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中間色々夢現  作者: 朝霞ちさめ
~夏~
1/25

彼女と僕の選択肢

夏休み前。

梅雨の後。

 平和と言えば平和な日々。けれど決して平穏でもない日々が続いている。

 あの日、僕たちが来栖冬華を復活させたことで、この街はなんとも奇妙な喧騒というか、緊張感というか、そんなものに包まれていた。まあそれはそうだ、なにせ一ブロックも歩けば警察が立っているんだから。何この厳戒態勢。いや、そりゃ犯人が近くに居るかもしれないと言うことなんだろうけど。

 ニュースも一時期と比べればかなりマシにはなったとはいえ、来栖冬華の奇跡的な無傷での保護、けれど決して解決しているわけではないことから、ワイドショーとかでも未だに報道は続いている。犯人はこの八年間どこに彼女を隠していたのか。何故今になって河川敷で彼女が発見されたのか。だいたいそんな感じだ。

 で、彼女の発見に伴うように、僕や洋輔に対しても改めてインタビューの申し込みがちらほらと入るようになってきた。お母さん達はそれを全部断っている。けれど結果として、学校前や家の近くに常に報道陣がスタンバイしているこの状況にはうんざりだ。そろそろお母さんを説得して、インタビューを受ける形で調整してもらったほうが良いかもしれない。でもなあ、めんどくさいんだよね。

「さてと。洋輔、今日は僕、先に帰るね」

「ん……? 部活は?」

「バレー部は休みって言っておいた。演劇部も物作りは一段落してるし」

 演劇部と言えば、結局ドレスはさらなる品質向上を行った。ちょっとした本物のドレスくらいにはなったと思う。やりすぎかな? まあ、どうせなら良いもののほうが良いだろう。

 あれ以上手を入れる必要があるのか、その点については洋輔も訝しがっていたけれど、仮のとはいえBGMがちらほらとできはじめていて、いくつかのシーンを部分的にやったという映像を見せて貰ってピンときた仕掛けがあったのだ。で、思いついたからやってみた。

 尚、

『かーくん。すごいね。すごい嬉しいし、何というかこれ以上なくびっくりなんだけど、それ以上にかーくんって妥協を許さないんだねえ……』

 とは皆方部長の反応である。割と引かれてしまったような……。

 良いじゃん、綺麗なドレスの方がきっとたのしいってば。多分。

 話がそれた。

「まあ良いけど。何か今日は用事あったっけ、お前」

「ちょっとね。家で最後の仕上げしたくって」

「ああ……なるほど」

 仕上げ、というのも、演劇系の者でも物でもない。もっと切実な、僕と洋輔にとって必要なものだ。

 その道具の名前は王者の仮面(マスク・キング)。思考を他人に読み取られないようにするという道具である。

 これが僕たちのような状態に効果があるかどうかは作ってみないと解らない。でもまあ、作る前から諦めるよりかはまだしもマシだろう。最悪意味が無かったら、その時は別の道具の材料にしてしまえば良いだけのことだ。

 というわけで、一人で先に帰り道。

 そうそう、使い魔の契約を洋輔として以来、大分身近に洋輔を常に感じられるおかげなのか、それぞれ単独に行動していてもさほど不安になることはなくなった。どんなに距離が離れていても常にそばに居るような感覚とでもいうのかな。

 それを安心ととるかそれとも面倒ととるかは微妙に場面によるけれど、現状ではプラスの方が多かったりする。

 ……あれ、ってことはそこまで切実でもないのかな?

 でもな、もう材料は準備しちゃったしな。作るだけだし。

 と言うわけで帰宅して、自室に戻って机に鞄を置く。とんとんとん、と軽快な音を立てて、床から椅子、椅子から机に移動してきたのは飼い猫の亀ノ上、通称亀ちゃんだった。

 中途半端な毛の長さの黒猫。そういう意味では違和感がすごいのだけど、その性格は実に猫らしい猫になっていたりする。

「ただいま、亀ちゃん。おやつは今あげるからちょっと待ってね」

「にゃー」

 ひくひくと鼻を動かして甘えてくる亀ちゃん、にはおやつ用の猫の餌をきちんと出してお皿に空ける。量はそんなに多くないけど、あんまり太られても困るしね。

 亀ちゃんがそのあたりを理解しているかどうかはさておいて、特に不満はないようだ。

 むしゃむしゃと食べ始めたのを見て、僕は天井裏の倉庫から、マテリアルを引き出してゆく。

 王者の仮面のマテリアルは、次の通り。

 純金、一定以上の純度を持つ銀、青銅もしくは銅と錫がそれぞれ五十グラム。これを錬金することで、ワイルドマテリアルインゴットという道具を作る。これは『貴金属』の象徴で、マテリアルとして用いた場合は金・銀・プラチナなどの全てとして振る舞う性質を持つ。だから合金というわけではない。

 成分的には何になるんだろ? 見た目はうっすらとピンク色を帯びた金色に見えて、結構固い。白黒(モノクロ)な世界ではこれを直接加工した道具に魔法を刻み込む技術があるんだけど、まあ、僕の場合はふぁんなりふぃんなり、錬金術で作った方が早いし効果も高い。

 ともあれこれがベースのマテリアルとなる。

 で、副材料(サブマテリアル)としては月桂樹の葉、オリーブの葉、そして竹の花を錬金した庭模様(ガーデンカード)という道具をまずは用意しなければならない。

 月桂樹を探すのもなかなか面倒だし、オリーブもオリーブオイルは簡単に手に入るけどオリーブそのものは入手が面倒だ。でもまあこの二つはなんとかなる。

 問題(ネツク)になるのは竹の花。竹の花って百年に一度咲くかどうかなんだよね、そして竹は花を咲かせると枯れてしまう。終わり際の一度だけなんだ。だから入手が難しい。

 ので、タケノコを買ってきて緑色のエッセンシア凝固体、豊穣の石を本来の用途で用いて強引に成長を加速、なんとか開花させることに成功したのが今朝のことだった。

 まさか二週間もの時間が掛かるとは想定外だ。今度からは大人しく完全エッセンシアで強引にやろう。

 それでもとりあえず竹の花も手に入ったので、あらかじめ別に用意しておいた他の二つと合わせて庭模様をふぁん、と作成。

 庭模様はICカードのような形の透明なプレートに葉っぱが二種類と花の模様が入ったもので、とてもお上品な押し花のような感じだ。これがサブマテリアルの一つ。

 他に必要なものはガラス、分厚い布、そして大量な薬草。

 大量な薬草というものがどの程度必要なのかというと、個数にして一億ちょっと。いくら無制限に増やせるものとはいえど、一億もの数を大量に確保するのもこれはこれで時間が掛かってしまった。

 当然、そのままでは倉庫にはとても入りきらないので、圧縮薬草を更に圧縮し、圧縮圧縮薬草という頭の悪い道具を作ることで解決を試みたんだけど、圧縮圧縮薬草は百かける百だから、薬草にして一万個分にしか過ぎない。本来の薬草で一億必要である以上、圧縮圧縮薬草でも尚一万個必要になる。

 ので、圧縮圧縮圧縮薬草という、投げやり感あふれる道具を無理矢理作った。これが一個あたり、本来の薬草で百万個に当たるから、百個で済む。それでも倉庫はギリギリだったけどね。

 今度からは別の方法を考えて方が良いかもしれないけど、完全エッセンシアは性質だけであって、個数まではサポートしてくれないんだよね……。

 尚、圧縮薬草は重さが変わらない。圧縮圧縮圧縮薬草って、つまり薬草百万個分の重さがあるから、当然そのままでは微動だにしない。重力操作にも限界はあるのだ。かといって洋輔の剛柔剣(ベクトラベル)でも解決できるわけではなかった。

 いや、だって薬草一個を一グラムとかなり軽めに考えても、それでも百万個だと一トンになる。矢印の根元を変えることでその圧縮圧縮圧縮薬草から重さを実質ゼロにすることは出来るけど、じゃあその一トン分の重さの矢印をどうするんだよって話だ。適当なボールに乗せて空中に置いたら重さ一トンのボールになるぞ。それを上向きにすると一トンの重さのものが空に落ちていくだけだし。結構な危険物、しかもそれを百個作ることに……流石に無理があるよとは洋輔の談。

 仕方が無いので重さに関しては『身につけた者の重さを無くす』道具を強引な解釈でさらに対象を拡大させることで、『重さの消失』の部分を強調したあらたな道具として、範囲内に無重力空間を展開させるという道具を無理矢理作り、屋根裏の倉庫に展開している。なので今の屋根裏では宇宙体験が出来る状況だったり。早めに解消しなければ……それにそんな重たい道具を下ろすと床が抜けかねないので、屋根裏にある状態でそのままマテリアルとして認識しなければならない。面倒なことだ。

 とはいえ、これで材料は揃っている。完成品のイメージもある、念のため重の奇石も含めて二重に完成品を作ることにして、後はマテリアルを認識していき、錬金術を行使。

 ふぁん。

 と、音がして、目の前には顔の半分ほどを隠せそうな仮面が二つ現れた。

 特に柄は無い。真っ白な仮面。何かこれはこれで使い道がありそうだな、演劇的に……中世ヨーロッパの貴族みたいな? どっちかというとオペラ座の怪人だろうか。後でだと忘れそうなので適当なプラスチックを使ってふぁん、と作成しておく。よし。

「にゃん?」

「あ、食べ終わった? はい、お水」

 と言ったところで亀ちゃんはおやつを食べ終わったようだ。水皿にお水を入れてやると、亀ちゃんはぺろぺろ、と水を飲み始めた。長い毛が邪魔そうにみえるけど、本人と言うか本猫にとってはさほど気にもならないらしい。

 まあそっちはそっち。完成した仮面、これが王者の仮面で間違いは無い。

 問題はこれが効果を持つかどうかなんだけど……。

(なんだ、もう出来たのか)

 うんうん。今から装備してみるから、とりあえず遮断できるかどうか試してくれるかな。

(おっけ)

 よし。

 じゃあ王者の仮面を装備して、っと。

 魔力を通すタイプだっけ? 一応やっておこう。

 その上で今日の夕飯はハンバーグではなくカレーでもなくオニオングラタンスープが食べたいのでその材料を用意して欲しいなと強く考えて、仮面を外してさてどうだろう。

 今僕が考えていたことは通じただろうか?

(ハンバーグとかカレーとかグラタンとか、そういう断片的な感じはあったな……。結局なにがどうだったんだ?)

 なるほど、完全なガードはできない、けれどある程度は隠せる……その程度かな。

 品質値も14220、特級品。これ以上のものはなかなか作れないだろう。

(まあ、かなりそっちの思考を読もうとしてもその程度しか解らなかった。普段ならほぼ遮断できるだろうな)

 それもそうか。となると形状だけど……僕は眼鏡にこれの機能を統合するつもりだけど、洋輔はどうする?

(そーだなあ。また適当な指輪にでもしてくれるか)

 了解。

 王者の仮面はその後も錬金術をかませて毎回、重の奇石を用いて増やしておく。ストックはあってこまるものじゃない。また薬草を一億個作るの面倒でしかないし。

 で、王者の仮面のいくつかを屋根裏倉庫に収納しつつ、残った二つの片方は指輪の形に加工。もう片方は掛けている眼鏡に統合、と。

 これで良し。

 とはいえ、そろそろ重の奇石を毎回使うのも面倒だなあ。そろそろ改善考えるか。

(いや、それ自体が不思議効果なのにどうやって改善するんだよ)

 いやほら、毎回消費しなきゃいけないのがちょっとね。

 重の奇石それ自体を上手いこと反射させることが出来ればどんどん増やせそうだし。

(それ、あれだな。回数制限つけないとやばいことになるやつ)

 どうして?

(ねずみ算で調べてこい)

 はい。

 スマホを取り出してねずみ算で検索。

 なるほど、倍々ゲームはあっというまにとんでもない数字になるって事か。

 何回まで反射するとか、そういう制御が出来るように……それなら上手いこと品質値を耐久値にするタイプの解釈でいけないかな? うん、試してみよう。

 と、そんな発想の転換が始まったその時だった。

「なーん……にゃーぁ!」

 突然亀ちゃんが興奮したかのような声を上げたかと思うと、珍しくも爪を出し、そして空中を切るようなそぶりを見せる。はて、何かいたかな? 特に僕は感じなかったけど

……って、え?

 亀ちゃんの正面にあった机の脚の部分がざくっと切れた。

「……おーい。亀ちゃんの仕業?」

「にゃん」

 亀ちゃんは不機嫌そうな声を上げると、そのままキャットタワーへと移動し、お気に入りの場所に座った。ただし尻尾はゆらゆらとやっぱり不機嫌そのものだ。

 うーん。亀ちゃんめ、その生まれが生まれだし現状も現状だ、そりゃあ魔法の類いが使えてもおかしくないけど……でも今の、別に亀ちゃんがやったような感じでもないんだよな。

 だって亀ちゃんは爪を出して腕を振っただけだ。それで遠隔地を切り裂くって。

 しかも魔法の類いはなかったと思う。少なくとも魔力の渦は見えなかった。

「やれやれ」

 ふぁん、と机を修復しつつ、不機嫌な亀ちゃんの頭をなでる。少しは機嫌も良くなるだろう。

「……一応、調べるか」



 特に調べても不審点は無し。少なくとも亀ちゃん自身に何か問題があると言うことはない。つまりあの時亀ちゃんが威嚇し、攻撃するようなそぶりを見せたのは、その時そこに何かが居たからってことになる……そしてその何かが机を破損したと。あり得るかな?

「だからって霊体か?」

 いつの間にか帰宅していた洋輔が、窓の向こうで呟いた。あまり信じられないようだ。僕も同感だけども。

「霊体なんて怪しいもん、あり得ると思うのか?」

「まあ、ないよね。実際、幽霊とされる者はたとえば魂だけがのこったもの。錬金術的な考え方では肉体(ソーマ)魂魄(プシユケー)を分離できるから、その魂だけというのはそりゃあ完全に存在を否定されるものじゃないけど……」

 魂魄(プシユケー)は特殊な容器に収納しない限り、一瞬で空気中に拡散してしまう。一瞬で揮発しきって無くなってしまうのだ。だからこそ、アニマ・ムスの杯という特別な道具が考案されたのだから。

「錬金術的には、だから無理。……魔法は?」

「魔法は身体を作れないけど、魂魄(プシユケー)まがい物(イミテーシヨン)ならば作れる。……つっても、対象を選んで、その対象に人格(いしき)を偽造するってのが本来の効果だからなあ。幽霊を作るってのは大分無理がある」

 なるほど。

 それでも作ろうとするならば……、

「ピュアキネシスを引っかける形だろうな。ピュアキネシスでゴーレムを作る。その上でそのゴーレムを透明化しておいて、そこにイミテーションをぶち込む」

「野郎と思えば僕たちにならば出来る。……けど、僕たちくらいだよね、そんなのできるのは」

「だな」

 常識で考えれば非現実的。けれど現実としてそれらしき現象が起きているわけで。

「……彼女かな」

 僕のつぶやきに、洋輔はうん、と頷いた。

 彼女ならば確かに、できる、かもしれない。

 彼女とはフユーシュ・セゾン……だった人物のことだ。

 今は来栖冬華と呼ばれている。

 彼女は元々地球で来栖冬華だったんだけど、僕たちと同じくあの異世界に飛ばされた。ただし僕たちとは違って、失敗したとあの存在は言っていた。その失敗の結果、彼女は彼女である事を忘れた。

 つまり、来栖冬華は異世界に完全な転生を果たすことはできたけれど、それがあまりにも完全すぎて、地球上での来栖冬華という記憶をついに思い出すことが出来なかったのだ。

 だから、フユーシュ・セゾンという人物でしかない。

 そんな彼女は死の間際、その異世界において獲得した全ての技術を利用して、僕たちに対してただけ、挨拶をしにきた。そしてそのまま消えるはずだった。

 けれどその時、僕と洋輔は提案した。彼女に来栖冬華の身体を改めて与えることで、来栖冬華として地球上に改めて生を受けないかと。

 彼女はそれに同意して、それが来栖冬華の八年ぶりの保護に繋がっている。

 だから、厳密な話を言うならば保護された来栖冬華は偽物だ。完全に同一な遺伝子情報は持っているけれど、精神的には別人になってしまっている。来栖冬華ではなく、フユーシュ・セゾンなのだ。

 で、その身体に落とし込んだとき、彼女は自分の才能が少し削れたと言っていた。

 僕や洋輔はあの異世界から帰ってくることで、才能、力的なものに変化はなかった。むしろ少し強まったかもしれない。

 彼女はこっちの世界にきたとき、それが不正な物だったからか、錬金術が上手く使えなくなっていた。魔法の才能もかつてあの異世界で獲得していたものとくらべればかなり劣るという。

 その後僕たちによって普通の人間になった今の彼女は魔導師という才能を持ち、またある程度高度な錬金術だって扱える。いわば僕と洋輔の折衷案のような存在だ。

 どっちも結構な才能を持っている、けれど魔法的には洋輔に劣り、錬金術的には僕に劣る。逆に言えば、僕よりかはかなり魔法は上回るし、洋輔とは比較できないほどには錬金術が行使できる。

 僕と洋輔が力を合わせれば、たぶん、幽霊のような存在も作り出せるだろう。

 そして彼女ならば単独でもそれが出来るかもしれない。

 更に今回の仕業を彼女のものだと推測するには一つ、大きな理由があった。

「たしかあいつ、退院したって話だな」

「外傷はなかったしね。一週間もしないで退院。検査だけして、特に異常なし……みたいなこと、三好さんが言ってたはず」

 三好さんは僕と洋輔の失踪事件、の担当刑事だけど、来栖冬華ちゃんの失踪事件に関しても結構絡んでいるらしい。その流れで、僕にちょこちょこと情報を流してくれている。

「今はお父さん、だから、来栖夏樹さんの所に居るはずだよ。まだ復学はしてない」

「言葉か」

 僕は頷くことで応じた。

 そう、彼女は来栖冬華ではなくフユーシュ・セゾン。異世界において使われた言葉は今でも読み書きができる、けれどそれは、地球上に存在する言語ではない。

 幸い、彼女は受動翻訳の魔法を会得していた。それは自分がしゃべる言葉を相手に理解させるものではなく、あくまでも相手がしゃべっていることを自分で理解するという魔法だそうだけれど、それのおかげで日本語やロシア語で話しかけられてもとりあえずそれに反応できているようだ。

 ……もっとも、どんな言語にも反応できちゃって、しかもそれ、読みの部分にも適応できるらしく、結果としてイタリア語だろうとフランス語だろうと読み聞きできてしまい、更に周囲を困惑させていると聞いている。

 尚、その魔法の使い方は僕たちも教えて貰った。案外簡単だったので、僕にも洋輔にも扱えたりするけどそれはそれ。

「冬華としては、最低限しか日本語をしゃべれないみたい。簡単な挨拶と同意、否定、お腹がすいた、眠い、痛い、ここ、そこ、ってところだね」

「最低限、か。まあ、確かにそれがしゃべれればとりあえずは生命の維持が出来るな」

 その通り。お腹がすいたと言えなければ餓死しかねない。痛いと言えなければ状況を教えることが出来ない。あとは同意と否定が出来れば、とりあえずはなんとかなる。

「話しかけられる分には理解できるだけ、あいつには辛いだろうな。面倒だって意味で」

「言葉以外にも問題はあるだろうけどね……あっちの世界とこっちとじゃ文化が違いすぎる。幸いあっちにも水道はあったしお風呂はあった。電気を除けば大体やってることは同じ……それに電気だって彼女なら直ぐになれるでしょ」

「まあな。外付け魔力つきの魔法の箱……みたいな認識になってるかな?」

「さあ?」

 そこまでは流石に断定しかねるけれど。

 まあ、そのあたりを彼女は知らなかったんだ。それはきっと、他者から見ればものすごい不自然だろう。猫の姿だった頃にある程度の存在は認知していただろうけど、人間の身体になって見てみるとさらに違和感が出てくると思う。

 更に、下着の概念も彼女には薄かった。あっちの世界ではパンツが無かったわけじゃないけど、あんまり一般的なものじゃなかった。

 ていうか下着に限らず服だって、あっちの世界はなにかと防御力を気にした服装が多い。こっちだとそんなものは軍服くらいかな? その軍服とかに防刃能力がある程度だろうけど、あっちでは割とそういうのが基本だったし。

 それにこっちの衣装はやっぱりおしゃれなのだ、それをファッションとして綺麗に見るか、それとも野暮ったいとみるか……。

「良くて変わり者扱いか」

「実際にはかなり心配されてるだろうね。あんまりにも世間常識を知らない。だから八年間おそらく隔離されていたと判断されている……」

 うん、と洋輔は頷いた。

「やりにくいだろうな。いっそ放置されたほうが好きに出来る分楽だったはずだ」

「けど実際には世間が監視の目を向けてる。テレビ局のカメラに限らず、来栖夏樹さんにせよクロットさんにせよ、ナタリアさんにせよ。親族が常に見てるだろうから……」

「しかも外見、身体上は十二才の若い少女。結局フゥの奴、あっちでは結構な歳だったわけだしな」

「……だねえ」

 おばあさん、と彼女は自分を指してそう言っていた。そんな人物が、幼い身体に戻っている。まさかの形での若返りなのだ。

「俺たちも定期的にそれをやればずっと若い身体で居られるかな?」

「若返りは難しくても老化を止めるのは簡単だよ」

「は?」

「いや、だから液体完全エッセンシア飲むだけ。それだけで不老にはなるね。不死じゃないから殺せば死ぬけど」

「そういえばそんなことも言ってたな……」

 それに身体の生成に関連付け、このあたりは結構な腕の錬金術師じゃないと成立させることができないだろう。しかも自分自身の肉体は作れて、魂魄の分離までは一人で出来ても、その後の結合は誰かにやってもらう必要がある。

「二人一組ならば出来るって事か?」

「永遠に仲違いしないかつお互いに絶対に事故死しないならばそれでいいだろうね」

「あー」

 実際には二人一組じゃ直ぐに終わるだろう。仲違いかそうでなくてもどちらかが事故死して、もう片方を若返らせることが出来なくなる。

 錬金術も魔法も死者の蘇りは出来ないんだ。死んだ人と同じ生きている身体を作ることは出来ても魂は作れない。魔法では死んだ人とものすごく似た性格の魂を作ることは出来ても身体が作れないし、そもそもその魂だってまがい物なのだから。

「まあその辺はいいや。それであいつが俺たちに向けてなんか妙なものを送ってきていたのだとしたら、その理由は何だろうな?」

「会いたい、だろうね。現状では彼女の意図をしっかり理解できるのは僕と洋輔だけだ。それだって完全じゃあない」

「ならば電話でもすりゃ良いのに」

「盗聴を怖がったのかも……」

「まさか」

 洋輔は一度そう否定し、けれど直ぐに首を振った。

「いや、ありえるな。勇者だし、国政も手伝ったなら、そのあたりの危機管理はしていたほうがむしろ当然だ」

 どうする、会いに行くか、と洋輔は視線と思考で訴えかけてくる。

 僕は一度だけ頷いて、亀ちゃんの頭をなでると、亀ちゃんは眠たげに目を閉じて、そのまま眠りについたのだった。



 その日のうちに、僕と洋輔は二人揃って街を歩いていた。親にはちょっと出かけてくる、友達のところだから心配は要らないとだけ伝えておいた。ちょっと心配させるだろうけど、まさか来栖冬華の所に行くと言えるわけもなく。

「あ、そうだ。洋輔、これね」

「ん……? ああ、例の」

「うん」

 王者の仮面。ただし形は指輪。紛らわしいな。

 効果的には同じだけど。

「流すタイプの道具みたい」

「了解」

 洋輔はそう言って、首から提げた指輪の束にすっと通した。

 いろいろな形態を試しては居たけど、結局指輪に落ち着いた。洋輔は魔力の操作もかなり精密に出来るから、一つの指輪に複数種の効果をつけても問題は無いほどだけど、まさか指輪をつけて学校には行けない。なので、ネックレスに下げているというわけだ。

 もちろんネックレスそのものも普通のネックレスじゃないし、それに性質を与えることは可能なんだけど、拡張性の面で難があるんだよね。

「それで、訪問の口実はどうなる?」

「マスコミに追い立てられたで良いんじゃない。あの業界人、僕たちと彼女をなんとかして引き合わせようと躍起な一団もいるし」

「まあな」

 普段は鬱陶しいだけだけど、今回はそれを利用させて貰う。

 そんなわけで向かったのは、街の反対側のエリアにあたる所にあるくるす小児クリニックという町医者だ。

 そこからさほど離れていないところに、その町医者で働く医師、来栖夏樹さんの家はある。というわけでインターフォンを鳴らして、と。

『はい、どちらさまかな』

「すみません。渡来佳苗と鶴来洋輔です。お邪魔してもよろしいですか」

『……二人だけかい?』

「ええ」

『入ってくれ。カギは開いている』

 許可も貰ったので玄関を開けて、おじゃましますと中に入る。

 と、玄関扉の直ぐ向こうに、見覚えのある女の子が不敵な笑みを浮かべていた。

「こんにちは、冬華ちゃん」

「こんちわ」

「コンニチ、ワ」

 少し片言で彼女は答えた。そして苦笑を浮かべている。

『面倒ね。こっちで話してもいいかしら?』

「それだと僕たちが理解できない……事になるんだけど」

『今更でしょう。夏樹……いえ、お父さんと言うべきかしら。彼、あなたたちがこの言語を扱えることに気付いているわよ』

 ああ、やっぱりバレてるか……。

 一度しか目の前ではその言語で話したことはないんだけど、思いっきりそこを見られたからな。仕方ないか。

「いらっしゃい、お二人とも。今お茶を入れるよ。……今日はどうしたのかな?」

『えーと、私が呼んだって言っちゃっていいわ』

『そう?』

 ええ、と彼女が頷いたので、僕はそのまま答える。

「冬華ちゃんに呼ばれたんです。内々にね」

「そうかい。君たちは……いや、よそう。とりあえずは、ね」

「済みません。いつか話せる日が来るとは思うんですが……」

 まさか異世界に行ってました、なんて言ったところで正気を疑われるだけだろうしなあ……。

『それで冬華、何用だ。あんな妙なもんを飛ばしてきて』

『あはは、ちょっと失敗作だったのよね。ごめんなさい。あっちだともっと上手く出来たんだけど……。電話を使うにはちょっと危なかったし、あなたたちならばあれで通じると思っての事よ』

『だろうな』

 はあ、と洋輔はわざとらしくため息をついた。

「いつ聞いても妙な言語だ。日本語とは全然違うのに、響きは西洋的でもない」

「やっぱりそう思います? 僕もそうなんですよね……」

「……いや、君が同意するところじゃないと思うが?」

 そうかな? そうかも。

 客間に通され、そこで彼女と僕と洋輔がそれぞれ向かい合う。夏樹さんは一緒に居たがるかなと思ったんだけど、普通に出て行ってしまった。

 ……ふむ。

『盗聴されてるかしら?』

『コーティングハルはつかってないの? あれ、防音もできるけど』

『それはとっくにやってるわ。でもこの世界、電気ってものをつかっていろいろなことが出来るんでしょう。電話だってそうよ。それを使えば音だけを拾うなんてかんたんじゃなかしら』

 大正解。

 僕は観念して頷きつつも、眼鏡に付与した色別機能をオン。周囲を確認、赤は無し、っと。

『大丈夫。何も仕掛けはないね』

『ならば良いか。まあ、どうせこの会話内容は理解できないでしょうけど、それでも念のためにね』

『それで実際、何用なんだ?』

『実は用事らしい用事はないのよ。ただほら、私、こっちにきてからあんまりしゃべれなかったから。暇だったのよ。ちょっと雑談相手をしてくれないかしら』

 ダウト。嘘だ。

『……通じないか』

『当然。僕たちだって真偽判定は押さえてる』

『それもそうね。でも完全に偽りって訳でもないわ。ちょっとはその意識もあったしね。……本題に入らせて貰うけれど。佳苗、あなたはエピロガル・ゴウンの裁鋏(たちばさみ)を作れるわね?』

 …………。

『材料はなんとかこっちで用意するわ。作って貰えないかしら?』

 ……まあ、勇者だもんなあ。

 ニムとも近くなったと言っていた。ならばニムから聞いていても、おかしくはない……。

『エピロガル・ゴウンの裁鋏……って、何のことだ、二人とも』

『そうねえ、説明が難しいような、簡単なような……。私から説明するのは避けるわ。どうなの、佳苗。作れるかしら?』

 やれやれ、王者の仮面、ギリギリで間に合ったな……。

 だけど、変に隠すのも問題か。

 どうせバレる。

『先に説明するね。昔のことだよ。とある二人の錬金術師がいた。その錬金術師達はとても親しくてね、いろいろなものを競って作ったって言われてる。そんな中である日、二人は剣を作って欲しいとお願いされたんだ。そこで二人は普段通りに、お互いに完成度を競う形でより良い剣を作ろうとした』

『剣?』

『そう、剣。それで、二人の錬金術師の名前が、エピロガルとゴウンっていう。ゴウンが作った剣は万物を裂く、およそ斬れないものはないとされるほどに鋭い剣だった。エピロガルが作った剣は木の棒よりも切れ味が酷いと言われるほどに酷い剣だった。二人はお互いに作った剣を見て思ったそうだ。自分では絶対に到達できない剣だと。だから二人はお互いの力を高めるべく、二つの剣をひとつにした。それが、エピロガル・ゴウンの裁鋏。名前だけを見ると鋏だけど、実際の形状は剣を二つ、柄の部分でくっつけたみたいな感じだね……』

 何でも斬れる剣。

 とにかく酷い剣。

 常識的に考えれば、ゴウンが作った剣のほうが優れている。なのにゴウンはエピロガルの剣を完成形として認めるのみならず、お互いに作った剣を合成することを合意している。

『なんでだ……?』

『エピロガルが作ったそれは、斬れない剣なんだよ。何も斬れない剣だったんだ。何でも斬れる剣と、何も斬れない剣。この二つの性質を同時に帯びた一つの道具が作れたら、それはどんな効果を持つだろう? たぶんその二人はそう考えたんだろう。そして、魔法で言うところの矛盾真理――相反する性質を同時に持たせることで大きなそして異なる方向性の効果を得る技術――と、同じ事が起きた』

 何でも斬れる剣と何も斬れない剣は、合成されることで一つの道具になった。

 その形状は歪な鋏。一本の剣として完成させようとしたにもかかわらずそれはその形になった。

 そして、その鋏は特別な効果を獲得するに至った。

『エピロガル・ゴウンの裁鋏はね、人間関係を斬る鋏なんだ』

『……うん?』

『ある人間と別の人間の関係を絶つ鋏。その鋏が最初に斬ったのは、エピロガルとゴウンだった。その裁鋏で斬られた結果、その二人はただの他人になった』

『他人……』

『人間関係を絶つだけだからね。嫌いになるわけじゃない。むしろ嫌いな相手との間でもその鋏は有効だよ、嫌いって感情がなくなる。ただの無関係な相手になる。……ま、人間関係に限定される以上、それは動物とかには効果が無いらしいけれど』

 魔王化している以上、僕も大丈夫かな。

 使い魔の契約も斬ることは出来なかった。

 だから僕と関連した関係は斬ることが出来ないだろう。洋輔と僕の間の関係はどのみち斬ることが出来ない。その点においては安心できる、けれど。

『作れるよ。作れる……マテリアルは知ってるし、理論上は作れる。僕はそれを作ったことが一度しかないけど、覚えてる』

『やっぱり。ニムが持っていたあれはあなたが作った物だったのね』

 頷くことで解答とする。

 ニムから教えて貰った逸話、を元に色々と試していたらなんか出来ちゃったシリーズの第四弾だったかな……アレ。

『冬華はアレをどう使いたいわけ?』

『フユーシュ・セゾンとしての私を切り離そうとしてるのよ。それが残っている限り、たぶん私は来栖冬華としては生きられないわ。あの日々を忘れたいとは思えない、けれどあの日々を一緒に過ごしたいろいろな人に未練がある。……私にとって父親は、やっぱり来栖夏樹じゃなくて、ナツテリアル・セゾンなんだなって。数日しか一緒に暮らしてないのに、そう確信しちゃったわ。そんな感情じゃあ、来栖夏樹に失礼よ。それに、姉を姉とも思えないし、母を母とも思えない』

 それが寂しい、だから異世界(むこう)の関係を切り捨てる、かあ……。

 筋は通っている、のかな。まあ、今の親を親と思えない、そりゃあそうなんだ。異世界では自分のほうが年上だった、来栖夏樹さんにせよクロットさんにせよ、若造だという想いさえあるんだろう。

 けどなあ。

『人間関係を絶ったところで、果たして意味があるかどうか……。ねえ、冬華。いや、フゥ。フゥが未練を持っているのは本当に人間関係なの? ……あっちの世界そのものじゃない?』

『…………』

 冬華は、フゥは、目を細めてゆっくりと、そして静かに頷いた。

『解ってるわ。その可能性があることは、解ってる。それどころか濃厚でしょうね。私は結局勇者になってから、ナツテリアルにはほとんど会えなかった。……あの人のことを父親とは思っているけれど、それほど深い思い入れじゃないわ。それに私は勇者になった。あの世界を導く勇者として、私は当然、あの世界を愛している。だから……そこに未練があるのは、むしろ当然ね』

『だとしたら、僕はやっぱり渡せない。それでむこうの皆との人間関係を斬ったあと、フゥに残るのは寂しい世界だよ。知っている人は居ないのに、ただ世界だけが愛おしい。そんな状況、なんだか嫌じゃない?』

『それはあなたの基準でしょう』

『そうだね。じゃあ言い換えよう。フゥ、フゥが言っているとおりにしたのだとしたら、フゥはニムと完全に絶縁することになるけど、それは納得できるわけ?』

『…………』

 やっぱり。

『どういうことだ、佳苗』

『ニムは僕が残した液体完全エッセンシアを飲んでいる。ほとんど不老ってことだ。フユーシュ・セゾンという伝説が死んだとされる後、あっちでは更に時間は経っているだろう。こっちの一日が、大体あっちの一年だし。それでもニムは生き続けているんだろうね。そしてニムは、あの場に居合わせていた。全てを覚えていた。フゥにとっては唯一、僕や洋輔の……カナエとヨーゼフの事を、ウィズとヤムナのことを話すことが出来る無二の仲だったはずだ。フゥ。君は結局、ニムと結婚したんじゃないのかな』

『は?』

 洋輔が心底呆れるような声を上げる。けれど、フゥは否定しなかった。

 ただ、懐かしむように笑うだけだ。

『惜しいわね。正確には、結婚したかったけど出来なかったのよ。私は勇者という立場になってしまった。だから簡単に結婚なんてできなかった。それに私は普通に老化したけど、ニムはあなたが残した液体完全エッセンシアのおかげであの日のまま、姿形は変わらなくなった。……私は結局、あの人と共に暮らせたけれどそれだけだったわ。まったく、そのことに気付くとしたら洋輔の方だと思ったのに。まさかあなたの方が気付くだなんて』

『僕は鈍いけど、想像力は豊かでね。エピロガル・ゴウンの裁鋏なんて道具を持ち出されれば、そりゃあ気付くよ』

『そう』

『ニムもフゥのことは忘れられないんだろうね』

 僕の断定に、洋輔とフゥの二人がいぶかしげな表情で僕を見てきた。

 全く、鈍いのはどっちなんだか。

『ニムはエピロガル・ゴウンの裁鋏を持ってるんだ。ニムがあくまでも職務に忠実に、ただの記録者(ヒストリア)として徹するならば、そんな感情はさっさと斬る。そうじゃないと客観的な記録がつけられないからね。でも、今もまだフゥはニムのことを好いている』

 だからニムはエピロガル・ゴウンの裁鋏を、少なくともフゥ相手には使っていないと言うことだ。そしておそらく、僕相手にも使われては居ない。今も僕はニムの友達だと想っている。

 逆はどうだろう。今でも友達だと想ってくれているかな。それとも、自分をこんな身体にした厄介ごとの塊とでも想ってるかな。

 まあ、それはいい。

『エピロガル・ゴウンの裁鋏。作れるけど、作ってあげない。作り方も教えてあげない。今のフゥには、教えられないよ』

『どうしても?』

『どうしても。斬るのは簡単だ。けれど、戻すことは二度と出来ない。やり直しがきかないんだから、とりあえずやってみなだなんて言えないよ。そのための道具は、今のフゥには渡せない』

 そう、とフゥは頷いた。

 奇妙なことに、少し安心したように。

『良かったわ。佳苗が佳苗で居てくれて。……あなたがもしも私にそれを渡していたら、私は迷わずに使ったでしょうね』

『……ごめんね。本当は、作ってあげるべきなのかもしれないけど。僕はフゥの仲間だけど、同時にニムの友達でもあるって想ってる。だから……僕は、ニムが好きな人を、奪いたくはないんだ』



 その日、僕たちはその後も暫く雑談をしてから帰路についた。

 帰り際のことだ。

「君たちが何を話していたのかは、解らない」

 夏樹さんは僕たちを見据えてそう言った。

「けれど、君たちには感謝もしている。……だから、いつか君たちが、そして冬華が、話してくれる日を待つよ。ただ、それはこっちの話。(クロツト)のことは別だ」

 それは一種の警告だった。

 僕たちが気付かないところで、どうやらクロットさんは別に動いているのか。厄介だな。それこそ斬っちゃおうかと想わないこともないけど、流石にそれは無責任という物だろう。

 だからただ、僕は頭を下げ、洋輔もそれに習うように頭を下げていた。

「いつか、必ず」

 そう言って。

 そんな帰り道。洋輔は「裁鋏ねえ」と言葉を漏らした。

「お前はさっき、取り返しが付かないと言ってたけど。実はそうでもないってのがお前の見立てなのか」

 ……これは思考さえしてないはずなんだけどな。なんで気付かれたんだろう。

「佳苗みたいなひねくれ者は何かを作ればその逆も作ろうとする。そしてお前にとってはそれほど難しい事じゃないんだろうって想ったんだよ」

「あっそ。……変な信頼のされかたをしてるものだ」

 呆れつつも、僕は半分だけあってるよ、と答えた。

「取り返しは付かない。ただ、逆は出来る」

「というと」

「人間関係を絶つの逆。人間関係を得る道具は作れた」

 糸状のね。

「へえ。……ああ、なるほど。裁鋏で切られるのは人間関係という矢印じゃなくて人間関係という糸と解釈して、その糸そのもを作ってしまえば関係性が生まれる……運命の赤い糸とか、そういう言い方もあるしな」

 その通り。

「名前はつけてあるのか? その道具」

「つけてあるよ。ニムは知ってる。ニムしか知らないだろうけどね」

「へえ。それの名前は?」

「セゾン・トゥーベスの糸」

 フゥは知らないんだろうな。

 けれど僕は知っていた。

「ニムはあの時、既にフゥのことを好いていたからね。それが叶うかどうかは解らない、けれどもしも叶ったら良いねって。僕はそう名前をつけた。ニムもそれに反発はしなかったな」

 恥ずかしがってはいたけれど、理解はしただろう。

「もしかしてあいつ、それを使ったのかな?」

「それはないよ」

「なんで?」

「『なるほど、裁鋏を使われたときはこれを使って無理矢理復縁すれば良いと言うことだね。いやあなるほど、ありがたい。それいうことならばその名前も受け容れよう』――」

 あの時、ニムはどこまでを予想してたのかな。

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