夏の日常、非日常
三時間目の授業を終えて、ふう、と僕はそのまま机に突っ伏す。と、背中をつんつんとつつかれた。
「どうしたの、佳苗。なんだかずいぶんとだるそうだけれど」
「だるいっていうかめんどくさいって言うか」
「それをだるいって言うんだよ」
何も言い返せない……。
葵くんだけじゃなく、徳久くんまで同調しているし。やれやれ。
「僕の家で飼ってる黒猫が居て……って、前に写真みせたっけ」
「うん。あの変に毛が長い子だよな?」
「そうそう。あの子、このごろ反抗期でね。朝起きたらお腹の上で寝てるとかは別にそれで良いんだけど、朝の五時ごろに尻尾を顔にぺちぺちされるのはちょっと……」
「……佳苗も猫で悩むことがあるんだな」
一体僕をなんだと思ってるのだろう。確かに猫が好きだし猫に好かれるけどそれだけだぞ。
「亀ちゃんも何かなー。不満があるなら言ってくれれば僕は解消するのに……」
「亀ちゃん……?」
「猫の名前。亀ノ上っていうんだよ」
「また独特なネーミングだな……」
徳久くんが呆れてきた。せっかくなので、とスマホを取り出して、その亀ちゃんの写真を見せてみた。
愛くるしいポーズ、但し微妙に臨戦体勢。
可愛さはもちろん猛々しさをも感じさせる一枚である。ちなみに爪は出ていないので実際はそういうポーズをしているだけ、狩猟本能的なものは発揮していないようだ。
「へえ。……なんか、特徴的な猫だな?」
「ね。ただの黒猫とも長毛種の黒猫ともなんか違って可愛いんだよ」
気性は荒いけどやっぱり可愛いものは可愛いのだ。但し寝ているときにぺちぺちされるのはやっぱり勘弁。起きるまで続くし。
「ならいっそ、佳苗の部屋から出しておけば? 家猫なんだろ?」
「うん。僕が家に居ないときは、家の中で自由にさせてるよ」
「ならなんで寝るときに部屋に入れるんだよ」
「可愛いし。それに……」
僕の部屋の中にあるものなら雑な修理で良いけど、リビングとかだとそれも難しいからね。
「……にしても、本当に。亀ちゃん、何が不満なのかなあ」
「遊んで欲しいだけじゃないの?」
「そうならそう言うでしょ」
「いや猫は喋らないだろ」
でも伝わるよ。
僕がそう言うと、葵くんと徳久くんは顔を見合わせて、こりゃだめだ、とお手上げのポーズを取るのだった。
◇
さて、放課後。
文化祭までもうあと少し、ということもあって、ほとんどの部活動は本来の部活ではなく文化祭向けの準備をしていて、それは委員会も同じらしい。
演劇部の演技はとりあえずのリハーサルを非公開で行っていて、僕もその場に居合わせたんだけど、すでにえげつない完成度というか、なんというか。
脚本で推してくる。白雪姫の時はその一面も確かにあった。
けれど今回は脚本以上にただ、演技力が尋常では無い。
そこに居る四人が、皆方部長が藍沢先輩が、ナタリア先輩が祭先輩が、『登場人物』としての別のキャラクターにまるで置き換わっている。そんな印象さえ受けた。
そんな感想を素直に伝えると、四人はじゃあもうちょっと調整が必要だね、と話し合いを始めていたので、なんともどこがゴールなのかわかりにくい。あの人達、一体どこに行こうとしているのだろう。僕は手伝うだけだけど。
で、バレー部としては特にこれといった出展をしない。というか、する暇が無い。週末は練習試合が結構入るようになったからだ。
チームとしては徐々に、けれど確かに上達してる、とは思う。けれどだからこそ、僕をリベロではない普通の選手として起用したがるのはどうかと思う。サーブもスパイクも苦手なのだ。出来ないわけじゃないけれど、野郎と思えば理想から再現は出来るけど、一回一回ものすごく疲れるし。その点リベロはかなり楽だ。いや、正確には調整がかなり楽だ。実はサーブとかスパイクも、特定の地点を狙い続けるだけならばそこまで難しいわけじゃない。毎回相手に合わせて打ち込む場所を変えるのが大変なだけで。
なのでというのも奇妙なことだけど、バレー部では最近、リベロとしてボールを拾う練習と同じくらいに、コーチと並んでスパイクを打つことも増えてきた。不本意ではあるけど、チームのためならば仕方が無い。それに実際、リベロも常にコートに入ってるわけじゃないからな。
閑話休題、しかし今日はバレー部の活動はない。普段ならば僕もさっさと家に帰って亀ちゃんと戯れるなり喫茶店に行って情報交換をしたりするところなのだけれど、今日はちょっと呼ばれたのでそっちを優先だ。
「悪いな、手伝わせて」
「ううん。演劇の時はそっちに手伝って貰ってるから」
「それもそうか」
というわけで、僕が訪れたのは和室である。
そしてそこに居るのは葵くんと涼太くんの二人組。いつものって感じがするけど、一応先輩がいるはずなんだけどな……。
「先輩は今日も来てないの? 感心しないなあ」
「んー。まああの人、とりあえずの間に合わせみたいな感じだったしな。それにオレもあの人に感謝してることがある」
感謝?
何もしていない幽霊部員に何を感謝するというのだろう。
「その人が在籍してくれたから囲碁将棋部が残ってる――部活を廃部にしないで遺してくれた。その上、本人はこないんだから、実質オレと涼太の二人で仕切れる。他の部活みたいに先輩が煩わしくない。こんな広い部屋を二人で独占してなんでもできんだぜ?」
「そう言われると確かに感謝の一つもしたくなるね……」
「だろ!」
それでもどうかとは思うけど。まあ、そういう形での部への貢献もありか……、いやどうだろう。葵くんは目をきらきらとさせているけどその横の涼太くんの目は泳いでいる。なにかやましいことがあるのかもしれない。
「まあいいや。今日は盤並べるだけ?」
「んーと、それとちょっと看板とかも作らないとな。大盤も用意しないと行けないし」
「大盤ってあの、テレビとかの解説で使ってるやつ?」
「そうそう。ホワイトボードは借りられるから、それに紙を貼り付けて、あと磁石でコマ作る……感じ。悪いな、大分めんどくさいことやらせちゃって」
なるほど。確かに大変だ。
が。
「でも、葵くんにせよ涼太くんにせよ、二人が僕を頼ってくれたのは嬉しいし、それになにより大正解だね」
「ん……正解ってどういう意味だ」
「二分くらいちょっと待っててくれる? ちょっと取ってきたいものがあるんだ」
「うん? 別に良いけど。オレたちも手伝おうか?」
「いや、大丈夫だよ。すぐそこだし」
ただし今僕が持っている荷物は邪魔なので、適当なところに置かせてもらうことにした。
で、和室を出た僕はほんの少しだけ歩いて演劇部の部室へ入る。カギはかかっていた、たしか今日は四人とも第二多目的室使ってるんだっけ。
まあカギは持っているので問題なし。中に入って出す者を出して、一応持ち出しリストに記名してから部室を出て、きっちりカギはかけ直す。
改めて和室についたのは予告通りほぼ二分程度経った頃である。
「お待たせー」
「おかえ……、おかえり、だけど。佳苗、なにそれ?」
「見ての通り、大盤。将棋と囲碁、両方あったよ」
「…………」
「待て。突っ込みが間に合わん。どこにあったんだそんなニッチなものが。少なくとも囲碁将棋部の備品には無かったし先生に聞いてもないって言われたぞおれは」
「涼太くん。この手の道具は演劇部が一通り持ってるよ」
「なんでだよ! なんで演劇部で将棋盤とか囲碁盤のしかも大盤を使うんだよ!」
あ、涼太くんが取り乱した。無理もないけど。
「五年前に囲碁部を題材にした演劇をやったんだって。で、その時に碁盤を挟んでちゃんと対局のようなことをしたんだけど、それって観客からだと全然見えないでしょ? だっから大盤を用意して、再現したんだって聞いたよ」
「理不尽すぎる……」
うん。実際涼太くんの言うとおり僕も理不尽だと思う。
僕が『ふぁん』で用意したというほうがまだ救いがあるぞこの場合は。
尚、将棋の大盤はじゃあ何故あるのかというと、その時についでだからと一緒に調達したそうで。
当時からして演劇部はなかなかによくわからない情熱を持ち合わせていたらしい。
「まあ、演劇部の備品だから、何しても良いよとは言えないけど、よほど馬鹿げたことをしないならば使って大丈夫だよ。こっちの箱が将棋の駒、そっちのケースが囲碁の碁石ね」
「ああうん。ありがとう。……理不尽だけど助かるなー。理不尽だけど!」
葵くんは二度理不尽という言葉を繰り返した。
正直同感である。
「まあまあ、看板とか作るんでしょ。手伝うからさ」
「サンキュー。じゃあ、そっちの机でやろっか。涼太、ポスター用紙は?」
「まとめておいたよ。ポスターカラーもな」
「流石!」
ふむ、ということならば、と上履きを下駄箱へ。
和室は和室、つまるところの畳張り。座布団に座るあのスタイルだから、上履きは玄関のようになっているところで脱ぐわけだ。
「ところで質問してもいい?」
「ん?」
「いや。さも当然のように和室を占拠してるけど、茶道部とかはどうしてるのかなって」
そして和室を利用する部活は四つ。
囲碁部、将棋部。これは涼太くんと葵くんだから別に良い。
が、茶道部と華道部、この二つだって文化祭として出展すると思うんだけど。
僕の問いかけに、ああ、と笑いながら葵くんは答えてくれた。
「茶道部は野点を屋上でやるから、ここは使わない。華道部もいろんな所に作品を置いて、その作品の共通点を当てよう! ってイベントをやるんだって。だから華道部もここを使わない。ならばオレたちだけで使っても良いかなって提案したら、すんなり通ったんだよな」
「へえ……?」
和室を使いたがる部活、他にもありそうだけど……いや、そうでもないか。
委員会も同じく。
委員会……、あれ?
「って、あれ? 確か涼太くんって放送委員会でもなかったっけ?」
「そうだけど、一年はほとんどやることがないからなあ。文化祭までは三年が主軸で二年がフォロー。その後は二年が主軸で一年がフォローになるけど、ようするにまだしばらくはおれも暇ってこと」
「なるほど」
よかった、サボりじゃなかった。
「まあその後もこっち優先するつもりだけど」
「…………」
「…………」
「二人揃って非難するような視線は結構だけど、あれだぞ。おれが委員会の方に力入れるようになったら葵、お前一人で部活になるぞ」
「あ、それはやだな」
「だろ」
まあ、確かに。
「じゃあその時は信吾でも呼ぼっと」
「待て。信吾はバスケ部で忙しいぞ大概」
「……それも、そっか」
目に見えてしゅん、とする葵くん……を見て、慌てて頭を撫でる涼太くん。
なんだろう、兄弟……? いや違うな、なにかもっと深いようで浅い関係が有るような気がする。
「……前々から思ってたけど。涼太くんって葵くんに妙に甘いところがあるよね」
「そうかな。ま、おれにとっても葵は特別だし……」
「へへー。佳苗はこんなオレたちが変だと思う?」
「まさか」
僕はポスターカラーを手に取って、答える。
「僕と洋輔の関係と比べれば、誰だって普通だよ」
僕のそんな断定に、二人はきょとんとして。
「そっか」
と、葵くんは何かに納得するかのように頷いていた。
◇
完成したポスターをながめて、うん、ととりあえず満足。もうちょっとそれっぽく作りたかったけど、あんまり頑張りすぎると文化祭ではなく商店街のイベントぽくなりかねないし、この辺でいいだろう。
「ところでこのポスター、一枚でいいの?」
「本当なら何枚か張り出したいんだけどなー。コピー機なんてないし」
「じゃあ部室でコピー取ってくるね。何枚いる?」
「……待って。待って佳苗。何、演劇部の部室って何なの?」
「葵くん。それは僕にさえよくわからないんだ……」
いや本当に。
今年になってからもレーザー加工機とか3Dプリンタとか導入されたし、当然の権利であるかのように溶接器具から機織り機、それにウェディングドレスや革材さえも縫える特殊な電動ミシン、そして宝石を研磨するグラインダー、磁力加工機に彫刻台、その他諸々。
少なくとも演劇部にある備品じゃないよな。ていうか公立校の部活の設備じゃないよな。バレたら大変そうだ。
とまあ、頼まれた印刷はさくっとしておいて、と。
ついでなのでラミネート加工もしておこう。機材はあるし。
本当ならば錬金術でふぁん、と全部終わらせたいしそっちのほうが早いんだけど、そうすると使ったという記録が残んないからなー。そこまでの手間でもないし我慢我慢。
というわけで完成したものを持って戻ると、
「うわあカラーコピーだけでも十分えげつないのにラミネート加工……」
と引かれてしまった。うん、正直僕もやりすぎ感がある。
でもあってこまる訳でもないし。
「まあね。サンキュー」
「どういたしまして」
さて、これでポスター関連はおしまい。
あとは実際の設営とかそのあたりになるんだろうけど、流石に今日からそれをしておく訳にもいくまい。
「実際、前日の準備も手伝った方が良い?」
「手伝ってくれると嬉しいけど……、でも、演劇部とかで色々あるんじゃ?」
「無いって言えば嘘になるけど、直接的なものって実はないんだよね。先輩達の衣装をちょっと修繕するくらいかな?」
そして修繕自体は一瞬で終わるし。
セットの展開とかも今回はない。ので、結構暇なのだ。暇なりにクラスの方を手伝うか、とか思ってる程度には。
「それなら手伝って貰っちゃおうか。オレたちだけでもなんとかなるとは見てるけど……。二人でやるよりかは三人でやったほうが早いだろうし、変なことにもならないだろうし」
「変なことって?」
「いや、オレたちだけで作業してるとなんか脱線しそうでなー」
あー。それはあるかもしれない。いや葵くんはその辺割としっかりしてるのは解ってるけど、涼太くんがその辺脱線しまくりそうだ。
自覚もあるようで、涼太くんは視線をそらしてるし。でもそれ、葵くんも大概乗ってるってことにならない?
「まあいいや。今日はこれでおしまいかな」
「だなー。どうする、佳苗。せっかくだし一局打ってくか?」
「んー」
久々にやってもいいかな、と思いつつ、時計をちらりとながめる。
微妙な時間だな。
「ごめん。今日は用事がちょっとあるから、このあたりで帰るよ」
「そっか。残念」
「どうしても買い物しなきゃいけないのがあってね。代わりっていったら変だけど、また休み時間にでもやろう。丁度席も前後だし」
「あ、それいいな。じゃあそうしよーぜ!」
とまあ、僕と葵くんがわいのわいのと言っていると、涼太くんは「まあお前らがそれでいいならいいけどな」とため息を吐いた。
「それで、渡来。じゃあ今日はありがとうな。助かったぞ」
「どういたしまして。涼太くんも葵くんも、あんまり遅くならないようにね」
「おー」
「解ってるよ」
本当かなあ……この二人のことだから一度囲碁将棋を始めると何時間もやってそうだけど。
(いやそれはねえだろ)
だから洋輔。この場に居ないのに突っ込みはどうかと思う。
(まあ別の事をして何時間とかはありそうだがな)
話を聞いて頂きたい。
(愛嬌だ。それで佳苗、連絡事項がある)
何?
(冬華がお前に会いたいってさ。とりあえずお前が喫茶店に行くはずだ、と答えておいた)
そっか。
さんきゅー、洋輔。
「じゃ、また明日」
「また明日」
「じゃーなー」
ともあれ、葵くんと涼太くんには挨拶をして、僕は一足先に学校から帰ることにした。
◇
下校道、はかなりの遠回りをして、僕は喫茶店パステルへと向かった。
一度家に帰ってから行くつもりだったんだけど、冬華が先に向かっているならば、少しだって待たせたくはないし……ね。
ドアを開ければちりんちりんと来客を告げる鈴が鳴る。紅茶やコーヒーの匂いがふんわりと、それにトーストだろうか、なにやら香ばしい匂いもするな。
「いらっしゃい」
「こんにちは」
「ああ。ようこそ。二階の席で良いかな」
「はい」
僕としてはたまには一階の席でまったりしたいんだけど、まだ大人っぽさがたりないか。少なくとも制服で紅茶を優雅に……は何かが違う気もする。ううむ。今度燕尾服でも作ってみよう。
(なんでだよ。っていうか前も似たようなこと考えてなかったか?)
何度でも言うけどこの場に居もしないのに突っ込みはどうかと思う。
とまあ、そんな茶番をしつつも二階へと直行。
そこでは制服姿の女子がパフェをつついていた。
「ん。こんにちは、冬華ちゃん」
「こんにちは」
言うまでも無く冬華である。
チョコレートパフェかな。美味しそうだ。
「今日のご注文は?」
「アイスティーと、チョコパフェで」
「了解」
店員さんも慣れたもので、メモを取るなりそのまま一階へと降りていった。
僕と冬華が内緒話をしたがっていることを察したのか、あるいは。
「私は頼んだ」
「なるほど。……そこの接続詞は『は』じゃなくて『が』のほうが正しいかな。通じるけどね」
「問題は無い。ならば」
「…………」
いや、まあ、そうなんだけども。
冬華はある程度日本語を覚えてきた。元々地頭は良すぎるほうなのだ、問題は彼女が習得していた言語と日本語による辞書が存在しなかったと言うことだけ。
そんな辞書を僕が作り与えた以上、彼女が日本語を使いこなすのもそう遠くない話だろうとは思っていたけど、本当にあっという間だった。
早くても文化祭過ぎた頃かな、なんて思ってたのにな。もう喋っている。文法が独特なのは、あちらの言葉の文法に引っ張られているからだろう。
「私は感じる。幸せだ。美味な食べ物は」
「そっか」
逆に言えば。
あちらの言葉の文法って、僕も無意識に普通に喋って聞いてとしていたけれど、ちゃんと形式張って考えるとそんな文法で喋ってたんだなあ……。
英語とかドイツ語とかイタリア語とか、そっちのほうがまだ近いのかな。
日本語って主語を頻繁に省略するし。
『喋りにくくない?』
『まあ、だいぶね。けれど練習も兼ねてるのよ、付き合って頂戴』
「はいはい」
とまあ、そんな微妙なやりとりも交えていると、僕が注文したアイスティーが到着。パフェはもうちょっと時間掛かるらしい、待って欲しいと言われたので待つ。どうせ直ぐに終わる要件でもない。
「ここは気にせず良い。大変だ、話をするのが、貴様と」
「貴様って言葉はちょっとなあ……。そこはきみ、あたりが無難だよ」
「そうか」
ふむふむと頷く冬華。しかしそんなことを話したくて僕のいる所に来たのだろうか?
それならそれでも別に良いけど洋輔あたりが呆れながら怒りそうだな。
「以前貴様……きみ。以前きみがくれた。それを気付いた、試したら」
鼎立凝固体のことか……?
パフェを食べ進めつつ、冬華は続ける。
「あれは言葉だ。つまり」
「……言葉?」
「そう」
にたり、と笑い、冬華は僕にノートを一冊渡してきた。
少し野暮ったい字、けれど見慣れた異世界の言語。
冬華の今の様子だと日本語で書く練習もしたかったのだろうけど、それ以上に秘密に出来るであろうこの字を使ったんだろうな、なんて思いながら中を読む。
そこに書いてあったのは、鼎立凝固体がもつ本来の道具――つまり魔法のような現象を引き起こすというその性質を考察したもので、一番最初に書かれていた結論は次の通り。
――鼎立凝固体と呼ばれるこのコイン状の物質は、一枚ごとに複数『文字』が共立している状態である。その『文字』は繋がることで『言葉』と化し、それを効果として表す道具と推測される。それは即ち第三法である『言霊』の性質を表す手段の一つだろう。
つまりあのコイン一枚一枚に複数の『文字』が刻まれている状態だと考える。
で、コインを複数組み合わせることで、文字を繋げていけば、それが『言葉』になることがあり、おそらくはその『言葉』に沿って効果を紡ぐことが出来る……んーと。
「つまり……えーと、どういうことだろう」
「私たちは思い出す。連ね結果をだ」
「ごめんちょっと難解すぎるよ冬華の日本語」
『それもそうね。つまり魔法は発想と連想、まあ今更よね?』
……さっきの日本語で発想と連想を読み取れと?
さすがにそれは無理かなあ。うん。よかった、早めにギブアップしておいて。
『思うことで発動する。それが私にとっての魔法だし、あなたにとっても、洋輔にとっても変わりは無いわ』
『うん』
『錬金術も発動の感覚は独特で、それを掴むことは難しい。けれどやっぱり、そっちも思うことで発動する。それもいいわね?』
『そうだね』
魔法にせよ錬金術にせよ、思うことで行使の意思とする。
詠唱も魔方陣も使わない――魔方陣に近いことはある、それが儀式や大魔法と呼ばれるもので、それに関連して魔法を図形に落とし込む技術が存在するし、それを突き詰めて身体に刻みつける印にまで昇華したシヴェルという家系もあったほどだ。もっとも、それの目的は発動速度の短縮、ではなかった。
むしろあれの目的は魔法の保存だろう。
発想や連想という個々の認識によって強く効果が変化してしまう魔法は、錬金術にもその嫌いがあるけれど、他人のそれを完全な意味で再現することが極めて難しい。光をともす、という魔法を使ったとき、僕はよくある光る球を作り出したけど洋輔はふわふわとした綿の様な照明を作ったし、冬華の光はベール状。防衛魔法などの『機能』的には同じ魔法でも、形状や細部は全く違うこともザラというか同じものを使える事の方が珍しく、僕の防衛魔法が極めてシンプルに一枚二枚を作るタイプであるのに対して、洋輔は何万、何十万という膨大な層で生み出すくらいに差がある。
それを嫌い、完全に同じ魔法を常に継承させようとシヴェルは考えたのだろうと洋輔も言っていた。印という形のあるものに魔法を封じ込めることで、その魔法を保存し、そこに魔力を供給することで有効化するという形で。
尚、そんなシヴェルが生み出した印という叡智は、目の前の冬華があっさりと模倣している。全ての魔法使いや魔導師に喧嘩を売るようなレベルで、冬華は他人の魔法を模倣することが得意だった。その性質は完全魔法と呼ばれ、あらゆる魔法の基礎を納めているという才能、とされてた、ような……。
『そういえば冬華。完全魔法ってちゃんと解析したの?』
『ええ。洋輔がまだ居た頃にやるべきだった、と常々私もニムもぼやいたわよ。一応の結論は出せたけれどね。そして鋭いわね、この話、ちょっと関連するのよ』
『うん?』
特にそのつもりはなかったんだけど。関連するってどういう事だ。
『完全魔法と呼ばれたそれは、最終的には「全法基礎」なんて名前が付いたのよ。あらゆる技術を最初から体得している、という才能。実際には第二法である魔法だけじゃなくて、第一法の錬金術にも適応していた事がわかったし、私、法外とはいえ呪いにも心得があったのはそのあたりが理由みたい』
呪い、使えるのか。大したもんだ……って、待った。
『呪い、使えるの?』
『ええ。それがなにか?』
『……ちょっと友達の弟が色々あってね』
『ふうん……? ああ、それかしらね、なんか地球でちらちらと見えてた呪いは』
見える類いのものなのか、アレ。
思わぬ所で根本的な晶くんへの対処が見つかったな。
と言っていると、店員さんがパフェを持って近寄ってきていた。
「話が盛り上がってる……かどうかは解らないけれど、はい、パフェ。おまたせ」
「ありがとうございます」
「君たちが帰るまでは二階には誰も近づけさせないから安心してくれ。追加の注文とか、したいならばそこのスイッチを押してくれればいい」
「お手数おかけしてすみません」
どういたしまして、と店員さんはすんなり去って行く。
……まあいっか。
『優しいのね』
『そうでもない。そこに盗聴器と、あっちにカメラが付いてるから監視は受けてるよ。ちなみに色別で一発ダウト』
『えげつないのね。……お店も、あなたも』
『まあね。こっちの言葉ならば理解は出来ないだろうから問題は無いよ』
『あんまり使ってばかりいると解析されるかも?』
それも……無いとは言えないけどね。
『まあいいわ。呪いについては後で教えてあげるわ、本題に戻ってもいいかしら』
『うん。ごめん』
『ええ。ともあれ、私の全法基礎という才能故かしらね……なんとなくだけど、鼎立凝固体の使い方も解ってしまった。けれど佳苗、あなたは錬金術的な使い方は浮かんでも、それだけなんでしょう? 別の何かを再現しているような機能だとあなたは言ったけれど、それだけでしょう? だからこそ、あれはまず間違いなく第三法を体現する道具よ』
僕にとっては錬金術の道具としてしか見えない。真実だ。
けれど冬華にはそれ以外の使い道を発見していて、その発見した使い道が魔法でも錬金術でもないと主張する。そしてその上で、けれど法則に属する者だろうと。
第三法……か。
『体現ね。再現じゃなくて?』
『ええ。そのものと言っても良いわ』
『そこまで言うと、第三法も錬金術の延長にある技術……ってことかな。錬金術がないとそもそも使えないことになっちゃわない?』
『可能性としては否定しないわ。ただ、「三色による色計算」と「光を通す」性質。この二つが揃ってれば、別に鼎立凝固体である必要は無いのよ』
うん?
『昨晩だけれど、鼎立凝固体とそっくりになるように、宝石とピュアキネシスでもどきを作ってみたわ。コイン本体部分のあのふんわりとしたオーロラ色をピュアキネシスで再現して、三色の凝固体は宝石って事だけれど。それで代用は「できた」のよ』
なるほど、ならば鼎立凝固体は偶然その機能を持ってしまったタイプ、なのかもしれない。本来はガラスとかでやるのかな。だとしたらあの奇妙な本体の色はオーロラではなくプリズムと解釈するのが正しいのか。三つの色をプリズムに通す、と。
ふうん、だとしたら第三法は光の色で効果が決まる法則ってことになるな。んー。
『まだまだ要検証、ではあるけれど、やっぱり予想通りではあるのか』
『ええ。あなたの言ったとおり鼎立凝固体がかつて、案外「ありふれたもの」であった可能性は確かに否定できない。広く一般化していたかどうかはともかく、高級品としては識られていたかもしれない。ガラスとかと違って劣化もほとんどしないもの』
なるほどね。
『そのノート、あなたにあげるわ。とりあえず私が気付いた範囲で、私の全法基礎で気付いた範囲の組み合わせを全部書いてある。ただ、赤ペンで書いてあるものにかんしては試す環境に気をつけなさいな。攻撃魔法を極めて過激にした感じになるわよ』
『わかった』
うん、とうなずき。
「じゃあ冬華、このノートは預かるよ。なんとか頑張って解説は入れてみる。明日……は無理かな、うーん。文化祭が終わったらその後にでいいかな?」
「構わない。私は満足だ、それによって」
「……うーん。意味は通じるんだけど、その倒置法のようななんか違うようなしゃべり方。どうなんだろうね」
「マシだ、喋らないよりも」
「それは違いない」
そして要件はこれで終りらしいので、パフェを食べて帰ることにしよう。
もちろん――
◇
――もちろん、僕がこの喫茶店を訪れた本来の理由を終えてから。
と言ったところで冬華が帰り支度を始めたので、
「冬華。領収書は置いといて良いよ」
「気にくわない。借りになる」
「いや、僕も払わないから。別におごりってワケじゃない」
「……ふうん」
何かの取引があるのね、と冬華は視線で問いかけてくる。僕はそうだよ、ちょっとした取引があってそもそも来たんだ、と思考する――冬華も真偽判定応用編、心境把握が使えたはずだ。
案の定というか、数秒の間はあったが、冬華は軽く頷いてそのまま去って行った。
そしてそんな冬華と入れ違えるように、喫茶店の店員さん――ではなく、オーナーさんがやってくる。
「君たちの言葉もなかなか難解だなあ……解読は大分遠そうだ」
「ダウト」
「…………」
「見通しすら立たない、ですか。ふうん。もうちょっとは使ってても大丈夫そうですね」
「……やれやれ」
君には嘘が本当に通じないな、とオーナーさんは降参のポーズを撮りつつ、パフェを食べ進める僕の横、さきほどまで冬華が座っていたそこに着席した。
「それなりにショッキングな映像になるが、本当に大丈夫か?」
「ショッキング……、ですか。どういう方向で?」
「ちょっと、その。大怪我プラス傷だらけみたいな」
「ああ。拷問ですか」
「……否定はしないが、拷問ではないよ。尋問だ」
暴力を伴った時点で拷問だと僕は思うけどね。ま、不毛な水掛け論になりそうなのでそうですか、と適当に相槌を打っておく。
「別に良いですよ」
「そうかい」
オーナーさんはそう言ってタブレット端末を取り出すと、そこで動画を流し始める。そこに写ったものはなるほど、たしかにショッキングな映像と言えた。それなりにその男は出血はしているけど、思ったほどでも無い。ただ、関節がちょっとおかしな方向に向いているだけで。つまりそういう尋問なのだろう。
その映像の中で、その関節がおかしな方向に向いている誰かに別の誰かが問いかける。その誰かの問いかけに、男は答える。その繰り返し……時々、まるでフィギュアを動かすかのように、あるいはプラモデルを組み替えるかのように関節が外されたり、動かされたりしている。そして男がまた何かを答えた。切羽詰まった言葉だった。
「ダウト」
「……ここは、嘘か」
「あくまでも僕の判定ですけどね。どこまで信じて良い物やら……実物が目の前に居るならほぼ的中させる自信もありますけど、映像越しじゃどうしても、精度は落ちるし」
この喫茶店と僕との取引。
お互いにお互いのことを詮索しない。
お互いにお互いの手伝いをする。
僕が喫茶店に求めているのは、主に場の提供。今日のように冬華とか、あるいはクロットさん、夏樹さんと普通にあって話すと警察の目が鬱陶しいので、それを避けるための措置だ。他にも部活周りでの資金援助とかを頼むことはある手前矛盾しているようだけど、金銭的な負担を求めたことは一度も無い。あくまでも名前を貸して欲しい、それだけだ。他には金やプラチナ、宝石などの売り払い……まあ、そういう若干後ろめたいことをするための場所という感じである。
一方で喫茶店が僕に求めているのは、主にその売り払いの仲介だった。僕が持ち込む金やプラチナ、宝石などの価値のあるものを売り、手数料としてその少しを店の取り分とする。その取り分は帳簿には載らない裏金というやつらしい、まあこの喫茶店も元とはいえほぼ全員がエージェントだ。何かしらの使い道はあるのだろう。
ただ、ある日、僕の真偽判定に喫茶店が気付いた。そしてそれを活用する事を求めてきたことがある。もちろん内容を誰に漏らしてもならない、そんな感じの念押しはされたわけだけど、それをこなすことで僕は更にこの喫茶店を活用できるとみたし、彼らもそれに同意したからこそ僕も乗った。
今日やっているのは動画越しの真偽判定。正直、精度はかなり落ちる。ギリギリ九割という所だろう。それに応用技術のほとんどが強く制限されちゃうから、やりにくいったらありゃしない。
「実際にこの人に会わせてくれるなら、ある程度探りますけど」
「それには及ばない。が、一応確認だ。先ほど『嘘』と断定したそれ以外の質問にはついに反応しなかったが、そっちは『真』か?」
「僕が見ていた感じだと、嘘を吐いては無かったと思いますし、本当のことを言わなかったようにも見えませんでした。真だと僕なら判断しますね。ただ、最後のはダウト。真も少しは感情に混ざっているけど、その根底は嘘ですよ」
パフェの最後の一口をスプーンに乗せつつ、僕は答える。
「『イーサンは死んだが死体がどこにあるかもわからない』から嘘の部分を反転させてやると、『イーサンは生きているしだいたいの居場所はわかるけど詳しくはこっちが聞きてえよチクショウ』ってところですね。イーサンって誰だろ?」
「……いやはや。おかしいな、ロシア語だったと思うんだけど、なんでそうも簡単に日本語で話せるんだい」
「詮索はしないのが約束です」
「解ってるよ。解っていても聞きたくなってしまう」
「ならば冬華にでも聞けば良い。冬華がそうであるように僕もまたそうであるというだけですからね」
少し突き放して、僕は最後の一口をようやく食べる。うーん。
なんか消化不良だ。
「まあ、良いだろう。済まないな、妙な映像を見せた」
「いえ。……不満があるとしたら」
「あるとしたら?」
「もうちょっと血が出てたら興奮できたんだけどなあ……」
「…………」
(いやさすがに突っ込むけど、それ異常だからな?)
だから洋輔。忘れた頃になるたびに、そのに居ない状態から突っ込むのはやめてって話なんだけど。
◇
中間色は、僕にとっては非日常の象徴だ。それが意味するところを、僕はまだよく知らない。
――まだ。
夏が終われば、秋が始まる。