姿なき呼び声
「佳苗くん。前々から思っていたんだけれど、そろそろいい加減に気になってきたから聞いても良いかな?」
「はい?」
小テストの最後の一問に答えをぱぱっと書いた後、僕は小首をかしげつつ家庭教師の香木原さんに顔を向けると、香木原さんはなんとも困ったような表情を浮かべたままに僕を見て頷いた。
「いや。そうやって問題を与えてみるとあっさりと思考時間も無しに一瞬で回答を出していく様に関しては、まあ、時々そういう天才的な子というか、問題を見ただけで答えがなんとなくわかっちゃう子って居るんだよなあって、家庭教師をやってる仲間に聞いていたしたぶん佳苗くんもそんなタイプなんだろうけれど」
「なら今更聞くことでもないような?」
「ああ。だから聞きたいのはそっちじゃなくて、もう一つの方だ。……えっとね。授業に来る度に微妙に物が変わってるんだけれど、あれは一体何なんだい?」
「物が変わってる……?」
部屋を見渡しながら言う香木原さんに、僕は心当たりがないな、と考える。
物が変わる。物が変わる?
特に部屋のレイアウトを変えたりはあんまりしないんだけどな。そりゃ、心機一転とか、錬金術の道具の配置の都合でちょこちょこと調整をすることはあるけど、勉強机やベッドを動かすことは滅多にない。たまにあるけど。
「すみません、毎日この部屋で生活してると全然気付けないんですけど、えっと、具体的には何が変わってますか?」
「……そこに置いてある物とか」
そこ、と指がさされた先にはキャットタワーがあり、キャットタワーの中段、狭いところに今日も亀ちゃんはスタンバイしていた。香木原さんに懐いているとは決して言えないけど、そこまで警戒している様子もない。『居ても居なくても同じ』程度のヒエラルキーとみた。
(いやそれ酷くねえか?)
ちなみにそんな突っ込みを隣の部屋から無言で直接思考を流し込んでくる洋輔は、亀ちゃんにとって『便利な奴隷三号』である。
(三号って。一号と二号は)
お父さんとお母さん。
(……猫ってシビアだな)
尚、僕のことは『いまいちつかみ所の無い飼い主……飼い主……? まあ主人に違いは無いけど、なんだろうな?』と考えているようだ。
(妙に具体的だな、おい)
さすがに同じ部屋でずっと生活しているとだんだんと解ることも増えてくるというか。
まあそれはそれ。
「キャットタワー……の、事、ですか?」
「いや、それも大概ちらほら変わってるような気もするけれど……、あれ? 言われてみればあのドーム状の段、前からあったかな?」
「それは一昨日に追加したばっかりですよ」
「ああ、そうかい」
そうなのだ。
で、キャットタワーじゃないとすると……。その横に置かれているのは棚で、棚の上には薬草が観葉植物のように置かれている。当然のように薬草生成装置なのでティッシュのように引っこ抜いて使うことができて便利である。けどその周りはあんまり変えていない。
つまりその棚の下の方だろうか、そっちの中身はちらほらと入れ替えている。入れ替えているとは言っても小物がちょこちょこと入れ替わる程度で、今入っているのは模型だ。たしか先週の段階では八分の一サイズのマネキンを入れていた気がする。
「うーん。マネキンは邪魔になったからどかしたんですよね。模型も邪魔になったらどかしますよ」
「マネキン……?」
あれ?
「模型って……、ああ、あの下に入ってるやつかい。……言われてみれば確かにあの模型、初めて見るな」
これでもなかったのか。
「香木原さんが気になった違いって、何のことなんですか?」
「いや、あの観葉植物の隣に置いてある奴だよ。バッヂだな」
「ああ。あれですか」
小物過ぎて気にもとめていなかったのは内緒だ。
香木原さんに小テストの回答を手渡して、僕はちょっと席を立ち、棚に置かれたバッヂを拾い上げる。特に当たり障りのないものばかりだけど。
そして席に戻ると、「ううむ今日も全問正解、なんで佳苗くんはああもタイムレスに引っかけ問題を看破するんだ……」と香木原さんが小さく呟いていた。
もし答えるのだとしたらそれは『実はタイムレスじゃなくて一問一問きちんと時間をかけて理想の動きを使って回答を書きつつ次の問題を考え始める』という錬金術のフル活用が真相なのだが、まあ伝える意味も答える理由もないしな。そういうものだと納得してくれているようだし、そのまま放っておこう。
「引っかけ問題なんて作る手間があるなら普通の問題を二つ作ればいいんじゃないですか?」
「いやあ、そうも行かなくてね。読解力というものを試す意味合いが強いから」
「なるほど」
答えつつ着席して、持ってきたバッヂを香木原さんに渡してみる。
「これが気になったんですよね。ただのバッヂですけど」
「……どこで買ってきたんだい?」
「学校で作りました。僕の学校、なんかいろいろと機材が揃ってるんですよね……この前、レーザー加工機とか3Dプリンタとかも導入されましたし」
「…………。最近の公立校は設備頑張るなあ」
いや十中八九演劇部の無茶ぶりが原因だ。公立校なら論外だし、私立校でもそう簡単に導入できる設備では無いと思う。
「ふうん。このデザイン、結構いいよなあ。佳苗くんってセンスあるって感じだ」
「……すみません。それ、僕がデザインした物ではないんです」
「あれっ」
「作ったのは僕ですけどね。『こういうバッヂが欲しいんだけど、作ってくれない?』って演劇部の先輩にお願いされまして。で、試作品をいくつか作った、の段階ですね。なのでまだそれは完成品ではないです。微調整は入るでしょうね……」
そしてその演劇分先輩はもちろんというか皆方部長だ。
いや、ネクタイを作って欲しいというから作って翌日に持って行ったらその日の放課後に皆方部長がクラスメイトらしき女子を数人連れて僕の教室に押しかけてきて、ざわつく教室を意にも介さずスケッチブックを渡してきたと思ったら『ごめんねえ、かーくん。やっぱりこういうバッヂが欲しいんだけど、作ってくれない? 数はここに居る五人分なんだけれど』と業務連絡をされた次第だ。
で、作る代わりに何かしてあげるよと言われたので、じゃあその分がんばって創作ダンスの練習でもしてくださいと言っておいた。あの状況でまさかお金が要求できるわけもなかったし、材料ならば部室にあるものを自由に使って良いという言質どころか書面さえも前々から貰っているし、ならばいいかとなったわけである。
「香木原さんって、そういうバッヂとかそろえるの好きなんですか?」
「んー。ちょっと、メタルチャームって憧れではあるかな。……男だし、そうじゃらじゃらとつけられるわけでもないけれど」
「あー。確かに。どっちかというと女の子っぽい印象がありますからね。……男の人がそうじゃらじゃらつけてるとチャラい印象もでてきそうだし」
「うん。だから家の部屋に飾るくらいかな」
なるほどなあ。
「香木原さんはどんなバッヂ飾ってたりするんですか?」
「ん……まあ。いろいろと?」
「色々?」
「うん。特に好きなデザインとかもあるけれど、気に入ったメタルチャームはなんだかんだ買ってしまうね」
ふうん……?
確かにいつも持ってきているバッグ、のなかのポーチとかにはこっそりチャームが付いてたりするんだよね。結構その手の小物が好きなのだろう。
「欲しいデザインとかあるなら作りますよ。どうします?」
「いやあ。流石にそれは悪いね」
苦笑しつつ香木原さんが答える。ま、このあたりが限度かな。
恐らく香木原さんも同じ事を考えたのだろう、僕に答案を返してきた。全てに正解を示す丸がつけられていて、満足。
「概ね全問正解だ。ただ、九問目がちょっとだけ気になるかな。一応これでも満点は取れるのだけれど、ここの証明の部分は短縮できて――」
満足しつつも授業は続く。
いつものように、特に変わらず。
◇
翌週、林間学校についてのさらなる準備が始まった。
なんでこんなに急ぐのかなあと他人事っぽく構えていたら、
「いや佳苗。それはおかしい」
と徳久くんに指摘され、そんな指摘に葵くんが苦笑を必死にかみ殺していた。
あれ、何がおかしいのだろう。
「何がおかしいのだろう、みたいな感じで返されるとあれ? 俺の方が間違ってたかな? ってなりかけるけど、いややっぱり俺のほうが合ってるはずだ。佳苗。林間学校、来週だぞ?」
「うん。そうだね」
来週の木曜日に出発、二泊三日だから土曜日に帰宅となり、土曜日の分はその翌週、再来週の月曜日が振替休日となる。
「そうだね、って……」
「あはは! 佳苗っていつでも準備万端みたいな感じなのに、なんかスケジュールは割とざっくりとしてるよなー」
「いやあ、前多くんの言うとおりだと思うよ、僕も。でもなあ。来週の後半の話なんて、来週になって準備始めれば間に合うし。そりゃ、バスの手配とかしなきゃいけないなら別だけど、そのあたりは先生達がやるんでしょ?」
「当たり前だろ……」
徳久くんに思いっきり呆れられたりもしたけれど、まあ、そういうわけなのだ。うん。
錬金術を使うまでもなく荷造りなんて一日あれば十分だし。もちろん前日に物資調達を考えると二日くらいは欲しいけど、いざとなれば招集から二日で遺跡探索に出れる程度の即応訓練とかは受けている僕と洋輔である。
(日本の学校は騎士を養成する学校じゃねえからな)
わかってるよ。
それにあの異世界で二日かけて行う準備って、たとえば薬草とかポーション、毒消しを一定量準備するのが全てだから、錬金術師である僕にとっては常時出撃可能だったし、洋輔は洋輔で僕と相部屋だったからそのあたりの事情が同じだったと言うオチがある。
今にして思えばあの教官、内心では泣いてたのかなあ。いやでも、錬金術師ならエリクシルは無理でもポーション、毒消しくらいは作れただろうし、僕みたいなのは時々居たか。
(時々でも居てたまるかよって感じだとは思うがな。お前だと原材料から千単位で完成品を一括して作るだろうに)
ちなみに今ならば十万単位でいける。
(やめろ)
いやいけるってだけでやらないよ。そんな非効率的な上に完成品の重量考えると、自重で潰れそうだし。
「でも、そっか。普通の感性だと、もう林間学校は来週だから色々と考え始める頃かあ」
「うんうん」
「前多……。そこはちょっとでいいから佳苗を慮ってリアクションをだな……」
「いやいや。徳久、佳苗だよ?」
「……そうだな。佳苗だったなあ」
「待って二人とも。何その『佳苗なら仕方が無い』みたいな感じは」
ていうか二人に限らず女子一同も何納得してるんだろう。
前田さんに至っては声こそ出してないけどぴくぴくと震えていて、笑っているのが丸わかりだ。前田さん、結構フランクなんだよね。だからといって体育会的なノリで気軽に名前で呼んでね、と言われても困るのが男子の性なんだけど。
「実際特に傷つきはしないでしょ、この程度じゃ」
「まあね」
「けど猫に対して同じような態度を取ってみろ。前多、お前だっていろいろな報復を受けるぞ」
「人聞きが悪いなあ徳久くん。精々毎日野良猫を家の前に十匹ずつ集合させるだけだよ」
「…………。できるの?」
「どうだろ。やってみたらできるかも? 程度だけど」
「佳苗って時々人間かどうか怪しいよな……猫又的なものが人間に化けてるだけだと言われたら納得するくらいには。佳苗の部屋、キャットタワーもあるし」
「あれは僕の飼い猫の亀ちゃん用だよ……」
「飼い猫の亀ちゃんって何度聞いてもすごい並びだよね」
まあ、それは。
ていうか葵くん、話題が散らかるからその方向には伸ばさないで欲しい。
「亀ちゃんで思い出した。東原さんって、亀部の関係者……なんだよね」
「関係者……言い得て妙ねえ。部員じゃないけれど、確かにその通りよ」
「あれってどんな部なの? かなり前に部活紹介に亀部って訳のわからない物が乗ってて、何だろうコレって洋輔と話してたんだけど」
「ふふふ。そうね。亀部というものはつまり、亀部よ」
いや訳がわからない。
「いいかしら渡来くん。この世界は亀の甲羅の上にあるものだと考えてみて頂戴。そうするとほら、亀を飼うという事は世界を作ると言うことでもあるわ。だから亀を育てることで世界を育て、それによって世界の森羅万象をたどってゆき、いずれは亀を神様と同一視することで亀そのものに神様を憑依させて、それを解剖することで神様という物を調べようという崇高な理念に基づいて、今日も亀の甲羅を磨く、それが亀部よ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
男子三人、に加えて、当事者で東原さんを除いた女子二人が見事に沈黙した。
えっと……、理解が追いつかないというか、なんというか。
一種のオカルト研究部みたいなものだろうか、その上で何かこう、亀に神秘的なものを見いだしたとか……、確かに亀の甲羅って占いに使われたりするらしいからな。そういう意味合いでは身近なオカルトなのかもしれないけど、でもその割には神様を憑依させて解剖するのが崇高な理念ってなんだか妙に生々しいというか生臭いというか、思っていた亀部とは違った部活だな……。
ていうか欲存在が許されるなそれ。
書面上は亀を飼育する部ってことなんだろうか……。
「……こほん。いえ、まあ今のは建前よ。『亀部とは何か』、に対する汎用的な回答として推奨されるのがさっきのそれだったというだけで、実際には神様云々とか世界がどうとか、そんな崇高な理念とは遠いところに本質があるわ。でも似たような物かもしれないわね……」
……一応行ってみた真偽判定によると全く嘘を吐いていない。なんだこれ。
「僕には東原さん、というか女子の心がまるで解らないよ……」
「まって、渡来くん。私たちを彼女と一緒にしないで」
「ああ、女子からも難解なんだ……」
謎を解決するつもりでさらなる謎を呼んでしまった。
これ以上はやぶ蛇になりそうなのでやめておこう。
「まあいいや。それで、飯盒炊飯なんだけれど……私、やったことあるけど、ほとんど覚えてないのよね」
「俺はボーイスカウトやってたしある程度できるな。前多は?」
「キャンプとかでよくやるよ。佳苗は?」
「幸か不幸かもの凄くなれてる。あれって調理もできて便利だよね」
「何この男子達、女子力高すぎない?」
「えり。普通の料理ならばそれはそうだけれど、飯盒炊飯なんてアウトドア料理は男子が得意でもおかしくないわ」
「ああ、それもそうね」
…………。
いやまあ、別に良いけれど。斎藤さんもそれで納得しちゃうのか。
「で、おかずの方はどうするの。カレーの材料はあるみたいだけれど、カレー作れとは書いてないんだよね、しおりに」
「え?」
「いや、材料と分量とレシピは書いてあるけど、『二日目、昼食は各行動班ごとに調理する』としか書いてないから。実はカレーじゃなくても良いんじゃない?」
ちらりと視線を緒方先生に向けてみると、緒方先生は駄目に決まってるだろう、と笑顔で否定してきた。そっか。残念。
「じゃあシチューとか」
「だからね」
「冗談です。……カレーか。まあ、あれならよっぽどへたうたない限りは失敗しないし大丈夫かな?」
「でしょうね。さて、一応確認よ」
そして斎藤さんが仕切るように言う。
「料理経験がある人、挙手」
「はい」
「はあい」
「はーい」
しきりに対して手を上げたのは徳久くんと葵くんを除いた四人だった。
なんでも二人はキャンプとかのアウトドアでの料理はそれなりにやったことがあるようだけど、普通の料理はせいぜい調理実習でやった程度が限度で、家で作ることもなくレンジを操作する程度、いわゆるレンチン系なのだそうだ。
「佳苗って料理できるの?」
「人並みにはね」
普通に料理をする程度ならば人並みにはできる。包丁も刃物だ、扱いには慣れてしまっている。
それ以上に錬金術で終わらせる錬ふぁん系なんだけど。
「血抜きから覚えてるから、とりあえずサバイバルになっても生きていけるかなって」
「そんなサバイバルになってたまるかよ……」
徳久くんが見事なつっこみを丁寧に入れてきた。よかった。
言い始めてからちょっと場がよどむ――僕が巻き込まれた事件を連想させる――可能性のある発言だったなと思い至ったという。気をつけないと真偽判定応用編で無理矢理転換しないと行けない事態になりかねない。
「それじゃあ、カレー作りでアテにできる男手は渡来くんだけか」
「カレーを美味しく作るくらいなら、なんとでもなるよ。むしろその前の方が大変だと思う」
しおりを開いて問題の場所をながめつつ。
「火をおこすところからやらないといけないんでしょ」
「そういえば、そうなのか……」
「ガスコンロとかIHとか、そういうのは無いのかしら?」
「IHで飯盒炊飯とは斬新なアイディアね、由香」
東原さんの発想って時々よくわからない方向ぶっ飛ぶよな……。でも不思議というかなんというか、親近感のわく方向だからまた困る。錬金術師の才能があったりするのかもしれない……ふむ、亀部か。インスピレーションはそこにあるのかな? だとしたら……でもなあ。藪だよなあ。出てくるのが蛇ならどうとでもなるけど、八岐大蛇とかが出てくるかもしれない。深入りはやめよう。
「料理は女子に任せつつ、火起こしとかはオレたち男子で頑張る……でいいかな」
「そうね、それが良さそう。渡来くんにはちょっと料理を手伝って貰うかもしれないけど、ジャガイモの皮とか剥けるのかしら?」
「うん。なんなら大概のものでかつらむきもできるよ?」
「…………」
理想の動きなので失敗もない。結局錬金術を使うわけだけど、まあ、このくらいならば技術の延長と考えて貰えるだろう。たぶん。
「佳苗って手先が器用だもんなあ……」
「そうね……舐めてたわ、演劇部の裏方って大変だものね。とはいえ、あなたに全部任せちゃったら意味が無いし、基本的にはさっきの通り、力仕事を男子にお願いするわ」
「……まあ、力の強さも最強クラスだしな。佳苗だと」
「それもそうね……」
その手のサバイバル系については日本でもトップクラスの自負がある。
無人島すらない漂流中でもいざとなったら無人島作るし。眼鏡がある状況ならばその程度ならば理論上は問題ない。今度試してみようかな?
まあそれは別の機会に考えよう。
「で、食事が終わった後は後片付けして……、終わった組から自由時間か」
「タイムスケジュール的には精々食休みだと思うよ」
徳久くんに僕が補足すると、あれ、と皆が首をかしげた。
「食事を終えたら後片付け、そのあと自由時間がちょっとあって、その後バスに移動。そもそも朝十時半頃にバスを降りてハイキング開始、十二時頃にその御飯の準備。ハイキングのコースは午後の移動分が午前の三分の二くらいだけど、実際には疲労もあるから、時間的には同じくらい掛かると思う。で、二時半頃にバスに戻ってホテルに移動ってなってるけど、十時半にスタートして十二時にゴール、つまり一時間半。これと同じくらい午後の移動にかけるならば、二時半にゴールしないと行けないから一時には出発してないと駄目。飯盒炊飯とカレー作りに掛かる時間も加味して見ると、四十分くらいはかかるだろうね。後片付けに十五分かけたらあと五分しか残ってない」
「あー……」
「あくまで時間通りにやるならって話だけどね。この地図から読み解く限り、集団行動だとしてもすんなり歩けば四十分くらいでついちゃうよ。途中で休憩を二、三回はさんでも一時間ちょっとかな。移動にかける時間が短縮された分だけその自由時間が増えるってシステムだと考えると良いかも」
「じゃあ、急ぎ足になればいいんだな!」
そしてガス欠になって休憩するの?
僕のそんな視線に気付いてか、葵くんは視線を泳がせた。
実際、他の日はともかく二日目はかなり甘めに設定されているように見える。
恐らく雨を警戒してるんだろうな。本降りならば別案に移動するとも書いてあるけど、逆に言えば小雨程度ならば決行するって事でもある。雨の中の移動って、濡れることを覚悟した行軍だとしても多少移動速度が落ちるのだ。ましてや傘を差している状態で集団行動などと考えるとちょっと無理があるしな……。
「予定通りだとしたら時間が無いけど、予定通りには行かないならば余裕がかなりある。三十分くらいは遊べるかも。楽しみだね、野良猫何匹いるかな」
「…………」
「…………」
え、なんで皆黙るの?
「いやさ、佳苗。なんで林間学校でハイキングまでして野良猫?」
「だってこのあたりの野良猫はもう一通り遊んじゃったから」
「オレにはその『だって』が繋がらないんだけど。ていうかそういうハイキングコースに野良猫って居るのか? 山猫じゃない?」
「山猫だって猫は猫だよ」
「……その調子だと虎とかも懐きそうだな」
「…………」
「……え。なんだその反応。喜びと悲しみが半分ずつに恐怖と歓喜が半分ずつあるぞ」
「徳久、それだと合計すると佳苗が二人居る!」
「なんで全部足すんだよ!」
ううむ。この二人もなかなか良いコンビやってんな。
こほんと咳払いをして、まあ、虎騒動をものすごく簡易化し、また僕の失態を無かったことにして説明。葵くんはこのあたりちらっと知ってたはずだけど。
「で、その騒動以来、大きい猫……虎とかライオンとかそういうのね、そういうのも懐いてくる事は懐いてくるんだけど、どうしてもびくってしちゃうんだよね。真っ正面から来てくれる分にはまだ心の準備ができるんだけど、ほら、背中を向けた瞬間にじゃれついてきたりするとさすがに怖いって言うか」
「佳苗。待って。それ、真っ正面から来られても普通は怖い」
でもまあ、野生の虎なんて日本にはいないだろう。
たぶん。
◇
さてと、色々とやることも増えてきた以上、さっさと晶くん周りをどうにかしたいんだけど、呪いを封じる前にさっさと槍と籠は作っておきたい。で、そのマテリアルは未だに皆目見当が付かない。
ので、次に徳久くんのほうを解決する形で、除霊の道具こと『浄めの雪』を作成。
結局マテリアルは石灰と塩、そして雪の三つだった。道具名を冬華が覚えていてくれて助かった形だ。雪なんて発想は素の状態ではなかなか出てこなかっただろうし。
「それで、除霊剤を撒いてこようと思うんだけど」
「除草剤みたいな感じで言われてもな」
洋輔は呆れ顔で僕を指さした。
「まあ別に、お前がいつ何をしようとお前の勝手だが、その恰好でいくのか?」
「ああ。流石に着替えるけれど……寝間着で出歩くほど図太くもないし」
というわけで寝間着をマテリアルとして認識、ふぁん、私服にチェンジ。
はい着替え終了。
「待て。それは着替えとは言わねえ」
「いいんだよ。布面積は変わらないから」
そもそもさっきまで着ていた寝間着も実は錬金術で作った物だったりする。
そのおかげでこれ、地味に耐火性能が高く、耐熱性も高かったりする便利な布としても使えるのだった。
流石に燃えさかる炎の中じゃ三十分くらいしか持たないけど。
「突っ込まねえぞ。……はあ。俺も着替えるからちょっと待て」
「あれ、洋輔もついてくるの?」
「ついてくるの? って、まさかお前一人で行くつもりだったのか?」
「うん。だから詳しい場所教えて貰おうかなって思ってたんだよね」
「…………」
いつもなら言わずとも理解している類いなのにも関わらず相互理解が進んでいないのは、恐らく洋輔が限定的に行使している『王者の仮面』のせいだろう。問題の幽霊絡みに関しての情報を遮断するべく、洋輔はどういうワケかあの道具を使いこなし始めているのだった。
……でもあの道具の限定行使って錬金術の領域なんだよね。洋輔、実は錬金術の初歩的なところは使えるようになってるんじゃない?
元々素質はあったんだ。僕にもできるくらいだし、洋輔にできてもおかしくない――大体、僕だって魔法が使えるんだから、その逆があったって考えてみれば当然だ。そもそもピュアキネシスあたりなら僕の方が上だし、洋輔の錬金術も部分的には僕を超えるのかもしれない。
今のところ本人にやる気が無いみたいだし、無理に習得させようとも思わないけど。
なんて改装している間に着替えが終わったらしい。ちなみに現在時刻は午後の十時、当然ながら普通にお出かけなんてできる時間ではないので、適当にふぁんと靴を二足、うち一足は洋輔の部屋に作って、お互い電気はつけたまま窓にカーテンを掛け、窓から外へと飛び出しておく。洋輔と僕はそのまま空中に着地し、窓は一応閉めておいてっと。
「この感覚も何だかなあ」
「まあまあ。バレないうちに降りるよ」
「おう」
もちろん空中に着地と言っても空気中に飛んでいるわけではなく、展開した透明のピュアキネシスの上に乗っているだけだ。結果だけを見れば空中浮遊だけど、ちゃんと床があるわけだね。
で、洋輔が飛び降りたのを確認し、僕もピュアキネシスを解除。当然落下するわけだけど、途中からふうっ、と身体がゆっくりと動き、何もしていないのに自然と着地。洋輔の剛柔剣による干渉だ。
後は二人して裏手に出て、徳久くんの家の方角へと移動。
時間が時間ということもあって、大手学習塾の鞄そっくりに作ったものを僕も洋輔も当然のように装着しているので、大人に不審がられることはなかった。
もちろん三好さんなどの刑事さんが居ないことは確認済みだし、ついでに言えば空中を浮遊していたあの瞬間は洋輔が光学迷彩を魔法でやっていたので、きちんと撮影することはできない、はずだ。たぶん。まあ写っていたら写っていたでなんとか削除して回ることになるだろうけどそれはそれ。まさか玄関から普通に出るわけにも行かないしな……。裏口でも作っちゃおうかな? いや洋輔の家からならば地下シェルターを解して、うーむ。
「妙なこと考えてるんじゃねえよ……」
「でもさ、地下の掘削ってロマンじゃない?」
「……まあ」
でもそれシェルターとしては致命的な欠陥になるよな、と洋輔は言った。
ごもっともだった。
黙々と移動し、
「現場はその角を曲がったところ」
「……ふうん」
いざ到着したその現場は、道幅がまずそんなに広くはない。
路地とまでは言わないけど、ぎりぎり普通車が一方通行で通れるかな? という程度の道幅だ。
電信柱がちらほらと残っていて、また小さなお店などの看板やフラッグ広告が野ざらしになっていたりするせいか、物陰は多く、その気になれば隠れる場所には困らなさそうだ。って、野良猫見つけた。あの子はパルムかな? ちょっと暗くて判別しにくいけど、体格的に。
「なんだその旨そうな……じゃない、いや後にしろ」
「言われずとも」
人影はない。妙な感覚も特に感じない。幽霊が居るような環境でもない……物陰はあるけど、街灯も同じくらいにあるし。
けれど、奇妙なほどに人影が少ない。
「事件があったのが原因かな?」
「恐らく……な。好都合と言えば好都合だが」
状況的には近寄りたくない場所だ。
僕にせよ洋輔にせよ、こういう場所が鬼門になってしまっているんだよな。
……どうしても、四月のことを思い出してしまう。
「出直そう」
「良いのか?」
「うん。確実に解決できるならばまだ検討の余地もあるけど……」
『浄めの雪』を撒いて、はい、おしまいという話では断じてない。
そもそも手段の一つであって、目的は『浄めの雪』を撒いて除霊することではない。
最近は自然と改善されているらしいとは言え、徳久くんの問題を解決することだ。
「解決するためにも、僕たちがまず安全じゃないとね」
「……そう、だな」
結局、何もできずに僕たちは帰る事になった。
無駄足だったかな、とその時は、正直思っていたけれど……。
◇
翌朝、学校に到着するなり噂話という形で、その事故は大きな話題になっていた。
僕たちが何もせずに帰ったあの道で起きた事故。
それは、『運転手が乗っていた形跡が全くない車が電信柱に衝突した』――という、ちょっと理解に苦しむものだった。