はい?」
「眼鏡。予備持ってるって言ってなかったか?」
「ありますよ。小道具として使うなら貸し出しますけど」
「じゃあ、悪いが明日の朝、頼む」
「はい」
ふうん、眼鏡かける人物も出てくる……いや、急に決まった感じかな?
まあ、使うというなら準備しよう。さほど難しい事でも無い。
他にもいくつか確認はしつつ、今日は解散と相成った。
時間もそこそこ良い時間、僕も一旦帰ろうっと。
◇
帰宅するとカギは掛かっていた。両親ともにお仕事中、今日の帰りは連絡ボードによれば八時頃、適当に御飯は準備しなければならないだろう。
靴をそろえたところで足下にふんわりとした感覚、そして遅れて『にゃあ』と声。
「ただいま、亀ちゃん」
「にゃ」
お帰り、とでも言いたげに亀ちゃんは鳴いた。尻尾はゆっくりゆらゆらと、そして目の周りもゆっくり瞬きをしていて、どうやらご機嫌のようだ。何か良いことでもあったのかな。
そのまま僕は自室に直行、亀ちゃんも当然のように後ろを付いてきたので一緒に入って、まずは僕自身の制服を脱いで色々と処理しておく。ワイシャツは後で洗濯機行きだな。スラックスはハンガーに掛けるついでに亀ちゃんにチュールを進呈。
ごろごろと満足そうに喉を鳴らして食べ始めるのを見てちょっと撫でてあげて、その後持ち帰った衣装のほうをチェック。
女子の制服も男子の制服も、両方共に冬服だった。ちょっとほつれてしまっている。ので、ふぁんと修繕、はいおしまい。
きちんとたたんでケースにしまって、あとはこれで持って行けば良し。でもこの制服、偽物じゃないな。本物の、普通の制服だ。誰からか借りたのか?
刺繍ついてないかな、と確かめてみると、女子の制服には『茱萸坂』と刺繍が。一方で男子の制服には『藍沢』……、ふむ?
こっちの制服は茱萸坂さんから借りて、男子の方は藍沢先輩が昔着てたやつかな。今とはサイズが会わないし、新入生だった頃にでも着ていたのかもしれない。サイズで考えると……、うーん。いつもの斜め上発想で考えると、ナタリア先輩が男子の制服で祭先輩が女子の制服、なんだけど。祭先輩が体育着を着ていたのも直接女子の制服を着るわけには行かなかったから、とか、そんな理由付けもできるな。でも女装に男装、必要かな? あるいはそれがテーマな現代劇? ううむ、だとしたらウィッグとか小道具で要求されそうなんだよね。
素直に考えるとナタリア先輩が茱萸坂さんの制服で祭先輩が藍沢先輩の制服だ。ただなあ。それなら自分の制服で良いんじゃない? 敢えて他人の制服を借りることに意味があるかな……あるから借りてるんだろうな。よくわからない。演劇部の伝統みたいなものかな?
「まあいいか」
明日になれば解ることだし。うん。
亀ちゃんがチュールを無事食べ終えたのを見て、ふと。
「…………」
気のせいかな……気のせいじゃないかな?
なんか亀ちゃん太ってない?
ふと思い立ったので亀ちゃんを抱きかかえてみる。ああ、ちょっとずしっと……いけない、地味にだけど太り始めている。このままではぽっちゃり猫だ。もともと毛が中途半端に長いからな、気付きにくいんだ。
最近はチュールとかおやつ、多過ぎたかな。でもチュールって一日に四本を目安とか書いてあるし……適正量だよね? それともあれって他の餌あげない前提なのか?
まあどちらにせよしばらくはカリカリダイエットだ。
「にゃあ……」
「我慢しなよ、亀ちゃんも。そのまま太り続けるといつか動くのも億劫になるよ」
「…………」
亀ちゃんは非難するような視線を向けてきた。
無視。
「いや俺にはそのニュアンスもわけが解らん」
「あ、洋輔。お帰り」
「ただいま……ふぁああ」
そして洋輔は大あくび。疲れたようだけど、なんかあったっけ?
「いやこっちの事情」
「そっか」
深くは追求するまい。どうせ碌でもないことだ。
「…………」
洋輔まで亀ちゃんみたいな視線になった……。
でも亀ちゃんよりなんかイラッとする。
「え、俺って上様より扱いが下なのか?」
「いや別に。洋輔がっていうより人間が猫の下」
「…………」
猫は偉大なのだ。
◇
翌朝、文化祭、一日目。
事実上のリハーサルである今日この日、早速ブックメーカーも開始。
何人が全問正解するかな? 多くて三人くらいだと思うけど。
そんなことを勝手に思いつつも、軽く洋輔と諸処を回ってから演劇部に合流。
朝一で衣装などは全部渡しておいたし、と安心しきっての合流だったのだけど、
「さて、かーくんも来たところで今日の公演について軽く最終調整をするっすね」
と、祭先輩はしてやったりの顔をしながら言った。
「演技自体は昨日の非公開リハからの調整である程度詰めましたけど、完全な同期のためにBパートからCパートへの遷移に1.2秒置くくらいっすね」
秒単位のスケジュールが0.1秒単位に悪化していた。祭先輩って、というかここに居る僕以外の四人は一体どこに行きたいのだろう。ドラマとかだってそこまでシビアな台本は無いと思うぞ。ミュージカルだってあるかどうか……。
「で、演劇の中でそれと解る演出があるっす。その演出があったら、かーくんにお願いがあるっすよ」
「お願い? 僕にですか?」
「そうっす。具体的には、そこのトランクケースを抱えて持ってきて欲しいっすよ。舞台に」
「…………」
そこのトランクケース、と指さされたのは、舞台の前に置かれたトランクケースだった。いや、今のうちに移動させちゃえば良いんじゃ?
「まあまあ、演出っすから。それにそれを抱えて持ってきてくれればそれだけでいいっすから」
「はあ……、解りました、けど。でも僕、台本も貰ってませんよ? タイミング解るかな?」
「解るっす。間違いなく。そういう演出にしたっすから」
そういう演出をするくらいならば大人しく台本をよこせばいいのに……。
まあ良いけど。
「じゃあ、そうします」
「そうしてくれっす。かーくん、今日はせっかくだし観客席から見てくださいっすね。そのほうが楽しいっすよ」
……ふうん?
嘘ではなさそうだし、じゃあ、そうさせて貰おう。
他にもいくつかの調整をしたりして、徐々に人の入り始めた客席の方へと移動。タイミングが来たらトランクケースを運ぶという仕事を任されているので、一番通路に近い席を選んでおくか。
「ん……佳苗、こっちで見るのか?」
「うん。なんか先輩が客席で見た方が良いよって」
「へえ?」
なんか妙な話だな、と洋輔。
見れば洋輔は人長くんや蓬原くんをつれていた。いつの間に。
「お、佳苗だ。準備できたの?」
「前多くんまで……あはは、まあまあね」
というかふと気付いたら三組の男子ほぼ勢揃いじゃん。まあいいや、と一角を占拠。
ちなみに観客席はパイプ椅子で、千人くらいが収容できる規模になっている。流石に強気すぎる設定なんじゃないかなあと思ってたんだけど、毎年のように学生デーでも満員になるのが通例なのだそうで。
一般開放日に至っては立ち見もかなり出るのだと藍沢先輩が言っていた。なんていうか、学生に求められるものとは違う気もするけど、それでも名物は名物か……。
「ねえねえ、今日ってどんな劇なの?」
勝手に納得していると、郁也くんが問いかけてきていた。他の子達も気になっては居たようだ、皆して僕を見てきている。
「さあ。現代劇って聞いてるけど、僕は今回の演技にほとんど絡んでないんだよ。小道具らしい小道具もなかったし、衣装をちょっと用意したくらいかな」
「へえ……? でも」
ああ、あった。
そう言って、郁也くんは僕に文化祭の体育館のステージ工程表を見せてきた。
演劇部。
十時四十分開場、十一時開演。
そして演劇部のステージと示されるラベルは十二時ごろまで伸びている。
……一時間?
「それにしては妙に長いんだよね。撤収の時間も含めてるのかな」
「だと、思うけど……」
なにか、致命的な見落としをしているような、気がしてきたような……。
◇
いざ時間が来る前にもなると、千人が収容できるように配置されたパイプ椅子は既に満席になっていた。ほぼ全校生徒なんじゃ……、逆にここに来れていない面々が可愛そうな気がする。ああいや、そういう面々に向けて明日の特等席が解放される、のか。なるほど。
時間ぴったり、から一呼吸を置いて、じーっと。
開演を告げるベルが鳴って、照明が落とされる。
「らんでん。本当に今更だけれど、なんで演劇部に入ってくれたのかな?」
「本当に今更だな」
うん?
まず舞台に上がってきたのは藍沢先輩と皆方部長だった。どちらも私服、僕が作った衣装、だけど……。
こつん、こつん。とん、とん。そんな足音が綺麗にぴたりと、舞台の動きと当てはまる。
あの時、発表会での舞台と同じような完全な同期で、恐ろしいほどの非現実的な現実感が確かにあった。これが中学生のアマチュアなんだもんなあ。
「おれが演劇部に入ったのは、お前がいたからだよ。それ以外に理由が必要か?」
「さあ。私には解らないんだよ。でも……ふふ、嬉しいわ。なんだかまるで、口説かれているみたい」
「馬鹿を言え。お前の無茶ぶりに誰もついて行けなくなったとき、せっかく伝統ある演劇部を途絶えさせてなるものかと思っただけだ」
実際は……、まあいいや。いまは演劇を楽しもう。
そんな世話話をして、二人はそのまま舞台袖へとはけていく。
さっと引かれた紗幕に、プロジェクタで文字が投影される。
『だからこそ』
たぶん、それは、この演劇のタイトルだ。
現代劇。何を題材とするのだろうか、とは思っていた。
実際にそこに繰り広げられたのは『現実の舞台化』。
つまり去年という年を、四人の演劇部の面々が再現するかのように、ダイジェスト式に多少の脚色もしつつ表現される。
こんなことがあった。
あんなことがあった。
茱萸坂夕映という人が卒業してしまったために、セットや衣装の調達が難しくなった――それでも他の部活達が手助けをしてくれて、なんとか、舞台を演じられないのではないかという危機を乗り越えてゆく。
そんなドキドキするような物語。
不思議と祭先輩やナタリア先輩が少しだけ幼く見えるのは、衣装のスケールなのだろう。先輩の制服を借りることで『ぶかぶか』にわざとしているのだ。それが幼さに見える。
夏から秋を経て、三年生が卒業し、冬になる。
冬の演劇部は、来年度をどうするか、そんな話をしていた。
新入部員がとれるだろうか。
とれないかもしれない。
だとしても四人が居れば、とりあえずの演技は成立するし、多くの部活も手伝ってくれる。
そんな環境を皆方部長は素晴らしいと評した。だからこそ、一人でもいい、新人が入ってくれたら良いのにと。この素晴らしい伝統を受け継いでくれる子が居たら良いのにと。
けれど、部活紹介を経ても新入部員はゼロ。
それ自体は珍しいことではなかったようだ。だから、こんな年もあるよ、なんて皆が励まし合ってゆく。
それでも次の発表会にむけて、何をするかを決めなければ。
題材を演劇部としては考え始め、四人はそれぞれ別に考える。
皆方部長は部の存続を。
藍沢先輩は皆方部長の満足を。
ナタリア先輩は環境を。
祭先輩は台本を読みあさり、今できる最善をそれぞれに模索する。
ここで僕は、だからようやく理解した。
先輩達は僕に台本を見せてくれなかったんじゃないのだ。
大筋以外は完全なアドリブ。
見せるべき台本そのものがそもそも存在しない劇なのだと。
『だからこそ』、この物語には登場人物が一人足りない。
カレンダーがめくられる。
そして、部室を模したステージ上に、緒方先生が現れる。
「やあ、昼休みから呼び出して悪かったね」
「構わないわ、さゆりん。でも何事かしら?」
「うむ。実は新入生で少々目立つ子なのだが、一人、見学をしたいという子がいてね」
「目立つ子って……もしかしてあの二人のどっちか、っすか?」
「ああ」
それは楽しみね、とナタリア先輩はナタリアという役で言う。
その場であっさりとそれを是とした四人は、それぞれ迎えるべく『仕掛け』を始めた。
第一多目的室。そこにセットを展開して、少し遊びを見せようと考えた。
そして一瞬だけ時間が飛んで、床に何かをはるような動作を見せる皆方部長――にあわせて、扉があくような、そんな効果音。
「うん?」
まるで誰かが入ってきたときのように、その場に居た皆方部長と祭先輩は応対を始める。
誰か、の代わりを務めているらしいマネキンくんは見覚えのある眼鏡をかけていた。
……覚えていて、くれたのか。
物語が進む。進む。一人足りない舞台が、そのまま進む。
だからこの物語は、この演劇の目的は、この台本なき舞台が訴えたいことが、否応もなく伝わってくる。
「ようこそ」
「よろしくっす」
「よろしくね」
「よろしくな」
僕を舞台に上げたいんだ。
だからこそ。洋輔。
(なんだ、良いところだろ。さっさと行け)
先輩達がやりたいことが今解った。手伝って。
(何を)
舞台裏に走って。そこに他の先輩がいるはずだから僕から言われたって言えば良い。
あとはその先輩達に従って動いて。こっちはこっちで、時間を稼ぐ。
(……何のことだ?)
この舞台は、僕が演劇部に入っておしまいじゃない。
最初の舞台である『白雪姫』を完成させて、それを再現するところまでが舞台だ。
(マジかよ……え、そんなことを打ち合わせ無しでやるのか?)
あの先輩達ならやりかねないし、僕にやらせかねないよ。洋輔、頼める?
(ふん。……まあ、いいだろ。誰も居なかったら帰るぞ)
もちろんだ。
僕は観念して席を立つ――眼鏡を外して、席を立つ。
スポットライトが、いつの間にか僕を照らしている。自然と周囲の視線がこちらに向いた。いつのまに照準を合わせたのやら。
ゆっくりと歩いて、トランクケースへ。ソレを持ち上げる――うん、重さも想定通り。ドレスが入っているものだろう。
「こちらこそよろしくお願いします、先輩方。ところで渡すものがあるのですけれど」
現代劇。
そしてそのまま白雪姫。
それは即ち、今、この演劇部という僕たち五人を主役と見做した舞台。
僕が合流してから先も、台本らしい台本はなく、ただそれとなく察して動く事を求められていた。そしてその全てに答えきり、白雪姫を改めて実行したその後、カーテンコールの場の居て大きな拍手を先輩達と一緒に受けながら、改めて悟ったのである。
綺麗に『はめられた』と。
まさか全校生徒を証人にされるとはなあ……。
こうして、裏方専門だった渡来佳苗は、演劇部の普通の部員の一人となった。
尚、二日目、一般参加者の居る日の演目は今日と同じ現代劇ではなく、白雪姫の特別編集バージョンを行うことが改めて報されたんだけど、なんだろう、この敗北感。
◇
やられっぱなしは悔しいので、白雪姫の衣装全般をこっそり改良しておいた。