潮来言千口
潮来言千口。性別は女性。
寛平三年、陰陽道の家系に産まれた。
延喜二年、『かの存在』とされるものによって、異世界に漂流。
異世界において、彼女はトーク・トークという女性として生きたという。
トーク・トークは持ち前の心理術によって、かの世界をそれなりに満足に生きた。
その段階で彼女は呪いという技術を習得するに至った。
そしてその世界で二人の子供を産み、けれどその後に当時の勇者と邂逅。
彼女は己の使命を『呪い』によってそれとなく悟っており、当時発生した大迷宮を勇者を伴う軍団で攻略し、そしてその最果てにおいて消費されたことで役割を果たした。
全てを終えた後、彼女はふと気がつくと潮来言千口としてまた生きていたという。
まるで全てが夢幻であったかのようだと彼女は書いているが、同時に『呪い』が扱えることを彼女は確認したのち、それを最大限に活用。
潮来という家系が持っていた陰陽道と呪いを混同することで新たな技術として昇華し、それを実力として見せつけることで周囲を黙らせ、陰陽寮の要職に就く。
僕が読んだあの巻物を書いている時点で彼女は陰陽允という役職に就いていて、恐らくこれ以上の昇進はないだろうという事を少し残念がり、しかしそれ以上に『恐るべき才を持った子』の誕生を喜んだ。自分の子供じゃないのが残念だけど、思う存分技を教えたい、少しでも多くの苦難を与え、それよりも一つだけ多くの力を手にさせたいという微妙に歪んだ愛情が垣間見えた。
誰のことだろう?
ていうか延喜? いつのことだソレ。
「……ねえ、あきちゃん。さっきから佳苗が巻物をじっとにらみつけて動かないんだけど」
「だね。……どうしようか?」
延喜……、延喜……?
陰陽道とか名前とかからして、まあ、ギリギリ日本人……だよね? 中国かな?
いや日本人だよな。天満宮がどうとか書いてあるし、菅原道真って歴史の教科書で読んだことがある名前も出てきている。
なんだっけ……、平安時代だったかな。
「ねえ」
とりあえずヒントを貰うべく二人に聞いてみよう、と声を出すと、昌くんと郁也くんはビクッと身体を震わせた。なにもそこまで驚かなくても。
「菅原道真っていつの人だっけ?」
「へ? ……えっと、平安時代。天満大自在天神に神格化された人、のこと?」
「ああ。それで覚えてたのか……」
ん……ンン?
待てよ。
平安時代って……、
「延喜って年号は何年頃のことか分かる?」
「900年代だよ」
「うわ即答。なんで覚えてるの、昌くん」
「いやあ凄い有名人がその周辺で産まれてるからね。佳苗だって名前は絶対に知ってるよ。『安倍晴明』っていうんだけどね?」
んんんんん?
なんか嫌な符号があるな。いやもしかしなくてもそういう事なのか?
つまりこの僕たちの先輩に当たる人って、陰陽師?
……もしかしてもなにも、陰陽道の家に生まれたって書いてあったか。
だとすると、『恐るべき才を持った子』というのは安倍晴明……?
それとは別なのかもしれないけど。
あと、この人自身には地球にも実子を産んでいる。
その名前は記述に寄れば宇佐って名字を名乗っていたそうだ。
…………。
宇佐?
「宇佐八幡宮……」
「うん?」
「いや。なんでもないよ」
八幡様の真横の家……か。
この家自体は元々郁也くんの家系が持ってたんだけど、いろいろあって昌くんの家系に譲渡されたとかそんな裏話もちょっと教えて貰ったことがあったっけ。
で、そんな郁也くんの名字は村社。
社格の一つに、村社ってあるんだよなあ……。
洋輔。いい加減反応頂戴。
(わりぃ。俺の理解が追いつかねえ。あとで纏めてくれ)
肝心なところで役に立たないなあ……。
「つまり流れとしては……んー」
まず、潮来言千口という女の子が陰陽道の家に生まれた。
次に彼女は来たりの御子、あるいは授かりの御子としてあの白黒の世界へと飛ばされた。
飛ばされた先で彼女はトーク・トークと名乗り、陰陽道が触っていた心理術の類いを活用している間に呪いをきっちり習得。
恐らくソレは僕の錬金術や洋輔の魔法と同じような階位での適性が与えられていたってことだと思う。
で、トーク・トークとしての彼女は子供を産んでいる。その片方の名前がトート・トーク、冬華が言っていた呪いの権威として記録されている歴史上の人物……。
おそらくはトーク・トークが持っていた呪いに対する適正を部分的にでも引き継げたって事なんだろう。部分的でも権威だった。ならば彼女自身はもっとすさまじいレベルで使えたのかもしれない。
そして勇者と邂逅し、あの世界で消費され、彼女は地球に帰還した。
帰還した彼女はそれを夢のような出来事だと考えつつも、自身が呪いをまだ使えることから現実と認識し、むしろそれをより発展させる道を選んだ。
それは陰陽道と混同させることで新たな技術に実際昇華されているらしい。
昇華の過程か、あるいは昇華の結果なのかは分からないけど、彼女は当時の女性にあるまじき高い位を与えられた。それは彼女が呪いをうまく使いこなしたという証左だろう。
彼女には実子があり、その実子は宇佐と名乗っている。彼女は宇佐にも己の技術を十分以上に教えたけれど、それ以上に『恐るべき才を持った子』を見いだし、その子に対して試練を与えることで昇華させた……おそらくはそれが安倍晴明とかそんなオチ? まあその辺はいずれ明らかになるだろう。明らかにしたくないけど。
そして宇佐という子供達は恐らく、彼女の呪いを限定的に受け継いでいる。
潮来言千口を始点とした一族が存在するわけだ。それが宇佐。
宇佐八幡宮との関係は微妙だけど、少なくともこの隠し地下室は八幡様の隣にあるようなものだ。元々の所有者は郁也くんの家系だという話だけど、それも最近の話。潮来言千口という人物が存命だった頃とはもちろん違うだろう。平安時代ともなると、それこそ千年以上前の事である。
それでもこんな大事な資料を保管していた以上、全く関係の無い人物に土地を渡すとも思えない――つまり郁也くんは、村社という家系は、その『宇佐』の一族なんじゃないか?
潮来言千口という人物を始まりとしたその家系なんじゃないか。
そして恐らく、弓矢という家系も。
だから弓矢家に産まれた晶くんは呪いを扱えてしまう。かなり限定的で劣化しているけれど、本来扱える訳のない技術をそれでも実現しているのは、潮来言千口の血がそうさせているから……。
「だめだ。全然理論的に説明できない……」
「いやそれ以前に読めるの?」
「それとなくだけどね。ニュアンスだから結構適当なところもある」
「ぼくには正直なぞの図形にしか見えないよ……」
そりゃあ言語が違うしな。
まあ、そのあたりの詳細はこの際置いとくか。
事実として潮来言千口という人物が僕たちの先輩であること、そしてその人物はあの世界から呪いを持ち帰ったこと、この二つが重要だ。
「……んんー。他のも全部読ませて貰って良い?」
「別に良いんじゃない? ぼく、存在すら知らなかったし。ダメとは言われてないから」
「じゃあ遠慮無く」
他も読んでいくか。
恐らくここにある文書のどこかに、呪いに関する解説があるはずだから。
◇
案外、すぐに『呪い』、『陰陽道』、『対魔呪』に関する指南書の書物は見つかった。
詳細に関しては追々解析するとして、概念的なところを言うならば、『呪い』とは『思い込むことで見る力』である。
……うん、割とこの段階で意味不明だけど、魔法や錬金術に共通しているところがある。 つまり『結果』を想定することでそれを現実に引き起こすわけだ。
もうちょっと概念的なことを言うならば、『結果を想定し現実に見ることで実際にそれを引き起こす』という形。空想の実現化とでもいうのだろうか?
(そんな技術があってたまるか、って言いたいところだが……ラストリゾートからして似たようなモノか)
そういうこと。
実際に成立させるには条件があるんだろう、魔法における魔力とか、錬金術におけるマテリアルとか、そういう消費するものもあると思う。
ただ、ソレとは別な概念として占有というものがある。
呪いという技術は原則として一人一つしか系統を持つことが出来ない。そして一つの系統で引き起こすことができる呪いは同時に一つだけ。よって、原則として呪いは同時に複数を行使することが出来ない技術である、と記されている。
但し、稀に複数系統を持つことがある。それは先天的な才能であったり、あるいは後天的ななんらかの付与であったりするようだけど、前者、先天的な才能としてこの系統を大量に持っていた『恐るべき才を持った子』に関してもちらっと記述があった。やっぱり安倍晴明なのかな? 読んでる範囲では違う気もしてきたんだよね。若い間に出世したみたいに書いてあったし。
話を戻そう。ともあれ、呪いという技術は系統につき一つの効果を得ることが出来るものである。そして呪いはこれも原則として、『術者』『対象』『結果』の三つが常に固定されていて、どれかが一つでも欠けた段階で解除れるそうだ。逆に言えば呪いを解きたいならば、その三つのどれかを一瞬で良いから欠けさせればそれでいい。言われてみれば納得だ。心当たりはありまくる。
とはいえ疑問もわいてくる。そのあたりを踏まえると、どうも晶くんが行使していた呪いが解せない。
晶くんが使っていたと考えられるのは『晶くんが』『僕に』『ラッキーを呼ぶ』みたいな感じだと思うんだけど、概要を読んだ限り、呪いが実現できるのはもっと明確な事なのだ。曖昧な指定はやって出来ないことはないけれど、基本的に効果が出ないとも書いてあるってのがある。
ただそれ以上に、『呪いの行使によって身体的負担がかかるようなことはない』と断言されてしまっているのだ。
どういうことかなーと考えつつも残りの書物を読んでいて分かったんだけど、晶くんが使っているのはだから、『呪いにとてもよく似た別の技術』なんじゃなかろうか。
(それは?)
潮来言千口が作ったという『対魔呪』だ。
『対魔呪』はたいましゅと読む。で、これを簡単にいえば、一定の規格で作られた道具を使うことでわずかながら安定化させることに成功した呪いなのだ。
錬金術と現代錬金術みたいな関係っぽい。
(あー……)
じゃあその一定の規格とは、とか、その道具を晶くんが持ってるのか、って話になるけど、これは『YES』が答えになる。
というのも、指定されている一定の規格って『弓矢守』とほぼ互換してるんだよね。
僕は晶くんからあのお守りを貰っている。そして対魔呪は呪いとの違いとして指定された道具を介して効果を発揮する以上、『術者』『対象』『効果』に加えて『道具』という要素が加わり、どれか一つでも掛けたらそこで終わるという形だ。
(つまり弓矢の弟からもらったお守りを壊せばそれで解決する話か)
当面はね。でも本人がそれにきづいたら作り直されるだけだから意味が無い。
(ああ。そりゃそうか)
僕にそのお守りを渡してきたのは、だから対魔呪の応用として書かれている『効果量の拡大』のためだろう。それは『術者』が使った『道具』を『対象』が所有することで、『効果』を増やすというものだ。
但し、対魔呪は良くも悪くも道具に依存しているから、術者が能動的に効果を解除するためには道具を破壊する以外に手段がない。そして対魔呪も系統の数しか同時に使う事が出来ない、って制約があるから効果量の拡大というリターンを得ることが出来ているらしい。
(つまり弓矢の弟はお前に鍵になる道具を差し出すことでお前が受ける効果を上昇させて、その代償として自発的に解除することが出来なくなった?)
恐らく。
(いやまて、整合性が迷子だ。呪いには反動がある。俺はそれを見たことがあるし……)
うん。ソレは否定しない。
(は? さっきと言ってることが違うぞ)
そうじゃないんだ。
あくまでも反動がないのは肉体的なものだけ。
酷く『疲れる』って症例は精神的なものであれば呪いでも現れるらしい。
(ん……いやそれはそれでまた言ってることがおかしいぞ。それならば弓矢の弟に出ていた症状と合致するが、それを根拠になんで別の技術だってなるんだ?)
晶くんには身体的な負担が掛かってる。
(……んん?)
昌くんにせよ晶くんにせよ、『疲れる』って表現を使ってたからね。てっきり僕はそのままに受け取っていたんだけど、晶くんの『疲れる』はもっと具体的なものなんだよ。
(もっとスッキリハッキリ言え)
疲れ目だ。
(誰がそこまでわかりやすくしろと言った)
洋輔が言えって言ったのに……。
まあようするに、晶くんの疲労感の根本的なところにあるのって疲れ目なのだ。それをもっと慢性化させて悪化させたものだけど。
だから定期的に動くことすらも億劫になるほど、目が『見えにくくなる』。
そしてそれさえ解決できれば――目の状況さえよくなれば――普通に見えるから、『運動そのものはむしろ得意』。
『何故か疲れるから動けない』のに『運動が出来る』ってのは、そういう背景があるからで、つまり病院でもそれなりに運動はしているんだと思う。
(ええ……)
いや僕もそういう反応したいけどね、どうもそうっぽいのだ。
で、そう考えると、けれど疲れ目って現象は肉体的な負担だ。それは呪いでは起こりえない現象になる。
けれど錬金術に対する現代錬金術がそうであったように、呪いに対する対魔呪も制約が増え、そして負担も増えている。
それが身体的な負担。
視覚への負担、『目』への負担だ。
(目……)
そもそも本来の呪いでは『視覚』とは関係のないものなんだよ。あくまでも『思い込むことで見る力』だから。
一方で対魔呪はその難易度を低下させるために、そもそも視覚的な情報補助があるらしい。とはいえこれも本来は、オンオフできるはずなんだけど。
(視覚的な情報補助……って、お前の眼鏡についてるやつみたいな?)
ぱっと読んだ感じはそうなのかなーって思ってたんだけど、錬金術と魔法はノータッチっぽいんだ。もしかしたら錬金術は多少の関連をしてるかもしれないけど、最低でも魔法は絶対に絡んでない。
(…………? 嫌に断言するな。根拠は?)
そもそも洋輔が使っている魔法って技術が、潮来言千口を消費することで作られたからだ。そのあたりについては潮来言千口が魔法に一切言及していないこと、そして冬華の説明からも間違いないと思う。もしかしたら基礎理論くらいはあったのかもしれないけど、その時点ではまだ現実的では無かったんじゃないかな。
(あー……)
で、性質的な問題で呪いもこれには干渉できない。
(いやなんでだよ)
繰り返すけど呪いは『術者』『対象』『効果』でセットなんだ。術者が死んだりしたらそこで終わる。潮来言千口が『今も生きてるならば』まだ可能性は残ってるけど、そうだとしても『対魔呪』を使える人間の数だけ系統を消耗して呪いを与えなきゃいけなくなる。
で、日記を読んだ限り、この人はそんな慈善事業をするような人とは思えない。
液体完全エッセンシアを飲んでたりしたら話は別だけど、まあ、死んでるだろうし。千年前の人間だよ?
(まあ、確かにそりゃあ生きてるってのも無理筋か)
うん。
同様の理由で対魔呪が原因ってのもナシ。
(つーことは……残ってるのは一つか。でもその一つ、あり得るのか? 時系列的に、その潮来言千口って奴がトーク・トークとして消費されることで魔法が出来たんだ。その時点で『残ってる一つ』は喪われてるようなもののはずだ)
そうなんだけど……。
(なんだけど?)
残ってる一つ。
つまり、『言霊』に関する資料もあるんだよね、ここ……。
(は?)
◇
ゆさゆさ、と。
「……佳苗? 大丈夫? なんかさっきからぶつぶつと知らない言葉を何かを呟いているけれど」
ふと身体を揺らされていることに気付いて、はっと我に返ると、そこには心配そうに僕を眺める昌くんと郁也くんがいた。
しまったなあ、洋輔との思考実験に集中しすぎていたか。
「ごめんごめん。なかなかに興味深い内容でね……もうこのまま持って帰りたいくらいに」
「ご自由にどうぞって言いたいところだけど、壊れそうだよね」
「うん。だからいいや」
ワールドコールでどうとでもなりそうだけど、それで何か妙な仕掛けが発動したとかじゃやってられない。
ただ、現状で得られている情報からだとどうにも解せないことがある。
晶くんの階位は僕たちよりも低い筈なのだ。
なにせ、僕の錬金術や洋輔の魔法は僕たちが直接異世界から持ち帰ったものである。
一方で潮来言千口が呪いを持ち帰っている以上、潮来言千口の呪いと比較するならば、僕と洋輔はその人物と階位が同じと言えるだろう。
けれど実際に比較対象となっているのは晶くんで、晶くんが使っていると推測されるものはそもそも呪いではなく対魔呪という、いわば現代錬金術のような廉価版だし、記述されていた内容と比べてだいぶ効果も不安定になっている以上、晶くんのそれは僕たちの技術と釣り合わない。全ての代替わりで劣化しているとも限らないけど、それでも五段階は格落ちしているはずである。
『僕』が勘違いしたのかな?
それともまだ読んでない何かの本に核心的なことが書いてあるのか、ここまでで分かっている情報から階位についてのヒントが提示されているのか、あるいは強引に事を進めているらしいその『僕』にしか知り得ない情報があったのか……。
それとも、僕が勘違いしているのか。
たとえば、階位というのはそういう技術的な格を意味しているわけじゃなくて、存在としての格を意味している、とか。といっても、来たりの御子、あるいは魔王としての僕たちに対等たり得るのはそれこそ、勇者としての素質をもっていた冬華くらいだよなあ。その冬華だってもはや勇者ではなくなっている。いまやただの魔導師で、ただの錬金術師だ。だから言ってしまえば、僕や洋輔ならば彼女の魔法や錬金術をある程度強めに縛ったり、封印に近いことはできる――あくまでも対等といえるのは勇者だった頃の彼女だ。そして晶くんが勇者とは思えない。
「あれ……? ねえ、佳苗。あれも文字?」
「ん……どれのこと、郁也くん」
「あれ」
あれ。
と指さされたのは、いくつかの巻物が保管されていた棚の奥で、言われてみれば確かに文字として読めないこともない、けれど模様とか傷だと言われたらそれで終わってしまいそうなものである。
けど、これは……、
「確かに、達筆だけど……これならば読めるや。『緘』だね」
読み上げたのは昌くん。
緘。手紙とかに使う『〆』と似たようなもの……だったっけ。
だとしたらそれもそうかな? 親展って意味だとしたら、僕に開けられるかどうかは微妙なところだ。
ここまで巻物を読んできた限りにおいて、潮来言千口という人は呪いと陰陽道をマスターし、対魔呪を編み上げていて、それには『第三法』――つまり『言霊』までを絡めている可能性が高い。
あれは名前に反して光を利用した技術だからな。準備の仕方によっては半永久的に発動させ続けることだって不可能ではないだろう。そうでなくとも千年や二千年程度ならば余裕で保ってしまう、そういう技術だ。
さて、ここでさらに思考を進めよう。
潮来言千口が僕の屋根裏倉庫のようなノリでこの隠し地下室を作ったのだとしたら? 僕の屋根裏倉庫は最悪侵入されても本当にヤバイものだけは更に退避させる仕組みをかねてより仕掛けてあって、今はそれを渡鶴が頑張っている。それと似たことが起きているならばどうだろう。
そこまで能動的な対応が言霊に出来るとも思えないんだよな。あれに出来るのは精々本人確認程度……。
「ねえ、昌くん」
「うん?」
「あの文字の所、ちょっと押してみてくれる?」
「え? ぼくが?」
うん。
「一応僕が先にやっても良いけど、僕じゃ意味が無いタイプな気がするからさ」
「……危ない罠とかじゃないよね?」
「たぶん」
断言はしないけど、まあ、大丈夫だろう。
僕の歯切れの悪い回答に、それでも昌くんはやれやれと、言われたとおりに『緘』の字が書かれたところをに手を当てて、ぐっと力を入れた。
一瞬、部屋の中にうっすらと光が差すと、粒子のように砕けて空気に消えていった。
「何も起きないね」
「そうだね」
小さな変化だったからか、昌くんと郁也くんは気付いていないようだ。あるいは気付いてないふり? いや、真偽判定には引っかかっていない。
ともあれ何かに変化が起きたはず……、片っ端から品質値を再確認していき、先ほどと大きく変動しているものが二つ発見できた。
その変動しているものを改めて確認してみると、そこには先ほどの『青白い光』で文字が上から上書きされている。凄い読みにくいけど、この青白い光の部分だけを読めって事だろう。
「相変わらず読めないなあ。なんで佳苗はこういうの読むの得意なの?」
「昔凝ったことがあってさ」
魔法とか錬金術に。
そして受動翻訳の魔法を覚えたのは昔というか最近だけど。
「なるほどなあ。これを知ってたから階位が……それに潮来言千口って人が仕掛けをしたくもなる気持ちもわからないでもないか……いや、でもやっぱりおかしいな……」
そこに書かれていたのは、潮来言千口がその最期の力を振り絞って全ての技術を行使して垣間見た未来の出来事。
もしかしたら起きるかもしれない、けれど起きないかもしれない出来事たち。
預言書の一種でありながら、一種の託宣でもあるのかな……。
内容を要約しよう。
大まかにこの凝った仕掛けの追記は大きく三つのセクションに分けられる。
一つは過去の事っぽく、もう一つはまだずいぶん先の事っぽい。この二つは今のところ考える必要がないだろう。
しかし残る一つは関係が大ありだ。内容は勇者と魔王が現れる事の示唆だった。結末までは書いてないけど、あの異世界のルールがそのままだとしたら、この勇者と魔王は決して『対立する相手ではない』。お互いに利用し利用されるというビジネスライクな関係になるはずだ。そして勇者は世界を変えて、魔王は世界を眺めるのだろう。
で、勇者は六つの日の二として産まれる。魔王はかなり近くに現れる。待てばそこで出会えるだろう、といった形で書かれている。
ここで言う魔王は、必ずしも僕だとは明示されていない。渡来の名前も佳苗の名前も乗っていない。ただし、勇者に関しては言及があって、それが六つの日の二として産まれる、の一文だ。
六つの日の二。
これ、日さん、昌くん、晶くんの事じゃない? 『日』が合計で六つだし。
とはいえもしもこの推測が正しいならば、それによって示唆されている勇者は昌くんだ。二つの日であり、第二子だし……。
なのに実際は昌くんはそれらしき力をまず見せていない。見せていないし、感じすらしない。目も他の子と同じで、日さんや晶くんと違って特徴があるわけでもなければ、呪いらしきものを行使しているそぶりもない。
実際に呪い……というか対魔呪だけど、それを行使しているのは晶くんだ。となると、潮来言千口の予言が外れた……あるいはズレて、晶くんが勇者の素質を持っている?
でもなあ。晶くんも特に勇者……別格という感じもしないんだよな。よく言って勇者になる前、もしくは勇者の素質を喪った今の冬華であって、実質的にはもう何段か落ちるだろう。
やっぱり階位面では僕たちのほうが上であるような気がする。
と。
考え事をしているところでだった。
かつん、と小さな音がして、僕は身構える――通路のほうへと視線を向ける。
そんな僕に気付いてか、昌くんと郁也くんも視線をそちらに向けた。
「…………? 何もないけど、どうしたの、佳苗」
「…………」
「佳苗ってば」
かつん。
また音がする。今度は少し大きくなった。
「……確認なんだけどさ、昌くん」
「うん?」
「いや。地下の探検って許可貰ってるの?」
「許可?」
「うん」
「いやだってぼくの家だし。何してもいいよ」
取ってないのかよ。
今度は明確に、かつんと音が、足音が聞こえる。
すっと視界に入ってきたのは、短く髪をそろえた男性で、少しあのシェルターのような一室を眺めた後、隠し通路が開いていることに気付いてかこちらに視線を向けてきた。
その表情は驚愕に染まっていて、色々と展開している僕たちに気付いてか、少し遅れて苦笑いが浮かんでくる。
「……父さん」
ですよね。見覚えあるよ。確か名前は、弓矢朋さん。
「よくもまあ、あっさりと仕掛けを解いたものだ。昌がそこまで賢いとは思えないし、郁也くんも正直厳しいだろうね。……となると渡来くん、消去法だと君になるね」
すう、と見据えるように。
特に怒っている様子はない。ただそれ以上に呆れている、そんな様子を隠さずに、朋さんは言う。
「とりあえず、だ。君たちの言い分も聞きたいし、そのままその部屋の状況は保全して、こっちの部屋に戻ってきなさい。その上で後のことは考え――」
と、とても大きなプレッシャーを湛えながらの言葉は、しかしそこで一瞬区切られた。
そして微妙に叫び声が聞こえてくる。主に「フシャー!」というゆーとの叫び声というか威嚇というか。
何が起きたかというと、突如ゆーとが闖入してきたかと思ったらそのまま朋さんに襲いかかったという。爪も出てるし牙を隠そうともしないし、あれは狩りに行ってるな。
「昌くん。ゆーとっていつもあんな感じに好戦的?」
「そうでもないんだけど……。父さんともそんなに仲が悪いわけじゃないし。ただ、父さんはいっつも、格好を付けると最後に失敗をするから。それかな?」
どんな補正だ。
僕の猫寄せみたいなものか?
あ、そう考えると納得できる。
(できねえよ)
洋輔の突っ込みは置いといて、まあ、ここは逆らって大事にするよりかは心理誘導が善し、だな。
僕が怒られるだけならばいいけれど、昌くんや郁也くんを巻き込むのは本意じゃないし。
◇
一応の補足をしておくと、朋さんは地下室の存在までは知っていたようで、いざというときの避難場所として定期的に検査したり、掃除をしたりはしているそうだ。
ただ、隠し通路や、その先にあるあの隠し部屋の存在は知らなかった、らしい。真偽判定的にも嘘は吐いていなかった。
けどまあ、それとこれとは話が別だ。
存在も知らないような得体の知れない場所を子供だけで探検するのは危ないよ、という至極真っ当な『指摘』をされつつ、形式的にごめんなさいをしてその場は終了。
一端荷物を引き上げることにした。
但し、書物は動かさないことに。
「次に日が帰ってきたら、その時に鑑定させるかな。あれは美術品の真贋判定を生業にしているんだ、誰がいつ頃に書いたものかくらいは分かるだろう」
「父さん。それなんだけど、佳苗があの書物、読めたみたいだよ」
「へえ。誰が書いたのか、わかるのかい?」
「えっと、潮来言千口って人らしいですけれど」
「……潮来言千口? 家系図で見たことがあるような、無いような。ふむ、調べてみるか」
あ、これはラッキー。
僕が調べるよりも当事者に調べて貰った方が早いし確実だ。
「今晩中に調べておくよ。明日結果は教えてあげよう。だからとりあえず、荷物はしまって部屋に戻りなさい」
「はい」